第57話 託された力
ルント市にも本格的な冬の気配が訪れていた。
「異端の治療師」として評価されてきた活動も、すっかり街の一部として定着したと言えるだろう。
高額な対価と引き換えに、施療院や他の薬師が見放した難病を治療するという私のスタイルは、多くの非難を浴びる一方で、富裕層からの依頼を途絶えさせることはなかった。
外科手術の成功例もさらにいくつか重ね、私の元には、当初は想像もできなかったほどの莫大な価値(お金)が集まっていた。
この潤沢な資金を元に本の「知識習得」も着実に進めていた。外科知識を補強するための「高度止血技術」や「術後感染予防薬」、そしてミーナからの相談が増えていた慢性的な痛みに対応するための「消炎鎮痛パップ剤(基礎)」の知識も、既に習得済みだ。
だが、それだけでは足りない。私が目指すのは、本の完全解放。そのためには、数百万、数千万という単位の価値が必要となる。
高額依頼をこなし続ける一方で、ミーナに託した「セーフティライン」を、もっと強化することはできないだろうか。彼女の店が安定し、より多くの人々を確実に救えるようになれば、私は心置きなく、高額依頼と本の解放に集中できるかもしれない。
そう考えた私は大きな決断を下した。これまでミーナに供給してきた基本的な薬——キズハ湿布、感冒薬、健胃整腸薬、そして新たに習得した鎮痛湿布——に加えて、切り札とも言える「狭域・中域抗菌薬」も含めた、これらの「生成解放」を一気に実行した。
命脈の書を開き、必要な項目を選択していく。
【キズハ湿布 生成解放】コスト十万。
【一般的な感冒症状の緩和薬 生成解放】コスト五十万。
【健胃整腸薬(基礎) 生成解放】コスト八十万。
【消炎鎮痛パップ剤(基礎) 生成解放】コスト百万。
【狭域・中域抗菌薬 合成法(複数種) 生成解放】コスト五百万……!
合計で、コスト七百四十万。資産の多くが消し飛ぶ計算だ。一瞬、躊躇いが心をよぎったが、迷いはすぐに消えた。これは、必要な投資だ。
「——全項目、生成解放、実行!」
本に命じると、莫大な価値が吸い上げられると共に、対象となった全ての項目に「生成解放:達成済」の文字が灯った。
これで私は、これらの薬を、コストゼロで、必要な時に生成できるようになったのだ。
その数日後、私は準備を整えミーナの店を訪れた。
奥の作業場で、ミーナに以前に教えたキズハに加えて薬の「作り方」を教えることから始めた。
「ミーナさん、これは以前お渡しした感冒薬の、これが胃腸薬の、そしてこれが新しく覚えた鎮痛湿布の詳しい作り方です。材料の配合や手順を、よく覚えてください」
本から得た知識に基づき、彼女が扱える範囲の材料を使った実践的な調合方法を丁寧に指導した。
ミーナは、真剣な眼差しで私の手元を見つめ、熱心にメモを取っている。
「はい、師匠! しっかり覚えます!」
「あなたが自分で薬を作れるようになることは、とても重要です。薬の効果を本当に理解するためにも、そして……いつまでも私に頼るわけにはいきませんからね」
私の言葉に、ミーナは少し寂しそうな顔をしたが、すぐに力強く頷いた。
一通り作り方を教え終えた後、私は別の包みを取り出した。中には、私が「生成解放」によって用意した、新しい薬(キズハ、感冒薬、胃腸薬、鎮痛湿布、そして数種類の抗菌薬)が入っている。
「そして、こちらが、これからあなたに扱ってもらう薬です」
「わぁ……! これが新しい湿布と、それに、風邪薬も胃腸薬も、前よりたくさん……。あれ? こっちの小瓶は……?」
ミーナが、抗菌薬の小瓶を手に取り、不思議そうに見つめる。
「それは、特にたちが悪い感染症に使うものです。……いいですか、ミーナさん。これからあなたに渡すこれらの薬は、私が特別に用意したもので、あなたが作るものや、これまで使っていたものとは、効き方が全く違います」
彼女の目を真っ直ぐに見て、厳しく言い含めた。
「これらは、基本的に一回の使用で、必要な期間ずっと効果が続きます。 ですから、これまでの薬と同じ感覚で、安易に使ってはいけません」
「えっ!? 一回でずっと……!?」
「そうです。だからこそ、あなたは患者さんの状態をより注意深く見極めなければなりません。 本当にこの『特別な薬』が必要なのか、それともあなたが自分で作れる薬で十分なのか。あるいは、そもそもあなたの手に負えず、他を頼るべきなのか。それを、あなたが判断するのです。 軽い症状の相手に、安易にこの特別な薬を渡すようなことは、決してしないでください。薬を無駄にするだけでなく、予期せぬ問題を引き起こす可能性もあります」
「わ、わかった……。肝に銘じるよ、師匠」
ミーナは、その薬の持つ力と、自らに課せられた責任の重さを感じ取ったのか、緊張した面持ちで頷いた。
「対価は、これまで通りの値段で構いません。ですが、これらの薬の出所と、その特別な効力については、絶対に秘密です。誰にも知られてはいけません」
「……はい!」
これで、私の「セーフティライン」は格段に強化されたはずだ。
ミーナという存在を通じて、ルント市の基本的な医療水準は人知れず底上げされていくことになるだろう。それが、巡り巡って、いつか私自身の目的達成に繋がることを願いながら。
私は、少しだけ軽くなった懐具合と、重くなった責任を感じながら、ミーナの店を後にした。




