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第5話 キズハ

 残ったパンを少しだけ齧り最後の銅貨一枚を握りしめた。この1枚で何ができるのだろうか。昨日のパンを買うのには一枚足りない……それに水筒の水がほとんどない。


 とにかく、今日も動かなければ何も始まらない。 まずは安全な水場を探し、それから仕事探しだ。


 水場がありそうな場所……井戸か、あるいは川があれば砂利でろ過して使えるのだが。

 そして、あわよくば、雑用でも見つけられれば最高だ。昨日と同じような荷運びでもいい。少しでもお金を稼がないと生きていくことも出来ない。


 今日は市場へ向かう途中にある横道を抜けた家が密集した通りを歩いてみた。もしかしたら、個人宅での雑用が見つかるかもしれない。


 しかし、期待は空しく、水場も仕事も見つからないまま昼近くになった。

 そんな時、道の隅で小さなうめき声が聞こえた。視線を向けると、七、八歳くらいの女の子が涙目で膝を抱えて座り込んでいる。転んだのだろう、膝が擦りむけて土と血にまみれていた。


「大丈夫?」


 思わず駆け寄って声をかけた。

 女の子は驚いたように顔を上げて、見慣れない私に一瞬身を固くした。


「……うん」


 か細い声だが痛みを堪えているのがわかる。膝の傷はそれほど深くはなさそうだが、汚れたままなのが良くない。


「お家、近い? 送っていこうか?」


 女の子はこくりと頷き、そこの角を指さした。ゆっくりと立たせて肩を貸して歩き出す。時折、痛みに顔をしかめる少女の小さな手が、私の腕をぎゅっと掴んだ。


 指さされた家はすぐそこだった。

 扉を叩くと若い母親らしき女性が顔を出した。事情を話すと、彼女は娘を抱きしめて感謝の言葉を述べた。そして、家の中から緑色の葉を持ってくると、娘の汚れた傷口の汚れを軽く洗うと、そのまま貼ろうとした。


「待ってください!」


 咄嗟に声が出た。母親の手が止まる。


「失礼ですが、その貼り方では傷が悪くなるかもしれません。その葉に良い効果があるのなら傷口をもう少し綺麗にしてから葉をすり潰して塗る方が効果も高いですし安全です。少しだけ、試させていただけませんか? お湯と清潔な布、葉を潰すものがあれば……」


 私の真剣な様子に、母親は少し考えた後、「……わかったわ。お湯、沸かすよ」と家の中へ入っていった。


 程なくして、母親は湯気の立つお湯と使い古した布、そして小さな石臼と石杵を持ってきてくれた。

 まずはお湯で布を固く絞り女の子の膝の周りの汚れを慎重に拭う。「ちょっとしみるよ」と声をかけると、女の子は唇をきゅっと結んで耐えた。

 傷口も優しく丁寧に洗い流す。土や砂利が取り除かれ生々しい傷口が現れた。

 次に、緑の葉を石臼に入れ、石杵で丹念にすり潰す。独特の青臭い匂いがふわりと漂った。粘り気のある、濃い緑色のペースト状になったものを、用意したもう一枚の清潔な布に薄く伸ばして傷口に当てる。そして別の布で軽く固定した。


「これで、大丈夫だと思う」


 顔を上げると、母親が半信半疑といった表情でこちらを見ていた。


「明日、また様子を見に来ます」


 そう言い残し、家に帰った。


 翌日、約束通り女の子の家を訪ねると、戸口で待っていた母親がぱっと顔を輝かせた。


「お姉さん! すごいよ、見て! あんなに赤くなっていたのに、すっかり引いてる! いつもならここから膿んだりして長引くのに!」


 見せてもらうと、傷は薄いかさぶたになり周囲の腫れもほとんどない。見事に回復に向かっている。思わず、安堵の息が深く漏れた。知識が、経験が、ちゃんと役に立ったのだ。小さな、けれど確かな温かいものが、胸の奥にじんわりと広がった。


「本当にありがとうねぇ。そうだ、これ、良かったら持っていかないかい? うちにはもう一つあるからさ」


 そう言って母親が差し出したのは、昨日使ったものと同じ、小ぶりの石臼と石杵だった。


「えっ、そんな、悪いです」

「いいからいいから! お礼だよ。またなんかあったら頼みたいしさー。あの葉っぱ、キズハって言うんだけど、南の門の茂みにたくさん生えてるの。薬を作れるなら採ってくるといいわ。……ああ、そうだ、お湯を使うなら、広場の東側にある共同井戸の水が一番きれいだよ」


 キズハ……。名前を知り、自生場所まで教えてもらえた。願ってもない情報と、実用的な道具。丁重に礼を言い、それらを受け取った。


 その日の夕方、自分の部屋に戻ると、教えてもらった共同井戸で満たしてきた水筒の水を喉に流し込んだ。

 これまでの苦労が報われたようだ。そして、机の上に置かれた、石臼と石杵。少しだけ自分の「生活」が形になったような気がして、かすかな満足感を覚えた。


 そして、帰りに少しだけ摘んできたキズハを取り出して石臼に入れた。この手で薬を作る感覚を確かめてみたかった。

 石杵でゆっくりと潰していくと、昨日と同じ、独特の青い香りが立ち上り、あの女の子の安堵した顔が脳裏に蘇る。

 この世界にも確かに効く薬草がある。そして、それを活かす知識が自分には……。

 そこまで考えた時、ふと、机の上に置いてあった命脈の書(ルート・オブ・ライフ)が、ほんの一瞬、淡い光を放ったような気がした。


 気のせいか? いや……。 警戒しながら本に近づき、そっとページを開いてみる。特に変わった様子はない。ぺらぺらと(めく)っていくと、昨日まではなかったはずの記述が増えていた。


キズハ(・・・)湿布】

  ┣ 知識習得:達成済 [効能:軽微な創傷治癒促進、感染抑制(弱)。必要材料:キズハ、清潔な水。道具:石臼、石杵など]

  ┣ 使用:基本コスト:100→10 (銭貨1枚相当) [効果:キズハ湿布を一つ生成]

  ┗ 生成解放:100,000 [効果:必要時にコスト0で生成可能]



「……知識習得:達成済?」


 本が光ったのは気のせいではなかった。薬草を作ったという経験が本に記録されたのだ! お金を支払わずに「知識」が手に入った。それによって「使用」コストが銭貨一枚分まで下がっている。


「これなら、材料がない緊急時でも、一時的に生成して対処できるかもしれない」


 だが「生成解放」は……途方もない金額だ。でも、コストゼロでこの薬を生み出す力は人々を助けるのに凄く役に立つだろう。


 医学の知識はお金を稼ぐだけが全てではない。この世界で学び、実践することが、この本の、そして自分の力になる。これは大きな一歩だ。


 ……同時に、考えなければならないこともある。もし今後、「生成解放」を達成できたとして、材料もなく薬をポンポンと出していたら?

 誰の目からも異常に映るだろう。時には、自分でキズハを採りに行き、この石臼ですり潰す姿を見せることも、自分を守るためには必要なのかもしれない。


 そんなことを考えながらも、確かな手応えと、新たな知識、道具、そして情報……何より、未来へのわずかな希望が手に入った。昨日とは、違う。できることが、確実に増えたのだ。

 焦ることはない。一歩ずつ、着実に進んでいこう。そう心に決め、次は何をすべきか、思考を巡らせ始めた。

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