第47話 広がる波紋
聖ルカ施療団を襲った原因不明の熱病——その猛威は、私が薬を提供してから数日のうちに、嘘のように収束へと向かっていた。
私が提供した抗菌薬——この世界には存在しないはずの、特定の細菌を狙い撃つ薬物——の効果は、劇的だったと言っていい。重篤だった者も次々と回復に向かい、施療院を覆っていた死の空気は、急速に薄れていった。
もちろん、その事実は、様々な憶測と波紋をルント市に広げることになった。施療団が、あの悪名高い「金次第の治療師」である私に、莫大な対価を支払って助けを求めたということ。そして、その治療が、施療団自身の祈祷や薬湯では全く歯が立たなかった病を、短期間で終息させたということ……。
街では、新たな噂が生まれ始めていた。
「やはり、施療団のお祈りだけじゃ、本当に怖い病気は治らないんじゃないか?」
「あのイロハって娘、とんでもない金を取るらしいが、腕は確からしいぞ」
「でもよぉ、なんであんな力があるのに、金持ちしか助けねえんだ?」
一方で、施療団内部でも、その衝撃は大きかったようだ。情報屋がもたらした話によれば、今回の件を巡って、内部で意見が割れ始めているという。
指導的な立場にあった重鎮が亡くなり、自分たちも感染の恐怖に晒されたことで、「これまでのやり方だけで良いのか?」と疑問を呈する声が、特に若い団員の間から上がり始めているらしい。もちろん、それを快く思わない保守的な勢力も健在で、むしろ私のような「異端」への警戒感を強めている、とも。
まだ表面的な対立には至っていないが、水面下で確実に何かが変わり始めていた。
私自身は、と言えば、施療団の内部事情には深入りせず、粛々と自分の活動を続けていた。
感染症の一件で私の評判(良くも悪くも)はさらに高まり、以前にも増して困難で、そして高額な依頼が舞い込むようになっていた。私はそれらを冷静にこなし、着実に価値(お金)を蓄積していく。目標とする本の「知識習得」リストは、まだ長い。
そんな中、私はミーナの店を訪れた。彼女の店は、石鹸とマスクの効果もあってか、以前にも増して繁盛している。そして、私が提供している薬への信頼も厚い。
店の奥で、私はミーナに、先日施療団で流行した病気の具体的な症状を、改めて詳しく説明した。
「……というわけで、ミーナさん。もし、あなたの店に、これと似たような、急な高熱と激しい喉の痛み、そして呼吸が苦しそうな様子の人が来たら、それはただの風邪ではない可能性が高いです。特に、子供やお年寄りは危険です」
「……うん。わかった」ミーナは真剣な顔で頷く。
「そこで、これを使ってください」
新たに用意してきた抗菌薬の小瓶をいくつか彼女に手渡した。中身は、先日施療団に提供したものと同じ、私が「使用」で生成し、効果を確認した薬だ。
「これは……?」
「少し強力なタイプの、風邪や喉の痛みに効く薬です。私が新しく調合をしました」
私は、「施療団に渡した感冒薬の一種」であるかのように説明した。本当のこと——これが特定の細菌を殺す強力な抗菌薬であること——を彼女に告げるつもりはない。それは、不必要な知識であり、危険を招く可能性すらある。
「もし、さっき言ったような、『酷い風邪』のような症状の人が来たら、これを渡してあげてください。対価は……いつもの感冒薬と同じで構いません。材料が少し特殊なので、あまり数は用意できませんが……」
「えっ!? こ、これも、あの値段でいいの!?」
ミーナが驚きの声を上げる。彼女とて、これがただの薬草薬ではないことくらい、薄々感づいているのかもしれない。だが、彼女はそれ以上追及せず、私の言葉を信じてくれた。
「……わかった、師匠! 大切に使うね!」
彼女は、小瓶を大事そうに受け取った。
これで、ささやかな「予防線」は、さらに強化されたはずだ。
施療団で起きたような悲劇が、万が一、市井で起きたとしても、ミーナの店が最後の砦となるかもしれない。もちろん、それは私の自己満足であり、偽善かもしれない。だが、何もしないよりは、ずっといい。
私はミーナから、いつも通りの僅かな対価を受け取り店を後にした。空には、いつの間にか厚い雲が広がり始めていた。
ルント市に、そして私自身に、これからどんな嵐が訪れるのだろうか。私は、ただ、来るべき時に備えるしかなかった。




