第36話 調合の重圧
石工ギルド長のゴードン氏に治療に必要な材料のリストを渡してから数日が経過した。
彼はギルド長としての顔と財力を使い、すぐさま手配に動いてくれたようだ。
その間、私は自分の拠点で命脈の書から得た「特定重金属キレート剤・合成法」の知識を、何度も頭の中で反芻していた。
それは、キズハ湿布や感冒薬の調合とは比較にならないほど、複雑で精密な手順を要求するものだった。
特定の鉱石を酸で処理し不純物を徹底的に除去した上で微粉末化。特定の薬草の種子から抽出した油分と別の希少な植物の樹液を、厳密な温度管理下で反応させ、安定化させる……。
工程の一つ一つに、失敗すれば薬効が失われるどころか、毒性を持つ可能性すら示唆されていた。高度な実験設備でもなければ成功は難しいだろう。今の私の持つ道具——石臼と石杵、簡単な焜炉、陶器の壺——だけでは、明らかに力不足だ。
私は、残された価値(約十三万強)の中から、必要最低限の投資を行うことを決めた。
市場へ赴き、より目の細かい濾過用の布、薬品の反応に耐えられそうな硬質のガラス製のビーカーやフラスコのような容器、そして、わずかな温度変化も読み取れるという触れ込みの金属製の温度計を数本購入する。
決して安くはない買い物だったが、これから行う調合の重要性を考えれば必要な投資だった。これで少しは本が要求する精密さに近づけるはずだ。
その合間にミーナの店にも顔を出した。彼女に頼んでいた薬草を受け取り、そしてこちらからは補充用のキズハ湿布などを渡す。
「師匠、ありがとう! あ、そうだ、この前の感冒薬、もうなくなりそうなんだ。またお願いできるかな?」
「ええ、構いませんよ。対価はこちらで……」
彼女から銀貨数枚を受け取る。彼女の店は、基本的な薬の効果が確かなこともあってか、以前よりも繁盛しているように見えた。
「最近ね、少し遠くからもお客さんが来るようになったんだよ。でも、やっぱり私じゃ分からない症状の人も多くて……」
ミーナは少しだけ、困ったような顔を見せる。私は、以前伝えた言葉を繰り返した。
「あなたの手でできることを、丁寧に行えばいいのです。決して、無理はしないように」
「……うん、分かってる。ありがとう、イロハさん」
二人きりの空間では「師匠」と呼ぶ彼女も、私が店を出る時には、ちゃんと「イロハさん」と使い分けている。その健気さが、少しだけ心を和ませた。
そして、依頼から一週間ほどが経った頃、ゴードン氏の使いから材料が全て揃ったとの連絡が入った。
私は彼の屋敷へは向かわず、自分の部屋で薬の調合を開始することにした。この複雑な工程を人目のある場所で行うわけにはいかない。
部屋に鍵をかけ、買ってきたばかりの器具と、ダリウス氏から譲り受けた石臼などを並べる。
そして、届けられた材料——厳重に梱包された鉱石の粉末、希少な草の種子、その他数種類の薬草や試薬——を慎重に確認する。本に示された通りのものだ。
深呼吸を一つ。これから行うのは、私の知識と技術、そしてこの世界の材料を用いた、未知への挑戦だ。
本の知識を頼りに手順通りに作業を進める。
鉱石の粉末を特殊な液体で洗い不純物を取り除く。種子を石臼で丁寧にすり潰し油分を抽出する。ガラス容器の中で温度計を睨みながら、慎重に材料を混ぜ合わせ加熱していく。
部屋には、薬草と薬品の入り混じった、今まで嗅いだことのない匂いが立ち込めた。
わずかな手順のミスも許されない。集中力が途切れば全てが無駄になるどころか、危険な物質を生み出しかねない。私は、何時間も、ほとんど飲まず食わずで、その作業に没頭した。
そして——窓の外が再び白み始めた頃。
最後の工程を終えると、ガラス容器の中には、目的としていた、わずかに白濁した、とろみのある液体が完成していた。
量は多くない。だが、これが、ゴードン氏の身体を蝕む重金属を排出し、彼を再び石工として立ち上がらせるための鍵となるはずの薬——キレート剤だ。
疲労困憊の中、完成した薬液を小瓶に移し替えながら、確かな手応えを感じていた。
知識は確かに力になる。そして、その力を現実のものとするためには、やはり価値(お金)と、それを手に入れるための行動が必要なのだ、と。
すぐにゴードン氏の屋敷へ向かわなければならない。
この薬の投与は一日も早く始める必要がある。完成したばかりの薬液が入った小瓶を大切に鞄にしまうと、休む間もなく部屋を出た。
長い治療が、これから始まるのだ。




