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第35話 石工の親方

 石工ギルドの長が、原因不明の痺れと脱力感に侵されている——情報屋から得たその話は次なる目標として十分だった。ギルドの長という立場ならば相応の対価を支払える可能性が高い。

 そして何より、「他の誰も治せない」という状況は、私の知識と本の力が介入する余地があることを示唆していた。


 情報屋に教えられた石工ギルドの本部兼ギルド長の屋敷へと向かった。

 ルント市の中でも職人たちが多く住む地区の一角。ダリウス氏の屋敷のような華やかさはないが、頑丈な石造りの、実直で威厳のある建物だ。


 門前で用向きを告げると、中から出てきたのは、いかにも頑固そうな顔つきの若い職人だった。

 私が「治療師」であり、ギルド長の症状について聞き及んで診察にきたこと、そして以前ギルベルト商会や宝石商ダリウス氏の依頼も受けたことを伝えると、彼はしばらく考えた後、私を中へと通してくれた。


 案内された部屋で待っていたのは、がっしりとした体格ながら、今は椅子に深く腰掛け、力なく腕を垂れている壮年の男性だった。

 彼が石工ギルド長のゴードン氏だろう。その隣には、心配そうに寄り添う妻の姿もあった。


「……あんたが、ダリウス殿のところの嬢ちゃんを治したっていう、変わった治療師さんかい」


 ゴードン氏は嗄れた声で言った。その目は鋭いが、長年の苦痛と仕事ができないことへの苛立ちが滲んでいる。


「イロハと申します。お身体の具合が悪いと伺いました。詳しくお聞かせいただけますか?」


 私は丁寧な言葉遣いを心がけながら問診を始めた。

 いつから症状が出たのか、どのように進行したのか、どんな治療を試したのか……。彼は、最初はぶっきらぼうだったが、私が専門的な質問を重ねるうちに少しずつ心を開き詳しく症状を語ってくれた。

 手足の末端から始まった痺れが、徐々に全身に広がり力が入らなくなっていく。特に、石を扱うための繊細な指先の感覚と、槌を振るうための腕力が失われていくのが何よりも辛い、と。


 彼の身体を診察させてもらった。筋肉の萎縮の度合い、神経反射、知覚の異常……。「高度診断技術」によって強化された私の分析能力が、これらの所見を結びつけていく。

 ——これは、特定の重金属による慢性中毒の可能性が高い。石工という職業柄、扱う石材や加工に使う薬品に含まれる未知の、あるいはこの世界では認識されていない有害物質が、長年にわたって体内に蓄積した結果ではないか?


 命脈の書(ルート・オブ・ライフ)を参照する。『中毒学』『神経疾患』……。あった。「特定重金属に対するキレート療法」。体内に蓄積した有害金属を結合させ、体外へ排出させる治療法だ。これならば、根本的な原因にアプローチできるかもしれない。


【特定重金属キレート剤・合成法】

  ┣ 知識習得: 400,000[効能:体内に蓄積した特定重金属を捕捉し排出を促進。長期投与が必要。必要材料:△△鉱石、○○草の種子、他。特殊な精製・安定化技術を要す]

  ┣ 使用: 20,000[効果:キレート剤(1週間分)を一時生成。※知識習得で使用コスト半減]

  ┗ 生成解放: (非表示)


 知識習得に、四十万……! 今の全財産なら手が届く。これを習得すれば、長期的な治療が可能になる。「使用」で一週間分ずつ生成することもできるが、それではコストがかさみすぎるだろう。根本治療を目指すなら「知識習得」しかない。


 私はゴードン氏に向き直った。


「旦那様の症状の原因、見当がつきました。おそらく、長年お仕事で扱ってこられた、特定の物質が、少しずつお身体に溜まってしまったためでしょう」

「……なんだと?」

「治療法もあります。体の中から、その悪いものを少しずつ取り除いていく薬です。時間はかかりますが、うまくいけば、また槌を振るえるようになるかもしれません」

「ほ、本当か!?」


 ゴードン氏の目に強い光が宿った。妻も祈るように私の手を見つめている。「ただし」と私は続けた。「その薬は非常に特殊なものであり、その調合知識を得るためには、莫大な対価が必要です。今回、治療を引き受けるにあたっての対価として……大金貨五枚(価値五十万)をお願いできますでしょうか」


 知識習得コスト四十万に、利益十万を上乗せした額。これが、私の提示できるぎりぎりの線だ。


 ゴードン氏は眉間に深い皺を寄せ腕を組んで押し黙った。職人としての誇り、ギルド長としての立場、そして何より、再び仕事ができるようになるかもしれないという希望……。様々な感情が彼の顔をよぎる。やがて、彼は顔を上げ、決意を秘めた目で私を見た。


「……わかった。その条件、飲もう。大金貨五枚、必ず用意する。それで……本当に、俺はまた……」

「全力を尽くします。ですが、治療には時間がかかります。焦らず、根気強く続けることが必要です」

「ああ、分かっている。頼む、イロハ殿」


 再び重い契約が結ばれた。私はすぐに本にアクセスし、「特定重金属キレート剤・合成法」の「知識習得」を実行した。

 価値四十万が吸い上げられ、新たな知識が頭脳に流れ込む。残りの価値は十万強……またしてもギリギリの状態に戻ってしまった。


 だが後悔はない。これで、また一つ、新たな治療の手段を手に入れたのだ。私は、ゴードン氏に、薬の調合に必要な特殊な材料のリストを渡し、それらの調達を依頼した。これも、ダリウス氏の時のように、彼自身の力が必要になるだろう。


 新たな依頼、新たな知識、そして、常に隣り合わせの資金難。私の異世界での「仕事」は、休む間もなく続いていく。


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