第33話 新たなる依頼者
ダリウス氏の一件は、私が意図した通り特定の層に私の存在を認知させる効果があったようだ。
数日後、私の元へ一人の男性が紹介状を携えて訪れた。紹介状の差出人は、宝石商ダリウス氏。依頼主は、ルント市でも名の知れた毛皮貿易で財を成した大商人だという。
応対に出ると、上質な服を着た、しかし心労でやつれた顔の男性が深々と頭を下げた。
「突然の訪問、失礼いたします。治療師のイロハ殿とお見受けいたします。ダリウス様より、貴殿の類まれなる腕前について伺いまして……」
話を聞けば、彼の妻が、数ヶ月前から原因不明の腹部の激痛と、時折起こる吐血に悩まされているという。
複数の薬師に診せ、施療院にも通ったが、原因すら特定できず症状は悪化する一方らしい。
「妻はもう、食事もまともに喉を通らず……どうか、お力をお貸しいただけないでしょうか。対価は、いかほどでも……」
彼の目には、悲痛な懇願の色が浮かんでいる。これぞ、私が求めていた依頼だ。
すぐに彼の屋敷へ赴き診察を行った。
患者である妻はベッドの上で青白い顔をしてぐったりとしており、腹部に触れると特定の箇所に強い圧痛を訴えた。
吐血の状況などを詳しく問診しバイタルを確認する。そして、意識を集中させ、観察から得られる全ての情報を、頭の中の知識体系と照合していく。
——胃か、十二指腸に潰瘍ができている可能性が高い。それも、かなり進行し出血を起こしている。このままだと、穿孔や大出血に繋がる危険性も……。
私の持つ「高度診断技術」は、彼女の体内を直接見ることはできないが、症状と所見から、極めて確度の高い推論を導き出す。
問題は、その確証と治療法だ。本を確認する。『消化器疾患』……やはり、「内視鏡検査(使用コスト:5万)」や「消化性潰瘍治療薬(使用コスト:10万~、種類による)」といった項目がある。
そして、もし穿孔が起きていれば……「基本開腹術および縫合技術(知識習得済)」と、「基本手術器具セット(使用コスト:10万)」、「麻酔薬(使用コスト:8万)」が必要になる。
依頼主である夫に向き直り、診断結果と考えられる治療方針を説明した。
「奥様の腹部に、おそらくは出血を伴う深い傷(潰瘍)ができている可能性が高いです。原因を特定し、適切な治療を行うためには、まず体内の様子を詳しく調べる必要があります」
「調べる……?」
「ええ。私には、それを可能にする特別な技術があります。ただし……それにはまず、金貨五枚(価値五万)が必要です。その上で、もし出血を止める薬や、あるいは外科的な処置が必要となった場合は、さらに多くの対価をいただくことになります。最終的には……そうですね、大金貨二枚(価値二十万)から三枚(価値三十万)はご用意いただく必要があるかと」
前回の経験を踏まえ、私は段階的な対価と最終的な費用の見込みを具体的に提示した。不確実な希望より、冷徹な現実を先に示す。それが、私のやり方だ。
夫は、金額に一瞬息を呑んだが、すぐに「わかった。それで……それで妻が助かるのなら」と、力強く頷いた。やはり、富裕層にとって、金で解決できる問題は、問題ではないのかもしれない。
まず診断を確定させるため、「内視鏡検査」に相当するであろう「使用」スキルを発動させた。
コスト五万。頭の中に、患者の胃や十二指腸の内部映像が鮮明に映し出される。——間違いない。十二指腸に、出血を伴う深い潰瘍がある。幸い、まだ穿孔には至っていない。
診断結果を夫に伝え、治療方針を決定する。出血を止め、潰瘍の治癒を促す薬物の「使用」(コスト十万)を選択。生成された薬剤(おそらくは強力な粘膜保護剤と制酸剤の複合薬だろう)を患者に投与した。
治療は今回も成功した。数日後には吐血は完全に止まり腹痛も劇的に改善した。もちろん、食事療法や安静は必要だが、命の危機は脱したと言っていいだろう。
夫は、涙ながらに感謝し、約束通り、追加の対価として大金貨二枚(価値二十万)を支払った。
依頼を終え、屋敷を出た時に、偶然、施療院の方へ向かうネイルの姿を遠目に見かけた。彼は、道端で物乞いをする老婆に何か食べ物を分け与えているようだった。その姿は、以前見た時と同じように、ひたむきで、そしてどこか非力に見えた。
——彼には、この潰瘍は治せなかっただろう。私のように大金貨を受け取ることもなく、ただ優しい言葉をかけるだけだったのかもしれない。どちらが正しいのか?
自問しかけて、私はすぐに思考を打ち消した。正しいかどうかではない。私は、私のやり方で、救える命を救う。そのために必要な対価を得る。ただ、それだけだ。
自分の部屋に戻り静かに息をついた。
手に入れた外科知識が、頭の中で確かな存在感を放っている。これまで手の施しようがなかった多くの症状——腹部の急な痛み、あるいは事故による深刻な外傷など——に対応できる『可能性』が生まれた。
高額な対価を支払える患者は限られるだろうが、受け入れられる依頼の幅は、間違いなく広がった。だが、これだけでは足りない。整形外科的な知識、あるいはより高度な内科の知識があれば、さらに多くの「他では治せない」患者を救える——そして、より多くの価値を得られるはずだ。
次なる目標は、そこになるだろう。私は、決意を新たに、休む間もなく次の行動計画を練り始めた。




