第24話 動き出す歯車、迫る刻限
ダリウス氏は、約束通り、すぐに行動を起こした。
彼は私を別室で待たせると、しばらくして重々しい革袋を手に戻ってきた。中には、ずしりとした感触——間違いなく大金貨が五枚入っていた。価値にして五十万。これが着手金。娘を救うための最初の賭け金だ。それを、表情を変えずに受け取った。指先に伝わる冷たい金属の感触が、契約の重さを物語っている。
「頼んだぞ、イロハ殿。これで……これで、どうか……」
「全力を尽くします。まずは、お嬢様の病気の進行を抑える薬を」
再び少女の寝室へ向かった。両親が見守る中、先ほど本で確認した薬——「石化進行抑制薬」の「使用」を、心の中で強く命じる。
対価(コスト二十万)が、獲得したばかりの莫大な価値から引かれる感覚。次の瞬間、私の手の中に、小さなガラスのアンプルが確かに生成されていた。中には、わずかに粘り気のある透明な液体が見える。
これを、どう投与するか。経口では効果が薄いかもしれない。だが、他に手段はない。私はアンプルの先端を折り、少量の水で希釈すると、前回同様、スプーンを使って慎重に少女の口へと含ませた。意識のない彼女は、されるがままに、わずかに喉を動かした。
投与後、私はベッドサイドに座り、彼女の状態を注意深く観察し続けた。
熱、脈拍、呼吸、そして何より、皮膚や手足の硬化の度合い。劇的な変化はない。
だが、時間が経つにつれて、ほんのわずかな、しかし確かな兆候が見えてきた。進行が……止まっている? 昨日診た時よりも、硬化が進んでいる様子がないのだ。呼吸も、依然として浅いが、悪化はしていないように見える。
半日ほど観察を続け、その傾向が確かなものであると判断した私は、待機していたダリウス氏と妻を呼んだ。
「……薬は効いているようです。少なくとも、病気の進行は、現在、止まっていると思われます」
「おお……!」
「本当かい!?」
二人が安堵の声を上げる。だが、私はすぐに釘を刺した。
「ですが、これはあくまで一時的なものです。効果はおよそ一週間。根本的な治療ではありません。この間に、本当の原因を突き止め、治療法を見つけ出さなければ、また進行が始まってしまうでしょう」
安堵から一転、二人の顔に再び緊張が走る。
「では、どうすれば……」
「ダリウス様、あなたのお力をお借りしたいのです。お約束の通り」
彼の目を真っ直ぐに見据えた。
「この『石人化病』について、何か情報はありませんか? 古い医学書、地方の伝承、あるいは、遠方の国との交易で得た珍しい薬草や鉱物の知識……どんな些細なことでも構いません。あなたの持つ情報網や人脈を使って、心当たりのあるものを全て集めていただきたいのです」
私の言葉にダリウス氏は力強く頷いた。彼はもはや、ただ悲嘆に暮れる父親ではなかった。娘を救うために、持てる全てを賭ける覚悟を決めた商人の顔をしている。
「わかった。すぐに手配しよう。屋敷にある書庫も、自由に使ってくれて構わない。必要なものがあれば、何なりと申し付けてくれ」
「ありがとうございます。私も、私の持つ知識で、全力を尽くします」
その日からダリウス氏との共同作業が始まった。彼の持つ広範なネットワークを駆使し、ルント市内はもちろん、他の都市や国からも、関連しそうな情報や文献、物品などを取り寄せ始めた。
屋敷には、ひっきりなしに使者が出入りし、古い羊皮紙の巻物や、埃をかぶった書物、見たこともない薬草や鉱石などが運び込まれてくる。
私は、拠点である自分の部屋とダリウス氏の屋敷——特に、彼が自由に使わせてくれることになった書庫——を行き来する日々を送った。運び込まれた文献を片っ端から読み解き、未知の薬草や鉱石を分析する。そして、得られた情報を元に、命脈の書の膨大なデータベースと照合していく。
本の中にも「石人化病」そのものズバリの記述はない。だが、類似した症状を引き起こす可能性のある病気や、組織硬化に関わる代謝経路、あるいは解毒作用を持つ可能性のある物質……手掛かりになりそうな項目は無数に存在した。
問題は、それらが今回のケースに適合するのか、そして、治療法を「知識習得」あるいは「生成解放」するための、あまりにも高いコストだ。
娘さんの容態は幸い安定していた。進行抑制薬は確かに効果を発揮しているようだ。だが、期限は一週間。時計の針は、刻一刻と進んでいる。
山積みの資料と目の前の命脈の書と向き合いながら、焦りと、しかし確かな手応えを感じ始めていた。
ダリウス氏の協力は、想像以上に強力だ。これなら、あるいは……。
一週間という限られた時間の中で、私たちは、絶望的な病に対する、唯一の答えを見つけ出さなければならなかった。




