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第23話 一縷の望み

 通された応接室は、豪奢だが重苦しい空気に満ちていた。

 宝石商ダリウス氏は、やつれた顔に深い疲労の色を浮かべ、隣に座る妻は、ハンカチで何度も目元を押さえていた。

 彼らの視線が、部屋に入ってきた私——場違いなほど質素な身なりの娘——に突き刺さる。その視線には、疑念と、ほんのわずかな、溺れる者が掴む藁のような期待が混じっていた。


「……君が、娘を治せるかもしれない、と?」


 ダリウス氏のかすれた声が、静寂を破った。


「可能性はあります。ですが、まずは診察させていただかなければ、何も申し上げられません」


 できる限り落ち着いた声で答えた。ここで動揺を見せるわけにはいかない。


「……わかった。こちらへ」


 案内された寝室の空気は、さらに重かった。

 薬草と病人の発する独特の匂いが漂う中、天蓋付きのベッドに横たわる少女の顔色は想像していた以上に悪かった。呼吸は浅く呼びかけへの反応はほとんどない。


 改めてダリウス氏と妻に向き直った。


「……診察させていただきます。少しお時間を頂戴できますか」


 二人が頷くのを確認し再び少女に向き直る。慎重に脈を取り瞳孔を確認すると、手早く全身の状態を観察していった。

 蝋のように白い肌、触れると分かる不自然な硬さ、微弱なバイタルサイン、特定の神経反射の欠如……。観察から得られる全ての兆候が、私の頭の中で瞬時に意味を成していく。

 間違いない、これは進行性の組織硬化……「石人化病」とでも呼ぶべき極めて稀な代謝異常疾患だ。原因は特定できないまでも、このままでは……!


——頭の中で、命脈の書(ルート・オブ・ライフ)のページを高速で検索する。


 該当する項目は……あった。『代謝異常』『硬化性疾患』……。根本治療に繋がりそうなものは、やはり天文学的なコストが要求される。しかし、一つだけ……対症療法だが進行を一時的に停止させる薬物の「使用」項目があった。


【石化進行抑制薬】

  ┣ 使用: 200,000 [効果:原因不明の組織硬化の進行を一時的に阻害(約1週間効果持続)。副作用:強い倦怠感]

  ┣ 知識習得: (表示なし)

  ┗ 生成解放: (表示なし)


 ……使用コスト、二十万! 大金貨二枚分。手持ちの価値(五万強)では全く足りない。だが、これを使えば、少なくとも時間を稼げるかもしれない。


 私は診察を終え再び応接室へと戻った。ダリウス夫妻の視線が痛いほど突き刺さった。


「……お嬢様の状態、拝見しました」努めて冷静に切り出した。「非常に稀な……身体の組織が徐々に硬くなっていく病です。石人化病、とでも呼ぶべきものでしょう。進行性であり、このままでは……」


 言葉を濁すと、夫人がはっと息を呑んだ。


「ですが」と私は続ける。「進行を一時的に抑え、わずかながら時間を稼ぐことができるかもしれない薬が一つだけあります。私の知る限り、唯一の方法です」

「時間を……稼ぐ?」

「はい。根本的な治療法は今の私にも分かりません。ですが、進行を抑えている間に、原因を突き止め、あるいは別の治療法を探すことができるかもしれません」


 これが、今の私が提示できる、唯一の現実的な道筋だ。


「その薬は……確かなのか?」

「絶対とは言えません。ですが、試してみる価値はあります。ただし……」


 私は一呼吸置き、二人の目を真っ直ぐに見据えて告げた。


「その薬の使用と、それに続く原因究明には、多大な費用と労力を要します。つきましては、まず着手金として、大金貨五枚をお支払いいただけますでしょうか」


 大金貨五枚——。部屋の空気が凍り付いた。ダリウス氏の顔から血の気が引き、夫人は小さく「ああ……」と呻いた。


「だ、大金貨……五枚、だと……?」


 ダリウス氏の声が震える。宝石商である彼にとっても、即座に用意するには躊躇われる金額なのだろう。


「法外だと思われるのは承知の上です。ですが、これが娘さんを救うための第一歩に必要な最低限の対価です。これで、まず一週間ほどの時間を稼ぎます。そして……」私は続けた。「その間に、私は全力を挙げて根本的な治療法を探します。そのためには、ダリウス様のお力添えも必要となります。あなたの持つ情報網、人脈、あるいは古い文献など……心当たりはありませんか? 私の知識と、あなたの持つリソースを組み合わせれば、あるいは道が開けるかもしれません」


 共同での探索。これも賭けだ。だが、一人で本を調べるだけよりも、可能性は広がるはずだ。


「そして……もし、根本的な治療に成功し、お嬢様が回復された暁には……改めて、成功報酬として、同額の大金貨五枚を頂戴したいと考えております」


 着手金、大金貨五枚。成功報酬、大金貨五枚。合計、大白金貨一枚分。


 ダリウス氏は苦悩に顔を歪ませ深く目を閉じた。隣で妻が彼の腕にすがりつくようにしている。長い、重い沈黙が流れた。



 やがて、ダリウス氏はゆっくりと目を開け、その瞳には、絶望的な状況の中でも、娘を救いたいという父親としての強い意志が宿っていた。


「……わかった。信じよう。君を……いや、君の言う『可能性』を。着手金の大金貨五枚は、すぐに用意する。私の持つ情報、人脈……すべて君に協力しよう」


 彼は、力強く言った。


「だから……頼む。必ず、娘を……!」


 差し伸べられた手に静かに自分の手を重ねた。いや、これは握手ではない。重い重い契約の証だ。


「全力を尽くします」


 感情を押し殺したまま、そう答えるしかなかった。

 着手金、大金貨五枚(価値五十万)。これで、まずはあの「石化進行抑制薬」の「使用」(コスト二十万)が可能になる。残りの価値(三十万強)は、次なる一手の資金だ。そして、一週間の間に、本当に治療法を見つけ出せるのか……。


 プレッシャーで押し潰されそうになりながらも、私の心の中には、新たな目標への、冷たい炎が燃え始めていた。


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