第18話 路傍の薬草店
ネイル……。あの治療師との邂逅は奇妙な波紋を心に残していた。
部屋に戻ってからも、彼の真っ直ぐすぎる言葉と、非難するような、それでいてどこか憂いを帯びた瞳が脳裏にちらつく。
「公平に助けるべきだ」「金で命を選別するな」——彼の主張は理想論としては正しいのだろう。
かつての私なら、そう信じていたかもしれない。だが、現実は違う。この世界で、このルントという街で理想だけでは誰も救えないことを、私は既に痛いほど味わった。
彼の言う「施療院の支え」とやらが、結局は気休め程度の薬湯と祈りだけで、目の前で失われる命を救えないことも。
私のやり方は、歪んでいるのかもしれない。非難されて当然だろう。だが、結果を出すためには、これしかないのだ。
高額な対価を得て、命脈の書の力を解放する。そうでなければ、あの男性のように、本来なら助かるはずの命が、また無慈悲に失われていくだけだ。ネイルの理想論は、今の私には、ただの綺麗事にしか聞こえなかった。
翌日からも自分の定めた道を歩み続けた。難治の相談があれば吟味し、高額な対価を提示し、本の力を使って治療する。
街を歩けば、どうしても目についてしまうものがある。それは、私が「扱わない」と決めた、ありふれた病や怪我に苦しむ人々の姿だ。
咳をしている子供。足を引きずる老人。小さな切り傷を汚れた布で押さえている行商人……。彼らは、私の部屋の看板を見て諦めるか、あるいは施療院へ向かうのだろう。
施療院で、根本的な解決には至らないかもしれない、気休めの治療を受けるために。
私の持つ知識があれば彼らの苦しみを少しは和らげられるかもしれない。だが、それはできない。
一人一人に対応していては目的のための価値が貯まらない。それに、安価で確実な治療を始めてしまえば、今の私の「高額な難治専門」という方針そのものが成り立たなくなる。非情だと罵られようと、今は耐えるしかないのだ。目的のためには……。
そんなことを考えながら普段はあまり足を踏み入れない、市場から少し外れた職人街のような地区を歩いていた時だった。
ふと、一軒の小さな店が目に入った。大きな薬草屋や施療院とは違う、個人が営んでいるような、古びた構えの店だ。
軒先には、乾燥させた薬草の束がいくつも吊るされ、手書きの素朴な看板には「薬草・民間薬」とだけ書かれている。
店の中をそっと覗き込む。狭い店内には、棚に様々な薬草や木の根、鉱石のようなものが並べられていた。
そして、カウンターの奥で若い女性が一人、客である老婆に何かを説明しているところだった。
年の頃は、私より少し下だろうか。飾り気のない、しかし清潔なエプロンをつけ、真剣な表情で、薬草の効能や使い方を、身振り手振りを交えながら丁寧に話している。老婆は安心したように何度も頷いていた。
おそらく、扱っているのはキズハのような民間薬の類で、その効果も限定的なのだろう。
だが、その女性の、一人一人の客に一生懸命向き合おうとする姿勢は、妙に私の心に引っかかった。
あのネイルが見せた献身性とも違う、もっと地に足の着いた素朴な誠実さのようなものが感じられたのだ。
彼女は、客の老婆が帰ると、棚の薬草の整理えお始めた。その手つきは慣れたもので、薬草に対する知識と愛情を持っていることが窺える。
この店は、施療院のように安価ではないだろうが、おそらく庶民が頼れる、数少ない場所の一つなのかもしれない。
私は、しばらくその店の様子を遠巻きに眺めていた。彼女は何という名前だろうか。どんな薬を扱っているのだろうか。そして……彼女のような存在が、この街で必要とされている現実に、私は何を思うべきなのだろうか。
頭の片隅で、あの小さな薬草店のことが、小さなしこりのように残り続けていた。