第15話 歯車
五万ミラン——金貨五枚分の価値が、今、この手の中にある。ギルベルト商会長から託された報酬は、私の状況を一変させるには十分すぎるほどの力を持っていた。
だが、これで満足しているわけにはいかない。これは、次なる力を得るための、貴重な原資だ。
まず変えたのは身なりだった。いつまでも薄汚れ、擦り切れた麻服のままでは、これから相手にしようとしている人々——相応の対価を支払えるだけの富を持つ者たち——に、まともに取り合ってもらえないだろう。
私は稼いだミランの一部を使い、市場で新品の、しかし決して華美ではない、丈夫で清潔な濃紺色のチュニックとズボン、そしてしっかりとした革製のブーツを購入した。
さらに、薬草や道具を整理して持ち運ぶための、肩掛けできる革鞄も新調する。
以前よりきちんとした「治療師」に見えるようになったのではなかろうか。
次に、先日「知識習得」したばかりの感冒薬の材料——火照根と静止木の樹皮——について調べ始めた。
市場の薬草屋をいくつか回り、それとなく尋ねてみる。キズハのようにどこにでもあるわけではないらしいが、三軒目の少し大きな薬草屋で店主が棚の奥からそれぞれの包みを出してきてくれた。
「ああ、火照根かい? これは身体を温めるっていうんで、香辛料代わりに買う人がたまにいるくらいだねぇ。薬としては……聞いたことないね」
「静止木の皮は、まあ、咳止めのお守りとして持っていく人もいるが……。正直、もっと安い代用品はいくらでもあるからね」
どうやら、薬としての本来の価値や正しい使い方は、あまり知られていないようだ。だからこそ、本の知識が生きる。
値段を尋ねると、火照根は一袋(おそらく十数回分は取れそうだ)で銀貨2枚(価値1,000)、静止木の皮は大きな束で銀貨1枚(価値500)ほどだという。
今の私には決して安い買い物ではないが、これで何十回分もの薬が作れると考えれば……一回あたり価値500の『使用』コストに比べれば、自作する方が圧倒的に安価だ。
とはいえ、一度にそれだけの量を仕入れる余裕はまだない。
一番安い単位でそれぞれを購入し、その質感や匂いを本の記述と照らし合わせ記憶に刻み込んだ。
これで、理論上は感冒薬が作れる。あとは、実際に作るための時間と、そして……やはり、さらなる元手が必要だ。
拠点の部屋の扉に書いた看板は、そのままにしてある。『難治の相談、相応の対価』。この看板が私の新しい方針を示す全てだ。
以前のように、軽い傷の手当てを求めてくる人はもういない。時折、扉を叩く音はするが、それは大抵、深刻な悩みを抱えた——そして、他の選択肢を失った人々のようだった。
ある日、訪ねてきたのは、仕立ての良い服を着た心配そうな顔つきの男性だった。
彼は、ギルベルト商会長から私の噂を聞いたという。
彼の妻が、産後の肥立ちが悪く、原因不明の衰弱で日に日に弱っているらしい。施療院の祈祷も、高名な薬師の薬も効かず、途方に暮れていたところだ、と。
話を聞き簡単な問診をする。産褥熱か、あるいは別の感染症か……。詳しい診断は、やはり今の私には不可能だ。だが、本には関連しそうな項目がいくつもある。
「……診てみましょう。ただし、もし私の薬や処置が必要となった場合、対価は……安くはありません」
感情を排して告げる。男性は一瞬ためらったが、すぐに強く頷いた。
「分かっている。それで……妻が助かる可能性があるのなら」
これが新しい「仕事」の始まりだった。彼の家へ赴き、できる限りの診察をし、本で対応できそうな「使用」スキルとそのコストを提示する。
相手が了承すれば、精神を集中させ、本から薬や効果を「使用」し、治療にあたる。もちろん、成功するとは限らない。だが、ギルベルト商会の一件がそうであったように、既存の医療で見放された症状に対して、本の力が突破口を開く可能性は確かにあった。
そんな日々を過ごす中で、街の様子を見る目も少しずつ変わってきた。特に意識するようになったのは、聖ルカ施療団の存在だ。
ある晴れた午後、薬草の材料を探して市場を歩いていると、広場の一角で施療団の治療師たちが、簡素な長机を並べて無料の施療を行っているのが見えた。
多くの貧しい人々が列を作り、治療師たちは薬湯を配ったり、額に手を当てて祈りを捧げたりしている。
その中に、一際、丁寧な物腰で、一人一人の話を熱心に聞いている若い治療師の姿があった。先日、ギルベルト商会の屋敷の前で見かけた、あの治療師……たしか、ネイルとかいう名前だったはずだ。
彼の周りには、他の場所よりも多くの人が集まり、彼の言葉に安堵したような表情を浮かべている者もいる。彼は、確かに人々から慕われているようだ。だが、私にはその光景が、どこか空々しく見えてしまった。
薬湯と祈り。それで、本当に苦しんでいる人々を救えるのだろうか? 彼らの抱える深刻な病や怪我を根本的に治せるのだろうか?
私には、彼らにはない「力」がある。ただし、それを使うには莫大な対価が必要だ。彼は、対価なしに多くの人に安らぎを与えているように見えるが、根本的な解決はできていないのかもしれない。どちらが正しいのか?
……いや、今はそんなことを考えている場合ではない。私は私の道を進むだけだ。
私は施療の輪から目をそらし薬草屋の暖簾をくぐった。次の依頼に備え、少しでも多くの価値を貯えなければならない。そして、いつかは「知識習得」を重ね、さらにその先の「生成解放」へ……。
本のページに刻まれた、天文学的な数字。それが、今の私を駆り立てる、唯一の道標だった。