聖女認定式と瘴気溜まり 10
お気に入り登録、評価などありがとうございます!
ちょっと長めです。
マリウス殿下の、何か言いたそうな視線が突き刺さる中、わたしたちは朝食を終えた。
支度を整えて、ヴュスト男爵の案内で瘴気溜まりが出来ているという森へ向かう。
ギーゼラは邸でお留守番だ。
森に向かうメンバーは、ライナルト殿下とわたし、マリウス殿下、テニッセン辺境伯、ヴュスト男爵、それからエクムント騎士団長以下護衛の騎士たちである。
ここから馬車で二時間程度の場所にある森は、北東部に位置する隣国との国境にまたがっている。
その森の、ロヴァルタ国側の森の中に瘴気溜まりはあるそうだ。
……早く浄化しないと、隣国からも責められかねない位置ね。
隣国に聖女がいるという話は聞かない。
おそらくこの大陸にいる聖女は、現在ではわたしだけじゃないかしら?
偽物聖女のラウラを入れれば、世間的に見て二人。
しかもその二人ともが、ロヴァルタ国の貴族と元貴族ともなれば……、瘴気溜まりを悠長に放置していたら各国から非難が飛んでもおかしくないだろう。
陸続きの国は、瘴気溜まりが大きくなれば影響を受ける可能性があるからね。
森の入り口で馬車を停めると、わたしはちらりとマリウス殿下を見た。
……どこまでついてくるつもりかしら?
正直、マリウス殿下を瘴気溜まりに近づけたくない。
というのも、マリウス殿下は昨年、城の裏庭に発生した瘴気溜まりの影響で錯乱し、ちょっとした騒動を起こしてくれた。
また瘴気の影響を受けて錯乱されたらたまったものではない。
……こんなんだけど、スペックは高いのよ。なんたって攻略対象筆頭の王太子だからね。
剣の腕も魔術の腕も、この国ではトップクラスと言っても過言ではないだろう。
そんなマリウス殿下が大暴れでもしたら、このあたり一帯は大惨事である。
ついてきてほしくないな~、というわたしの無言の圧力が伝わったのか、マリウス殿下がこちらを見て戸惑ったように瞳を揺らした。
しかし、彼は彼で、名誉挽回のためについてきたと言うのもあるのだろう。ぽそりと言う。
「……不用意に、瘴気に触れる位置には近づかない」
ということは、ついてくるってことですね。
まあ、瘴気が触れる位置まで近づかなければ、瘴気の影響で錯乱したりはしないと思う。
白魔術師は比較的瘴気に耐性があるけれど、そうでない人は瘴気の影響を受けやすい。
全員が全員錯乱するわけではないと思いたいけど、ここにいるのはマリウス殿下のほかに、第一騎士団の精鋭たちだ。
誰か一人でも錯乱したら、大変面倒くさいことになる。
「エクムント様、ここで待機する人と森に入る人で二手に分けてはいかがでしょう?」
マリウス殿下はくっついてくるつもりみたいなので諦めて、せめて人数を減らそうとわたしはエクムント騎士団長に提案した。
瘴気溜まりを浄化するだけなので、正直言えばわたし一人で事足りる。
だけど、万が一何かが起きた時のための護衛を排することは、わたしの立場的には厳しいので、全員をここで待機させるのは難しいだろう。
……ならばせめて、数人までに絞ってください。
ライナルトはついてくると思うし、マリウス殿下が行けばエクムント様もついてくるだろう。これでわたし含めて四人。せめてあと二人追加の六人くらいが望ましい。
テニッセン辺境伯とヴュスト男爵は空気を読んでこの場でお留守番してくれるみたいだから、彼らの護衛という意味で騎士を残してはいかがかしら~?
じーっとエクムント騎士団長を見つめると、彼は苦笑して頷いた。
「わかりました。それでは、三名の騎士を同行させ、後はこの場で待機させましょう」
二名じゃなくて三名か。ま、そのくらいならいいかしらね。
「ヴィルヘルミーネ王女、どうかよろしくお願いいたします」
自領のことなので、テニッセン辺境伯が真剣な面持ちで頭を下げる。
別に魔王と戦いに行くわけじゃないのでわたしはそれほど緊張はしていないけれど、領地を、そして領民を思う彼の気持ちはわかるから、わたしも神妙に頷いた。
「はい、頑張ってきますね」
小さな瘴気溜まりなら、浄化にそれほど時間もかからないだろう。
「ヴィル、足元に気を付けて。木の根が飛び出しているところがあるからね」
「ありがとうございます、ライナルト」
ライナルトの手を借りて、わたしは森の中に足を踏み入れた。
今日は曇っているせいか、森の中は薄暗い。
とはいえ、この森のほとんどが落葉樹なので、葉が少ないこの時期は光を遮るものが少ないから、曇りでも暗くてどうしようもないほどではなかった。
どうやらこの森は楓の森のようだ。
今は住人を避難させているというが、近くに村もあったみたいだし、もしかしてメープルシロップとかを製造して生計を立てていたのだろうか。
……瘴気のせいで美味しいメープルシロップが食べられなくなったら大変だわ。
足元に落ちている、黄色や赤に色づいた楓の葉を見下ろしながら、わたしは三段重ねのパンケーキを想像して思わずごくりと喉を鳴らした。
……そういえば、前世で死ぬ少し前にパンケーキブームが到来していたのよね。友達と行列ができる有名店に食べに行こうって約束してたの、今頃思い出したわ。
想像すると、食べたくなるのが人間である。
無事に瘴気溜まりを浄化したあとは、パンケーキを食べようと心に誓った。
できれば、ライナルトとあーんって食べさせあいながら楽しく食べるのだ。……俄然やる気が出てきた。ビバ、いちゃいちゃ!
「ヴィル、何か嬉しそうだけどどうかした?」
「いえ、楓の木がたくさんあるので、さぞ美味しいメープルシロップが採れるだろうと……」
わたしがそんな食い意地の張ったことを言えば、わたしたちの前方を歩いていたマリウス殿下が振り返った。
「楓とメープルシロップに何の因果関係があるんだ?」
……え? 知らないの?
「メープルシロップが楓の樹液から作られるんですよ」
樹液をせっせと煮詰めればメープルシロップになると、前世のテレビ番組でやっていた。
「……へえ」
マリウス殿下が感心したように頷く。
……というか、マリウス殿下と普通に会話してるわ。なんか不思議ね。
婚約中だった時なら、たぶん……「どうでもいいことばかり知っているな」と鼻で笑われたわね。そんな気がする。
「メープルシロップ、美味しいよね」
実は甘党男子であるライナルトがにこりと笑った。
長らく兎生活だったから、ライナルトは毎日の食事がとても楽しいらしい。
「帰ったらふわっふわのパンケーキにメープルシロップをかけて食べませんか? わたし、パンケーキをふわふわに仕上げるコツ、知ってます!」
これも前世のテレビ知識だけどね。
「ヴィルは物知りだね」
「……どうしてそんなことを知っているんだ?」
ライナルトとマリウス殿下の声が重なった。
意外にもマリウス殿下が興味津々だわ。あら、ふわふわパンケーキ、食べたいのかしら?
そういえば、この世界で「ふわふわパンケーキ」、見たことがないわね?
薄っぺらい普通のホットケーキみたいなやつなら見たことがあるし食べたこともあるけど、分厚いふわふわのやつはなかったわ。
……これ、作ったら流行るやつ?
何よりわたしが食べたい。これは作るべし!
分厚いパンケーキを三段重ねにして出したら、きっとライナルトも目をキラキラさせて「すごいね」って言ってくれるよね! よしよし。
「甘いものが好きだから詳しいだけですよ」
「だが、作り方まで知っている令嬢なんて、ほとんどいやしないだろう」
マリウス殿下、食い下がるわね。何がそんなに気になるのかしら?
「それに……その、ヴィルヘルミーネとはそれなりに長い付き合いだが、そんな話、聞いたことがないぞ」
そりゃあ前世の記憶を取り戻す前のことですし、そもそもマリウス殿下と会話らしい会話なんてしたことないじゃない。
……ああでもそっか。前世の記憶を取り戻す前のわたし、そう言えばマリウス殿下にあれやこれやと話しかけてたわ。
今のわたしはマリウス殿下への気持ちの欠片も残っていないけど、一時期、マリウス殿下の気を引こうと必死になっていたこと、あったなあ。本当に一時期だけだけど。
前世の記憶が蘇る前のわたしの行動を思い出して、わたしはしみじみと思った。
こんな、どう考えてもわたしを毛嫌いしている王太子のことを、あの頃のわたしは好きだったのか。……なんか衝撃だわ。
「スイーツの話が会話に上ることなんてなかったからじゃないですか?」
まさか「あんたとは会話が続かなかったからそんな込み入った話なんてしてないわよ」なんて言えるはずもないので、当たり障りなく答えておく。
すると、マリウス殿下が少し残念そうに目を伏せて「そうだな」と頷いた。
……変なの。
今の会話に、何か思うところでもあったのだろうか。
ま、いっか。あんまりマリウス殿下と話していると、ライナルトがまたやきもちを焼くかもしれないもんね!
瘴気溜まりの周りには柵がしてあるそうだ。
場所はエクムント騎士団長が知っているそうなので、彼の先導で歩いていくと、しばらくして森の雰囲気が変わった気がした。
ライナルトも気づいたのか、わずかに眉を寄せる。
「……空気が悪くなったね」
「ライナルトもそう思います? あ、このあたりからあまり木に触れない方がいいかもしれません」
木が瘴気に汚染されていたら、ライナルトが吸収しちゃう。
うさ耳がぴょこんと生えたら大変だ。
わたしと二人きりならいいけれど、マリウス殿下とエクムント騎士団長、それから三名の騎士も一緒だからね。
万が一のために帽子は持って来ているけれど、いきなり帽子をかぶったら怪訝に思われるだろう。
うさ耳チャンスが到来しないのはちょっぴり残念だけど、ライナルトの頭にうさ耳が生えた姿を目にさせるわけにはいかない。
「そうだね。気を付けるよ。ヴィルも気を付けて」
「はい。……マリウス殿下、このあたりの木々にはできれば触れないように進んでください」
少しの瘴気だったら錯乱することはないと思いたいけど、念のためだ。いきなり剣を抜いて斬りかかられてきたら怖いもんね。
「わかった」
マリウス殿下が表情を引き締めて頷いた。さすがに以前の失態を悔やんでいるのかしらね。
エクムント騎士団長も、他の騎士たちの表情も険しくなった。
瘴気溜まりが意思を持って人に襲いかかることはないけど、自分たちの力でどうにかできないものって怖いよね。
わたしも、聖女として覚醒していなかったら、瘴気溜まりになんて近づきたくないもん。
言ってしまえば、毒ガスが噴き出ている沼地に近づいていくようなものだからね。
しかも瘴気の嫌なところは、マスクとかで口を覆えばいいってものじゃないんだよね。
「ありました。あそこです」
慎重に進むこと五分。
エクムント様が、木製の杭とロープが何重にも張り巡らされているところを指さした。
ブックマークや下の☆☆☆☆☆にて評価いただけると嬉しいですヾ(≧▽≦)ノ
新連載はじめました!
「枯れ専令嬢、喜び勇んで老紳士に後妻として嫁いだら、待っていたのは二十歳の青年でした。なんでだ~⁉」
https://ncode.syosetu.com/n6106lc/
こちらもどうぞよろしくお願いいたします!