小さな違和感 5
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「気になるって顔をしているね」
「……はい」
夕食までは時間があるので、わたしはライナルト殿下とダイニングでお茶をしていた。
お茶を飲みつつ唸っていると、ライナルト殿下が苦笑して、お茶請けのクッキーを口元に近づけてくれる。
反射的にパクリと食べて、わたしは顔を上げた。
「どうして急に水質が変化したのかなと思いまして」
このあたりは地下水が潤沢だ。
地下水が潤沢だと水質の変化が起こりにくいと、前世の地学の授業か、もしくはニュースか何かで聞いたことがある。
地下水の量が乏しいと、雨などの影響を受けやすいと言うけれど、それでも人体に影響が出るほどの水質の変化が生まれるだろうか。
前世では、近くで工事をしたり工場が建ったりして水質に変化が出たというニュースを聞いたことがあったけれど、このあたりで大規模な工事は行われていないし、近くに工場もない。
つまり、短期間で大きく水質を変化させる要因が思い浮かばないのだ。
「前回は普通に使えていたし、水も綺麗だったもんね。確かに急すぎるね」
「ですよね? いったいなんで水質に変化が出たのかしら。というか、人体に影響が出るほどの水質変化っていったい何なのでしょうか?」
「飲めないだけじゃなくてお風呂とか生活用水にも利用できないと言うのは、よほどだよね」
「ですよね?」
この宿はお気に入りだったし、いつもお世話になっているから、できれば何とかしてあげたい。だけど、魔術でどうにかなる問題だろうか。
もし水質の変化が町全体で起きているのなら、調査や改善はこの町を治めている小領主では手に余るだろう。
ロヴァルタ国をはじめ、この世界の多くの国における領主とは、大きく分けて二つある。
国から封土された土地を治める大領主。これは、一部の高位伯爵家、それから侯爵家以上の貴族に限るもので、それ以下の貴族がなった例はない。
次に小領主。言い換えれば代官。こちらは、大領主から土地を与えられて管理している伯爵家以下の貴族を指す。
中には広大な公爵領の中に土地を与えられている侯爵……なんてものもないわけではないのだが、例えば大領主である公爵家が、侯爵の位も一緒に持っているなどの特殊な例に限るものだ。
この小領主の直接的な上司は国ではなく大領主になり、大領主は彼らから納められた税を取りまとめて、決められた税率を国に納める。
日本は天皇陛下はいても王権制度とはちょっと違ったからわかりにくいが……例えるなら、総理大臣が王様で、地方の知事が大領主。市長や町長や村長が小領主と考えればわかりやすいかもしれない。
少し違うのは、総理大臣……つまり王様にも、直轄地と呼ばれる、王様の土地があるということだろうか。総理大臣が東京都知事やそのほかの地域の知事を兼任しているようなものだ。
直轄地で得られる税は、小領主、大領主に間引かれずそのまま国に納められるので、国の運営においてもとても重要なものとなる。中間マージンを取られると、どうしても得られる額は目減りしちゃうからね。
じゃあ全部国の直轄地にしちゃえばいいじゃないか、と考える人がいるかもしれないけれど、そこはそうもいかない。
国が大きくなれば、管理の目は行き届きにくくなるものだし……例えば、中間管理職を置かずに社長が全社員を見ろと言われても困るでしょ?
小さな会社ならいいけれど、従業員を何百人何千人と抱える、しかも地方にもたくさん支社があるような大企業の社長さんに社員全員を把握しろと言うのは無理な話だ。
我がフェルゼンシュタインが公爵家だった時は、地位で言えば大領主にあたり、領地の中の町や村などを任せていた貴族は小領主だったというわけだ。
つまりフェルゼンシュタイン公爵領から国に変わったため、このあたりを再編しなければならないというのはそういうことである。これからは我が国にも大領主を作らなければならないということなのだ。
それはさておき。
この町を治めているのは、もちろん小領主である。
ゆえに、直接的な上司は大領主になる。
地下水に影響が出ているということは生活にダイレクトに影響するものなので、すでに大領主まで報告がされていると思われるけれど、地下水全体に影響が出ているのならば大領主の采配だけでは解決が難しいと思われた。
水はつながっているものである。ゆえに、今はこの町だけに影響が出ているかもしれないが、ゆくゆくは別の場所にも影響がではじめるだろう。
それは、ここからそれほど離れていない王都かもしれない。
そうなって来ると、大領主だけの責任では動けない。というか、動かない。大領主も自分が可愛いので、何かあった時に責任を擦り付ける相手が欲しい。
そしてそれは、この場合は国になる。国に、嘆願するという形での責任逃れだ。
だけど、国を動かそうと思うと、事前調査だとか会議だとかでとても時間がかかるのだ。
ついでに言えば今は新年。
新年行事にはじまり、今年の予算配分だとか公共事業とか、ついでに言えば大臣や官吏のお給料を上げるとか下げるとか、昇格させるとか降格させるとか、何かと会議が続く。
つまり忙しい。
一つの町から嘆願が上がったところで、新年の忙しさが落ち着くまで放置されるに決まっていた。
だけど、水というのは生活になくてはならないものだ。飲料水をよそから運ばせれば輸送費なども馬鹿にならない。生活用水もとなればどれだけのお金がかかるだろう。
それを国が負担するはずがないので、もちろん個々人の負担だ。魔術師がいれば彼らに水を作り出してもらうことも可能だが、無償ではない。
宿を経営している人からすれば風呂が使えないというだけでも大打撃である。その分値引きも入れなければならないし、クレームもつく。
……悪くどい人とかなら、水質の変化を逆手に取って、体に不調が出たとか言ってお金をむしり取ろうとするでしょうね。
こういうのは、早く解決しないと、時間が経てば経つほどいろんな問題が重なり合って大きくなるのだ。
「気になるなら、見に行ってみる?」
「見に行く、ですか?」
「そう。お風呂の水が止められていても、配管を外したわけじゃないだろう? 栓をひねれば水が出ると思うよ。確か一階の大きな風呂は、栓をひねって水を出したり止めたりする仕組みだったよね?」
ライナルト殿下の言う通り、大きなお風呂は、地下から直接水を引き入れてあった。配管が通してあって、栓を開ければ水が出る仕組みだったのだ。水が地下水であることを考えれば、栓を閉めて水を止めているだけだろう。ひねれば水が出る。
「行きましょう!」
わたしは飲みかけのお茶を飲み干して立ち上がった。
見たところで解決はできないかもしれないが、気になるのだ。見るくらいならいいだろう。
ライナルト殿下が手を差し出してくれたので手を繋いで、わたしは、大きなお風呂がある一階の浴室へ向かった。
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