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バイオレット・ネイバー公爵令嬢            ー目覚めー

「おはよう、バイオレット」


 優しい声に目を開けると、窓から入る光で美しい銀の髪をキラキラと輝かせているジワラットが視界に入った。


「おはよう、ジワラット」


 寝ぼけたまま、返事をした。

 いつもの公爵家の自室。お気に入りのブルーの花柄のベッドカバー。ベッドサイドのガラスの花瓶には白、淡いピンク、濃いピンクと可愛らしい色合いの千日紅が生けられている。


 どうして彼は朝からわたしの部屋にいるのかしら。いくら幼馴染でも年頃の男性に目覚めを告げられるなんて、殿下になんて申し上げたらよいのか……


 自分の思考に疑問を抱く。


 わたし、生きてる……?


 ジワラットの大きな手がわたしの頭を優しく撫でる。数回、わたしの頭を撫でてそのままベッドに寝たままのわたしに覆いかぶさるように、抱きしめられた。


「うっ……ぐ……」


 彼の体が小刻みに震え、小さな嗚咽が聞こえる。

 いつも涼しい顔をして、たいていのことは難なくこなすジワラット。彼が涙を流すのを見たのはいつぶりだろう。


 鍛えられた広い背中に腕を回し抱きしめた。ぎゅうっと強く力を込めて。


 わたしはジワラットの優しさに甘え過ぎていた。自分のことしか考えずに、彼の優しさに甘えてなんてひどいことをしたのだろう。わたしを殺す薬をほしいとねだるなんて。自分のことしか考えられなくなっていた。


「ごめんね、ジワラット。ごめん……」


 視界が涙で滲んだ。涙は止まらなくて、自分でも驚くことに「うわぁーん」と子供のように声を上げて泣き出してしまった。


 二人でひとしきり泣くと、子供のように泣いたことが恥ずかしくなってくる。


「バイオレットが泣いたところ、久しぶりに見た」


「あなたがわたしの前で泣いたのだって、子供の頃以来じゃない」


お互いに恥ずかしさで少し顔が赤い。


「俺は男だから」


 ぶっきらぼうに返す彼の口調がいつも通りで安心する。

 幼馴染の無邪気な男の子はいつの間にかわたしの前で弱音を吐かなくなっていた。わたしも淑女教育が進み、殿下の婚約者になってからはことさら、人前では泣かないようにしていた。涙が出そうな時は微笑み、歯を食いしばる。


「おじさん達にバイオレットが目覚めたこと、伝えてくる。きみは城で殿下とお茶をして倒れて、それから三ヶ月目を覚まさなかった。それだけだから」


 そう言って部屋を出て行こうとするジワラットの手をとっさに掴む。


 わたしが秘薬を服用したこと、死のうとしたこと、あれから三ヶ月の時間の経過。頭の中で情報が渦巻いて、すぐに言葉が出てこない。


「後で時間をちょうだい。話をしよう」


 わたしの手を両手で包み込むように握ってから、彼は部屋を出て行った。





 それから、父と母と兄に抱きしめられて泣かれた。侍女も家令も、屋敷にいるみんながわたしの目覚めを喜んでくれているのがわかる。


 自分の目の前のことだけにとらわれて、悲しみにくれて、なんて馬鹿なことをしたのだろう。わたしは”第一王子殿下の婚約者”という肩書が全てではないのに。

 わたしは殿下の婚約者で公爵令嬢で、なにより、この人たちの娘で妹でバイオレット・ネイバーという人間なのだ。


 眠りから覚めたことで、わたしは本当の意味で目が覚めた思いだ。

 学園という小さな世界で思考が狭まってしまっていた。一時の感情で一つの情勢のみで物事を判断してしまうわたしは、しょせん殿下の婚約者という立場に相応しくなかったのだろう、とすとんと思えてしまった。


 家族はわたしの目覚めをとても喜んでくれた。お父様は医師に診てもらって問題はなかったが、しばらく学園も休んでゆっくりするようにと仰ったので、お言葉に甘えて屋敷でのんびりと過ごす。

 読書をしたり刺繍をしたり、庭を散歩したり。公爵邸から出ることはせず、時間は過ぎていく。

 アルフォンス殿下と留学生の恋の噂は城下でも知れわたっていると聞いていたので、それを知りたくない、という気持ちもあったのかもしれない。


 不思議なことに目が覚めてから、誰もアルフォンス殿下のことを話題にしなかった。

 わたしは薬を飲んでから一年間は眠りにつく予定であった。その間に急な病で倒れた令嬢として婚約は継続できなくなり、殿下の新しい妃が選定された頃にはわたしの命が尽きて、婚約者だったアルフォンス殿下は一年は喪に服すことになる。その期間に愛するチャリタナ様を側妃か妾にするか、諦めて他の令嬢を娶って国を導く覚悟を決められると思っていたけれど。

 まだその答えにたどり着く前に、わたしが目覚めてしまったということかしら?






 目覚めてから二週間ほどたった頃、お父様からアルフォンス殿下からの先触れがあったことを知らされた。

 殿下がわたしに会いにいらっしゃるとのこと。


「バイオレットの気が進まないなら無理に会うことはない」


 眉間にしわを寄せて仰るお父様の優しさに嬉しくなる。けれど、その口からわたしと殿下の今の関係が語られることはない。


「お会いしますわ」


 にっこりと微笑む。婚約解消でも破棄でも受けて立ちましょう。


 そう、覚悟を決めていたのに。


「やぁ、バイオレット。今日も朝露を纏う薔薇のように美しいね」


 アルフォンス殿下は小さな、けれど豪奢な薔薇の花束を手渡そうとしてくださる。いつも以上に王子様然としたキラキラが凄い。


「王宮の薔薇ですね」


 わたしの後ろから手が伸びて、ジワラットが勝手に花束を受け取り、近くにいたメイドにそのまま手渡してしまう。


「……っ!僕がバイオレットと面会するのにはきみの立ち合いが必要、という条件は呑んだけど、そんな接触は必要ないだろう!?」


 え!?アルフォンス殿下との面会にはジワラットの立ち合いが必要なの?知らなかったんだけど!!

 というか、目覚めてから彼は急に国外に行く用事が出来たとしばらく不在にしていたので、会うのはあれ以来。


 殿下の言葉に驚いて振り向くと、整った美しい顔がすぐ近くにあって心臓に悪い。

 わたしは今、ジワラットに後ろから抱きしめられている。彼の両手はわたしのお腹のあたりで重ねられて、わたしの背中と彼は完全にくっついている。こんなにくっついているのは子供の頃以来だ。

 わたしの頭に彼が頬ずりをする。


「急に魔法師として仕事が入りましてね。隣国の王家から、わざわざご指名で。無下に断ることも出来ないし、簡単な内容だったから受けたけど、仕事終わっても感謝のパーティーだのお茶会だのでなかなか帰してもらえなくて、帰国したの昨日なんですけど。全然バイオレットと一緒にいられなかったんですけど」


「へー、それは大変だったね」


「確か隣国の第三王子殿下、アルフォンス殿下と同い年でしたよね。ご友人でしたよね!?」


 募るジワラットにアルフォンス殿下は「えー何のことかわかんなーい」と軽く返している。

 この二人がこんな気安いやり取りをするところは初めて見た。そもそもアルフォンス殿下が同級生男子のようにくだけた調子で話をするところ自体、初めて目にした。


 淑女の仮面を落として目を丸くしているわたしに気が付いた背中越しの幼馴染が、勝手知ったる我が家の応接室へ殿下を案内して、落ち着いて話をすることになった。


 二人掛けのソファーにわたしと、わたしの腰を抱いて密着したままのジワラットが、向かいにアルフォンス殿下が座る。


 紅茶は殿下との最後のお茶会を思い出してしまうから、メイドにハーブティーを用意してもらった。お茶と菓子が揃ったところでジワラットが話し出す。


「目覚めてから話ができていなくて、バイオレットはまだ何も知らないから、一から説明する」


 そう言ってジワラットは話してくれた。


 ジワラットがわたしに用意した秘薬は、そもそも一年後に死ぬ薬ではなく、一年間眠りにつくだけの薬であったこと。

 それを早く目覚めるように魔法を解いたのがジワラットであること。

 それを行う条件として、わたしが秘薬の処方箋を書き写したことを不問にすること。秘薬を調剤した(正確には違う薬だったけど)ジワラットを罪に問わないこと。わたしが望めば殿下との婚約を円満に解消すること。

 ジワラットが世界的に有名な魔法師デュウであること。


 「どうした!?なにが悲しいんだ!?」


 ジワラットがわたしの顔を覗き込み、手のひらで優しく涙を拭ってくれた。


「ま、魔法師になっていたのね。ジワラットの夢が叶っていたことが、う、うれし……」


 目覚めてからわたしの涙腺は壊れてしまったみたいで、自分でも気が付かないうちにぐずぐずと泣いてしまっている。

 幼い頃から魔法に憧れていたけれど、小さな失敗の後からは魔法の話はするものの、わたしの前で魔法を使わなくなった彼は、魔法師になる夢を諦めてしまっていたのだと思っていた。

 彼が学園の勉強も騎士の鍛錬も人並以上に努力していることを知っていたから、それと並行して魔法師になるにはとても大変だったと単純に思う。

 魔法師になれてよかったね、頑張ったね、という気持ちが溢れて涙が止まらない。


「俺が魔法師になれたこと、黙っていたのに怒らないのか?」


「なんで怒るのよぉ。未成年だから公表してないって教えてくれたじゃない」


 まだ出る涙をジワラットから借りたハンカチで押さえて、落ち着くように深呼吸をした。


「えーと、ほかに何か気になることはなかったかい?」


 突然泣き出したわたしに、アルフォンス殿下が気まずそうに声を掛けてくる。


「婚約は解消してください。わたしに王子妃は無理です」


「あ、婚約の話ちゃんと聞いてんたんだ」


 殿下が小さく呟いて、気を取り直したかのように言葉を続けた。


「どうしても無理かな。きみは人の上に立つ器があると思う。いや、もしそれが嫌なら可能な限り公務を減らすように努力するから、考えてみてくれないだろうか?」


「無理です。嫌です。ごめんなさい」


 泣いてしまったからか、言葉も態度もつくろえなくて、感情のままに返事をしてしまった。殿下があからさまにショックを受けた表情をされている。何においても完璧な第一王子殿下が拒否されたことなんてなかっただろうから、きっと驚かれているのだろう。

 殿下にはチャリタナ様がいるし、国内の令嬢たちも彼が望めば喜んで嫁いでくれるに違いない。わたしが無理をして婚約者でいる必要なんてなかったのだ。


「ということで、婚約は解消でよろしくお願いします」


 言葉を返せないでいる王子にジワラットが会話を終わらせてくれた。まだ何か言いたそうなアルフォンス殿下を追い出すようにお見送りをして、先ほどの応接室にジワラットと二人戻る。

 メイドにお茶を入れなおしてもらい、一息ついた。部屋にはわたしとジワラットだけなのに、なぜか彼は先ほどと同じようにわたしの横にピタリとくっついて座っている。


 剣を握る固い手がわたしの手を握った。今は魔法なんて使っていないだろうに、心が温かな光に包まれたかのよう。

 話し始めようと言葉を探しているジワラットの様子に、わたしはじっと待つことにした。いつでも話を聞きますよ、という気持ちを込めて、彼の瞳を見続ける。


「あーもうっ!!なんでそんなに可愛く見つめるんだ!?俺はバイオレットが好きなんだ!!それが言いたかったんだよ!!」


 そっけなく、けれど盛大に顔を真っ赤にしてジワラットに告白された。


「えぇぇぇ!!!!」


 手は握られたままだが、最大限に背を反らせてのけぞってしまう。

 わたしもジワラットは大好きだ。彼がわたしを好きなことももちろん知っていた。けれど、今の告白は、友愛や親愛のそれではなく、異性へのそれであることが、わかった。


「バイオレットさぁ、自分が思ってる以上に恋愛方面疎いから。殿下と参加しなかったパーティーなんてけっこうダンス誘われてただろ。あれ社交辞令とかじゃないから。殿下と婚約してなかったら、今頃ヤバイから。あー婚約解消したら申し込み殺到する。あーヤダー」


 握った手を上下にブンブン振りながらジワラットがブツブツ呟く。


「あのさ、バイオレットが俺の事そういう目で見てなかったのは知ってる。殿下と婚約していたし、俺もただきみのそばにいられればいいと考えていたから」


 感情を落ち着けて、ジワラットがわたしの目を見つめる。


「いや、違う。俺が臆病だったから。いろんなことを言い訳にしてきみの傍にいられればいいなんて思いながら、実際はきみから請われるまで何もしてこなかった。きみの絶望にも気が付かず、問いかけることもしなかった。きみを守るなんて、そんな言葉恥ずかしくてもう言えやしない」


 握られた手に力が込められる。温かくて大きな手。


「でも、バイオレットから離れるなんて、イヤなんだ。俺はきみの笑顔が好きで、できれば俺の隣で笑って欲しいし、俺の顔見て微笑んで欲しい。それが俺の望み。もうきみのため、なんて自分に言い訳はしない。俺はきみの傍にいたい。笑ってほしい。だから、勝手にきみの傍にいるし、したいことをする。きみの許しも請わない」


 けれど、まるでわたしの許可をねだるように不安げな瞳が揺れる。いつもは努力に裏付けされた自信満々な態度の彼が、壊れそうな薄氷の上にいるかのよう。


「わたしはこれまで、とても狭い視野で、アルフォンス殿下の婚約者であるということに雁字搦めで生きてきた」


 自分の気持ちを素直に話してくれたジワラットに、一つも嘘がないように言葉を探す。


「これからのことは、今はまだ何も考えていないし、わからないわ。お父様からも何も言われていない。できれば、自分の好きなこと、やりたいこと、わたしに出来ることを考えたい」


 ジワラットに、自分の気持ちに嘘をつかないように。わたしからも彼の手を握り返す。


「ずっと殿下の婚約者だったから、自分が誰かに恋をするなんて考えたこともなかったわ。けれど、あなたが傍にいてくれたら、それはとても嬉しい。だってわたしはジワラットが好きなんだもの。大好きなんだもの。でも今の気持ちはきっとあなたと同じではないわ」


 気持ちを言葉にしてみると、自分の狡さに悲しくなってうつむいてしまう。

 繋いだ手が離れ「あ」と悲しみに襲われそうになったけど、それはすぐに霧散した。ジワラットの銀色の髪が頬をかすり、気が付くと彼の逞しい腕の中に収まっている。


「嬉しい、バイオレット。傍にいたいと思ってくれて」


「ありがとう」と「大好きだ」を耳元で繰り返し囁かれながらぎゅうぎゅうと抱きしめられた。恥ずかしくてどうしていいかわからなくて、しばらく抱きしめあっていると、部屋の前を通りかかった兄が中を覗き込み目があった。


「あー!!何やってるんだジワラット!!」


「離れろ、バカ!!」と怒鳴りながら兄が大きな図体の幼馴染を剥がしてくれる。イヤなわけではなかったが、非常に恥ずかしかったので助かった。





◇◇◇




 わたしはそれから学園には復学しなかった。お父様が学園側と交渉してくださって、卒業試験を自宅で受けて合格したことで、卒業資格を得ることができたのだ。


 少しずつ王都の街に出てみたり、領地にも数回帰った。学園と王子妃教育で日々を費やしていたので、領地でのんびり過ごせるのは久しぶりで楽しかった。

 これまでは自分の家の治める土地、という当たり前の場所であったけれど、王子妃教育を受けたことにより、ここがどのような土地か、この土地ならではの特産や特色を考えてみられるようになっていることに驚く。


 ジワラットは領地にも付いて来ようとしていたけれど、さすがに学園を何日も休むことを家が許してくれず、強行しようとしておじ様にボコボコにされてキレイな顔に青タンを作って仏頂面をしていた。

 しょうがないので、なるべく王都にいる時の外出はジワラットに付き合ってもらえる時を選んで一緒に出掛けた。


 用事のない時間でも彼はずっとわたしの傍にいた。朝は「おはよう」と挨拶だけしに立ち寄り、学園からはまっすぐうちの屋敷に帰ってくる。当たり前のように夕食も一緒にとり、それからやっと帰宅する。休日も基本的にわたしの望むことを一緒にするか、邪魔をしないように同じ空間にいる。

 騎士としての鍛錬は早朝にして、学園や魔法の勉強は夜に帰宅してからしているようで、時折眠そうにしていて心配すると甘えて膝枕での昼寝を要求してくる。


 ジワラットがすでに魔法師だということに驚き、魔法を見せて、とお願いすると、彼は快く応じてくれた。

 指を一振りすると、家じゅうが可愛らしい花でいっぱいになって、足の踏み場もなくなってメイド長に怒られたり、それならばと庭園の小さな石ころにホタルのお尻ほどの可愛らしい光を持たせたら、やはり数が多すぎて夜じゅう眩しくて眠れなかったりした。

 彼はわたしがおねだりをすると喜び過ぎて、期待以上の結果をくれようとする。


「ずーとくっついて離れなくて、そろそろジワラットうざくないか?」


 兄に聞かれて考えてみたが、驚くことに彼が傍にいることに何の違和感も浮かばない。


「イヤじゃないし、心地いいわ」


 答えると兄は「ウェー」としかめ面をした。


「それが俺だったら、どうよ?」


 と再び問いかけてくる。


「それはちょっと、けっこう、勘弁してほしいです……」


 たぶんわたしの表情は「ウェー」だったと思う。




 学園の卒業式の後に行われる卒業パーティーには参加することにした。

 今後は少しずつ社交界にも復帰していこうと思っているし、苦しい記憶の残る場所のまま学園を去りたくない気持ちもあった。


 白地に銀の糸で美しい刺繍を施されたドレスがジワラットから贈られた。一歩、歩くごとにAラインのスカートの裾の刺繍がきらめくように、小さな魔法が掛けられていた。

 ジワラットはシンプルな濃灰の上下に、わたしの瞳の色のポケットチーフをアクセントにしている。


 慣れ親しんだ彼のエスコートで会場に足を踏み入れると、騒めいていた声が急速にひそひそ声に変わった。


「バイオレットさん、お久しぶりですね!」


 なんと、空気を読まずに一番初めに声を掛けてくれたのはチャリタナ様だった。驚きに周囲が固唾をのんだのがわかる。


「体調不良でずっとお休みされていたと聞きました。もう大丈夫なんですか?」


 わたしは対外的には急な体調不良で休学し、それを理由に殿下の婚約者の座を降りたことになっている。


「ええ、ご心配おかけしまして。すっかり調子を取り戻しましたわ」


 にこりとアルカイックスマイルを浮かべる。


「わたしはもうすぐ帰国するので、最後に会えて嬉しいです。アルとの婚約は無かったことになったと聞いて残念に思っていました。わたしの婚約者はリユウト国の外交を仕切る家の者なので、いつか外交の際に再会できるかと思っていたので」


 会場にいる学生たちは彼女に婚約者がいたことを知っていただろうか。

 わたしは知らなかったので、思いっきり心の中で突っ込んだ。


 婚約者いたの!?

 婚約者いるのに殿下にあの態度!?

 無邪気にわたしの婚約解消話題にしないで!

 空気読んで!?


 やはり会場にはわたし同様チャリタナ様の婚約者の存在をご存じなかった方が大多数だったようで、再び騒めきの声が聞こえる。


「バイオレット、調子はどうだい?」


 そこへ素知らぬ顔をしたアルフォンス殿下がわたしに声を掛けてくださる。わたしと殿下が円満に婚約を解消したこと、王家と我がネイバー公爵家が友好的な関係が続いていることを示すために決められていたことだ。


「ご機嫌麗しゅうございます、殿下。領地での療養のおかげか、この通りすっかり元気になりましたわ」


 片足を後ろに引き、敬意を込めてカーテシーで挨拶を返す。


「お顔の色も良くいらして。ネイバー公爵家の領地は緑豊かとお聞きするだけあって、空気もお綺麗なのでしょうね」


 殿下にエスコートされていらっしゃるのはハリソン侯爵令嬢。わたし達とは確か5歳下で、学園にはまだ入学されていない。

 まだ幼さはあるものの、美しく聡明そうな方。きっと彼女はアルフォンス殿下の婚約者候補のお一人なのだろう。


 わたしと婚約を解消された殿下は、婚約者のいない未婚女性であればよりどりみどりだっただろうけれど、学園での周囲のわたしへの態度を知ったため、在籍していた学園の女生徒はその対象からは外され、今後の側近候補におかれる男性陣もすでに学園を卒業した者、またこれから学園に入学する新しい芽を育てていく方針とのこと。


 残念なことに、わたしが悪役令嬢として扱われたことで学園中の品格や知性が疑われてしまった。もちろん、噂話に加担する事なく学業に邁進していた生徒もいたが、それは極一部のようで、そのような方々は文官や騎士、淑女として、これから社会に出て行くことだろう。


 しかし、声高にわたしを貶めた方たちのうち、何人かは縁談が破談になったり、雇用予定が取り消された場合もあったそう。

 罪に問われるほどのことはしていないが、悪意がある数々の行動は彼ら彼女らの将来を変えてしまった。家柄や容姿に依存し、守られていると驕っていた人間は、学園を卒業した後に待つ厳しい社会には不適合だと貴族の家では判断されてしまったのだ。

 たった一言の言葉が運悪く王族や高位貴族の機微に触れ、お家取り潰しとなる、そんなことがまかり通るのが貴族社会なのだ。

 本人だけではなく、その家族、縁者まで、累が及ぶこともある。子息子女に教育を施せないようでは生き残れない。


 陰謀渦巻く王宮で、策略の波に打たれて疲弊する将来から逃れられたことにほっとする。

 目的があったり、野心があったり、周囲に流されない強さがある者にはその限りではないだろうけれど。

 自分に向いている場所ではない、ということがわかった。手段が悪かったとはいえ、今回のことが全て凶と出たわけではない。


 隣に立つジワラットを見上げると、少し不機嫌そうな顔だ。わたしが殿下と話をしているのが気に入らないのだろう。

 この男はこんなにわかりやすかっただろうかと笑みが漏れる。


「なに?」


 くすくすと笑いだしたわたしにジワラットが問いかける。


「あなたがこんなに可愛らしいなんて、知らなかったの」


「可愛いって……!!」


 真っ赤な顔をして目を見開く背の高い幼馴染がこんなに愛おしいだなんて、気が付かなったの。

 そっと彼の大きな手に自分の手を添えると、優しく握り返してくれる。手袋越しに伝わる温かさが嬉しい。




 卒業パーティーをきっかけに、少しずつ社交に出るようになった。心配性のジワラットが必ず同伴してくれる。

 領地でとれる石を使ったアクセサリーをつけていると、宝飾加工が得意な職人が多くいる領地の方と話が弾む。

 領地の特産であるワインを話題に出すと、新しく林檎でお酒を試作されているというお話を聞けて興味深い。


 父に将来のことを急かされることもなく、日々を大切に過ごす。


 アルフォンス殿下からは時折手紙が届いた。

 なんと彼は今、国外を外遊しているらしい。将来の王太子としての自覚がある殿下は、自分が長く国を空けることが許されると思っていなかったけれど、願い出たところ、あっけなくその希望は叶ったとのこと。

 わたしがこっそりと秘薬を飲み、国一番の治癒魔法師に解けなかったそれをあっけなくジワラットが解決したこともその一因になったようだ。秘匿するばかりでは成長することもない。新しい知識が、人材が必要だ。

 他国の、世界の色々な事柄に触れて、そうして国を導けるようになってほしいと陛下が仰ってくださったそう。


 各地で殿下が見たもの聞いたもの、その時思ったことや考えたことを十枚にも及ぶ長い手紙でくださることもあるし、美しい絵葉書に一言「素晴らしい!!」と走り書きしてあることもある。

 学園での日々を思い出して、わたしが悪役令嬢と陰で言われていたことを、自分がチャリタナ様と噂になっていたことすら気が付かなかった自身の後悔を書き綴っている時もある。


 出立される前日、ジワラット立ち合いの元、しばしのお別れを言いに来てくださった。


「まだ自分に自信がなくて言葉にできないけれど、戻ったらきっと、伝えにくるから」


 待っていて、とは殿下は仰らなかった。殿下のまっすぐな瞳が眩しかった。

 幼い頃から知っている彼だけれど、わたしはきっと本当にはアルフォンス殿下のことを知らない。彼の心に触れることがないまま、離れてしまった。

 いつか殿下が、自分の納得される自分になれるといいな、と思う。わたしも、自分のことが嫌いな自分はイヤだな、と思う。

 殿下の婚約者だった頃は、誹謗中傷されても仕方がないことと思っていたけれど、そんな諦めの気持ちは持たなくていい。それが当たり前だと、受け入れる必要はないのだ。





 太陽の日差しが強くなる頃、ジワラットとわたしは領地にいた。避暑という名目であったが、王都ほどではないが、やはり暑い。


 婚約解消以降、何度も訪れるようになった領地では領民との距離も近づき、顔を見かけると「バイオレット様、採れたてのトマトだよ」と真っ赤に熟したそれを投げてよこしてくれたりする。

 手の平ほどのトマトは売り物にするには歪な形だ。ありがたく受け取り、齧り付く。

 トマトの汁をこぼすわたしの口もとを「あーもう」と言いながらジワラットがハンカチで拭ってくれる。


「ねぇ、ジワラット。わたし生きているわ」


 愛しい幼馴染と目が合う。


「トマトは美味しいし、山の緑は綺麗だし、歩き疲れて足は痛いし、暑くて汗が止まらないし」


 ジワラットは優しく包み込むように頬を撫でてくれる。


「誰もわたしのことを必要じゃない、わたしがいないほうがみんな幸せになれるんじゃないかな、て思ったの」


「俺はバイオレットがいないと幸せがなにかわからなくなってしまう。きっとうまく笑えなくなる」


「ええ、わたしもジワラットがいなくなったらと考えると怖くて堪らない」


 頬に添えられた彼の手に自分の手を重ねる。


「今考えたら、誰かに相談したり、逃げたり、方法はほかにもあった。浅はかだったわ。反省しかないけれど、だからこそ、今が大切で、大事なものがたくさんあったってわかった」


「俺も、後悔ばかりだ。もっと話をすればよかった。きみのこと、もっとよく見ていればよかった」


「わたし達、ずっと一緒にいたのに、言葉が足りなかったわね」


「うん、全然足りなかった」


 もっとたくさん話をしよう。いろんな所に行こう。二人で手を繋いで。


 眩しくきらめく太陽の下、わたし達はこれからの約束をする。

 明日は湖に行こう。王都に戻ったら行列ができるパティスリーに並ぼう。秋にはサツマイモを焼こう。冬になったら、来年になったら、五年後には、十年後には。


 あなたとたくさんの日々を積み重ねて。


 わたしはもうわたしを殺さない。


 わたしはこれからを、生きていく。











最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

評価、ブックマーク、いいね、どれもとても嬉しくて、大感謝です。


この物語はここで終わりですが、最後におまけを投稿して完結予定です。

おまけは本編と少し毛色が異なるので、あくまで『おまけ』とさせていただきました。

よろしければもう一話、お付き合いください。

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