ジワラット・クローレ ー幼馴染ー
王城の王族が暮らす一画にある第一王子の私室。その部屋と続き扉で繋がった隣の部屋に通された。
白を基調とした内装に、淡いピンク色のクッションや花瓶がアクセントに置かれている。殿下に群がる女生徒たちには似合いだろうが、俺の幼馴染には似合わない可愛らし過ぎる部屋。
天蓋付きのベッドに寝かされているバイオレットは目を閉じて眠っていた。
そのベッドを囲むように立っている三人の男が驚いた顔で俺を見る。
「ジワラット・クローレ、きみがなぜここに?」
俺に疑問を投げかけてきたのは彼女の婚約者である第一王子アルフォンス殿下。彼の隣にはその父親でこの国の頂点に君臨する国王陛下、そして俺に連絡をとってきた王家お抱えの魔法師団の治癒部のトップであるセドリック魔法師がいる。
「なぜって、呼んだのはアルフォンス殿下でしょう?」
これまでは第一王子殿下に対して伯爵家三男として礼節を持った態度を示してきた。けれど、魔術師協会の正装である装飾のついた濃い紫のローブを纏った俺に、その質問は愚問でしかない。
「魔法師デュウに内密のご相談とは何でしょうか?」
世界魔法師協会に所属していないと公式の場で魔法師を名乗ることができないため、俺は魔法師協会には属しているが、この国で魔法師として雇われているわけではない。頼まれて興味があれば依頼を受けることもあるが、それも極まれだ。学生の身としてはなかなか時間の融通がきかないし、時間がある時はバイオレットの傍にいたいから。
だから、通常であれば王家からの内密の依頼とやらも無視してしまうのだけれど。
「まさかジワラットが魔法師デュウだと言うのか?」
なかなか察しの悪い王子様だ。馬鹿馬鹿しくてくすりと笑ってしまう。
人差し指をくるり、と回す。
ピュウ、と小さな風が三人の前を通り抜ける。
もう一度、人差し指をくるり、と回す。今度はさっきより大きく。
ビュウ、と風が吹き抜け、彼らの髪や服が風に揺れた。
武家として知られるクローレ伯爵家の三男坊が魔法をつかえることを、彼らはやっと理解したようだ。ならば、彼らの望む答えをくれてやろうか。
「俺ならバイオレットを目覚めさせる薬、作れますよ?だって、俺が頼まれて彼女に薬を渡したんだから」
彼らには予想外の言葉だっただろう。俺が天才と呼ばれる魔法師デュウであることさえ半信半疑だろうに、まだ口にしていない王家の秘薬について触れ、さらにその解毒薬を作れると教えてやったのだから。
「ああ、でも勘違いしないでください。バイオレットは俺が魔法師だって知らない。ただ頼りになる幼馴染に図書室で偶然見つけた薬の処方箋を渡しただけだから」
肝心なことを言い忘れてはいけない。バイオレットは俺が魔法師登録していることを知らないのだから。彼女が悪く言われるようなことは絶対に許せない。
「でも目覚めの薬を彼女に飲ませるには、いくつか条件があります」
もちろん全て呑んでくれますよね、という含みをもって貴族的な笑顔を彼らに向ける。
さぁ、まずはこんな悪趣味な部屋からバイオレットを連れ出して、家に帰してあげなくては。
◇◇◇
幼少期、第一王子殿下と同世代の子供たちは彼の未来の側近候補のふるいに、望んでいなくともかけられていた。
勉強会だの鑑賞会だの、様々な名目で集められる子供たちの中に、公爵令嬢であるバイオレットと伯爵家子息の俺も参加させられていた。
バイオレットの生家はこの国の筆頭貴族で、わざわざ今期の王族と姻戚関係を結ぶ必要もなく、我が家も権力に頼らず実力重視(主に物理的)な家柄のため、周りの子たちのように王子に取り入るよう親に言われることはなかったので、招待状が来たから貴族子息子女の務めとして参加していたようなものだ。
バイオレットのネイバー公爵家の護衛は代々我がクローレ伯爵家が務めてきたこともあり、俺は小さい頃から彼女の屋敷に入り浸っていた。
由緒正しき公爵家ではあったが、身内には寛容で、我が家とは親しい友人家族として付き合いがあった。父親同士は仕事面では節度をもって接しているが、よく酒を酌み交わして騒いでいたし、母親同士も仲が良く、笑える程度の夫や子供の愚痴をお茶会で頻繁に披露していた。兄や弟もそこにくっついて行き、適当にくつろいで過ごすような気やすさであった。
そんな感じで、俺は気が付くと同い年のバイオレットとよく一緒にいた。俺は体を動かすことが嫌いなわけではないが、筋肉バカな兄たちよりは彼女と図鑑に載っている虫を見つけて観察したり、どちらが精緻な刺繡を上手にほどけるか競いあって遊んでいるほうが楽しかった。
王家からのいつもの子供たちの交流会の一つに参加した。
それは「魔法の集い」とか何かだったと思う。簡単に言うと、珍しい魔法を見せてあげるから見においで、という内容だ。
魔法は至るところに溢れて便利な魔道具は生活に根付いているが、誰しもが使えるものではなく、魔力を持ち、それを自在に操れることはとても稀有なことであった。
その力を持ち認められるには各国共通の世界魔法師協会に所属しなければならない。それは少し魔法が使える、というレベルではなく、世界に影響を及ぼす魔法使いであることの証明でもあった。そしてその協会に所属していなければ魔法師と名乗ることはできず、正式に魔法を使った依頼を受けて報酬を得ることもできない、という仕組みが出来ていた。
その上で、各国では自国にいかに優秀な魔法師を保有しているかが国力となって現れるため、どの国でも魔法師は好待遇で国に迎え入れらえた。
この国でも若いうちから囲いこむために、魔法院という魔法師や魔道具作りなど魔法に関する職に就く者たちを育成する機関があり、そこを卒業し魔法師協会に所属が叶った者はたいていそのまま国のお抱えの魔法師や魔法関係の機関に配属になる。一握りのその者たちは貴族も平民も関係なくエリートとされた。
その彼らが王家の庭園で見せてくれた魔法は、夢のように美しかった。
濃い緑に、咲き誇る美しい花々の間を舞うように飛ぶのは魔法で生み出されたキラキラと輝く蝶。魔法使いの指先が動くのに合わせ、優雅に庭園を一周し、最後は第一王子殿下の目の前でパッと弾けるように消えた。
ティーカップを傾けて零れ落ちた紅茶は受け皿の上に可愛らしいウサギのガラス細工のような塊になった。
護衛騎士から借りた剣の先に蝋燭の火を落としたかと思うと、それは炎を纏った剣となり、いつまでも燃え上がっていた。
子供たちに魔法に興味をもたせ、少しでも多くこの国の魔法使いを増やすための布教の一環だったのだろうことはわかっている。わかっているが、俺は初めて間近でみた魔法に魅了された。
それからの俺は夢中で魔法書を読み漁り、幸運にも魔力適性があったようで、自分でも少しずつ魔法を試してみるようになった。
それはほんの少しのこと。例えばコップに入った水に氷の膜を張らせるとか、蕾の花を開花させる、とか。
いつものようにネイバー公爵家の庭園でバイオレットと各々好きな本を読んでいた。俺が読んでいたのは初級魔法の実践書で、火魔法の章に入ったところだった。
魔法師が見せてくれた剣に火を纏わせる魔法は美しく格好良かった。俺もあんな魔法が使ってみたい。
わくわくしながら、マッチをこすり火をおこす。何もないところから物質を生み出すことはかなり上級の魔法師でなくては難しいらしい。俺はマッチからおきた小さな炎を大きくして、その炎を火の玉にして飛ばしたかった。
小さな火が消えないようにマッチを用意したガラスの器に落とす。そのまま集中して魔力を込めて念じる。じわりじわりと小さな炎が大きくなってきたところで、その炎を小さな丸に切り取る。そこまでは思い描いた魔法のイメージ通りだったが、その小さな火の塊を自在に動かすことは難しく、炎はゆらりゆらりと風に飛ばされてしまった。
「きゃあっ」
「バイオレット!?」
俺が作り出した火の玉は近くで読書をしていたバイオレットの眼前に迫っていた。
慌てて羽織っていた上着を脱ぎ、バサバサとその火を叩くように消した。
「うわぁ、びっくりした!ジワラット、火傷していない!?大丈夫?」
俺に怪我がないか、ペタペタと触れて俺の無事を確認するバイオレットの丹念に手入れされた金色に輝く髪の毛の先が焦げてしまっている。
「俺より、バイオレットが、髪が、ごめん」
自分のことに夢中になって、大切な女のこを傷つけるなんて、危険な目に合わせるなんて、俺はなんてことをしてしまったんだ。
「ジワラット、ナイフ貸して?」
俺は動転したままいつも懐にしまっている万能ナイフを取り出してバイオレットに渡す。
バイオレットはなんの躊躇もなく焦げてチリチリになった毛先をバサリと切り落としてしまった。
「これでバレないわ」
にかっとバイオレットが笑う。
「バレないとかじゃなくて、俺、なんてことを……」
「髪の毛なんてまた生えるんだからいいのよ。そんなことよりジワラット、魔法の火の玉作るなんて凄いじゃない!!」
「凄くなんてない、正式に魔法を習ったこともない俺が軽い気持ちで魔法を使ったりしちゃいけなかったんだ!」
今回はたまたま髪の毛先で済んだが、万が一強い風が吹いていたら、バイオレットの体をその炎が焼いてしまったかもしれない。
「ちゃんと習ったこともないのにジワラットは書物を読んだだけで魔法を使ったのよ、天才だわ!!好きなことを自分で見つけて学んで力にするなんて、とても凄いことだわ」
キラキラした目で俺を見つめるバイオレットの瞳を俺は忘れない。自分が危険にさらされたことよりも俺の才能を惜しみなく褒めてくれる、大切で大好きな女のこ。彼女の目には俺が特別に見えるのだ。輝いているのはきみだ。バイオレット、眩しい俺の唯一。
その後バイオレットの髪が一房切られていたことはすぐにバレて、俺は親父にめちゃくちゃ怒られた。それは当然のことで、興味本位で魔法は使ってはいいものじゃなかった。好きなことだったらなおさら、きちんと手順を踏んで学び正しく使えるようにならなくてはならなかった。
俺はこんな事故を起こしてなお、魔法が好きで学びたい気持ちは変わらない。むしろ、このような危険な目に誰かを合わせるなんてことは絶対に望んでいないので、親父にきちんと説明して頼み込んで、魔法を学ぶために家庭教師をつけてもらい、魔法の練習ができる環境も整えてもらった。
けれど、魔法を使う怖さを知った俺は、自分が魔法を使えること、魔法を学んでいることさえ、家族と家庭教師以外には内密にしてもらった。
自分でいうのもなんだが、俺は魔法の才があり、その魔力は強大であった。バイオレットを盾に取られたら、俺は躊躇なくこの力を使うだろう。
魔法が好きな自分と、バイオレットを唯一とすることが、未熟な俺ではまだ適わない。
バイオレットは俺を「天才」と言ってくれたけれど、好きなことに努力し続けることが出来ることこそが、たった一握りで、そんな彼らを人は天才と呼ぶのだろう。
だとしたら、確かに俺は天才なのだろう。
同じ年頃の連中が木に登ったり野山を駆け回って釣りをしたり、流行りの服や物に気を取られたり、噂話に興じたりしている間に、俺は魔法を学び、騎士の訓練を受け、時間が空けばバイオレットに会いに行った。
俺はバイオレットを慈しみ護れるようになるための努力を惜しまなかった。ただ、傍にいて彼女を傷つけないように、何者からも傷つけさせないように、力をつけようと思った。
しかし11歳の年に、それは思い上がりだと知る。
バイオレットが第一王子アルフォンス殿下の婚約者に選ばれたのだ。
ずっと傍にいられると思って、それを前提に俺は努力をしてきたけれど、彼女がこの国の第一王子妃に、ひいては王妃になってしまったら、もうこの手はきみに届かない。
けれど、俺はそこで努力を止めることはなかった。これまで以上にがむしゃらに努力を重ねた。愛するきみへ手を伸ばせる俺になれるように。
学園に入学する頃には、家庭教師に提出させられていたいくつもの論文のうちの一つが評価され、世界魔法師協会への入会参加資格を得ることが出来た。
協会から受けた古代魔法の調査や魔法を使った犯罪解決への協力などをいくつかこなし、学園で二年生に上がる前には正式に魔法師と認められた。
この国では学園を卒業した年に成人と認められるため、まだ未成年である俺に配慮され、公式な発表をされることはなかったが、本名のジワラットではなく愛称のデュウとして学業の合間に受けられる範囲で魔法師としての仕事を請け負った。
おかげで俺の懐は潤い、さらに他国からの要請を受けた際に、この国以外ともパイプが出来た。
バイオレットが王子妃教育を受けている間に、世間に姿を現さない俺は魔法師デュウとしてなぜか有名になっていた。いや、正体がわからないからこそ、希少価値となり、俺への報酬はかなり高額となり、魔法師としての価値も高くみられるようになった。
もしも彼女が俺との未来を望んでくれたなら、今の俺であれば叶えることが出来得るかもしれない。
彼女が望んでさえくれたら。
学生で第一王子の婚約者であるバイオレットの傍にいるには、彼女の幼馴染で騎士家であるクローレ伯爵家三男であることが最適だ。
だから俺はまだ、ただの学生のジワラット・クローレのまま、きみの隣にいることを選ぶ。きみの一番近くにいる。
バイオレットには魔法師であることは教えていなかったが、彼女は俺が魔法が好きな事は知っていたから隠す事なく魔法の話はした。
その度に俺が魔法院ではなく貴族が通う学園に通っていることをバイオレットは気にしていた。毎回それとなく話をそらし、優しいきみの気を引く。
バイオレットは誰より優しくて人一倍お人よしで、いつも人に譲ってばかりのきみが、王子妃なんて向いていない。
第一王子殿下アルフォンス・ドナウ。金の髪に青い瞳の絵本の中から飛び出てきたかのような麗しい見た目。優秀で品行方正で、誰にでも平等。
突出したものはないが、安定した治世を引き継ぐには向いているだろう。良く言えば穏やかで慎重、悪く言ってしまえば臆病。
そんな彼は婚約者であるバイオレットを大切に扱っていた。選び放題であった婚約者候補の中からバイオレットを選んだのは趣味が良いといえるが、俺にとっては最低の選択だ。バイオレット自身がその地位を望むのであれば全力で応援するが、望まないのであれば、魔法師として国外でも力をつけ始めた今の俺ならば、覆すことも可能だろうか。仄暗い感情が俺の中でくすぶり育っていく。
学園で過ごす最終学年の年、完璧で隙のなかったアルフォンス殿下に恋の噂が流れだした。確かに彼は留学生の女とよく一緒にいる姿を見かけることが増えたが、相変わらずバイオレットを見る目には熱が籠っている。いや、前以上に執着が強くなっているようにさえ見えた。
何もしなくても学園を卒業した一年後には彼女との結婚式を控えているというのに、これ以上彼女の何を望むというのだ。
アルフォンス殿下が留学生と親しくなるにつれて、バイオレットを悪役令嬢などと罵る輩が出てくるようになった。もともと人気の高い第一王子殿下の婚約者であるというだけで、彼女は妬まれていた。さらにこの国の筆頭貴族の公爵令嬢である彼女の矜持は高く、周囲の者に注意を促すことも時折見かける光景であった。
留学生たちにもアルフォンス殿下が注意しなければならないようなことを野放しにしているから見過ごせず、何度かやんわりとこの国の常識を伝えたりしていた。祖国での当たり前を当然のように留学先で披露する程度の低さに俺は呆れていたが、それを放置すれば彼らがいずれ恥をかくかもしれない、という考えにいたらない周囲の自国の人間にも俺は嫌気がさしていた。けれど、バイオレットは親切にもそれらを指摘した。その姿は悪いほうに悪いほうに解釈され、彼女は第一王子殿下と留学生女子との恋を邪魔する少女小説定番の悪役令嬢として殿下の婚約者の座を狙っていた令嬢たちに祭り上げられてしまう。
アルフォンス殿下の恋の噂を利用されてバイオレットは傷つけられて、いつしか彼女は学園で孤立していった。高い身分に、王族の婚約者ということもあり、彼女は平等を保つため、親しい友人を作ろうとしなかったため、バイオレットの傍にいるのは俺だけになった。
バイオレットが第一王子の妃になりたくないのであれば、現況は彼女の有利に働くだろう。しかし、バイオレットがアルフォンス殿下との婚約に何を思っているのか、俺には問いただす勇気がなかったので、彼女が置かれた現状をただ放置し、俺だけが彼女を信じ、隣にいることが出来ることに喜びすら感じていた。
しかし、俺が思っている以上に、バイオレットは思い詰めていた。
「ジワラット、お願いがあるの」
俺はバイオレットにこれまで何度もなにか出来ることはないか聞いてきた。それはもう事あるごとに。
気が付けばいつも一緒にいた俺の可愛い幼馴染に、俺はいつだって何かしてあげたいと思っている。
「望みはなに?出来ることならなんだって叶えてやるよ」
普段なんの要求もしてこないバイオレットからのお願いが嬉しくて、自分の顔が綻ぶのがわかる。
俺はバイオレットには教えてないが魔法師として活動しているため、実はけっこうな財力があるのだ。世界魔法師協会という各国の魔法使いが所属する組織にしか俺は属していないため、場合によっては国家権力に逆らうことさえ可能だ。
だから、けっこう何でも叶えてあげられると思うんだ。
「あのね、ジワラット。今だったらお父様はたいていのことはわたしのお願いを聞いてくれると思うの」
幼馴染であるバイオレット・ネイバー公爵令嬢は何不自由なく育てられ、この国の第一王子の婚約者となり、全てを手に入れたかのようであったが、その婚約者が留学生の女と浮気をしているというのは、公然の噂だった。
その噂を知りながらも決定的な何かがあるわけではない現状でバイオレットは毅然とした態度を続け、彼女を愛する父はそれは彼女のたいていの願いは叶えようとしてくれるだろう。
「わたしがお願いしたらジワラットを魔法院に通わせて下さるよう、クローレ伯爵家にも話を通してくださると思うの」
俺は家族代々騎士を志すような武家のクローレ伯爵家に生まれ育ったくせに、なぜか小さい頃から魔法が好きだった。小さい頃から一緒に過ごしていたバイオレットはもちろんそのことを知っている。
俺は普段から周囲に魔法の話をせず、将来魔法関係に進むのであれば魔法院に進むべき時に、バイオレットとともに貴族が通う学園に進学したことで、家族に魔法が好きだと打ち明けられていないか、魔法の道へ進むのを反対されているとバイオレットはなぜか思っている。
そのため、これまでは権力を使おうとしていなかったバイオレットが格上のネイバー公爵家から、俺を魔法院へ行かせるよう口を聞いてくれようとしてくれるらしい。
「必要ないよ」
ゆるりと首を横に振る。
俺は魔法院に通わなくてもすでに魔法師という職を得ているのだから。
ただの幼馴染ではない俺では公爵令嬢バイオレットの隣にいる権利が無くなってしまうから、なるべく秘密にしているけれど、すでに世界魔法師協会の一員となっているのだ。今さら魔法院に通う必要はない。
「でもジワラットは魔法が好きでしょう?学園に通っていては魔法師にはなれないわ」
「バイオレット、俺はきみと一緒にいたくて学園に通っているんだ。魔法学園には通わない」
縋るような瞳で俺を見上げるバイオレットの肩にそっと手を置く。婚約者であるアルフォンス殿下が留学生の女と親密になり出してから、彼女はどこか不安定だ。
「なんの見返りもなくたって、俺はきみの願いを叶える。だから、バイオレットのお願い聞かせて?」
少しのためらいの後、彼女は小さな紙きれを渡してきた。
「これは……どこでこれを?」
魔法を使った薬の処方箋だ。
一般では薬を調剤するのに魔法は使わない。特殊なこれは、おそらく王家にのみ伝わる秘薬と呼ばれるものだろう。
「陛下と、王妃様と第一王子しか閲覧できない資料室に入れてもらった時に見つけたの。たぶん、王家でもそこにこの処方箋があるって記録していないほど古い物で、古語で書かれてた。持ち出すことは出来ないから、何回か見て覚えて書き写したの」
「これ、魔法使わないと作れない薬だってわかってる?」
「ええ、時期を調整するのに魔法が必要なんでしょう。ジワラットは魔法が好きだから、時々魔法師の知り合いがいるような話し方をしたりするでしょう?だから、誰かにお願いしてでもいいの、この薬を、一年後に息を引き取る薬をちょうだい?」
王族にしか伝わらない苦しまずに死ねる、息を引き取る時期を調整できる魔法を使わないと調剤できない秘薬を。
彼女は思い詰めていた。
学園を卒業した一年後には第一王子殿下と結婚式を挙げることがすでに決まっている。この国では家庭を持たないと一人前ではない、という風潮が強いため、王族や身分の高い貴族は比較的早く婚姻を結ぶ。
家督を継ぐのもそれからとなるため、アルフォンス殿下も結婚して数年後には王太子となり、いずれ王の座につくと思われている。
婚約者の浮気を疑い、悪役令嬢と陰口をたたかれ、彼女は疲れてしまったと力無く笑った。
自分を裏切った男の死を望むのではなく、自分が死んだことにより彼が苦しむことを望むのだと。「これは復讐なの」と。
けれど、優しいバイオレットが考えそうなことが俺にはわかってしまった。
本当は時間をあげたかったんだろう。のんびり屋な彼がゆっくり考える時間を。きみがいたら一年半年後には結婚式だったからね。
留学生の彼女を追いかけて国を捨てても、諦めて国を選んでも、どちらでも、自分で考えて決めてほしかったんだ。
バイオレットはどんな結果になっても婚約者が自分を選ぶことなんてないと思って、自分を消そうと考えた。殿下からあんなに絡まるような視線を送られても、その熱情に気付くことはなかった。当然、俺の欲望にも気が付かない。
鈍感なバイオレット。俺はきみの傍にいられればいいと思っていたけれど、きみに俺を見てほしい。俺の欲望を満たしてほしい。ただの幼馴染のままできみの傍にい続けようとしたずるい俺には資格がないのかもしれないけれど、きみを失うことを考えたら、なんだってできる。
きみに渡した「一年後に死ぬ薬」は本当は「一年間眠り続ける薬」。
穏やかな眠りから目覚めるその時までに、世界がきみを迎え入れる準備をしておこう。
手始めに、殿下との婚約が解消しやすくなるように、王城でバイオレットが倒れたことを噂雀に流して。
留学生と噂になっていることも、自分の婚約者が学園でどんな扱いを受けているかもしらない能天気な王子様にも現実を見せてやらなくては。
準備が整ったら、すぐに目覚めの薬を飲ませてあげる。
俺が誰よりもきみを幸せにするから。
今はまだ、ゆっくり眠っていて、バイオレット。
数ある作品の中から見つけてくださり、読んでくださり、ありがとうございます。
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