アルフォンス・ドナウ第一王子 ー婚約者ー
婚約者のバイオレット・ネイバー公爵令嬢からお茶の時間を請われたのは、初めてだった。
王族専用の庭園が見えるサロンに入ると、すでに彼女はそこにいた。
テラスへと続く掃き出し窓から外を見ていたバイオレットは、僕の入室に気がつき振り向く。
彼女の金色の髪がキラキラと眩しい。窓から射し込む光で彼女の表情は見えなかった。
「待たせたね、バイオレット」
婚約者同士とはいえ、まだ未婚の僕たちは節度ある付き合いが必要だ。扉をほんの少しだけ開けたままにする。
「お呼び立てして申し訳ありません。殿下が以前お好きだとおっしゃっていた茶葉を用意してもらいましたわ」
バイオレットはテーブル横に置かれたワゴンから茶器を取り出し、ティーカップを並べる。
「学園生活もあと半年ほどですわね。学園を卒業するとわたしたちも大人として見られますから、相応しい振る舞いが求められますけれど、殿下はなにか思い残すことはありませんか?」
「半年か。なんだかあっという間だったな。特に今年はリユウト国から留学生を迎えて慌ただしくて」
きみとの時間もなかなか取れなかった。
学園で時折見かけるきみはいつも凛と背筋を伸ばして、隣にはいつも幼馴染のジワラットがいた。
「そうですわね。殿下はチャリタナ様と出会われた運命の年でしたわね。チャリタナ様の留学期間は一年。あと半年でリユウト国に帰ってしまうのですね」
「チャリタナ嬢にはたくさんの知らない世界を教えてもらえた。リユウト国からの留学生受け入れは僕にとって貴重な経験になったよ」
バイオレットは優雅な手つきでティーカップへ紅茶を注ぐ。澄んだ紅色。
「卒業したら一年後には僕たちの結婚式だね。今度はその準備で忙しくなるだろうけど、きみも一緒だと思うと頑張れる」
バイオレットの細い指先に触れようと手を伸ばしたが、彼女の手はするりとそれを躱した。
「わたしとの結婚式だなんて。チャリタナ様を妃に迎えるご予定は……?ああ、他国のそれも民主主義のリユウト国出身で貴族という身分のない彼女は、この国の王族に嫁ぐ権利がありませんものね。側妃や妾という立場を彼女が受け入れてくださればいいでしょうけど。どちらにしろ、アルフォンス殿下は彼女の事を心に秘めながら、他の者と婚姻を結ばなければならないなんて」
バイオレットは愁いを帯びた表情でため息をつく。
彼女はなにを言っているんだ。
僕と目を合わせないまま、バイオレットはハンカチを開き、挟んでいた数枚の赤い花びらを自分の紅茶へひらりひらりと入れた。
「わたしはそれを見ることは叶いませんが、そのほうが心穏やかに逝けますわ。わたしの後釜に据えられる王子妃がどなたになるかわかりませんが、その方にだけは申し訳なく思います。できればわたしを悪役令嬢と陰でというには大き過ぎる声でおっしゃっていたココロア侯爵令嬢かスワフ伯爵令嬢あたりだと心が痛まなくていいんですけれど」
バイオレットは華奢な指で優雅にティーカップを口に運ぶと一気にそれを飲み干した。
「アルフォンス殿下、わたしは一年後に息を引き取ります。それまであと少しご迷惑をおかけするかと思いますが、どうぞお元気で。さようなら、わたしの婚約者様」
美しく儚く微笑んだ彼女は、そのままがくりと膝から崩れ落ちるように倒れる。
腕を伸ばし、細い体を抱きとめる。
人前でのエスコートや社交場以外で、僕は初めてきみに触れた。
温かで柔らかなバイオレット。もう何度きみをこの腕の中に閉じ込めたいと願ったことか。その初めてが、こんな時だとは思いもしなかった。
◇◇◇
僕がバイオレットと初めて会ったのはいつだったのだろう。正直に言うと、覚えていない。気が付くと知り合いの中の一人に含まれていた、と言う感じだ。
この国の第一王子として産まれた僕の側近や婚約者に据えようと、貴族たちがこぞって子孫繁栄にいそしんだ結果、僕と同年代の子供はかなり多い。
その子供たちとは幼い頃からお茶会や鑑賞会、勉強会など様々な名目をつけては交流の場が設けられた。その中に同い年のバイオレット・ネイバー公爵令嬢もいた。彼女と僕の出会いは数多あるそれの内の一つでしかなかった。
彼女は由緒正しき公爵家の生まれで王家に取り入る必要もなく、他の子供たちのように王子に近づくように言い含められていないのか、自分から僕に近寄ってくることはなかった。それどころか、幼馴染のジワラット・クローレ伯爵令息といつもくっついて楽しそうにしていた。
新種の薔薇の鑑賞会の日は、咲き誇る花に目もくれず二人で地を這う蟻を追いかけていたし、子供むけ古語教室では二人で小声で古語を使ったダジャレを言い合ってクスクス笑っていた。
僕に興味のないきみを、気が付けば目で追うようになっていた。
10歳を過ぎる頃には、無邪気だったきみも公爵令嬢らしく小さな淑女に育っていった。美しい身なりに洗練された身のこなし。隙のない笑顔で礼節をもって僕に接してくれる。
安定した国の運営状況。国政も問題がない。母親である王妃は、子供たちの集まりが終わると時々問いかけてくるようになった。
「アルフォンスはどんな女の子が好きなの?優しい子?話をしていて楽しい子?」
けして見た目ではなく中身を重要視して相手を選ぶように促された。それでも政略での結婚が必要ない情勢のため、ある程度は僕に選ぶ権利が与えられている。
「ドリー侯爵令嬢は近隣国の言葉をもう三か国語も話せるそうよ。サワルレット辺境伯令嬢は孤児院の慰問に熱心に行かれているそうだし。でもやっぱりネイバー公爵令嬢は誰に対しても平等で知識も幅広く礼儀正しくて勉強熱心で欠点が見つからないわね」
母上は僕の視線が誰を追っているか気が付いているから、色んな令嬢を褒めては一番最後にバイオレットを完璧だと言ってしたり顔で微笑む。
言葉に出さなくても僕が誰を選んでいるのかなんて一目瞭然だった。
けれど僕は他の令嬢たちみたいにお茶会で僕の隣の席に一番に来てくれたり、僕の瞳の色のリボンをわざとらしく髪に結ったりしてほしかったんだ。
バイオレットに、僕を選んでほしかった。
けれどきみは小さな完璧な淑女で、品のない行動はしない。彼女の表情が崩れるのは家族の前か幼馴染のジワラットと一緒にいる時だけ。
きみの傍にはいつもジワラットがいる。
まるで番犬のように、僕が近づくと大声で吠えるのを我慢している優秀な番犬。
騎士家の三男である彼が公爵令嬢であるバイオレットに縁談を申し込むことは難しいだろう。当たり前のようにいつも傍にいる二人だけれどそこに婚約関係はない。
こちらから婚約を申し込むことは簡単だったけれど、それはズルをするみたいで、バイオレットから望んでくれるのを待っていた。
12歳になり学園に入学する年までには婚約者を決めるよう両親から言われていた。
あいかわらずバイオレットは僕に関心が無いままだったけれど、僕の心は決まっていた。本当はきみから望んでほしかったけれど、僕は君を婚約者に指名した。
臆病な僕は、自分の決定ではなく、王家で決まったこととして、王家から公爵家に打診してもらった。それはあっけないほどすんなりと受け入れられて、僕は気が抜けてしまった。
それと同時に君に拒否されなかったことが臆病な僕の心に沁みわたり叫び出したいほど嬉しかった。
第一王子の婚約者となったバイオレットは学園の休みの日には王城で妃教育を受けるようになった。
優秀な彼女は高位令嬢としてはすでに教わることはなかったから、あとは王族としての立ち振る舞いだったり、より深く政情を知るための教育だったりを学んでいった。
彼女がもう少し未熟であったなら、王城に来る回数を増やしたり、僕が勉強を教えたり励ましてあげたりできたのに、涼しい顔でバイオレットはなんでもこなしてしまう。
週に一回王城で行われる妃教育の後は婚約者である僕とのお茶の時間が設けられた。それは初めての二人の時間だった。
貴族令嬢の模範としか言えないような美しい所作で紅茶を飲み、そつのない会話を交わすバイオレット。
口元だけ笑みの形を作って感情を悟らせない。
それでも、ナッツが入ったクッキーを一番最初に摘むこと、少し香りが強い紅茶の匂いをいつもより長めに嗅いでいることに僕は目を細めて喜ぶ。
僕はもっと、もっときみのことが知りたいんだバイオレット。
王子として教育を受けて来ていた僕も、感情は表さない。
だから、この胸にきみへの恋情を抱えていても僕ときみの心は交わらない。平行線のまま。本当はジワラットといる時みたいに白い歯を見せて笑ってほしいのに、どうしたらそれが叶うのか、僕にはわからないんだ。
三年間通う学園の二年生に上がった頃、海の向こう側の大陸の反対側の端の小さなリユウト国と我が国が友好国となった。きっかけは最近流通し出したある果物の多くがリユウト国からの輸入であったため、そこから交流が増え、珍しい草木で染められた敷物、その国の独自のアクセサリーなども輸入されたりと、交流が盛んになっていき、多くの物資のやりとりが増えたためであった。
その中で、リユウト国からこちらの国に留学生を受け入れてほしいと要望があった。
もともと遊牧民であった民たちがその豊かな自然に腰を落ち着け根付いたのがリユウト国であったため、彼らは知的好奇心が強く行動力も高かった。
瞬く間に話はまとまり、僕が三年生になる年に六人の留学生を一年間、受け入れることが決まった。王族である僕が学園に在学している時期の方が王家としても都合が良かったのだろう。
それにともない、僕は留学生の受け入れ準備に追われるようになった。
学園としても留学生の受け入れ自体はよくあることであったが、一国から一度に六人受け入れることは稀であり、さらにこれまでほとんど国交のなかったリユウト国ということで戸惑いが大きかった。
一番危惧されていたのはリユウト国が民主制政治を執っている部分だ。この国を含め、近隣諸国は王を最上位とした君主制の国ばかりであったから、多感な年頃の学生にどんな影響が出るかわからないと、留学生の世話係として王家の者が中心にあたるように配置された。
三年生は僕が、二年生、一年生はそれぞれ親戚関係にあたる公爵家、侯爵家の者たちが任命された。
留学生を迎える間近になってくると、休みの日も対応に追われることが増え、唯一のバイオレットと二人になれる時間であるお茶会も何度も断らなければならなくなってしまった。
「バイオレット、今は受け入れ準備でなかなか時間を取れなくて申し訳ない」
久しぶりに会えたバイオレットにまずは謝罪をと考えて僕は頭を下げた。
「アルフォンス殿下、わたしのことはどうぞお気になさらず。落ち着くまではしばらくはお茶会は止めておきましょう」
僕を労わるような声音で優しく言われた。バイオレットの気遣いは将来の妃のとして当然のことだろう。
王族たるもの、個人の用事よりも公務を優先するのは当たり前だ。我々は民衆から生かされ、彼らのために生きなければならないのだから。
けれど、僕はきみの笑顔に心が癒されるんだ。たとえそれが作り物の笑顔だとしても、僕だけを見てくれるこの時間が僕には大切なんだよ。
個人の感情を伝えることに慣れていない、僕は優等生らしく微笑んで返事をする。
「ありがとう、バイオレット。お言葉に甘えてしばらくはそうさせてもらうよ」
三年生になる少し前に、リユウト国から留学生を迎えた。
彼らは少し黄みがかった肌に淡い色の髪色、彫りが浅めの顔立ち。遊牧民だった影響か体つきはしっかりとしていた。
六人の留学生は男女平等をうたっている国だけあり、男性が三人、女性が三人と各学年に男性と女性が一人ずつだった。
三年生にも男性が一人と女性が一人。
男性はダタイィラ・ドリトーリといって薄黄緑の短髪に深い湖の底のような色の瞳。僕より高い身長に筋肉質な体つきをしていた。なにか武道の経験があるのか後で聞いてみよう。
女性の名前はチャリタナ・サラタラルゥ。薄桃色の肩までの髪に翡翠色の瞳。小動物を思わせる顔立ち。小柄ながら華奢というわけではなく、野山を駆け回っていたのがわかるような快活そうな女性だった。
「初めまして、今年一年あなたたちを手助けさせていただくアルフォンス・ドナウと言います」
簡単な自己紹介の中で彼らは姓で呼び合う文化がないため、名前で呼んでくれ、と言われた。
「では僕のことはアルフォンスと、お呼びください」
「アルホンス?」
公用語を上手に話す彼らであったが、細かな発音は完璧でないこともあった。
「アル、と」
微笑みを作って提案すると、二人は気軽に「アル」と呼んでくれるようになった。
第一王子として自国で生まれ育った僕にはこれまでなかった距離感に戸惑いながらもどこか嬉しく思う。
まだ学園の新学期が始まるまで数日あったため、治安のよい中央街を中心に街を案内することになった。決まった店にしか立ち寄らない僕ではあまり頼りにならないが、一、二年生の留学生の世話係の二人が率先して名所や有名店を紹介してくれた。
昼食時にはせっかくだからとレストランを予約せずに、屋台の食事を楽しむことになっていた。
実は、屋台での飲食は僕も初めてで、楽しみにしていた。通りかかる度に気になっていたクレープ店に、自分もそれが食べたいと言ってくれたチャリタナ嬢と並ぶ。行列に並ぶことも初めてで、ソワソワしてしまう。
手に持ったくるくると巻かれたクレープにがぶり、と嚙みついてみる。
僕がこれまで食べていたクレープは同じように小麦の生地に食材を巻かれていたが、皿の上にのっており、ナイフとフォークで食べる物であった。
小さく切って口に運ぶそれと、大口を開けて頬張るそれは、同じ料理とは思えなかった。レタスとハムの素朴な味わいが口の中いっぱいに広がる。
その美味しさに驚いて、共感を得ようと横にいたチャリタナ嬢を見る。
彼女もまたバナナと蜂蜜のクレープを口いっぱいに頬張り、目を見開いてこちらを見ていた。
「アル、これ、美味しいです!!」
口の中の物をやっと飲み込んだチャリタナ嬢は無邪気に笑う。
「リユウト国での主食はアルが食べてるみたいなお肉とかお魚を小麦粉の生地で巻いて食べるサンドなんだけど、甘い物は具にしないから、こんなに美味しいなんて知らなかった!」
彼女の暮らすリユウト国の主食であるサンドは自国で量産される芋をメインに使った生地のため、もっとモッチリとしている食感だから、甘い物は合わないため具にすることはなかったのかもしれない。
甘い物は果物をそのまま食べるか、小さな揚げパンのようなお菓子が多いという。
食べなれない外国の食べ物に躊躇なく手を伸ばし、それを素直に受け入れる彼女に僕はすぐに馴染んで色々な話をするようになった。
柔軟な彼女のように、僕もあるがままを受け止められたら、そう思った矢先の出来事だった。
三年生に学年が上がり、留学生たちを学園に迎え入れた初日、僕は同じクラスの親しい二人と同学年の留学生二人の五人で食堂で昼食をとっていた。
食堂では日替わりでメインメニューが二つ決まっており、サイドメニューのサラダやスープはそれぞれ準備されている物から選ぶことになっている。
その日のメインはチキンのクリームソース煮と川魚の香草焼きだった。それぞれに好きなメニューを選び和気あいあいと食事をしていると、バイオレットとジワラットが通りかかった。
バイオレットは僕に気が付くと微笑んで会釈をし、会話を邪魔しないように通り過ぎようとしたが、ふと足を止め、少し躊躇した後に留学生たちに話しかけた。
「お食事中失礼いたします。同じクラスのバイオレット・ネイバーと申します。これから一年、どうぞよろしくお願いいたします。学園の食事はお口にあいまして?この国のパンは固い物が主流なので、一口分ずつちぎって召し上がると食べやすいんですのよ」
ほら、というように留学生の向かいで食事をしている僕たちを視線で示した。
リユウト国ではフォークとナイフで食事をする習慣自体がなく、手で直接食べ物を口に持っていき食べるスタイルだった。
さすがにキレイに皿に盛りつけられたチキンや魚は苦手そうなもののフォークとナイフを使っていたが、彼らはパンは塊のまま手に持ち嚙みちぎって食事をしていた。
「どうりで、食べる度にパンくずをこぼしてしまうと思っていたの。教えてくださってありがとうございます。こう、ですね?」
チャリタナ嬢はすぐにバイオレットの言葉を受けて実践している。隣のダタイィラも「なるほど」と言いながらパンを一口大に千切っていた。
僕こそが、留学生たちにこの国のマナーやルールを教えてあげなければならなかったのに、そのような注意は思いつきもしなかった。僕はただ、この国を紹介していただけで、彼女たちは留学生だから、自分の国のルールでこの国でも過ごしてよいと思っていた。彼らがこの国のマナーを知らないと誰かに嘲られるかもしれないことに、僕は気が付かなかった。
王族で、第一王子である僕は、これまでずっと肯定されて生きてきたのだ。多少の間違いなど正されず、僕が行ったことこそが正義とされてきたのだろうことに、その時気が付いた。
僕は、なんて狭い世界で生きてきたのだろう。
僕はこの国の王の第一子で、二歳下に妹が、四歳下に弟がいる。何事もなければ学園を卒業し、バイオレットと結婚をし、その数年後には立太子するだろうと自分を含め誰もが思っている。
しかし、僕は生まれてきて初めて僕がこのまま王になってよいのか、疑問に思った。狭い世界で王子としてしか生きていない僕が、このまま一国の王になって、本当によいのだろうか。
その日の学園の授業は終わり、帰宅のため城で暮らす留学生たちと馬車に乗っているとき、向かい側に座っていたチャリタナ嬢が僕の顔を覗き込んだ。
「アル、元気ありません。何かありましたか?」
昼食から、僕は落ち込んでいた。けれど、それを表に出していたつもりはないので、かなり驚いた。そのまま会話を返したけれど、驚いたことは気取られなかっただろうか。
「僕は勉強も運動もよく出来る、といつも褒められてばかりだったけれど、本当は知らないことばかりだ。リユウト国のことだって本に書いていることは知っているけれど、それだけじゃ知っている、ということにはならないんだろうな、と考えていたんだ」
「いつも褒められていたなんて、いいじゃない。わたしは遊んでばかりいないで勉強しなさいと怒られてばかりでした。机に向かっているより外で走り回るほうが好きだったんです」
クスクスと笑いながらチャリタナ嬢は話を続ける。
「本で見る虫と、森で見る虫は、確かに全然違いますね。森での彼らは飛ぶし隠れるし臭かったり変な液体出してきたりするし、それをかけてきたりするし」
そうだ!とばかりにチャリタナ嬢は目をキラキラさせて提案してくれた。
「アルもリユウト国に来たらいいですよ」
それは魅力的な考えだ。けれど、第一王子である僕は自国を長くは空けられないだろう。
外国へ行くときは外交か、それを含む数日の旅行がやっとだろう。それではきっと、僕は僕が正しい世界のままなんだ。
「そうだね。いつか行けたらいいな。リユウト国も、その他の国も。色々な国に行って、現地の物を食べてそこで生活する人と話をしてみたいな」
「楽しそう!ぜひいつか一緒に行きましょう!!」
それからは、僕とチャリタナ嬢はいつか二人で行くリユウト国や外国の話をたくさんした。あくまでそれは想像の話で、実現しないからこそ、僕は自由に行きたいところもやりたいことも口にすることができた。
本当は、ただ一人の僕として、世界を見て見聞を広げて、それでも僕がこの国の後継者に相応しいと認めてもらいたい。
しかし、それは一か月や半年ではきっと終わらない。
それを国は許してはくれないだろう。
なにより、その時までバイオレットは待っていてくれるだろうか。もしも、僕が王の器に相応しくなくても、彼女は傍にいてくれるだろうか。
公爵令嬢である彼女は、第一王子妃となるため教育を受け、社交界では相応しい振る舞いをして、いつも笑顔を絶やさない。きみがたくさんの我慢や努力をしてくれていることを僕は知っている。
もしも、僕がこの国の王子という身分を捨てたら、これまで努力してくれていたきみへの酷い裏切りになってしまうだろう。
屈託なく僕の隣で笑うチャリタナ嬢は「大事なのは自分の気持ちでしょう?」と当たり前のように言う。
民主主義の誰もが平等だという国で生きてきたチャリタナ嬢には貴族社会のしがらみにとらわれた僕らの気持ちがわからなくて当然なのだけれど、バイオレットもきみのように言ってくれたらいいのに、と考えてしまう。
チャリタナ嬢のような人が隣にいてくれたら、僕の気持ちは明るくなるのかな、と考えてしまったが、この国での王族の婚姻相手は貴族のそれも伯爵位までと決められている。平民の身分のチャリタナ嬢とは婚姻を結ぶことができない、と考えて、僕はなんて自分勝手なんだと呆れてしまう。
少し女の子に優しくされたからって、相手に好きだと言われたわけでもないのに勝手に将来を想像して、恥ずかしすぎる。
それにこれは現実逃避の妄想だとわかっている。
僕はこの国の王子という身分を捨てることはできないし、なにより、何年も懸想し続けたバイオレットを手放すなんてできない。
悩んだって、悲しんだって、僕は今の僕のまま、現状を変えることはないのだ。
新しい学年になり、一つの季節が終わろうとする頃になると、留学生たちもこの国に慣れてきて、少しずつ時間に余裕ができるようになってきた。
学園にいる間はどうしても留学生たちと行動をともにすることになるが、バイオレットが王子妃教育のために城に訪れる日は、意識的に時間が空くようにして、毎回ではないものの、二人でのお茶会が再開されるようになった。
学園でも最終学年になり学業や行事で忙しく、卒業して一年後には僕たちの結婚式も控えているため、王子妃教育も佳境に入っているのだろう、二人きりになった時のバイオレットはいつも疲れているように見えた。
もちろん、彼女が僕に弱音を吐いたりすることはないが、もともとほっそりとした体型がさらに痩せ、目の下にも薄っすらと隈ができている。「大丈夫?」と問いかけても、気が付くと巧みに違う回答が返ってくる。座ってゆっくりとお茶をする時間も惜しいようで、もっと勉強がしたい、教師の発言の裏付けがほしい、と共に過ごす時間は城の中の図書室に向かうことも多くなった。
図書室の奥には、王家の者しか閲覧できない貴重な書物を保管している部屋がある。僕はちょっと格好つけてバイオレットにその部屋の在処を教えて、彼女を連れて行った。
そこは隠し扉の奥にあり、その部屋の鍵は王と王妃、そして第一王子である僕しか持っていない。バイオレットもいずれ僕の妻になり、僕が王になったら王妃となり、ここの鍵を手に入れることになる。だから遅かれ早かれ、彼女はいつかこの部屋に入る権利を得るのだから、構わないと思った。
彼女はその部屋にいたく感動し、気に入ってくれたようで、それからは二人で会うときはほぼ毎回、その部屋の入室をねだられた。
バイオレットからなにかお願いをされるなんて、これまでには無かったことなので、僕は嬉しくて何度だってその望みを叶る。
夢中でそこにある本を読む彼女は、王子妃教育に熱心に取り組んでくれているのだと、嬉しくもあった。
◇◇◇
バイオレットと僕は表面上の関係とはいえ、上手くいっていると思っていた。
久しぶりに図書室ではなく二人でお茶を飲みたい、と言われ、喜んで向かったサロンで、彼女は僕に別れを告げた。
すぐに王家の侍医を呼び、診察をしてもらうも、ただ眠っているようだ。としか答えない。すでに三日もその状態が続いていたが、彼女は目覚める気配はない。
バイオレットは一年後に息を引き取る、と言っていた。
嫌な考えが頭に浮かぶ。王家には死の時期を選べる薬が存在する。
それは魔法を使った貴重な薬で、処方箋は王家お抱えの魔法師団の治癒部のトップにしか伝えられてないという。その薬は飲むと静かに眠りにつき、死の時まで静かに生かされる。その時期がくると、ただ呼吸をしなくなり、命の炎が消えるのだ。
もともとは政治的な関係で死の時期を決められる薬として開発されたらしいが、ここ数世代の平和な世では、死を恐れる王族が安らかに逝けるように使用されることが多かったようだ。さすが僕の先祖だけあり臆病だな、と笑ってしまう。
この薬についてはバイオレットにはまだ伝えられていないはずだ。結婚して、正式に王家の一員になってから伝えらえれる事柄の一つであるはずなのだ。
だが、安らかに眠る様子、一年後と期限を告げたこと、これは疑いようがないのでは。しかしそうだとすると、彼女は確実に死んでしまうだろう。
僕は最低限の公務だけをこなし、目が覚めない彼女の傍から離れることができない。
目覚めないバイオレットを僕の部屋の隣に移した。将来は僕の妃になるのだから、なんの問題もないだろう。可愛らしい色合いの、可愛らしい家具の、僕が用意させた未来のきみの部屋。
目を閉じて呼吸をしているだけなのに、なんて美しいのだろう。僕はやっときみを手にいれたのだろうか。仄かな喜びがそこにはあった。しかし、僕が死を迎えるまで、彼女が息をしてくれていればよいが、そうではないのならば、僕はどんなに辛くても彼女に生きていてほしい。僕の隣にいてほしい。
意を決して、父上に、陛下に相談することにした。彼女のこの状況は王家にしか伝わらない秘薬のせいであるかもしれないことを。
陛下は第一王子の婚約者が倒れたことはもちろん知っていたが、まさか秘薬を服用したとは考えておらず、驚いていた。
しかし、彼女の言葉と現状を伝えると、魔法師団の治癒部のトップであるセドリック魔法師に彼女を診てもらえることになった。
「これは、確かに王家に伝わる薬の症状です。ただ眠っているだけに見えますが、体中に魔力が巡っている。この魔力が途切れる時、呼吸を止めるでしょう」
「まさか、本当に秘薬を飲んだとは……」
陛下はしばし絶句していた。
「アルフォンス、お前はバイオレット嬢に薬の話をしたことは?」
「いいえ、ありません。もしも話をしたとしても、僕ではその薬を手に入れることは出来ません」
陛下は難しい顔をして考え込む。秘薬は作り置きなど存在せず、必要な時に必要なだけ、そっと作られ服用される物なのだ。第一王子である僕は、その存在を知ってこそいれど、手に入れることはできない。
「魔法師団でこの薬の処方を知る者は?」
「現在この処方を知る者はわたしただ一人、数年以内に弟子に引き継ぐつもりではありますが。もちろん、わたしは調剤した覚えはありません」
現状、薬を調剤できるたった一人であるセドリック魔法師が顔を青くして首を横に振る。
「ふむ。バイオレットがどのようにしてこの薬を知り、手に入れたか知る必要があるな。それとは別に、この薬の解毒薬は作れるか?」
「いえ、処方箋を見て調剤することは可能ですが、正直わたしの実力ではそこまでです」
魔法師団の治癒部のトップである彼がそう言うのであれば、我が国ではもう、解毒薬を作ることはできないのか。彼女がただ死に行くまで、見ているだけしかできないなんて、絶望が込み上げてくる。
「しかし、もしかすれば、魔法師デュウであれば、万が一……」
魔法師デュウとは、この国トップの魔法使いながら王家の所属にはならず、魔法使いが必ず所属しなければならない魔法師協会のみに籍を置いているという不思議な存在だ。
ある時から突然名を聞くようになり、彼の発表した新しい魔法論理、魔道具の発明や解明した古代魔法、密かに事件の解決に手を貸しているらしいことも噂で聞くが、その姿を知る者はいないという。
「どんな要望でものむ、だから、どうか魔法師デュウにバイオレットを診てもらうことはできないだろうか」
きっとそれがバイオレットの生へと繋がる最後の望み。僕は必死に願い、できるかわからないが、連絡がとれるかやってみてくれる、というセドリック魔法師の返答を得た。
バイオレットがその薬の存在を知り、手に入れた経路の調査と並行して、魔法師デュウへの依頼も進めてもらう。
彼女が倒れて一月ほどたつ頃、魔法師デュウがバイオレットを診てくれるとの朗報が入った。
バイオレットが目を覚ましてくれるなら、僕はなんだってするだろう。
金も栄誉もいらない。こんなにこだわっていた第一王子の地位を捨ててもいい。
ああ、そうだ、僕はおこがましくも彼女を選んだけれど、僕が何者でもなくても、僕は君に僕を選んでほしい。
バイオレット、きみが目を覚ましてくれたら、僕はきみに選んでもらえる僕になりたい。
バイオレット、僕は君に話したいことがたくさんあるんだ。
僕が彼女への想いを固めていた頃、きみは何を思っていたのだろう。
僕の部屋の隣、将来は王子妃の部屋となるそこに寝かされたバイオレットの元に、ついに魔法師デュウが訪れることになった。
彼は輝く雪原のような銀色の髪を後ろで一つに結び、いつものように慇懃無礼な態度で僕に一礼をした。
「きみが、デュウ……?」
思いもよらない人物の登場に、僕の頭は真っ白になった。
バイオレット、きみは彼の正体を知っていた……?
数ある作品の中から見つけてくださり、読んでくださり、ありがとうございます。
評価、ブックマークもとても嬉しいです。




