バイオレット・ネイバー公爵令嬢 ー眠りにつくまでー
4話で完結の予定です。よろしくお願いします。
バイオレット・ネイバー公爵令嬢が突然倒れ、それから一度も目覚めず意識不明であるとの噂が流れた。
それは始め、ほんの小さな声で囁かれていたが、瞬く間に国中に知れ渡り、まるでランチの人気メニュー程度の気軽さで人の口に上るようになった。
「王太子の婚約者様が倒れて目を覚まさないって話、聞いたか?」
「婚約者って悪役令嬢って言われてた人だよな」
「その悪役令嬢が倒れたのってお城の王太子の部屋だってよ」
「王太子って、隣国の留学生にご執心て噂なかったっけ?」
「誰かに薬でも盛られたって話だぜ。誰かって怖い怖い」
わたしはその噂話を知らない。
というのも、わたしが王太子殿下の婚約者、バイオレット・ネイバー本人だから。
王城の一室で倒れて、そのまま眠り続けている間にそんな噂が世間に出回っていたなんて計算違い。
わたしは自分の意思で自分を殺したの。
なぜかっていうと、それはね……
◇◇◇
わたしは11歳のとき、同い年のアルフォンス殿下と婚約した。
何事も熟考するタイプの殿下はなかなか婚約者をお決めにならなかったのだけれど、貴族は12歳になった年から三年間学園に通わなければならない。
婚約者のいない金髪碧眼の見目麗しい第一王子殿下を学園に放り込んだら、それはそれは恐ろしい婚活サバイバルにハニートラップが待っているでしょうから、否が応でもその前に婚約者を決めなければならなかった。
そうして、何年も前から婚約者候補筆頭と言われていたネイバー公爵家の令嬢であるわたしが選ばれた。年も身分もちょうどよかったからね。
穏やかな殿下と気の強いわたしとは、あんがい相性がよくて、彼の気性に引っ張られて良好な関係を築いていった。
わたしたちが学園の二年生になった頃、海をまたいだ遠いリユウトという小さな国と友好条約が結ばれた。
それに伴い、これまでほとんど国交のなかったリユウト国から次の春には学園に留学生を迎えることになった。
アルフォンス殿下が在学中ということもあり、学園での責任者に殿下が任命されて受け入れ準備から関わり、毎日とても忙しそう。
わたしは学園の休みには登城し王子妃教育を受け、その後は毎回殿下とお茶の時間があったのだけれど、それも三回に一回程度しか設けられなくなった。
「バイオレット、今は受け入れ準備でなかなか時間を取れなくて申し訳ない」
やっとお会いできた、と思ったアルフォンス殿下はしょんぼりと頭を下げてくださる。
目の下に隈があるじゃない。顔色も少し冴えない。
これまでも公務には携わっていらしゃったけれど、まだ学生なこともあり、そのほとんどが慰問や行事への参加など単発的なものばかりだったものね。
実質今回が初めて準備段階から関わる公務。責任感の強い殿下は色々抱えこんだり考えすぎたりしているのかもしれないわ。
「アルフォンス殿下、わたしのことはどうぞお気になさらず。落ち着くまではしばらくはお茶会は止めておきましょう」
殿下は「え?」という顔をしていたけれど、彼は義理堅いから婚約者との義務のお茶会の時間を削るなんて思いつきもしなかったのでしょう。
わたしとのんきにお茶をする時間があったら少しでもお身体を休めていただきたいものね。
三年生に上がり、六人の留学生が学園に迎え入れられた。
この国を始め、近隣国も君主制をとっている中で馴染みのない民主制のリユウト国からの留学生であったが、殿下の尽力もあり、大きな混乱もなく学園は慌ただしくも日常を取り戻そうとしていた。
学園の敷地は広い。
その中でも別棟にある図書館のさらに奥にある芝生の上でわたしは読書をしていた。
教師の都合で急に授業が自習になったので、教室を抜け出したのだ。
ここは本来は図書館を利用する人向けのピクニックエリアだと思うのだけど、誰も図書館の奥までわざわざやってこないし本館からも遠い穴場の休憩場所。
「バイオレットさぁ、悪役令嬢って言われてるの知ってる?」
行儀悪く寝転んだわたしの髪をもてあそぶのは幼い頃からの友人ジワラット。クローレ伯爵家の三男だ。
「殿下がお世話している留学生のチャリタナ様にいじわるした、から始まるあれでしょ。知っているわ」
芝生の上にうつ伏せに寝転んで行儀悪く読書をしているわたしの髪は豪奢な金色の巻き毛で、青い切れ長の目はちょっとつり目だし、背も標準より少し高め。
見た目が物語に出てくるライバル役みたいだし、公爵令嬢であるわたしはプライドが高く、自分に厳しい分相手にも厳しいから、時々きつい言い方をしてしまうことだってあるもの。
第一王子殿下の婚約者ってだけでやっかみの対象にはなるけれど、これまでは公爵令嬢という高い身分から公に態度に出すものはいなかった。
それが、留学生を学園に迎えてからというもの、アルフォンス殿下は留学生の一人であるチャリタナ様につきっきりなのである。
周囲の人間は誰しもが王子の心変わりだと思うだろう。
第一王子アルフォンスとバイオレット公爵令嬢の婚約はしょせん政略で決められたもので、王子は真実の愛に目覚めたのだろう、と。
チャリタナ様の見た目が薄桃色のふわふわの髪に、翡翠色の大きな瞳、小柄で守りたくなるような、まさにヒロイン!という感じなのも要因の一つなのかもしれないけれど。
「食堂でマナーを注意しただけなのに、アルフォンス殿下が他の女生徒と食事をしていることに文句を言った、てなってるの、なんでかしらね?」
「殿下の側近も他の留学生も一緒にテーブルを囲んでいたしね。食事のマナーだってこの国の一般的な常識を教えただけだったね」
寝そべったわたしの横に座って、膝の上に置いた本から目線を上げないままジワラットはまだわたしの金色の髪を指にくるくると巻き付けて遊んでいる。
「それだって、留学生の子がよそで恥をかかないように教えてあげたわけでしょ」
リユウト国とは食文化が異なり、当たり前だが作法が異なる部分があった。
その一つが、パンの食べ方だ。
サンドウィッチなどそのまま齧り付くことを前提としたもの以外は、基本的に一口大にちぎって食べるそれを、留学生たちは手に持った大きなパンにそのまま齧り付いていたのだ。
学園という小さな庭の中でならそれは許されるでしょうけど、彼らは今後この国で交流会などの名目で貴族たちと食事をすることも増えるだろう。
そんな時にこの国のマナーを一切無視した姿勢で食事をしたらどうだろうか。
リユウト国の食事作法を知らなかった場合は体面を重視する貴族にとっては侮辱されたと憤る者も出てくるかもしれない。
どこで足元をすくわれるかわからないのだ。気を付けておくに越したことはない。
「そんなの世話係の殿下が教えてあげなくちゃいけないことなのに、バイオレットは優しいよね」
太陽の光を受けて輝く銀髪は晴れた日の雪原のように眩しい。
ジワラットは絹糸のような美しい銀色の髪を後ろで一本に結んでいる。
琥珀色の瞳がわたしの青い瞳をとらえ、いつものようにわたしに問いかけた。
「ねぇ、俺になにかしてほしいことはある?」
幼馴染のこの男はすぐにわたしを甘やかそうとしてくる。
本来なら婚約者のいるわたしが、幼馴染とはいえ男性と二人きりで過ごすことは良いことではない。
しかし、代々騎士家であるジワラットの生家クローレ家と我がネイバー公爵家は蜜な関係にあり、我が家の護衛全般はクローレ家に任されているため、正式にではないが、三男のジワラットはわたしの護衛的な立場として世間では見られているのだ。
幼い頃から一緒に過ごしていたわたしたちは兄妹のように仲がよく、五人兄弟のジワラットは家族に接するような気やすさでわたしに触れてくる。
何度か注意したが癖になってしまって直らないので、彼と二人で過ごすときは自然と人目につかない場所を選んでしまう。
公爵令嬢で殿下の婚約者という立場のため、常に人目にさらされて気疲れてしまうわたしには心安らぐ時間だ。
「これ以上あなたのお世話になったらわたしは女生徒から嫉妬の炎で焼かれてしまうわ」
するり、と彼の手から髪が離れるように寝返りをうつ。
騎士を生業とする家で育ち、剣を扱うことに慣れたこの男はすらりと高い背に無駄のない筋肉をつけ、顔立ちも美しく整っている。
絵本から飛び出てきた王子様のごとし殿下ほどではないが、ジワラットも女性から人気が高い。
伯爵家の三男で爵位は持たないが、入り婿としても良い人材といえる。
一見すると冷たそうなこのキレイな顔がふとした時に表情を緩ませると、それはもうご褒美を与えられたかのような喜びになる。
なんてお得な顔なのかしら。
わたしだって冷たそう、きつそう、てよく陰で言われているけど、笑ったところで悪役令嬢の微笑み、とか何か企んでる、て言われるのはどうしてなの。
ふと、彼の手元に目がいく。
専門的過ぎてなんの内容が書かれているかさっぱりわからないが、それは魔法書だった。
騎士家に生まれながら、彼は魔法が好きだ。
本来なら貴族の通う学園ではなく、魔法院へ進み、魔法を学びたかっただろうに。
人生とはままならない。
「そろそろ次の授業の時間ね、行きましょう」
立ち上がりスカートについた草を払っていると、ジワラットが背中についた草をパタパタと叩くように払ってくれる。
「次は社交ダンスだね。一緒に踊れるといいな」
「ジワラットとなら慣れているからいいんだけれど、どうかしらね」
社交ダンスの授業は前半は基本のステップなどを学び、後半は男女ペアを組み実際に踊ってみる、という流れだ。
好きな者同士で、というのは身分差や好き嫌いなどでうまくいかない場合もあるからか、たいていは背の順だったり、教室の席順だったりと教師が指示を出してくれる。
留学生が来てから初めての社交ダンスの時間、わたしたちのクラスには男子と女子が一人ずつ留学生がいた。
おそらく男子留学生はわたしが、女子留学生はアルフォンス殿下がパートナーを務めることになるだろう。
理由は単純に公人である殿下とそれに準じるわたしは社交ダンスの基礎がしっかりと身についており、素人相手でも問題なくこなせるから。
広いフローリングにピアノが設置されたレッスン室へ入ると、クラスメイトがザワザワと落ち着かない雰囲気だ。
好きな異性と触れ合えるかもしれないダンスの時間はいつも皆少し高揚しているけれど、いつものそれともどこか違う。
不思議に思いフロアを見回すと「あ」と声が出そうになった。
フロアの隅に置いてある休憩用の椅子から大判のタオルをつかみ取り、足早に女子留学生の元へ向かった。
「チャリタナ様、失礼いたしますわね」
相手の了解も得ず、彼女の腰にサッとタオルを巻き付け落ちてこないようにギュッと結ぶ。
「社交ダンスでは裾が長いドレスで踊るのが一般的ですの。ドレスの裾さばきもダンスの練習の一つですわ」
大判のタオルがあってよかったが、それでもふくらはぎまでしか隠れない。
「そうでしたか。そうとは知らず動きやすい格好をしてきてしまいました」
照れたように笑うチャリタナ様は上衣は肌着のようなシャツに下衣は膝上の短いズボンを身に着けていた。
我が国は乗馬をする時などを除いて女性は足首まで隠れるスカートを履くのが一般的だ。動きやすさを求める庶民でさえ短くても足首が出る程度、決してふくらはぎ以上は人目にさらさない。
足首より上を出しているのはいわゆる夜の商売をしている女性くらいだ。
「動きやすい社交ダンスのレッスン専用ドレスもあるのですよ」
わたしは自分の着用しているドレスのスカートを少し持ち上げて示す。
夜会で着用するスタンダードな形だが飾りなどはなくシンプルで踊った時にスカートの裾がキレイに翻るように作られている。
「では次回までにレッスン用ドレスをこちらで準備しましょう」
いつの間にかわたしの隣に立ったアルフォンス殿下がそうおっしゃったことで場は落ち着き、スムーズに授業へと移行した。
「今度は社交ダンスの授業に短いスカート履いてきたチャリタナ嬢に『なんてはしたないのかしら!?』て言いながらタオル投げつけて高笑いしたけど、殿下が『彼女の国には社交ダンスはなかったから仕方がないんだ。僕がきみに似合うドレスを贈ろう』てチャリタナ嬢と見つめ合って授業中はずっと二人で踊っていたんだって?」
学園の授業が終わり、帰宅するために待ってくれている馬車へ向かっていつものようにジワラットと歩いていた。
「……あなたも同じ場所にいたでしょう?」
大きな流れとしては合っているが、誰かの主観が入りすぎている。曲解が凄いわ。
膝より下を大胆に出したチャリタナ様を「はしたない」と感じた者があの中にはいたのだろう。
おそらく国で準備するという意味で言った殿下の「こちらでドレスを準備する」という発言をアルフォンス殿下が自らドレスを贈る、と捉えた者もいたのだろう。
そして授業時間いっぱい、殿下はチャリタナ様につきっきりで教えて差し上げていた。
わたしももう一人の男子留学生の相手を授業時間いっぱい務めたが、そこにはジワラットも側につき、男性パートの指導を一緒にしてくれた。
事実が少しずつ捻じ曲げられて、わたしはどんどん悪役令嬢になっていく。
「バイオレット!」
振り向くとアルフォンス殿下がこちらへ向かって歩いて来ていた。
「アルフォンス殿下、どうなさいました?」
「今日はこれから時間はある?もしよかったら、買い物につきあってほしくて」
「中央街ですか?ええ、大丈夫ですよ」
了承の意を伝えると、殿下はほっとしたように微笑んで、わたしをエスコートするために手を差し出してくれた。
「では、僕の馬車で移動しよう。ジワラット、悪いがネイバー家へバイオレットは夕食までには送り届けると伝えてくれるかい?」
「かしこまりました、殿下」
ジワラットはわたしへの軽い態度とは大違いのかしこまった様子で殿下の言伝を受けた。
わたしは殿下の手を取り、ジワラットに背を向ける。
「殿下、なんのお買い物をなさるの?」
「チャリタナ嬢のレッスン用ドレスを一緒に選んでほしくて」
はにかむアルフォンス殿下に思ったわ。
自分で選べ、もしくは部下に頼んでって。
そうして三ヶ月ほど月日は流れ、わたしはますます悪役令嬢として名を馳せていた。
殿下の想い人に嫉妬をして、彼女に殿下に近付かないように言ったとか、罵詈雑言並べ立てて罵ったとか、彼女の教科書を破いたとか、階段から彼女を突き落としたとか。
悪役令嬢としてのテンプレな噂が次々と流され、それは学園内に留まらず、今や街でも囁かれるほどになっていた。
好奇の目に晒され、悪女と陰で言われ、もう学園ではわたしとまともに付き合ってくれるのは幼馴染のジワラットだけになっていた。
割りきっていたつもりであったけれど、15歳の少女であるわたしはそんなに強くなかった。
いつ心が壊れてもおかしくないな、と思いながらも公爵令嬢の意地か殿下の婚約者としてのプライドか、休まずに学園に通っていた。
学園に行けばチャリタナ様に寄り添うアルフォンス殿下が視界に入る。視界に入らなくとも周囲からは雑音のように二人の仲睦まじさが聞こえてくる。
婚約者として彼に情はあった。
この気持ちがいずれ異性への、もしくは家族としての愛情に変わっていくのだろうと思っていたけれど。
気持ちが育ちきるより先に、わたしは堕ちていった。
留学生を迎えてからは休止されていた王子妃教育後のお茶会。
本日は久しぶりにアルフォンス殿下のお時間がとれるということで、席が準備された。
「妃教育の調子はどう?バイオレットは優秀だけど、学園が休みの日に毎回王城に来ていては疲れてしまわないかい?」
えーと、それはわたしに王子妃教育はもうやらなくていいよ、だって僕にはチャリタナがいるから。てことでしょうか?
思考が悪いほうにしか向かないけれど、それを態度に出さないのが淑女というもの。
「お忙しい殿下にお気遣いいただけるなんて、光栄ですわ。最近は王家の歴史を学んでおりますの。教師から語られる内容は、書籍に残されている史実と異なる部分もありとても興味深いですわ」
「書に残す物は精査されているからね。後世に語り継ぐのに不適切な部分は省略されることも出て来てしまうようだ」
つまり、王家のいいように改ざんされているということですね。
「教師から聞く歴代の王族の方々のお話は血が通っていて、歴史書を読むよりも深く心に沁みてまいります。それにしても、王家の方々は眠るように亡くなっている方が多いようですけれど、やはり健康に気を使われているからこそ、大きな病気など患われないのでしょうか?」
「もちろん健康も大事だし優秀な侍医も抱えているけれど、一番は我々が臆病だから安らかに眠るようにいきたいからかな。王族故に死すらタイミングを選ばなければならない時もあるしね」
「臆病だなんて。殿下も最期のときを考えることなんてあるんですの?」
「僕は酷く臆病だよ、バイオレット。できれば生涯の伴侶と同じ時に眠りにつきたいな。一人にはなりたくないし、相手を一人にもしたくはない」
アルフォンス殿下は、チャリタナ様と親しくなってから未来の自分の妻を「妃」ではなく「伴侶」と表現するようになっていた。
彼女の国が民主制だからか、彼女を正妃以外の側妃や愛妾とするおつもりなのかはわからないけれど。いずれにしても、わたしではないことは確かだろう。わたしはわたしの心が冷えていくのがわかる。
しかし、王族の人間が安らかに眠ると残されているのは、王族故に悲惨な死に方をする者が多く、意図的に改ざんされていると思っていたけれど、殿下の口ぶりではまるで意図的に安らかに眠った。しかも死の時期すらコントロールできるというように聞こえた。それは自害をする場合もあるともとれるけれど、なんだか気になる言い方ね。
国史の授業が終わり、ガタガタと椅子を鳴らし皆が立ち上がる中、教師が言った。
「集めたノートと今日使った資料、準備室まで運んでおいて。量が多いからそこの二人。よろしくね」
そこの二人とは、たまたま教師の近くにいたわたくしとチャリタナ様だった。
生徒の名前もうろ覚えで人間に興味ありません、というタイプの教師だな、とは思っていたが、なかなか最悪な事態を招いてくれた。
しかし、表面上わたしたちの間には何も問題はない。
「こちらを持ちますわね」
さりげなく持ちづらい長い筒状の資料を取り、チャリタナ様にノートを持つように促す。
「もうこちらでの生活には慣れましたか?」
この国に留学してすでに三ヶ月以上は経つので今さらな気もするが、会話をしないのも気まずい。
「はい。アルを始め、皆様には大変良くしていただいて楽しく過ごしています」
彼女はアルフォンス殿下を愛称で呼んでいるらしい。二人きりの時だけならまだしも、彼の婚約者であるわたしに向かって言うのは非常識であると思うが、何事も平等を謳う彼らの国では当たり前のことなのかもしれない。
「アルフォンス殿下はあなた方をお迎えするのに寝る間も惜しんで準備されていましたものね」
「まぁ、そうでしたか。それはとても嬉しいです。アルと話をするのはとても楽しくて、何時間でも話していられます」
少し嫌味っぽい言い回しになってしまったかと思ったが、それどころではないカウンターを返された。
「殿下の身分ですと、なかなか気軽に外国に行くこともできず、他国のお話は物珍しいのでしょうね」
「アルはいつかリユウト国に来てみたい、と言ってくれました。それに他国も見て回りたいと。一緒に色んな国々を見て回れたら楽しいでしょうね。まずはわたしの国に来ていただいたら見せたい景色や連れて行きたい場所がたくさんあります」
雑談をしながら教科準備室に荷物を届け終わり、笑顔でチャリタナ様と別れる。
先ほどのチャリタナ様の言葉にわたしは酷く衝撃を受けていた。
アルフォンス殿下がチャリタナ様とリユウト国へ行きたいと言った。それは旅行だろうか、それとも国を捨てるということだろうか。
旅行だとしても、婚約者であるわたしを置いて他の女性と他国へ行かれるだなんて、それはそういうことだろう。
つまり、王子妃となるべく日々教育を受け、日々学園での屈辱に耐えているわたしをこの国に捨てていくおつもりなのですね。
お優しい殿下といえど、恋に夢中で残されたわたしがどんな目にあうか想像もされないのでしょうか。
わたしの心には深々と雪が積もるように冷たいなにかが積み重ねられていった。雪が溶けるより早く次の雪が降り、重く固い雪のような冷えた感情がわたしの中で氷になっていく。
わたしは心の中でずっと考えていたことを実現しようと思う。
「ジワラット、お願いがあるの」
優しくてわたしのことが大好きな幼馴染の彼に残酷なお願いをした。
彼は魔法が大好きで魔法使いの知り合いもいるようだ。天才魔法師と言われるが世間に顔を見せないことで有名なデュウのことでさえ、知り合いなのでは?という素振りを見せる。
だから、お願いした。
王族にしか伝わらない苦しまずに死ねる、息を引き取る時期を調整できる魔法を使わないと調剤できない秘薬を。
処方箋は王族のみ閲覧できる資料室からこっそり見つけて書き写した。
それを渡して「一年後に息を引き取る薬をちょうだい」と笑顔でお願いした。
彼が用意してくれたこの薬が本物でなくてもいい。
優しい彼がわたしのために用意してくれた薬で逝けるのなら、それでいいの。
最後のお願いがとてもヒドイことだとわかっているの。でも貴方しか頼る人がいないの。幼馴染でずっと傍にいて、わたしを心配してくれた人。
これからは自由になって。好きなことをして、好きな人に会って。人生を楽しんで、わたしの分まで。
さようならジワラット
さようならアルフォンス殿下
わたしはわたしを殺すわ
数ある作品の中から見つけてくださり、読んでくださり、ありがとうございます。
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