【短編】捨てられた邪気食い聖女は、血まみれ公爵様に溺愛される【連載版スタートしました】
エステルは、目の前にいる偉そうな青年を、黒いベール越しに見つめていた。
神殿内で聖女の祈りに向かう途中、この青年に通せんぼするように、回廊をふさがれてしまって困っている。
金髪碧眼の青年は、どこかで見たことがあるような気がするけど、だれだったのか思い出せない。
とても高そうな服を着ているし、態度がとにかく偉そうなので、たぶん偉い人だと思う。
(この方、どこのだれだったかしら?)
そんなことを考えていると、偉そうな青年は、いきなりエステルが顔を隠すためにつけている黒いベールをはぎとった。
「あいかわらず、醜い姿だな」
エステルは、その言葉でこの青年がだれだかやっと思い出せた。
「……第三王子のオグマート殿下」
数年前に、オグマートに初めて出会ったときも、同じ言葉を吐き捨てるように言われたので、さすがに覚えている。
「名前を呼ぶな。穢れが移る」
オグマートの嫌悪を浮かべた瞳には、邪気の影響で黒い文様が皮膚に浮かび上がったエステルの姿が映っていた。
「どうして、おまえが私の婚約者なんだ?」
そんなことをいわれても、エステルだって好きでオグマートの婚約者になったわけではない。
(聖女は家のためにやっているけど……)
エステルの家は、貴族とは名ばかりの貧乏男爵家だった。ある日、エステルに邪気を払う力があることがわかり、家族が止めるのも聞かず迷わず聖女になった。
なぜなら、聖女には、国と神殿から多額の援助金がもらえるから。そのお金があれば、大好きな家族は楽な暮らしができるようになる。
問題は、この国唯一の聖女になってしまったことで、王族と無理やり婚約させられてしまったことだ。
エステルだって、王子様にそれなりの幻想を持っていたけど、オグマートに会ったとたんに幻想は音を立てて崩れ去った。
でも、オグマートの気持ちもわかる。
エステルはそっと邪気に蝕まれた自分の手を見た。
邪気を浄化することができる聖女の力はさまざまで、歴代聖女達は、それぞれ異なった方法で邪気を浄化してきた。
過去には、手をかざすだけで邪気を浄化したり、歌で邪気を浄化したりする聖女もいた。
でも、エステルの力は『邪気を自らの身に取り込んで浄化する』というものだった。そのせいで、体中に禍々しい黒文様が広がっている。最近はよりひどく顔にまで文様が出てきてしまったので、ベールで顔を隠して過ごしていた。
(だれだって、こんな邪気まみれの婚約者、嫌だもの)
神殿に来たときに見たことがあるけど、第一王子と第二王子の婚約者は、どちらもとても美しい令嬢だった。
だから、その当時、『まだ婚約者がいない』という理由だけで、醜い邪気食い聖女を押しつけられてしまったオグマートのことは、エステルも可哀想だと思っている。
エステルは、オグマートに深く頭を下げた。
「お見苦しいものをお見せして、申し訳ありません」
フンッと鼻で笑ったオグマートは、奪い取ったベールをエステルに投げつけた。
「おまえとの関係は今日までだ。この国に新しい聖女が現れた」
初耳だった。
「そうなのですか?」
王都の邪気は増える一方なので、聖女が増えることはとても嬉しい。
「そうだ。邪気食いのおまえとは違い、新しい聖女は手をかざすだけで邪気を浄化できる。おまえはお払い箱だ」
「そんな……」
聖女を辞めさせられると、実家が援助金を貰えなくなってしまう。
オグマートは、エステルの動揺を見て満足そうに笑った。
「もちろん、私とおまえの婚約も破棄だ!」
(それは別にいいんですけど……)
オグマートは、急にうっとりとした表情を浮かべて語りだした。
「新しい聖女は美しい上に、侯爵令嬢だ。彼女こそ、私の婚約者にふさわしい。おまえとは大違いだ」
「……私は、どうなるのでしょうか?」
遠慮がちに尋ねると、オグマートはエステルを見下すように笑った。
「言っただろう? おまえはもういらないんだ」
援助金がないとエステルの家はやっていけない。
(もうすぐ弟がアカデミーに入学するし、妹のデビュタントも控えているのに……)
エステルは、オグマートにすがるような瞳を向けた。
「殿下、どうかご慈悲を……」
「ふーん、そうだな。そこまでいうなら、再就職先を紹介してやろう」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ、おまえに似合いの醜い男がいる。そいつの元で下働きでもなんでもするがいい」
「あ、ありがとうございます!」
「私から連絡してやろう。馬車も手配しておいてやる。だから、今すぐ私の前から消え失せろ!」
「はい!」
オグマートに深く頭を下げると、エステルはベールをかぶり直した。そして、急いで自室に戻り荷物をまとめる。
神殿の馬車置き場に行くと、御者が「オグマート殿下からお話を聞いています」と言って馬車に乗せてくれた。
「この馬車は、どこに向かうのですか?」
エステルがそう尋ねると、御者は「聞いていないんですか?」と驚く。
「オグマート殿下より、聖女様を急ぎフリーベイン公爵領にお連れするようにと言われております」
「フリーベイン公爵領……」
たしか、国境付近にある領地で、邪気が濃く魔物が出るといわれている。その土地を治めるフリーベイン公爵は、残虐非道だそうで『血まみれ公爵』と呼ばれていた。
(血まみれ……でもまぁ、私も邪気食い聖女なんて呼ばれているし、お仕えするにはちょうど良いかも?)
もし、フリーベイン公爵が本当に非道な行いをしているのなら、だれかが止めなければいけない。それに、魔物が出るような危ないところなら、聖女の力も必要としてもらえそうだ。
エステルは「よろしくお願いします」と御者に深く頭を下げた。
*
それから数日後。
途中で馬車から荷馬車に乗り換えて、エステルの旅は続いていた。
のどかな風景に思わずあくびが出てしまう。ポカポカな陽気が心地好い。
王都を包み込むように存在していた邪気をもう浄化する必要はない。邪気食いをしないおかげで、身体の調子がいつもより良い気がする。
それでも念のために黒ベールで顔を隠しておいた。
邪気の象徴であるこの文様は、人々を怖がらせてしまうから。
(オグマート殿下には嫌われてしまったけど、フリーベイン公爵領では、上手くやっていかないと……)
エステルがそんなことを考えながら荷馬車に揺られていると、ドドドッという地鳴りが聞こえてきた。
荷馬車の御者が「な、なんだ、ありゃ!?」と声を上げている。視線を追うと遠くで土煙が上がっていて、それがすごい勢いでこちらに近づいてきた。
土煙を上げていたのは立派な騎馬隊で、あっという間に荷馬車は騎馬隊に取り囲まれてしまった。
「ひ、ひぇえ」と悲鳴をあげる御者をかばうように、エステルは荷馬車から降りた。
「これは何事ですか?」
そう問うと、騎士たちは一斉に馬から降りて地面に片膝をつく。
「聖女エステル様ですね? 我らはフリーベイン公爵家の騎士です。エステル様をお迎えに上がりました」
「わ、私を?」
驚いている間にエステルは、騎士達に「どうぞ、こちらへ」と豪華な馬車に移された。
「聖女様、荷物はこれだけですか?」
「あ、はい」
女性騎士がエステルの持ってきたカバンを馬車内に運んでくれる。エステルのあとをつづくように一緒の馬車に乗りこんだ女性騎士は『キリア』と名乗った。
「これから聖女様の護衛にあたらせていただきます」
「ご、護衛ですか?」
「王都では護衛はつきませんでしたか?」
「はい、私は神殿内にずっといたので……」
キリアは「では、慣れないかもしれませんが、ここは王都と違い危ないので、どうか私を護衛としてお側に置いてください」と頭を下げる。
「ええ!? そんなっ、私のほうこそよろしくお願いいたします」
エステルもあわてて頭を下げると顔を隠していたベールがずれてしまう。視線が合ったキリアはポカンと口を開けた。
「み、見えましたか?」
「……あ、はい」
ベールで隠していた禍々しい黒文様を見られてしまった。
「すみません……」
「いえ、こちらこそ」
ふぅとため息をついたキリアは「公爵閣下は、エステル様のような方を婚約者にできて幸せですね」となぜか微笑んだ。
「……え? 今、なんて?」
「はい、公爵閣下は幸せ者だと」
「いえ、その少し前です」
「あ、エステル様のような方を『婚約者』にできて……ですか?」
「んん?」
聞き間違いでなければ、公爵の婚約者になったと言われている。
「私が、公爵様の婚約者、ですか?」
「はい、そうです」
「あの、私はフリーベイン公爵領の下働きとしてここに来ました」
「下働き……ええっ!? しかし、オグマート殿下から公爵閣下にたしかに連絡が!」
キリアがいうには、オグマートから公爵宛に手紙が届いたそうだ。
その内容は『いらなくなった婚約者をおまえにくれてやる』だった。
「だから、エステル様は、公爵閣下の婚約者様になられたのですよね?」
「あ、あー……」
オグマートがいい加減な手紙を送ったせいで、だいぶ誤解をさせてしまっている。
オグマートは『エステルはいらないから、おまえにやる。好きにしろ』という意味で手紙を送ったのに、受け取った公爵は『いらなくなったエステルをおまえの婚約者として与える』という意味で受け取ってしまっている。
(これはなんというか、大変な誤解を……)
公爵も『聖女』と呼ばれている女性は、きっと美人だと思っているはず。
(ど、どうしましょう……。こんな私が婚約者だなんて、公爵様も嫌がるわ)
悩んでも仕方がないので、公爵に会って直接誤解を解くしかない。
(謝っても許してもらえず、追い出されるかも……? はぁ、再就職は、前途多難だわ)
それからさらに数日後、エステルを乗せた馬車は、ようやくフリーベイン公爵領にたどり着いた。
馬車の中から見える風景は、とても牧歌的だった。たくさんの羊がのんびりと草をはみ、その横で羊飼いの少年が歌っている。
(フリーベイン公爵領は、危ないところだと聞いていたけど、のどかそうね)
興味津々のエステルに、護衛騎士のキリアは「何もないところでしょう?」と微笑みかけた。
「いいえ、とても住みやすそうなところですね。魔物が出ると聞いていたのですが、ただのウワサだったようです」
平和なことは良いことだけど、平和な場所には聖女の仕事はないかもしれない。エステルが不安に思っていると、キリアは深刻な顔をした。
「いいえ、魔物は出ます」
「出るんですか!?」
喜ぶことではないけど、仕事があるかもしれないとつい喜んでしまう。
「ご心配なさらず。公爵閣下が魔物を全て討伐してくださいます。我ら騎士団も討伐に参加しております」
「そうなのですね!」
魔物は邪気を吸うと強くなるので、邪気を浄化できる聖女なら討伐の役にたてるかもしれない。
「では、私も聖女として、その討伐に参加させていただいて……」
キリアは「未来の公爵夫人に、そのようなことはさせられません!」と顔を青くする。
「いや、ですから、それは誤解で……」
そんなやりとりをしているうちに、公爵邸についてしまった。
公爵邸は、王都とは違い要塞のような作りになっている。
エステルが馬車から降りると、馬車から公爵邸の入り口まで、ずらっと使用人が並んでいた。
「ようこそお越しくださいました! 聖女エステル様!」
(ひぇっ)
勘違いから大歓迎されてしまっている。
(は、早く公爵様にお会いして謝罪をしなければ……)
ベールが脱げてしまわないように押さえながらエステルは「よろしくお願いいたします」と頭を下げた。
そのとたんに、使用人たちがザワッとざわめき「聖女様が私たちに頭を下げた?」やら「なんてお優しいのかしら」という囁きが聞こえてくる。
(なんだか良い人ばっかりみたい)
好意的に受け入れてもらえて嬉しいけど、問題は公爵だ。
公爵邸にはエステル専用の豪華な自室が準備されていた。
「わぁ、お姫様が住むところみたい」
その呟きを聞いたキリアが、「神殿とは違いますか?」と話しかけてくれる。神殿内では、エステルは、聖女と崇められながら影で邪気食いと嫌悪されていた。
ずっと腫れ物にさわるように遠巻きにされていたので、キリアの距離感が嬉しくて仕方ない。
「はい、ぜんぜん違います」
神殿から与えられたエステルの自室は、簡素な作りで家具も必要最低限のものしか置かれていなかった。
(あ、でも、ここは公爵様の婚約者用のお部屋なのよね? 私が住んで良いところではないわ)
「あの、公爵様は?」
「今は外出されていますが、夜にはお戻りになられます」
「夜……そうですか。では、明日にでもお時間をつくってほしいとお伝え願えますか?」
「はい、もちろんです!」
申し訳ないけど、一晩だけこの素敵な部屋に泊まらせてもらおう。
その後のエステルは、湯あみを勧められて身ぎれいになった。その際に手伝うといってくれたメイドの申し出は丁重にお断りした。
(こんな邪気まみれの身体は見せられないものね)
湯あみが終わると、部屋には綺麗なワンピースが飾られていた。
「わぁ、素敵。これはどなたのですか?」
部屋に控えていたメイドに尋ねると「もちろん、エステル様のものです」と言われてしまう。
(こ、こんなに綺麗なワンピースが私のもの!? あ、そういえば、公爵様の婚約者と勘違いされているのだったわ)
今、話をややこしくするわけにもいかないので、メイドに部屋の外に出てもらい、エステルは一人でワンピースに着替えた。とても着心地が良くてうっとりしてしまう。ワンピースに着替えても、顔を隠すベールは外すわけにはいかない。
おかしな格好をしているのに、公爵家の使用人たちは、誰もとがめたり、嫌な顔をしたりしない。
それどころか、おいしいごちそうをたくさん食べさせてくれた。
(ああ、誤解だけど、誤解だけど幸せ)
エステルが半泣きになりながら「おいしいです! こんなにおいしい食事は初めてです!」と繰り返していると、使用人たちは、みんな温かい笑みを浮かべる。
(明日からは、私も使用人ですけど、どうか嫌わず仲間に入れてくださいね)
そんなことを思いながら、エステルはふかふかなベッドで眠った。
ふと目が覚めたのは、キィと扉が開く音が聞こえたからだ。
エステルがベッドから起き上がると、だれかが部屋に入ってきていた。室内は暗くて姿が良く見えない。
「どちらさまですか?」
声をかけると人物は立ちどまった。
「……俺に話があると聞いた」
低く落ち着いた声だった。
「もしかして、公爵様ですか?」
影がこくりとうなずいたので、エステルはあわててベッドから下りる。
「お初にお目にかかります。私はエステルと申します。実は婚約の件でお話が……」
「俺もその件で話がある」
固い声で話をさえぎられた。
「はい、なんでしょうか?」
「婚約の件はなかったことにしてくれ」
「と、いいますと?」
公爵からの言葉を待っていると、月を覆っていた雲が晴れて、窓から月明かりが差し込んだ。
月明かりに照らされた公爵の顔には、見慣れた黒い文様が浮かんでいる。
ハッとなり両手で口を押えるエステルを見て、公爵は自嘲気味に微笑んだ。
「この醜いアザが理由だ。俺の全身に広がっている。おぞましかろう?」
エステルは、無言で首を左右にふる。
「ムリをしなくていい」
「あ、あの!」
エステルは、一生懸命に自分の顔を指さした。ついさっきまで寝ていたのでベールをかぶっていない。エステルの顔には、公爵と同じ文様が浮かんでいるはずなのに、公爵は不思議そうな顔をする。
「あ、あれ?」
仕方がないのでエステルが腕をまくると、腕にあった黒文様は消えていた。
「おかしいわ」
ナイトドレスをずらして肩を出すと、ようやく見慣れた黒文様を見つけられた。
「な、何を!?」
驚いている公爵に、エステルは肩の文様を指さす。
「あの、公爵様、これを見てください!」
公爵の瞳が大きく見開いた。
「あなたにもアザが……どうして?」
「私は邪気を吸収して体内で浄化する聖女なのです。その影響でこうなってしまって……。公爵様は?」
「俺は、幼いころから魔物討伐で返り血を浴び続けていたらこうなった」
「そうなんですね……」
子どものころから過酷な境遇を強いられている公爵に、こんなことをいうと、怒られてしまうかもしれないけど、エステルはどうしてもこの言葉を言いたかった。
「私たち、一緒ですね!」
**
一方そのころ、エステルが去った王都では、第三王子オグマートが新しい聖女マリアを呼び出していた。
侯爵令嬢のマリアは、上品に淑女の礼をとる。元婚約者のエステルにはなかった優雅さや美しさがそこにはあった。
「オグマート殿下、お話とはなんでしょうか?」
「マリア、よく来てくれた。元聖女のエステルとは婚約破棄をし、王都から追い出した。これからは、あなたが私の婚約者だ」
喜んでくれると思ったマリアは、「……は? 何をおっしゃっているのですか?」と表情を曇らせる。
「何をって、エステルを追い出したから、今日からあなたがこの国の聖女になれるんだよ」
「殿下は、何を言って……? 聖女エステル様を追い出した? ウソですよね?」
「ウソじゃない! あんなに醜い姿の女、聖女にも、私の婚約者にもふさわしくないだろう? だから、追い出してやったんだ」
マリアは、ようやく事態をのみ込めたのか口を大きく開けた。
「なんて、愚かなことを……陛下はご存じなのですか!? 聖女エステル様なしで、この王都をどうするおつもりですか!?」
「父には後から報告するよ。でも、マリア、王都にはあなたがいるじゃないか?」
「私の聖女の力は、手をかざしたところの邪気しか浄化できないのです! それでも、聖女エステル様のお役にたちたくて、こうして志願したのに、まさかエステル様を追い出すなんて!」
「エステルの邪気食いなんて、この国には必要ない!」
「エステル様は、たった一人でこの王都全体の邪気を浄化していたのです。エステル様がいてくださったから、今まで王都に魔物が出なかったのですよ? 歴代聖女の中でも、エステル様ほど力が強い聖女は存在しません!」
「そ、んな……」
急に城内が慌ただしくなった。
室内に侍従が駆け込んでくる。
「オグマート殿下!」
「どうした!?」
「魔物です! 城下に魔物が現れました! 陛下が『すぐに総指揮をとれ』とご命令です!」
「総、指揮? 私が?」
第三王子のオグマートは、この国の防衛を任されていた。ただ、今まで平和そのものだったので、実際に戦場で指揮をとったことは一度もない。最近では、剣の鍛錬すら怠っていた。
「マ、マリア」
すがるようにマリアを見ると「魔物など、私の手におえません!」と突き放される。
「殿下! ご出陣を!」
周囲に急き立てられ、勝手に戦準備を始められる。
「あ、う……い、嫌だ!」
魔物になんて勝てるはずがない。
「そうだ、エステル! エステルを呼べ! 助けてくれ、エステル!」
そう叫んだオグマートは、両脇を騎士につかまれ、引きずられていった。
**
それから数か月後。
公爵に向かって「私たち、一緒ですね!」といったエステルは、フリーベイン公爵領でのびのびと暮らしていた。
王都と違い、公爵領は邪気がとても少ない。それは公爵が頻繁に近隣の魔物退治をしているおかげかもしれない。
聖女としての仕事も少なく、邪気食いは魔物の討伐から帰ってきた公爵や騎士団にするくらいしかない。そのためか、エステルの全身にあった黒文様は、今はもう肩の一部分しか残っていなかった。
王都では、魔物を寄せ付けないために聖女が存在している。だから、魔物退治をする公爵は野蛮と見なされ、『血まみれ公爵』と呼ばれて恐れられていたらしい。公爵は、その魔物退治のせいで、エステルと同じように全身が黒文様に覆われていた。
(だから、オグマート殿下は公爵様を『醜い男』と言っていたのね)
でも、実際の公爵は、黒髪と紫の瞳がとても美しい青年だった。日々鍛えているせいか、体つきも逞しい。
文様があっても美青年だったのに、エステルが討伐帰りの公爵に邪気食いをするようになってから、公爵の黒文様もどんどんと薄れていっている。
(ああ、美青年を眺めながら過ごせるって、幸せ~)
エステルは、メイドが準備してくれたおいしいお茶を飲みながら、サクサクのクッキーを口に運ぶ。
護衛騎士のキリアが「お口に合いますか?」と笑顔で聞いてくれた。
「はい、おいしいです」
エステルがそう答えると、キリアはなぜか困った顔をする。
「エステル様、もうそろそろ我らに敬語を使うのはおやめください。あなたは公爵夫人になるお方……」
「その件は、何度も説明しましたけど、私は公爵様の婚約者ではないんです」
たしかに公爵はとても良くしてくれるし、「俺のことはアレクと呼んでくれ」とか言ってくれたり、たくさんのプレゼントを送ってくれたりする。でもそれは、同じ黒文様仲間としてで、そこに恋愛感情はない。
その証拠に、出会った日の夜に、はっきりと「この婚約はなかったことにしてくれ」と言われている。
「公爵様にも、はっきりと婚約者じゃないと言われています。だから、キリアも私の護衛をしなくていいんですよ?」
キリアは「公爵閣下は、いつになったらエステル様を落とせるんだ……」とブツブツ言っている。
(落とすも落とさないもないんだけど……)
そんなことを考えていると、ウワサの公爵が現れた。
「あれ、公爵様。どうしたんですか?」
「あなたの姿が見えたので……」
「もしかして、公爵様も休憩時間ですか?」
「俺のことはアレクと呼んでくれと……。いや、まぁそんな感じだ」
「では、一緒にお茶しますか?」
「ああ」
キリアが椅子を引き、公爵はエステルの目の前に座った。最近は公爵とよく会うような気がする。
「私たち、最近、よく会いますね」
お茶を飲んでいた公爵がゴフッと小さくむせた。
「……迷惑だったか?」
「いえ、でも、もしかして……」
公爵を見つめると、「な、なんだ?」となぜかあせっている。
「私の聖女の力がお役にたっています?」
「ああ、それは、もちろん役にたっている。あなたが来てからは、魔物がめったに現れなくなったからな」
「それは良かったです」
公爵は少し頬を赤らめて、ぼぅとするようにエステルを見つめた。
「公爵様、どうしましたか?」
「いや、ベールはもうつけないのだなと思い……」
「あ、つけているほうが良かったですか?」
顔の黒文様が消えたので顔を隠すことを止めてしまっていた。
「いや、つけていないほうがいい。その、あなたはとても綺麗だから」
「……きれい? だれが?」
「あなたが」
「あなたって?」
「エステル、あなただ」
公爵の言葉を理解するのにたっぷり5秒かかってから、エステルは叫んだ。
「え、えー!? そんなこと初めて言ってもらいました! 嬉しいです! ありがとうございます」
お世辞でもなんでも嬉しくて仕方ない。
「あなたの元婚約者……オグマートは褒めてくれなかったのか?」
「はい、醜い姿だって言われていました」
パキンッと公爵が持っていたカップの取っ手が割れた。
「公爵様!? 大丈夫ですか!?」
「……大丈夫だ。あなたに仕える神殿の者たちは?」
エステルは、そっと視線を下げた。
「私は汚らわしい邪気食いなので、なんというかその……遠巻きにされていました、ね」
えへへとエステルが笑うと、公爵が青筋を立てた。
「あ、すみません! このような情けないお話をしてしまい」
「いや、聞いて良かった」
公爵は控えていたキリアに「今後は、オグマートと神殿から来た手紙は、私にまわさず全て燃やせ」と指示している。
「はい!」
フゥとため息をついた公爵は、エステルに向き直った。透き通るような紫色の瞳がエステルを見つめている。
「俺は、あなたがいつかオグマートの元や神殿に帰りたいのではないかと思っていた」
「そんな!? ありえません! お願いですからここに置いてください!」
エステルは、公爵家で働いた報酬としてもらったお金をせっせと実家に送っている。仕送りができなくなるのはとても困る。
「お願いです、公爵様……」
「俺のことは、アレクと呼んでほしい」
「わかりました、アレク様!」
公爵アレクは頬を赤らめながら咳払いをした。
「もしよければ、俺と婚約を……その、王都の舞踏会に呼ばれていて、だな。あなたと一緒に参加したいのだが」
語尾がだんだんと小さくなっていくアレクの横で、キリアが『頑張れ』と言いたそうに両手をにぎりしめている。
「王都の舞踏会……」
王都の舞踏会は、パートナーなしでは参加できない。
「あ、わかりました! 舞踏会に参加している間、私がアレク様の婚約者のふりをすればいいのですね?」
「……」
長い沈黙のあとにアレクは「……ああ、そういうことだ」と硬い表情で告げる。
「任せてください! 私、立派にアレク様の婚約者のふりをしてみせます!」
キラキラと輝く笑みを浮かべるエステル。
「うむ、頼んだぞ」
どこかあきらめたような遠い目をしながらそれに答えるアレク。
その周囲ではキリアや使用人たちが『この二人、はよ、くっつけ!』と頭を抱えていた。
おわり
※このお話は、4/28発売の『偽聖女だと言われましたが、どうやら私が本物のようですよ? アンソロジーコミック (ZERO-SUMコミックス) 』の中で、原作として使っていただけました!
【黒間先生】コミカライズしていただけましたよ!
すっっごく素敵に描いていただけたので、ぜひぜひ見てみてくださいね^^
黒間先生にコミカライズしていただいたマンガは、お話がわかりやすいし、ヒーローとヒロインの心がぐっと近づく瞬間が素敵なのです。
そして、黒間先生に素敵すぎるイラストをいただきました!
麗しぃいい!!!えっ、もうどういうことなの!?
すごすぎませんか?すごすぎるよ!
なんてお似合いの二人なの?はよ、くっつきなよ!!!
黒間先生、素敵すぎるイラストをくださりありがとうございます♪
我が家の家宝が増えました!!!