栄光
夕暮れ時。賑わいを見せる酒場で、白い髭をたくわえた猫背の老人がカウンター席の一つを陣取る。老人はひどく古ぼけた甲冑に身を包んでいて、腰にはボロボロの鞘に収まった剣がぶら下がっていた。彼のように仕事帰りに甲冑を着込んだまま酒場を訪れる者は珍しくないが、大抵は真新しい装備に身を包んだ若者たちで、どのみち彼ほど痩せ細った老人は当てはまらない。それでも酒場の主人は気を利かせて応対する。
「お疲れ様です。仕事帰りですか?」
「まぁな」
老人は短く答えて、無愛想にブドウ酒を頼んだ。
そのままだんまりを決め込むかと思いきや、老人は誰にともなく語り始めた。
「昔は良かった。私が仕事から帰れば、酒場どころか町中の人々があたたかく出迎えてくれた。それが今はどうだ。かつて世紀の大悪党集団、マーベスの盗賊団を倒しレッドネイル騎士団団長となったこの私に誰も気がつかない。嫌な時代になったもんだ」
「なんだ、アンタ、騎士団長だったのかい」
不便に思ったのか、背後を通った若い男が老人に声をかけた。男は鈍く輝く大きな甲冑を身に纏い、銀の装飾が施された大剣を腰に下げていた。老人の腰が曲がっているだけに、その体躯は老人の倍はあるように思える。
「そうとも、若造よ。私はかつて英雄と呼ばれた男だった。それが今ではお前たちのような若い衆の策略によって騎士団を追い出され、名誉もすべて忘れ去られた」
老人は恨みがましそうに酒場の若者たちに視線を向ける。
若い男は快活に笑いながら、扇のように大きな手で老人の肩を叩いた。
「おいおい、ご挨拶だなぁ。アンタ、若い奴みんな敵に見えてるのかい? 俺もこの酒場の連中も、レッドネイル騎士団とは関係ねぇよ。それに、あそこは実力主義の武闘派集団の集まりだそうじゃないか。アンタに何があったのかは知らねぇが、にわかには信じがたいね」
若い男が注文した白ブドウ酒をすすりだしたのを見て、老人は待ってましたとばかりに再び長い長い歴史を語り出した。
「かつて、剣が折れても引っ掻いて報いるという決意のもと結成されたレッドネイル騎士団は、それはそれは強かった。弱きを助け、悪を挫くその姿を、この町で知らん者はおらんかった。それが、お前たちのような若造が私を降板させてからはどうだ、いい評判はぱたりとやんで、悪評ばかりが流れ、そして忘れさられた。騎士団長だった、私の栄光とともに」
感慨深い顔でブドウ酒をあおり、老人は物悲しそうにため息をつく。
「昔は良かった」
これには、さすがの若い男も笑わなかった。しかし、同情からではない。その矛先は老人に向けられていた。
「そりゃないぜ、じいさん。元騎士団長だかなんだか知らないけどよ。レッドネイル騎士団は確かにこの辺じゃ聞かなくなったが、そりゃあ活動拠点を北へ移したからだろ? それに悪評なんて、新米騎士の小さなミスぐらいしか聞いたことないぜ。何かの間違いだろ」
”元”騎士団長という言葉に顔を赤くして怒鳴ろうとした老人の前に、若い男と同じ甲冑を着た集団が割って入る。
「団長。こんな老いぼれとばっかり話してないで、一緒に盛り上がりましょうよ。今日は団長の就任祝いなんですから」
「誰がっ!!」
老いぼれという言葉にますます顔を熱くして叫ぼうとした老人を制し、騎士団長の若い男が告げる。
「いんや、アンタは老いぼれだ。落ちぶれたな、マークス騎士団長」
「ーーーー私を、知っていたのか!?」
立ち上がって掴みかかろうとするマークス。しかし、猫背から急に姿勢を変えようとしたばかりに、痛みで力が入らない。
「なぁ。俺はアンタみたいな人になりたくて騎士を目指したんだぜ? それがこのざまとはな。父さんにあわせる顔がねぇ」
痛む腰を押さえながら、マークスはやっとの思いで反論する。
「ふん。お前も、時代が変われば忘れられるぞ。どんな名誉を打ち立てても、どれだけ弱きを助けても。みんな、みんな忘れる。そうしてお前も、私のようになるのだ!」
立ち上がり、団員たちの方に顔を向けながら、若き騎士団長は応じる。
「そりゃあ何もしなくなればそうなるだろうさ。でもな、俺はたとえこの地位を失ったとしても、この町の人たちのために尽くすぜ。忘れられないためにじゃねぇ、恩返しをするためにだ」
首だけで振り返り、若き騎士団長は続ける。
「ーーーーアンタ、かつてとか昔とか、そればっかりだな。今自慢できることはないのかい? 人のせいにばっかしていじけてないで、もっと誰かの役に立つことをしたらどうなんだ? あと、そんなオンボロの甲冑だけ見ても、カッコいいなんて誰も思わないぜ?」
激昂するマークスを尻目に、若い男は仲間たちのもとへ向かって行った。
老人は男が仲間たちにまぎれ、見えなくなったあとも、独りでぶつぶつと喚いていた。