隣人たちとの別れと出会い
普段から心掛けていれば大事には至らないはずなのですが、皆が皆、普段からの心掛けをできるかといえばそうでもありません。
年の暮れの大掃除などがいい例です。環境というものは活動があればどうしても汚れますし、放置していても汚れます。定期で気でなくても総決算などせず普段から掃除すればいいはずなのです。
既に入って一年。今更なのですが、宿舎の部屋割りはとても適当でした。
もし隣の部屋が知り合いやクラスメイトだったなら快適に過ごせましたでしょうし、週の半分以上を外出で過ごすなんてこともなかったでしょう。
わたしは宛がわれた宿舎の部屋をほとんど使っていません。
先生との逢引の為だけに部屋を空けていたわけではなく、友人との夜を徹した語り合いの為でも、春を売る違法な商売をする為でもありません。
この一年間、先生の家に通い続けた理由があります。
集合住宅であれば、いえ、そうでなくても人間社会ならば避けられぬのが隣人トラブル。
部屋で寝た最初の日に実感しました。この部屋は事務所ならば窓際席。つまり追い出し部屋なのだと。
両隣の部屋からは騒音がとにかく凄い。音とは空気の振動を鼓膜で認識するものなんですが、魔法で音を消しても振動が肌で感じ取れてしまう程。それでいて隣の部屋の住人、つまりわたしがうるさいとの苦情が多いそうだ。誰もいない静かな部屋なので、さらに隣の部屋の音をわたしのものと認識してしまったのでしょうう。
向かいの部屋はゴミ屋敷。
ゴミを捨てられない性格は男女関係なく存在しているのはわかります。個人が利用する空間をどう使うかも自由です。しかし廊下にまで進出しているのは頂けない。門限など無い宿舎ではありますが、それでも共用スペースにはみ出すなというルールがありませんでしたか。
廊下に積み上げられたゴミはしょっちゅう倒壊し、わたしの出入りを妨げてくれます。ゴミ出しにも難しいルールは無いのだから少しずつでも片付けて欲しかった。
階下の部屋からは煙と異臭が上がってきます。外庭から確認したのですが、下の部屋には窓用の換気扇が取り付けられていました。
換気を心掛けるのは良いことだと思いますが、それ以前に宿舎に実験材料や道具を持ち込んで作業を行うことがナンセンス。ここは第二の作業現場ではないのです。
上の部屋からはほぼ毎日のように念仏が聞こえてきます。
何の呪文かと思って聞き取れた内容を調べたら、ナントカ心経という全世界の恒久平和を祈り願う魔法の言葉なんだそうです。
わたしがその文面をそのまま願うのは危険すぎます。わたしへの負荷がかかりすぎて魔法の効果が現れる前に干乾びてしまいます。
それが毎日決まって午前四時。決まったルーティーンをこなそうと意識しているのは良い。午前四時なんてまだ夜も明けぬうちから修行を行うのも良い。だが近隣に迷惑をかけてしまってはダメだ。たしかにその願いは自分ひとりではなし得ないものではあるけれど、その願望の下に他人に色々押し付けるのはただの侵略です。横暴です。
最後の救いとなるはずだった窓の外。こちらの庭はそれなりの広さがあります。
夜が明けてから運動部の朝練が始まります。威勢の良い掛け声と地面を踏み鳴らして駆ける物音が青春を感じさせてくれますが、時折飛び出す監督者の罵声が耳に痛い。ここは軍隊の訓練学校ではありません。軍隊の一部として徴用される魔法使いや魔導師も多く存在していまして、学園から兵隊への道を進む生徒もいるのは確かですが、学園都市は強い兵器となりうる魔法使いの養成所ではない。厳しい特訓で成果を得ようという信念はおおいに結構だけど、そういうのは無関係の人間の耳に入らない場所でやって欲しい。
ヒトの罵声は、わたしの精神的衛生上とてもよろしくない。
この状況を話す度、なぜ平静を保っていられるのかと驚かれます。ナミさん、マツリさんとの女子会がこの部屋で開催されたのは一度きり。
王家の力を持ってしても部屋の環境改善には至りませんでした。
新学期の教科書や参考書を片手に宿舎に戻ったら、そんな酷い環境が様変わりしていました。
玄関前では、下の階の人とその同級生が実験道具を山ほど乗せたリヤカーを引いて出ていきました。
階段前では、舌打ちで一定のリズムを刻みながら歩く隣の部屋の人とすれ違いました。
向かいの部屋の前では、そこに住んでいた方が三角座りで蹲っていました。
挨拶ついでに開け放たれた扉を覗き見ると、彼女の同級生が一生懸命掃除をしています。作業に際して何の役にも立たないからと追い出されたのでしょう。
「あの、ワタシ、卒業できることになりまして。その、まあ、ゴミで、迷惑かけて、悪かったなって。」
蹲ったままオドオドと、わたし以上に拙い喋り方で三角座りの彼女は続けます。
結局最後まで皆に迷惑をかけてしまったとは言いますが、それでも自主退学扱いにならず卒業生という肩書を手に入れたのです。十分ご立派だと思います。
愛想よくお祝いの言葉をかけたのち、急いで自分の部屋に入ります。鍵ヨシ。外には忘れ物ナシ。振動を抑えて室内の音を逃がさぬような防音魔法ヨシ。新品の教科書を投げ出して傷つけてしまってはいけないので、これは机の上に置いておきましょう。
こんなに大きな声をあげて喜びを表した事は短い人生でも片手で数えられる程しかありません。声を出し過ぎてむせてしまいました。
喉が痛い。だがこの痛みが夢でないことを証明している。なんという日なのだ。ここまで晴れやかな気分になったのはいつ以来なんだ。何年先になるかわかりませんが、先生から指輪を贈られる日でもこんな大声をあげて喜ばないでしょう。それだけ嬉しい。
卒業なのか自主退学なのかはわからないけれど、迷惑なお隣さん達が居なくなる。
これがどうして喜ばずにいられますでしょうか。
来学期からはこの部屋に帰るのが億劫にならない。ここに居る間、常時音や臭いを防ぐ魔法を使い続けなくていい。穏やかに過ごせる空間として愛着が持てる。三人女子会のローテーションが組める。
向いの部屋の先輩と話したのはここに来てから一年経つけど今日が初めてです。それくらい先輩達が居なくて心細いなんてことはない。いい事尽くめでしかありません。
再三の要望にも耳を貸されずにいた一年がようやく報われた。あちらの都合での退去だけど、そんなの関係ない。わたしはついに、先生のいない場でも得られる安息を手に入れた。
と、諸手を挙げて喜んだのはほんの束の間。
部屋を遊ばせておく余裕はこの宿舎にはありません。
迷惑な隣人が去った翌日、真新しい制服に身を包んだ新入生が続々とやってきました。
歴史のある格式の高い学園であることから良いご家庭のご子息ご息女がいらっしゃるのは知っての通り。
世間を知らぬ彼らが横柄な振る舞いをして、外の世界の厳しさに痛めつけられるのは太陽が東から西に沈むかのように自然な流れでございました。
新たに入った隣人は相棒として大きな爬虫類を持ち込みました。
幸い、トカゲや昆虫に忌避感はありません。ですが隣人の餌の管理はとても大雑把で、部屋に見慣れぬ虫が現れるようになってしまいました。生餌用の虫と教えて貰いましたが、まさかゴキブリだったとは。
ゴミ屋敷だった向いの部屋に入った子はとにかく金ピカです。あらゆる持ち物には金色の装飾が散りばめられています。
入舎の翌日、わたしが部屋を出て最初に目にする扉は金メッキの豪華なものに付け替えられていて、嫌という程存在感をアピールしています。
初日から、先住者に負けず劣らずの迷惑三昧。
上と下の階にも新入生が入りましたが、どんな面倒事を持ち込んだかは確認していません。確認したくもありません。
見知らぬ施設に入ったばかりで右も左も分からない彼女たちに、色々と教えるのは先輩であるわたしの役目でもあります。
こんなに近くに居るのに助けなくしてどうするんだと思ってしまう辺り、特別学級の皆のお節介な癖が伝染してしまったようです。
その親切心からの関わりが大きな勘違いを引き起こしてしまいました。
わたしが彼女たちと同じ同じ新入生と認識されてしまったのです。
これは隣の部屋にまで蔓延る虫や金色趣味よりも重大な問題です。
卒業生が一斉に抜け、入れ替わりに新入生が一気に入った事で、わたしの部屋の周りは一年生だらけになってしまいました。
同学年が、共同生活で教室外でもコミュニケーションを深めるという意味で、仲間が一か所に集められたように感じられるのも無理はありません。
「同じクラスになれるといいですね!」
同学年でも年齢にバラツキがあるように、新入生も、わたしよりも色々大きいお姉さん達ばかり。
学生と言っていいのかと思う程妖艶な雰囲気を醸し出す方もいらっしゃいます。そんな彼女達から見れば、わたしは妹のように感じられてしまうのかもしれません。
この場で正体を明かしても冗談と捉えられてしまうでしょう。ですが、いずれ真実を伝えなくてはならない。
わたしのほうが年下なので無礼や失礼は構いません。年功序列は若い人が年上を敬う為にあるんです。決して上から押し付ける為にあるシステムではないと、わたしは考えます。
隣人への迷惑は一年間かけ続けられたので、これも我慢いたしましょう。
どうやら二年目も、安息の地は先生の家だけになりそうです。




