日々大きくなる系彼女
僕にはかつて妻が居た。
棚のあちこちに居るぬいぐるみや風呂場の洗面台に並ぶ化粧品など、男の部屋らしからぬ装いは全て彼女のものだ。
彼女が生きていた痕跡を残しておきたい以上に、あまりにも整理されていないので手が出せない。
そういう意味でもアサヒの存在は有難い。ただ置いておくより誰かに使って貰ったほうがいい。
彼女に関しての話は、最初の夜にアサヒにも話した内容だ。
同じ教室の生徒として出会い、腐れ縁が恋に行き着いた。
結婚と言っても二人とも多忙だったので、書類上では赤の他人のまま。儀式や儀礼のようなものを好まず、恋愛から婚姻関係に至るまで愛の告白など無いままに突き進んでしまったのは大失敗だった。
旅立つ最後の朝を迎えた自分たちの家には何も持って帰って来れなかった。遺骨は関係を断ちたいとずっと言っていた実家へと戻る事になってしまった。
面倒臭がる彼女を縛って連れて行ってでも手続きしておけばよかったけども、何もかもが手遅れ。
彼女の死に際して僕が関われたことは何一つなかった。
実験棟で魔法の手順違いから大爆発が起きて、部屋の中に居た人間は爆風で全身がメチャクチャになって全員死亡。
そんなニュースが飛び込んできたのは朝の始業後すぐの話。
呼び出され、理事長から犠牲者に彼女も居たことを聞かされたのは午後になってからだった。
いつも昼になると飛び込んでくる彼女が来ないので寂しいと思っていた矢先だ。
遺体とは最後まで対面できなかったし、家族の感情を考慮するという理由で葬儀にも出席できなかった。
ずっと帰っていなかったけれど、彼女も自分の部屋を持っていたので、汚部屋と化していたそちらがいつの間にか片付けられた。
僕を置き去りにしたまま全てが終わってしまった。
愛する人を失った事で僕がサヴァンの誘いに乗ってしまったり、別の悪だくみに加担したりを防ぐ為にそうなるように手配したのだろう。
僕の魔法は僕を洗脳してでも確保しておく価値があるということ。認めてくれるのはいいんだが、これはあんまりではないのか。
その後はずっとやたらと厄介事を押し付けられた。
悲しむ時間も、そんなパワハラめいた慰め方をする理事長を責めるだけの気力も湧かないまま時間が過ぎていた。
と、何がなんだか分からないうちにいきなり全部奪われて今に至るという現実を伝えた。
気持ちの整理もなにもないのだ。滑稽だろう。
神妙に聞いていたアサヒが次に口にした言葉に驚いく事になる。
「お亡くなりになったのはわかりましたので、どんな人だったか教えてください。」
本で得た知識で自分が代わりになるとか言い出しそうだ。
信頼してくれるのは有難いけども、今日出会ったばかりの僕にそこまで気を遣わなくてもいい。
「それは無理です。わたしは奥さまにはなれません。」
続く言葉に僕はさらに驚かされた。何だこの娘。人生二回目だったりするんだろうか。
僕の事を想い慕うけど、居なくなった彼女を忘れさせて自分だけを見るようにするのではなく、今のままの僕を好きになってみせると言ってのけた。
親子ぐらいの歳の差がある子供がそこまで考えが及ぶものなのか。まあ言うだけならタダだ。
この時はまだ、常識がすっ飛んでる無詠唱で魔法が使える生徒としか見ていなかった。
自分の思っていた以上にアサヒの存在は大きくなっていた。
こんなに情けない教師を問題児を問題なく育て上げる敏腕教師として担ぎ上げていたのは彼女だ。
身体は小さい。魔力も人並み。だがとてつもなく大きい。
一応弁明しておくが、幼子の膝枕の柔らかさに陥落したわけではない。断じて。
あんなに頼りない柔らかさに救われてしまっている自分が情けない。
統率が取れていても皆子供であり、目を離すとすぐ走り出してしまう。
特別学級の皆が立ち入りを禁止した食堂に潜り込もうとしている予兆を目ざとく見つけ、僕に報告してくれた。
どうせ言っても隠れて潜入するだろうから、監視の目として同行させて欲しいと願い出たのも彼女だ。
食中毒騒ぎから日数も経ち、消毒も終えていて、乾燥を待つばかり。
理事長が学園の秘宝のダミーとして実地テスト用の箱を置いたくらいだ。
皆が校則違反で罰を受けぬようにしたいという願いを聞き、僕もアサヒならばトラブルが起きても大丈夫だろうと許可を出した。
回線に乱入してきた理事長とアサヒの会話は僕も聞いていた。何かやばい話を聞いてしまったという。
そして耳を疑った。肌が粟立った。
今年から講師として招かれたメルベスがサヴァン・ワガニンの手先である事。
彼が今食堂の隠し部屋に居るということ。
分け与えられた力によって、一人いればひとつの国が滅ぶ程に強力な魔法を扱う事ができる。
そんなのは彼女達では荷が重すぎる。
すぐに呼び戻そうとしたが、理事長に止められた。彼らを信じようとか言い出した。
信じるとかそんな次元じゃない。あの五人はまだ魔法を学び始めて半年の基礎すらまともにできてないヒヨッコだ。そんな彼らに学園の命運を賭けろというのは非道にも程がある。
理事長はまだ何か言っていたが、僕は構わずに現場へ跳んだ。
箱のトラップが発動し、各々試験の空間へ飛ばされていたであろう頃合いだ。
移動中、攻略ヒントの無い通称「落第空間」に飛ばされたらしいアサヒが理事長に助けを求めているのが聞こえた。
あの試験空間で外部との連絡ができてしまうのは反則だが、今はテストの時間じゃない。
五人とメルベスが居るはずの食堂は静まり返っていた。
アサヒに連絡を取ろうとするが、応答がない。回線が切れてしまった。
そして音はしないが、魔法による明かりの点滅が倉庫の入口から漏れている。
理事長の、小回りが利きそうにない図体でそこまで精細な魔法を組み上げる手腕に驚かされる。だが今はそんなことどうでもいい。
遅かった。
何がどうなったかわからない。何の考えもなしに突入したら五人全員を人質にされる可能性もあって迂闊に踏み入る事ができない。
僕のかわいい生徒達が必死の抵抗をしてるのか、メルベスがいたぶっているのか。それすらもわからない。
このなにもかもわからない状況、既視感がある。
そんな余裕はないはずなのに、それがなんだったかを思い出そうとした刹那、聞き馴染みの深い声が奥の部屋から倉庫を伝い、僕の調理場まで響き渡った。
「皆! 目瞑って耳塞いで! 口も閉じてて!」
アサヒは何をする気だろうと考える暇もなかった。
暗さに慣れた目には辛すぎる閃光と、爆音と、倉庫の中身をめちゃくちゃに破壊する衝撃が立て続きに起きた。
飛んでくる瓦礫を魔法で防いでいる間に思い出した。狭い部屋での爆発。爆風で何もかもめちゃくちゃ。僕の妻が、彼女が死んでしまった時に聞いた状況だ。なんだろう、よく似ているな。
いや、なんだろうじゃない。何を呆けているんだ僕は。バカじゃないのか。
狭い隠し部屋で、倉庫までめちゃくちゃに破壊する程の強い魔力が放たれたんだ。まともに防御していなければ中の人間はただでは済まない。
知っている状況ではどうなった。全員死んだ。身体がミキサーにかけられた挽肉のようになってしまったという話も聞いている。メルベスはこの際どうでもいい。僕の生徒は、アサヒはどうなった?
探査の魔法を最短速度で組み、倉庫全体に向けて全力で放つ。
メルベスが無事だとは思っていなかったし、サヴァンが居る可能性なんてどうでもよかった。
僕は治癒の魔法の短縮も使える。
効力が小さくてもかけ続ける事ができるのならば、即死でなければ何とかなる。何とかできる。
すぐに四人は見つけた。爆発の衝撃で隠し部屋の壁際まで押し飛ばされて気絶してしまっているが、皆治癒の魔法がすぐに必要な程の怪我はしていない。
あと一人、アサヒはどこだ。
恐らくは、特別学級の四人を守る為にアサヒが閃光を放った。それが室内にあった魔法の箱と共鳴してしまい、こんな爆発事故を引き起こしてしまったのだろう。
隠し部屋だった場所には居ない。ならば倉庫だ。目に見える場所にはいない。崩れた棚に埋まってしまったか。
アサヒが人攫いから逃走していた時の記憶が蘇り、頭痛と吐き気を催してしまう。
だが、魔法を止めるわけにはいかない。
アサヒは一度は助けたが、人攫いから逃げ回っている状況を見ていながら、彼女の位置を見つけることができずにギリギリまで助けられなかった。
今回は手が、声が届く位置に居た。こんな近くに居ても見つけてあげられないのか。助けられないのか。
焦りながら使っていた探査の魔法に異質な物が引っかかった。
この場にはそぐわない、あまりにも強烈な存在が居る。
「その名、二度と忘れぬ。」
幸いなことに、振り向く前にそれは姿を消していた。
もしかしたら、今のがサヴァン・ワガニン本人だったのかもしれない。だがそれはどうでもいい。今だけはサヴァンに感謝しよう。
今、そいつは誰かと会話していた。
いくら大きな組織のリーダーであっても、重要な任務を任せた手先の名前を知らないわけがない。ならばそこに居るのはメルベスではない。アサヒだ。
ついでにもう一つ感謝だ。意思疎通ができていた。ならば、まだ死んでいない。アサヒ・タダノは生きている。
強い熱に当てられ炭化した木材と区別がつかなかった。触れた時の柔らかさでそれがアサヒだと理解できた。
瓦礫の中をぶつかりながら転げ回ったせいで見るも無惨な姿になっていた。手足なんて完全に燃え尽きた炭だ。対処が遅れれば両手足が無くなってしまうだろう。
抱き上げたら首が取れてしまいそうで、これがアサヒでない別の誰かだったなら、このまま眠らせてやったほうがいいのではないかと悩んでいたかもしれない。
癒しの魔法は対象の生きる力を前借りする寿命を縮める魔法。
通常、癒しの魔法はその性質を対象に伝え、了承を得た上で使用される。
迷ってはいられなかった。不要になった探査のリソースを全て癒しの魔法へと向ける。
全く回復しているように見えないが、とにかく続ける。僕はどうなってもいい。アサヒをここで失いたくはない。
「どうだい、手ェ貸すか?」
上から声をかけられた。理事長だ。アサヒへの応答が無くなり、爆発があった事でこちらに跳んできたようだ。
倉庫の惨状を見たからなのか、いつもより覇気が無かった。
代償が大きすぎて褒められたことではないが、僕の生徒はサヴァンの手先を打ち負かす程に優秀だった。
「アサヒさんは僕が動かせるまで治療しますので、先生は皆をお願いします。四人とも部屋に。」
まだ何もしていない理事長なら僕よりも強い癒しの魔法を使う事ができるだろう。探査の反動で今すぐ吐きたい程に気分が悪い僕よりも効率はいいのだが、愛しの生徒には手を出させたくなかった。
彼女を癒す事で、何もできないまま失ってしまった妻への償いとするつもりはない。
死なせたくない。失いたくない。何もわからないうちに死んだと報告だけされるのはもう嫌だった。
僕にとって彼女は大事で大切な人。
その彼女を好きな僕も好きだと言ってくれるアサヒも同じく大切な人だ。
「ただいま帰りました!」
こちらに振られている手を見る通り、アサヒの身体は元通り。
命に別条が無くても手足を失ってしまうのはあまりにも痛ましい。
何もできなかった分、先生も頑張りました。




