後始末の口裏合わせ
悪の秘密結社に誘拐された子供が元の姿のまま帰ってくることは今までなかったそうです。
洗脳や教育により五体満足のまま敵に下ったり、身体改造や実験を施されて全身がバラバラにされてしまったりすればまだマシなほう。生きていても人の形をしていなかったり、見た目は無事でも薬物の依存症に苦しめられ、継続的な投与をしないと死んでしまう身体になってしまっていたり。精神が破壊されて生物として生きているだけになってしまう事もあるんだとか。
わたしのように透明化して心をへし折るのはその第一歩であると、サワガニさんの組織の全容を明かすべく取材を重ねた人の本に書いてありました。
魔王の呪いで姿を消した学生が無事に帰ってきたのは奇跡にも等しい結果であると、その本には記されています。
今日、歴史が動いた。英雄に続き、悪の魔法使いを退けた人物が現れた。
名を口にするだけで洗脳されるという重いプレッシャーに苦しめられてきた魔法使い達にとっては朗報でした。
もう怖くないとその名を口にして洗脳され何処へと飛び去った魔法使いが続出したそうで、後に浮足立って迂闊に名を口にしてはいけないとの注意書きが貼りだされる事にもなりました。
新たな英雄は夜明けの魔女。
ほんの半年前には魔王との協力関係にあった彼女が何故敵対したのかは分からない。聞くところによると、魔王は自身の部下を使って彼女の身内に手を出そうとしたそうで、魔女はそれに対し果敢に立ち向かったのだそうだ。
魔王と魔女はどちらも学園とは遠く離れた場所に居た。学園の校舎では二人の代理として少女達が杖を向け合った。激戦の最中、機転により魔王は配下への支配を断ち切られ敗北することとなった。
未知の魔法による影響を調べるための色々な検査を終え、ようやく解放され先生との夜を楽しめるかと思ったのに、わたしと先生はまだ理事長に捕まっていました。
今後についての打ち合わせがしたいと言われ、わたしは大人二人と共に密室に居ます。
魔王すら打ち負かす強さを持ちながら正体を明かさぬ夜明けの魔女が、身を挺して救おうとしたアサヒとは何なのか。人々の興味はそこに移り変わるだろう。
愛弟子にしては過保護すぎる。血縁か、娘か、はたまた未来から来た同一人物か。過去の母を救わんとする娘である可能性も考えられる。
何らかの接点があるはずだ。彼女に、アサヒ・タダノに問いただすべきであると、解き明かしたい欲求を抑えない学者肌の連中はこぞってわたしを質問攻めにするはずだ。
英雄に肩を並べるまで至ってしまった夜明けの魔女は、もはや一切が謎に包まれた存在にはしておけないと、理事長は語ります。
こんな威厳も知識も身長も無い幼い少女が魔女であると公表するときが来てしまったのかと慄きました。
アサヒ・タダノが夜明けの魔女と明かすことが世界にどのような影響を与えるのでしょう。赤子であったクロード君にも負けたことを考えれば今更だけど、幼い子供一人にも勝てぬ程弱っていると宣言することになる。魔王とは過去の人であり、もはや恐るに足らずと大見得を切るのと同じことだ。
全世界に宣言するのは容易いだろうけど、そんなのは今なお彼の力を認め期待を寄せる人達に対しての挑発だ。現に名前を使った洗脳は健在で、彼の集めた人材も豊富である。だいたい、サヴァン・ワガニンは一人じゃない。普通の人にも倒せる強さの彼がいてもおかしくない。彼の口調は今まで出会った中では最初の少年に近かった。わたしが打ち負かしたのは実力が伴わないサワガニさんだった可能性は十分にある。
同席しているのをいいことに、理事長は自分の考えを作戦会議の決定事項として決めていきます。人の話をちゃんと聞いてくれているようで、実は全然聞いていないのではないかと疑ってしまいます。
そんな理事長の作戦は、公表している魔女の人物像に設定を追加するというもの。
魔女は己の力だけで魔法の極致に至った者であり、学園都市の記録には存在しない魔法使い。アサヒ・タダノの曾祖母であり、様々な危険から子供を守るために縁のない土地へと子孫を隠していた。わたしの持つ魔法は天然の素養から来るもので、魔女の血が使うためのカギとなっている。
家庭環境の悪いひ孫を救うべく学園都市へと送り出したのも彼女であり、透明化の魔法その身を隠し、不定期にが学園に忍び込んで血縁を見守っている。
今回の事件では透明化の魔法でひ孫を助けつつ、自ら可愛いひ孫の姿をとって魔王と向かい合った。操られながらも見ていたサヴァンやサヴァンの手下が見たのは最初から夜明けの魔女だった。
二人の強い魔法使いが戦った事で探査の魔法に異常が発生。戦いで力を使い果たした夜明けの魔女は、空っぽの自分では何もできぬと対応を丸投げして立ち去った。
アサヒ・タダノは魔女の事をなにひとつ知らずにいる。だからどれだけ口を割らせようと何の情報も引き出せない。
と、いうことにする。
理事長はこの場で考えついたであろう作戦を設定と共に語ってくれました。
偽りの情報に夜明けの魔女とわたしが血縁であるという事実を織り交ぜて、隠しきれなくなり公表に踏み切ったという体裁をとる。わたしを魔女と認定する会議に居た職員たちの記憶を改ざんしてこのカバーストーリーをあったことにする。そうすれば、夜明けの魔女が魔王を打ち払ったという事実だけが残るという算段です。
ただ一人、何とでもならないのがアサヒ・タダノという生徒。精神に対しての魔法が一切効かないわたしにだけは説明が必要で、人を信じぬ彼女が口裏を合わせてくれるよう説得し、納得させなくてはならないのだ。
早く帰りたいとしか考えていなかったので、その案への答えはふたつ返事です。
壇上に立って魔女であることを宣言したり、自分が味方であることを証明するために東奔西走したりしないのだから、反対する理由がありません。
もう何でもいいから帰りたい。帰る途中で食べるものを買っていきたい。わたしと先生はゆで卵一つで今まで我慢している。わたしが作って剥いたのだから白身が半分ぐらい無くなった。家に着く前に公園のベンチや商店の前で食べていかねば足りないかもしれない。変な味付けは不要。普通においしく食べれるものを、わたしは所望します。
そんなわたしの願望を、願いを形にする魔法は叶えてくれません。
頭も働かなくなりつつあるわたしに対し、理事長は非情にも新たな課題を下しました。
「お前のひいばあちゃんだ、名前ぐらいお前が決めろ。」
この筋肉の塊は、存在しない人物の名をこの場で決めろと言いました。
わたしの名づけといえば、外見や行動の特徴や聞いた名前から勝手に渾名を付けて呼ぶくらい。ちゃんとした名前で相手のことを認識しようとしないから、クロード君達の本名を今ここで正確に挙げることもできません。
そんなわたしが、今ここで、今すぐに名前を付けろと指示された。それが決まらなければ帰れない。わたしの態度を話に混ざれず退屈していたと捉え、混ざる機会を与えてくれたのは感謝するけれど、今この場ではただのお節介。わたしは大人達の会議に混ざりたいんじゃない。帰りたいんだ。
そうして決まった偽りの名が、夜明けの魔女、ツキ・タダノ。
早く解放されたいと思いながら窓の外を眺めた際、満ち始めた三日月を見て思い付きました。天体の名前の関連性を窺いしれて、それが血縁である裏付けとして機能するだろうと理事長は大いに喜んでいらっしゃいました。
他にも色々口裏を合わせ、開放されたのは夜中の二十二時。
先生の家に緊急用のインスタント麺が無かったら、二日目の空腹を味わうところでした。