アサヒ、お茶を貰う
魔王の放った魔法のせいで姿が見えなくなったわたしを先生が見つけてくれました。
見つけただけで全てが解決すればよかったのですが、そうもいかないのが現実というものです。
わたしの姿が見えなくなるのは探査の魔法の影響です。
精細さを保つために魔法は学園都市全域を頻繁に走査する。そこで所持している学生証の番号や外見などを読み取って人物と照らし合わせるのだけれども、今はアサヒ・タダノを記録しないか意図的に情報を消去する状態になっていると、先生は予想を立てていらっしゃいました。
サワガニさんが使おうとした抹消の魔法の魔法がここで生きてくる。スキャンされる際に探査の魔法による影響を受ける為、その度にアサヒ・タダノを見てはいけない、声を聞いてはいけないと刷り込まれてしまうのだ。
無視だ。今のわたしは学園都市全てから無視というイジメを受けている。
先生は今、わたしの姿を見る為に探査の魔法を誤認させて情報の同期を切り離しています。記録の上ではきっと、自宅でお休み中なのでしょう。
学園都市の数千人いる人々の中で、アサヒ・タダノは先生にしか見られていないのです。一人にしか見えないものは多数決で存在しないものとなり、先生は、ストレスのあまり幻覚が見えるようになってしまったのかと思われるかもしれません。
わたしが元の環境に戻るために、意図しない挙動をしている魔法の停止と調整が必要だと先生は仰いました。
休憩から戻った先生の提案に現場は騒然となりました。
捜している相手を学園で一番大事にしているであろう人物が、捜索隊の解散と、探査の魔法の再起動を申し出たのです。それだけにとどまらず、誰もいないはずの場所で肩を抱くように手を動かし、行方不明者はここに居ると宣言する始末。
再起動と簡単に言うけれど、それは学園都市の機能を一度停止させることを意味している。
該当の人物の行動一つ一つを全て記録できる学園都市の要であり、通信連絡網としての機能も兼ね備えた世界最高クラスの監視システムである。確かに一度外に出てしまえば効果が無い。だが、膨大な記録を基にすれば、どこに向かおうとしたのかを予測することができる。学園の環境に耐えかねて逃げ出した子供がすぐに捕まり連れ戻されるのはコレがあるからだ。
学園都市内の捜索は終了した。彼らはすでに、アサヒ・タダノはこの街には居ないという結論を出した。
在籍時のサヴァン・ワガニンのデータと悪の魔法使いとしての活動記録を照らし合わせ、嫌いな相手をどこに放逐するかを推測する。大雑把に地域を絞り込んだ後は職員を派遣ししらみ潰しに捜索活動をする手筈になっている。
探査の魔法は対象を探すために最も大事な命綱。
そうでなくても学園都市のインフラの大部分を担っている重要な魔法である。それを止めたら何が起こるかを考えられぬ先生ではないはずだ。
都市内の人の動き、都市への出入りや物品の移動、売り上げ帳簿の管理、防犯監視システム、電力および魔力の供給配分、他にもよくわからないものが探査の魔法を軸に動いている。
子供一人と学園都市。迷惑をかける対象の数は圧倒的大差。それでも先生は、わたしを選んでくださいました。
「俺は反対だ。」
理事長は、今まで聞いた中では敵対者に向けていた声色と鋭い視線を先生に向けました。
学園都市にとって何よりも大事なのは子供達である。状況から魔王の魔法で連れ去られたのは間違いないが、仮に自分の意志で出奔していたとしても、まだ何の手がかりも無い状態で投げ出すわけにはいきません。
懸命の捜索は特別学級の問題児だからでも、夜明けの魔女だからではない。理事長はたとえ学費を滞納し宿舎を荒らす問題児であっても同じように探すだろう。居場所を突き止めたら真っ先に殴り込んでいき、悪い友人が居れば説得し、誘拐犯が居ればすべからく叩きのめす。理事長は、遅れて現れるヒーローなのだ。
先生が見つけたわたしが本当にわたしである証拠が無ければ提案は受け入れられないと言い、理事長は首を縦に振りません。
イマジナリー生徒を魔法で現実に引き寄せたのか。それとも頭がおかしくなって、人体と精神の錬成をも行ってしまったのか。目に見えないものを在るとは認められず、仮に同じ魔法でわたしが見えるようになったとしても、それは「アサヒ・タダノの幻像を見えるようになる」魔法である。欲する先生が作った魔法である以上は信憑性が無い。
探査の魔法が原因なのに、存在の証明を行うためにはその魔法を使わないといけないという議論のループ。
同じことを何度も言わせるなと言わんばかりに双方の声が大きくなっていく。普段は仲の良い師弟であるにも関わらず、仇敵を前にしたかのように荒ぶる二人は見ていたくない。ああ、わたしのために争わないで。
壁の向こう側では今まさに捜索隊が出発せんと準備を整えている真っ最中。物々しい装備を携えて、向かわんとするのは最終処分場。
過去に彼女と魔王の本体と出会ったという縁がある。送り込むだけで直接手を下さなくても亡き者にできるうってつけの場所であり、生徒の知識と所持している僅かなお金だけでは帰って来れない遠方である。
対象の生徒は学園に居ない。そして排除を目的とする魔法を放たれた。ならば、あの大森林に放り投げだされた可能性が最も高いと学園最高峰の頭脳は結論付けた。
理事長と先生の間に割り込んで持論を展開し、自身の見解への自信を見せる眼鏡君はわたしが目の前にいるとは思ってもいないでしょう。
頑なに自分達の考えを押し通そうとする彼らに先生の話を呑ませようと考えるならば、わたし自身が存在をアピールし、ここに居ると認めさせる他ないだろう。けれど、どうやってそれを示すのか。
大声を出して叫んでも聞こえないし、見えないし、触られても気づかない。見えないのを利用してベルトを緩めたりする悪戯をしたところでわたしがやったという証拠にはなり得ないし、なったらなったで別の問題になる。気を引こうと悪戯をした子供にはお尻百叩きが待っている。そういえば、男は安産型とされる大きな尻が好きだと言うけれど、百回叩かれた程度で大きくなるものなのでしょうか。
緊張と焦燥とでピリピリとした空気が立ち込める狭い部屋の中、何かできることはないかと頭を悩ませていると、湯気の立つ茶飲み茶碗がわたしの傍の机に置かれました。
見上げてみると、飾り気のない給仕服の女性一人。この場で飲み物を配って歩く係らしく、わたしに会釈をすると、そのまま次の人の元へ。
空腹では頭の回転も落ちるもの。先生の家で食べれたのはゆで卵ひとつであり、いくら小食でもそれで腹が満たせるわけがありません。こんなお茶の一杯でも身体への栄養補給にはなります。心遣いに感謝です。
その給仕係の女性を、理事長が呼び止めました。
「今のお茶、誰に渡した?」
「え、こちらの生徒さんにですが。」
よく見ればわかるそうですが、彼女は魔法使いではない雑務職。ここで職を手にすることで探査の魔法の影響を受けていながらも、魔法が使えないことからその恩恵に与れないもったいない立場にある。
彼女は魔法の補正を受けずに物を見ることができる。だから見えたのだ。誰も見ることのできないアサヒ・タダノという存在を。
探査の魔法に引っかからない未知の力を有し、誰一人認知できない誰かがここに居るということで、対策本部は蜂の巣を突いたかのような大騒ぎ。スパイか、幽霊か、それとも魔王の手の者か。もし学園理事会を潰そうとする勢力に情報が漏れたなら、たった一人の生徒も見つけ出せない現体制の稚拙さが明るみになってしまう。探せ、今すぐに引きずり出せ、所持品を暴け、正体を暴け、記憶を消して追放しろ。
騒ぎ立てはするけれど、わたしのことは誰一人として見つけ出せません。
始まってしまった混乱を収める唯一にして最後の手段として挙げられたのが探査の魔法の再起動。データベースに存在しない未知の魔法を認知するために、絶え間なく送られてくる必要のない情報を一時的に切断する必要がある。学園最高峰の頭脳はそう結論付けた。
先生を押し退け情けなく喚き散らしながら請願する職員を前にして理事長は抵抗を続けていましたが、絶え間なく縋りよる部下たちを前に、遂に根を上げることとなりました。
探査の魔法の停止と再起動が行われたのは僅か三分間の出来事でした。
再起動と簡単に言うけれど、これはスイッチの入れ直しで済む話ではありません。たった一人の生徒のために学園都市のほぼ全てが停止することになる一大プロジェクト。停止することでの影響が最小限になるように様々な場所に手配して、何が起こってもすぐに対処できるよう人員が配置され、消えた瞬間を狙って侵入を試みる不届き者に対しての人力による監視を完璧に行う事で、ようやく三分の猶予が与えられたのです。
今日の事は、学園都市史上最も長い三分間であったと後世には言い伝えられることでしょう。