抹消の魔法
配下の娘を上手い事手籠めにして学園にこっそり侵入していた魔王、サヴァン・ワガニンことサワガニさんの、分体の一人。
今回の目当ては他でもないわたし、アサヒ・タダノ。女子生徒の身体を使っていた理由は分かりかねますが、たぶん、男子禁制の女子宿舎ならクロード君や先生達の邪魔が入らないと睨んでいたからでしょう。
身体の持ち主が目覚めると飛ばしていた意識が途切れてしまう。
潜入のために使っていた魔法の弱点を突かれた彼は、目的を果たす前に退けられるという憂さ目に遭う事となりました。
彼が亡き者にしようとしていたアサヒ・タダノはここに健在です。
「おのれ、夜明けの魔女、消え失せろ!」
今回もまた遅れてやってきて、状況をよく知らない理事長の前で、何も為せぬままこの場を追い出されつつあったサワガニさんは、最後の一瞬に怨嗟の言葉を吐き出しました。
なぜ圧縮と短縮の技法をその瞬間まで使えなかったかは分かりません。長い長い呪文を目の前で見せつけられたので、わたしは使えないと判断していました。
彼が呪いの言葉を放ったのは、強制的に中断された呪文によって集められた魔力がこの廊下一ブロックの中で霧散しかけたその瞬間。意思と言葉が魔力を帯びればそれは呪文。先ほどまで組み上げられて、崩壊しかけていた構成がメチャクチャに繋ぎ合わせられた結果、その渾身の一言がお得意の短縮魔法として効力を成してしまったのです。
わたしに向けられていたのは、たぶん、人間一人の存在を抹消する魔法。
身体を灰の一粒も残さぬ炎で焼き尽くすのか、力で圧縮して圧し潰そうとしていたのか。人々の記憶からわたしを消し去るものだったかもしれないけれど、サワガニさんが使おうとしていたのがどんな魔法だったのかは分かりません。学園都市から放り出しさえすれば野垂れ死ぬのは間違いない。置換の魔法で最終処分場へ放り込むのもありえたかもしれません。
聞き馴染みのない言語で紡がれた長い呪文です。主人公が無双する作品であれば聞き取って内容を解析したりして見せる場面かもしれませんが、そんな能力は無いのです。
だから、警備員や教師達が集まってきて、理事長が彼らに説明をするまでは、目の前の大男が何を言っているのか分かりませんでした。
今のわたしは魔王の呪いを受けたとでも言うのでしょうか。
他人からは姿が見えなければ声も聞こえない。それどころか触る事もできずすり抜けてしまう。わたしから物体に触れることはできるし動かす事もできるけど、動いた結果が元からそうなっていたと認識されてしまい、わたしの存在を示す結果に至りません。
いったいどんな魔法が使われたのかが分からない。わたしの姿が消えてしまった結果だけがある。
まさに奇跡としか言いようがないデタラメが上手い形に繋がった構文なので、おそらくは使用したサワガニさんですら術式が分からない。
どうしてわたしが誰にも認識されていないのか、どうすれば元に戻せるか、イメージが湧きません。願いを形にする魔法があったとしても、何を願えばいいのかわからないのです。
アサヒ・タダノが学園から消えた。魔王から呪いの言葉を吐きかけられた瞬間、まばたきひとつの間に忽然と姿を消した。理事長が最後に見たのは自分が何と対面しているかも理解してていないアホ面の少女だった。
完璧と思われた学園都市のセキュリティを軽々と突破され、学園内で連れ去られたなどと不祥事にも程がある。
管理責任を問われるのは承知の上だけど、事実の隠蔽よりも攫われた少女の救出を優先する。そう理事長が宣言したことで、わたしとサワガニさんの対決から一時間と経たずして、学園職員から成る精鋭による捜索チームが結成されることとなりました。
本日午前八時、学園内に侵入者あり。侵入経路は他者を操る魔法にて外部からの遠隔操作。
犯人は『あの人』。本体なのか分け身なのかは不明。直近で学園に現れたサヴァンとは印象が違った為、別個体と推定。
彼の目的は目の前の障害と認定した”夜明けの魔女”への攻撃、もしくは殺害。
状況は不明だが当人によって撃退される。だが、最後の悪あがきによって彼女が学園都市から消失したことを確認。
現時点をもってしても居場所を特定できない点から学園都市の外部へ転移させられたものと推定される。
だが、その時間、その瞬間にあるはずの、学園都市から何かが飛び出した痕跡がない。最初から存在していなかったかのように、彼女が彼女であるという証拠が一つもない。
探査の魔法が、学園都市の記録が存在しないことを示している。
草の根を分けるかのような虱潰しの捜索は夜を徹して行われました。
しかし、痕跡が無ければ見当もつかない。頼みの綱である探査の魔法は存在していた事実を最初から否定する。
蟻の子一つ見逃さない探査の魔法が言っている。アサヒ・タダノは存在しないと言っている。ならば夜明けの魔女は最初から居なかったのか。未曽有の天変地異や事件に際し、万能の魔法を操る救世主が居て欲しい、そのような存在があって欲しいと願った結果、知らず知らずのうちに自分達が産み出した幻だったのではないか。
捜索チームの中からは、根気強い魔法使いでも音を上げる事態を引き起こした夜明けの魔女こそが災いなのではないかとの声も上がりました。
ただでさえ問題児。自分から学園を去ったのならそれでいいじゃないか。厄介払いができて担任の肩の荷も下りるだろうと、配慮も遠慮もない軽口が場の空気を冷めさせていきました。
「そう思うなら帰ってください。そっちも全部僕がやります。」
厳しい管理下に置かれた部屋から問答無用で人を追い出しているのは先生でした。
サヴァン・ワガニンの攻撃である以上、わたしが消えた事も含め公表されていない。だから外に漏らして不安を煽り立てる可能性を考慮して、部屋には出れば記憶が消去される魔法がかけられている。一度この場を離れてしまったら、子供一人に対しては大袈裟すぎる程の大捜索が行われていることも、特別学級の問題児の存在も忘れていく。
一人でも手が欲しいはずなのに、先生は箱の中の腐った果実を捨てるかのように、ちょっとでも不安を口にした人間を全て切り捨てていました。
特別学級のわたしたちを誰一人見捨てようとせず懸命に指導を行う姿とはかけ離れ過ぎている。
この捜索に意味が無いと考えたくないだけなのかもしれませんが、こんな先生は見たことがありません。何としても助け出そうとする意志は伝わってくるのだけど、先生が孤立してくような感じがして、見ていると心が痛くなります。
「えっと、何やってるか分かりませんが、差支えないようにお願いしますよ。」
一度扉をくぐれば赤の他人。何をしているのか気になって、ちょっと覗いた程度の認識に変化する。全て忘れた教師がまた一人、捜査本部の部屋から立ち去っていきました。
何だかんだと口にするけれど、結局はこうなのだ。
人は協力して生きるもの。お互いに迷惑をかけあいながら生きていると言いつつも、特別学級という問題のある場所に隔離するような厄介者の面倒など見たくない。近くに居て欲しくない。評価を覆そうと懸命に足掻いている姿すら見苦しく感じてしまう。
どれだけ積み重ねようが、覆したはずの悪評は常に燻っている。彼らは悪童という大前提を心に焼きつけて、わたし達がどれだけ努力しても思い直したりなどしないのだ。
だからわたしは好きなようにやる。自分が決めた人生を思い通りに生きる。認めてくれる人の下で伸び伸びと暮らすのだ。
生きているかどうかさえも分からない。魔王の呪いで死という結果にも辿りつけない無限ループに閉じ込められてしまったのかもしれない。時間の経過は事態を悪化させるだけ。猶予があるかないかもわからない。
先生は、他人の感情が邪魔に感じてしまうほどに焦っている。
そうまでしてわたしを取り戻そうとする姿を嬉しいと思う以上に、辛そうな先生を見ていられません。
ああ、必死になってくれているのを素直に喜べる図太さが欲しい。