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太陽は学園都市で恋をする  作者: いつきのひと
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好きな相手を振り向かせる石鹸

「ねえ、あの噂、聞いた?」


 教室で顔を合わせるなり、どこぞで何十年という長期の安定した一大ジャンルを作り出すゲームの敵役のように目の前まで駆けてきたナミさんに、そのように尋ねられました。


 ものすごく難しい質問です。今のわたしには皆目見当が付きません。

 とても嬉しそうな様子から察するにとても良い事である。一般庶民である彼女を喜ばせるものである。相も変わらず周囲に当たりの強いナミさんがこれほど楽しそうにしている物の中から推測を立てればいいのかもしれないけれど、彼女は趣味嗜好がとても広い。女子学生が好むものならだいたい何でも大好きだ。


 わたしは生徒同士でいるよりも先生と居る時間の方が長い。だから、学園の運営側の様子は垣間見えたとしても、表側である生徒の間での流行は分からない。


 ナミさんの言動は攻撃的で挑発的。それは最初から今も変わることはありませんが、友人と認識した相手に対しては知らない事を咎めたりはしなくなりました。

 人それぞれに得手不得手がある。情報の収集能力にも個人差がある。友人関係の広さによって得られる情報の量や質にも差ができる。数はノイズが入り混じり、一人のインフルエンサーの発信も、本人のバイアスによって捻じ曲げられる可能性がある。質と量、どちらも軽視してはいけないのだ。

 知らなければ、その噂話の内容を。知っていれば、その段階を省略して次のステップへ。そうすることで人間関係は円滑に進むということを、ナミさんは学園に来てから学んでいるのです。 


 嘘をついてまで張る見栄もありませんので、わたしは素直に知らないと返事を返します。




 最近、商店街にある一つのお店で新発売になった魔法グッズがあるそうです。

 その中の一つが生徒達の注目の的になっている。その名はずばり、意中の相手と両想いになれる石鹸だ。


 それで身体を洗うだけで、翌日から想い人は自分の方を向く。身に纏う香りをひと嗅ぎすれば、たちまち相手は自分だけをまっすぐ見つめるようになるし、こちらからの要求は全て受け入れてくれる。まさに魔法のような石鹸だと評判だ。


 それ自体に興味はあるけれど、ナミさんには特に興味のある相手が居ない。同性の友人の一人であるマツリさんはクロード君一筋だ。フラフラと現を抜かす彼を振り向かせたい願望はあるだろうけど、彼女は一国の王女である。怪しいアイテムを渡したところで従者に奪われるだろう。簡単に焚きつけられて、何かあった時の保険がある人物として、人柱として真っ先に白羽の矢が立ったというわけだ。

 好きな人がいるわたしにその商品を紹介するということは、そういう事だ。



 さて、わたしと先生の間にそれが必要かと聞かれると、質問者の望む答えは出せません。必要ありません。

 先生はわたしたち特別学級五人の先生であり、わたし一人の家庭教師じゃない。学園都市の治安も他の四人の勉強もかなぐり捨ててわたし一人を見つめることなどあってはなりません。ただ一人のために命がけで行動する姿を見たくないと言えば嘘になる。だけど、わたしは今のままの先生が好きなのだ。与えられた任を全うしようとする先生が好きなのであり、職務放棄をしてまでわたしに尽くして欲しいとは思えないのです。


「クロード君を見て何も思わない?」


 石鹸の事を説明し終えたナミさんは、なにやらそわそわしているクロード君を指さしました。

 彼は今朝から落ち着かない様子ではあるけれど、別段変わった所は無い。寝癖を直そうと努力した結果、寝癖が直らないまま濡れているだけの髪がある。眼鏡がズレているのはいつものことだ。口の端には朝食のものかと思われるケチャップが。制服にも目立った部分は無い。体格は出会った頃と比べたら随分大きくなった。今ならば、魔法も無しにわたしを背負っても平気かもしれません。



 何も無いと伝えると、二人はがっくりと肩を落としてしまいました。

 先ほどからの発言から、これが意味のない行動のようには思えません。なぜナミさんは突然クロード君を見るよう指示したのかを考える必要がある。今の一瞬で、何か、非常に良くないものを感じ取ってしまったような気がするのです。

 多分、いや、おそらく、間違いはないでしょう。


 わたしには心を操る魔法が効きません。二人に対し、改めてその事を伝えます。

 サヴァン・ワガニンからの干渉をはねのける為の防御の魔法は今だ有効である。つい先日も、それを使ってわたしの思考が誘導されていると主張する大人達が騒いでいた。それは噂好きの彼らの耳にも入っているはずだ。


「ああ、忘れてた!」

「大丈夫よクロード君、これで石鹸の正体がわかったわ!」


 嫌な推測は当たってしまいました。

 ナミさんは興味本位で両想いになれる石鹸を買った。実験台として、未だわたしに対しての好意を捨てきれずにいるクロード君を利用した。先生に対し一途なわたしがちょっとでも揺れ動けば効果は本物であると証明できるという寸法だ。


 今回の二人の敗因は、わたしが特殊な状態にあることを忘れていた所にありました。

 禁じられている心を操る魔法が封入されたアイテムであると突き止めたのは副次的なものであり、本来の目的ではありません。わたしが反応を示さなかった以上、どう言い繕おうがその実験は失敗なのです。



 身長を伸ばす薬を何気なく飲んでしまったわたしが言えることではないですが、寝起きなど正常な判断がとれない状態でもないのにも関わらず、得体の知れないものを躊躇いなく使用できる図太さには感心します。

 好きであれば好きだと伝えるべきなのだ。気付かれないよう草葉の陰から覗いているのは無いのと一緒。良い関係を望むのならば、なおさらそんな道具に頼らず己の力で切り開くべきなのだ。

 玉砕ならばそれでヨシ。躱されてしまってもそれでいい。友人から始めて恋人に発展しないと誰が決めたのだ。それはまだお互いの事を良く知らないからだ。相手を知ってから判断を下すのも正しい付き合い方なのだ。


 ナミさんが口にしたように、石鹸には学園の禁忌、人の心を操る魔法か薬が仕込まれている。効果が切れた時に起きるトラブルを考えれば事態の収拾は早急に行うべきである。

 今わたしができることは、先生への報告と証拠の提出のため、その石鹸を二人から取り上げること。


 石鹸はクロード君の部屋のバスルームにあると聞きました。彼の部屋に入った事があるのでイメージするのは簡単です。

 わたしは引き寄せの魔法を頭の中で思い描き、願いを形にする魔法でそれを願い、問題の石鹸を机の上に呼び寄せました。


「委員長、やめてください!」

「お願いします、せめて、せめてもう一日だけ!」


 玩具を取り上げられた二人の懇願に耳を貸す必要はありません。これは違法であり、危険な道具である。違法なアイテムを所持していたのが発覚すれば先生に迷惑がかかる。先生の負担になってはならないと何度そう思ったか。

 先生に迷惑のかからない特別学級は、願いを形にする魔法でも叶えられないのです。


 手に取った曰く付きの石鹸は、滑らかな見た目とは裏腹にタワシのような肌触り。

 その効能が違反になるものだからと理解しているからでしょうか。どうしてそうなったのかという興味よりも、理解できないことへの恐ろしさが勝りました。


 ふと、今日の帰りに詰め替え用のボディーソープを買って帰る予定だったのを思い出しました。

 忘れていたわけではありません。ボディーソープとして使えるものが手に入ったと考えてしまったのです。


 魔法を無力化さえしてしまえばこれはただの石鹸である。漂っている甘い花の香りは心地よく、一度使ったら手放せなくなりそうな魅力がある。同じもので良いと先生に言ってしまったばかりだけど、自室のボディーソープが切れているこの現状は、日用品の新規開拓には適したタイミングなのだ。



 横領する前に踏みとどまれたのは、前に読んだ本のおかげ。

 あらゆる状況が都合よく積み上げられ、論理的思考大好きな主人公が判断を見誤るように仕組まれていた。そういった敵の罠にまんまと引っかかってしまい、主人公は自らの思考が利用されていると気付くまでに大変苦労する――


 直接の魔法としては効果が無いけれど、その場の状態で思考を誘導される可能性は十分ありえます。

 丁度いいと思って懐にしまってはいけません。わたしが為すべきことは、ちゃんとやるべきなのです。


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