アサヒ、秘密をバラされる
どうしてもわたしの意思をわたし自身の意思と認めない人達が居ます。
彼らはわたしの今が環境によって選択を強制されたと見なし、真意が他にあると信じて疑いません。
学園都市は魔法使いにとっての最高学府。その学園が悩みに悩んで下した現状維持の決定は非常に強い効力を持っていて、周囲の声の大きな人間がどれだけ声高に語ろうとわたしの現状を崩すには至りません。
どれだけ話し合おうと相手に聞く耳が無い。わたしを解放せよと叫ぶ人たちもそうだけど、先生との暮らしを望むわたしも彼らの言葉を聞き入れない。彼らの思うわたしになるつもりはなく、両者にあるは永遠に交わることのない平行線なのです。
「我々の使命は現理事長と関わる者全員を追放し、老師の権威を再興することである!」
何の祝いの場であるかを理解できぬまま参加していたパーティ会場で、わたしはその宣言を聞くことになりました。
かつての学園は腐りきっていた。それは事実である。だが現行の体制は古から続く伝統を悉く破壊してしまった。歴史の断絶という愚行を見過ごしてしまった我々にも責はあるが、実行犯がまず一番に裁かれるべきである。
かつて存在したものへの回顧であり、現体制への宣戦布告です。
事実とは一面だけを見て判断できるものではありません。
かつての学園は生徒を人間として扱っていなかった。師や親の言う言葉は全てにおいて優先される。親がそうだと口にすれば赤い花も白くなる。理不尽が理不尽だと疑う事も許されない、それはもう酷い有様であったと聞いています。
理事長の改革によって、学園都市の大人達は通う生徒をひとりの人間として見るようになりました。関連して心身のケアにも取り組むようになりました。心を病んで学園を去る生徒は大幅に減り、卒業生の数が急増したことで質が落ちたという声もあるそうだ。
犯罪行為の発覚や取り締まりも増え、治安も圧倒的に改善されつつあります。件数だけを見れば改革以前よりも増加傾向にありますが、それは資料の読み間違い。生存者バイアスというやつだ。これは今まで握りつぶされていた分が明るみに晒されたという証左でもあります。
確かに文化の断絶は起きた。わたし自身、学園生徒ならば知っておかなければならないとされるルールやマナーの多くを知りません。上級生に出会った時には道を開けるとか、朝一番に宿舎の前に立つ生徒会に挨拶するとか、ただ面倒なだけの規則などがあったと言いますが、今は一切行われていないものばかり。
それが消滅しても何の影響がないということは、必要ないものであったという事実なのだ。
良かった事と悪かった事を両方並べて考えてみると、良いことの方が多いように思えます。少なくともわたしは快適な学習環境を揃えて貰っている。
今もなお姿を変え良い方向にもっていこうと考える現体制を破壊する必要はどこにもない。同時に、元の姿に戻したいと願う者達が奪われたものに固執する諦めの悪い連中に見えてしまう。
理事長が、敵対者が無様であるような印象を与えるように動いているのだとしたら、それはそれで凄いと思います。あの全て殴り合いで決める男が知略を巡らせているのです。高い身体能力と頭脳を兼ね揃えたとすれば、それはもはや完璧人間だ。自身に有利な勝負に持ち込むか、盤外戦術として毒でも盛って暗殺する以外に勝ち目など無いでしょう。
「現体制の蛮行の証拠がここにあります!」
彼らの口にする体制の問題点、自由を謳いながら生徒を縛り付けているという指摘が大声で宣言されました。
理事長が行っているのは独裁だ。自身の権威を脅かそうとする他の理事を片っ端から叩き潰し、見せしめとすることで対抗勢力の角を矯めた。時を移さず豪快に行われた改革は判断を鈍らせて賢者たちの選択肢を誤らせた。
その最もたる被害者の名は、アサヒ・タダノという女の子だそうです。
これは理事長が仕組んだいつものガス抜きであると判断し、せっかくのデザートの味が落ちると思いながら聞いていたところで、スポットライトを当てられてしまいました。
スプーンと食べかけのプリン・ア・ラ・モードを手に、口を懸命に動かす姿を人はどう捉えたのか。
わたし自身を客観的に見たならば、問題児の烙印を押され、魔法によって精神を抑制され、歳の離れた異性の教師の監視の下に置かれるという束縛と抑圧に苦しむ少女には見えなかったと思います。
デザートを口に運ぶ姿は卑しさにも通じる面がある。だがこのプリン・ア・ラ・モードは準備が面倒だ。ただでさえ忙しい男性教師が安易に用意できるものではありません。滅多に口にできない組み合わせに舌鼓を打つ姿を微笑ましいと思えない程に、学園都市は精神的余裕が無いのでしょうか。
当事者として指名した本人に注目を集めておきながら、わたしを無視して糾弾は続きます。
彼らが目指すのは理事長を理事長の椅子から引きずり下ろすこと。それはつまり旧来体制への復古。理事長の改革を払拭したい失敗の歴史として刻み、元に戻すこと。わたしは彼らが理事長を罵倒するために用いられた駒であり、人形である。
今ここにいるという以上のことは求められていないのです。
だったらもうこの話には関係ない。わたしは今ここで缶詰フルーツと生クリームの甘さと酸っぱさのコラボレーションを楽しみたい。大人の喧嘩に子供のわたしを巻き込まないで欲しいのだ。
「我々が調べ上げた物は以上になります! 各自ご判断の上、何が正義であるかをお示しください!」
堂々とした言葉の後、まばらな拍手が起こります。
万雷の喝采で迎え入れられるはずだった暴露の反応が薄いことが面白くないようで、負け惜しみのような言葉を吐きながら壇上を下りて一番手前のテーブルへと下がっていきました。
入れ替わるように、同じ舞台に上がったのは理事長です。
先程までの指摘は間違っていない。視点を変えればその通りであり、文化を大事にする魔法使い達の社会で過去との断絶を敢行している彼は、従来の価値観からすれば異端そのものだ。
当然、自身の行った改革の利点を話すだろう。聴衆の反応にもある通り、改革の成果に対しての評価は決して悪くない。どれだけ悪であると追及されようと、それを越えた利益をもたらしているのだ。
会場の興味は、痛いところを突かれた理事長がどう答えるかに集まりました。
「今からの発言は全て機密事項であり、事実である。」
真っ先に秘匿していたことでいらぬ誤解と混乱を招いたと謝罪した後、理事長は違えれば重大な罰が下る契約をこの場に居る全員に向けて交わしました。
魔力を持たないはずのアサヒ・タダノが特別扱いされる理由はふたつある。
先程の調査結果として明かされた通り、わたしは誰も持ち合わせていない特殊な魔法を持っている。その力を制御するにあたり、今の形が最も適していると判断した。具体的にどんな魔法なのかは伏せられたままだったけど、誰も指摘はしませんでした。
もう一つ、サヴァン・ワガニンからの干渉だ。分体どころか本体とも接触し、精神汚染に耐え抜いた。子供相手に手加減していた可能性があり、より強力な精神支配があれば耐えれぬどころか心が壊れるかもしれない。強力な精神防御の魔法はこのためである。
以上の状況から、今の監視下にある現状は全て本人からの希望である。
「嘘だ!」
嘘を口にすれば契約書が燃え上がり、同時に理事長の身体も炎に包まれる。そういう契約ですので、それが無いのは言葉が事実であるという証拠。
仮にそれらが事実であったとしても、わたしがこの現状を受け入れるはずがない。
肯定を口にしたのもまごうことなき事実だろう。だが、その発言はアサヒ・タダノの意思ではない。状況に言わされただけなのだ。
嘘は言っていないけれど、事実も言っていない。理事長の話はデタラメで、聞く価値もない。
理事長を椅子から引きずり下ろそうとする勢力は、わたしの意思を勝手に決めつけた上で、食ってかかります。
両者ともにお酒を飲んでいたこともあり、過熱した舌戦はやがて魔法を使った一騎打ちへと様変わり。
圧倒的強者が自らハンデを課してピンチに追い込まれる等のショーが繰り広げられるうちに、わたしが洗脳を得意とするサヴァン・ワガニン本人と接触した衝撃の事実はどこかへと走り去ってしまいました。
何もしないまま何事もなく終わってしまったけれど、これで良かったんだと思います。
なにもしなかったことで現状維持を成す事ができた。もし再度の改革が実を結んでしまったら、先生は先生としての立場を失ってしまっていた。何も起こらなかったのだから、良かったじゃないか。
相手はわたしの言葉に耳を傾けない。わたしもそんな相手の口車には乗るつもりが無い。永遠の平行線は何も産みだすことができません。
こんな状態でどうにかしようと足掻いても、おそらく無駄足だったでしょう。いらぬ禍根を産みださずに済んで良かったと、心の底から思います。
余計なことをしなくてよかったと胸を撫でおろしたところで、手元のデザートが残っていたのを思い出しました。