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太陽は学園都市で恋をする  作者: いつきのひと
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アサヒ・タダノは注射が嫌い

 もう何度も口にしていますが、注射が嫌いです。

 自ら進んで針を受け入れ薬液や弱毒化した病原菌を体内に注がれるなど正気の沙汰とは思えません。


 科学技術や医療の発展があるにも関わらず、それに関しては数十年数百年続く伝統行事のように穿つのです。枯れた技術を前に誰も彼もそれが普通であると信じて疑いません。意を決して口にすれば、おかしいと思う方がおかしいのだと宥められてしまいます。

 わたし達は魔法使い。わざわざそういった苦しみを味わうことなく恩恵だけを受けることも可能なはずなのです。



 わたし、アサヒ・タダノ。人間社会全体に蔓延する数多くの伝染病に対しての予防接種を受けたことがありませんでした。

 宗教上の理由で忌避されていたり、産まれてから数年の虚弱な体質から接種を見送られていたのではありません。実家が属する文化圏において、そういった医療の常識自体が存在していなかったのです。


 実家で薬といえば、カンポーと呼ばれる薬効のある植物や動物の部位を加工したもので、学園都市で出回るものとそう変わらない。家ではとにかく値段が張ると言っていました。

 高額な薬に頼らずに、身体の痛みは他の場所をつねることで紛らわし、痛みがあればその部位を冷やし、指の火傷は耳たぶに触れるだけ。そして風邪の際はネギを首に巻く。目が腫れたら日の出を直視する。蛇に噛まれたら小便をかける。手に負えない病は祈祷師を呼ぶか神社に百参り。遠路はるばるやってきた高名なお医者様は、もれなく注射を持ってくる。

 それは民間療法か迷信か。学園都市で学べば学ぶ程、あの村での治療がめちゃくちゃであったと思い直すほかありません。


 未開の土地から一気に最先端の文化に触れられて、注射だけが形を変えずに残っているのは信じられませんでした。

 身体が小さいこともあり、針を入れるための血管を見つけられない。幸いアルコールでかぶれることは無いけれど、あの冷たさの後に来る痛みがとても辛い。注射如きでとわたしを笑いたくば笑って貰って構いません。何度も何度も突き刺される痛みを知らないだろう。身体の小ささと相手の腕前のミスマッチを設定した神をただひたすら呪う事しかできないあの責苦を味わえば、同じことは言えないはずなんだ。




 つい先日、全身にとても痒い吹き出物ができた際、わたしは問答無用で隔離されてしまいました。

 ミズボウソウという病名を告げられて、魔力のバランスが崩れて体内の水分が暴れ回るものかと思ったのですが、これは悪魔や妖精の悪戯でそうなったのではないとお医者さんに強い口調で説明されたのをよく覚えています。


 非常に感染力が強く、大人が罹ると子供が作れない身体になったり胎の中の赤子に悪影響を与える病気であると知ったのは、それから間もなくのこと。先生の家にも行けず部屋に押し込められて暇だった時に、先生との連絡の最中に教えて頂くことができました。

 治療に専念するためだけではなく、他人に広めない為の隔離である。適切な対処をすればすぐに治る。だから気を悪くせずにいて欲しいという先生の言葉はとても心強く感じられました。



 そうしてミズボウソウは何事もないまま治ったのですが、そこからわたしの地獄は始まりました。

 治癒後の検査で本来行われているはずのワクチン接種が一切なされていない事が判明し、それから今日に至るまで、大嫌いな注射がほぼ毎週のように続いているのです。


 ちょっと早い誕生日プレゼントとして、これから先の病気の予防と健康を手に入れた。

 命の危機すらありえるのだから、発症して苦しむよりも、今の注射の痛みのほうがマシなのだと皆は口にする。

 いつか来るかもしれないものに備えるのはいざという時のためになる。ああ、そう思えるのなら思いたい。


 本当にそうなのか。

 注射している液体がただの生理食塩水で、あの医者や看護婦はわたしが針に怯え挿入の痛みに打ちひしがれる姿を眺めて愉悦に浸りたいだけなのではないかと考えてしまいます。

 服をたくし上げ胸元まで晒すところから始まって、補聴器は冷たいし、無理矢理まぶたを開いたり器具を押し込む目や喉の診察がある。血管への注射の際にはゴムチューブでぎっちり縛る。二の腕への注射は力一杯つまみ上げる。注射器を強く握りしめて薬液をわたしの中へと押し込んでいく。食堂倉庫の事件の時にはリハビリと称して痛む身体を動かすように言われたりもした。


 そんな者達を相手にしたのでは、大袈裟に痛がってみたり、仮病で体調不良を訴えても逆効果でしょう。

 相手はわたしが苦しむ姿を見たいのだ。自己申告があれば、より苦しむ方法を探して実践してくれるかもしれません。


 疑い始めたらきりがない。注入されるワクチンが本当に効果のあるものかも信じられなくなってくる。

 不信感から接種しない選択を取るのは自由だけれども、それが許されるほど学園都市は広くない。

 わたしが発症することで、学園都市に蔓延る伝染病の発生源となってしまう。それは公衆衛生の概念に反することになり、わたし一人のワガママのせいで学園都市が滅亡する可能性にも繋がっていく。


 予防接種に際し、先生は敵側でした。

 皆の迷惑になってしまわぬよう、わたしのためを思ってスケジュールを組み、最短で皆に追いつけるよう取り計らってくれています。

 それ自体はありがたいのだけれども、嫌いなものランキングのベストテンに入る注射が短期間で行われるのに目を瞑るわけにはいきません。



 接種の目的は理解した。接種したことで起こりうる副反応に対しても納得した。今日の接種が終わった後、餅に包まれたアイスを買ってくれるという言葉を信じて先生についてきた。


 それでもわたしは注射が嫌いです。

 甘味への誘惑をも超えた嫌悪がわたしの腕を貫こうと迫っています。


 だって、痛いじゃないですか。

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