恩売りの同期
お見合いが上手くいかず、結婚を前提とした交際に至らなかったことは学園都市の誰しもが知る事実となりました。
先生を婚活の場に突き出した張本人が無作為に言いふらしたのです。
先生の古くからの友人を自称する要注意人物だったので、彼の名をマークさんとします。
彼は今年になって突然現れて、先生の同期を自称して、先生のプライベートである家の中へ平気で上がり込もうとしました。
同期であるのは間違いない。ただし、先生との関係は非常に悪い。あれやこれやと世話を焼き、授業中に落としたペンを拾ったから夕食を奢れといった不釣り合いな対価を求めてくる男であった。
手助けして来ようとするけれど、そのどれもが自分勝手な内容で、いらぬお節介だったと先生は口にします。
初めての襲来時、先生が来るまで扉を開けずに堪えたわたしの判断は間違っていなかったと言い切れます。
そんな男を部屋に上げてしまっていたら、見知らぬ男を部屋に上げるといった戸締り意識の甘さをネタにうら若き身体を求められてしまったかもしれない。まだ触れられていない部分まで容赦なく汚される危険性は十分にありました。
お見合いが彼の手引きであったと知ったのは、クロード君の杖をゴミの中から発掘した日。
早々に杖は見つかったものの、部屋の散らかり具合は半端じゃない。少しだけでも片付けようという先生の提案から始まった部屋の掃除は夕方の鐘が鳴るまで行われました。
その作業中、思ってもいないタイミングで事実が語られました。
先生が不在の休日の最中、クロード君と偶然出会ったマークさんは自慢げに話したんだそうです。
「アイツには新しい出会いがあっていいはずだ。そのための場を用意してやった。」
愛妻を失った挙句学園始まって以来の問題児五人を一人で預かる不幸な男だが、春が訪れたっていいはずだ。理事長も学園都市も動かないし、それらしい浮いた話も届いてこない。ならば俺が手を回してやろうと一念発起した。相手を探すために何年も街を離れてしまったが、ようやくいい感じの女性を見つけ出した。前妻と同じ研究職だ、合わないはずがないだろう。
打算的な人間であるから、形だけでも結婚するのは吝かではないはずだ。先生にはわたしというお邪魔虫がいるし、彼女にも引っ付いている悪い虫がいる。二匹の虫はそれぞれ何らかの邪魔をしてくるだろうけど、これらは二人の関係が偽りから本物になるために必要な尊い犠牲になってくれる。当日の成否はどうあれ二人にコネクションができれば関係はとんとん拍子に進むはずだと考えていたそうです。
彼女に片思いを抱いた男の情熱は想像を超えていた。見合いの場に乱入し、戦う術を持たない魔法使いに杖を向ける掟破りを厭わずにいたせいで、危うく先生を焼き殺してしまうところであった。助力を願いたい人物を死なせてしまったのでは元も子もないだろう。
随伴していた彼の教え子がそれに対応し、一瞬のうちに杖を差し入れるという早業を見せたのも予想外。先生に想いを寄せる人物が居るのも考えていなかったし、彼女が技術屋精神から全く違う目線で先生とわたしを見ていたことも予想外。
お見合いは、先生と彼女が知り合ったこと以外、ほとんど彼の思い通りにならなかったのです。
あの日、マークさんが先生の家の前で待ち構えていた理由が分かりました。
真っ先に結果を聞きたかったのは同期の交際の進展を聞きたいなどという下心じゃない。彼の行為は一〇〇%先生のためではなく、先生に恩を売り、自身に助力させるためだった。自身の真の目的を果たすための前準備なのだ。
その後の方針は成否に大きく影響されてしまう。なるべく早くその結果を知る必要があったのだ。
賭けを大きく外したマークさんは機嫌を損ねてしまいました。
先生を人格破綻者と罵って、色んなものに当たり散らしながら夜の暗闇に包まれた路地へと去って行く姿は忘れられません。
街の外への出張がお見合いだったと知るのはごく一部。特別学級ではわたししか知らなかった話です。上手くいかなかったという噂が立ち出したのはそれから間もなくのことでしたので、言いふらしたのは彼に違いありません。
魔法使いとは、一般の人間として見れば頭のおかしい人ばかり。
大の大人が地味なマントに身を包み、杖を振りかざして呪文を唱えるなんてのは奇行としか見られない。気が触れたか怪しい宗教にのめり込んでしまったかのどちらかだ。そんな奇人変人の中で人格破綻者と呼ばれたところでどうということはありません。
わたしは先生に立派な人物になって欲しいわけじゃない。今のままで十分だ。広く周知され、多大な期待を一身に背負ってしまえば先生は倒れて立ち上がれなくなってしまう。無理を承知で押し切る先生は素敵だけど、無理しないで欲しい。
人格破綻者など今更だ。今まで通りならばなんてことはない。事実の再確認は暴言になり得ないんだ。
これら一連の事件が全て繋がっていたとする物語を描いたならば、現実味が無いと言われて書き直しをさせられるでしょう。
事実は小説よりも奇なりという言葉通りになってしまうと誰が想像できたでしょうか。
クロード君の部屋の掃除が終盤に差し掛かり、纏めたゴミを収集所に運ぶだけの段階でマークさんが現れました。
部屋を一瞥し、先生に話しかけた彼は杖の捜索状況を先生に訊ねた後、ゴミ出しに往復する係に名乗りを上げます。
クロード君がナントカの杖を紛失した事は、まだ先生とわたし以外の誰も知りません。それ以前に彼とクロード君には数日前の休みに偶然出会った程度の接点しかなくて、大事な杖の捜索や部屋の掃除を手伝うような間柄ではありません。誰も頼んでいないのに現れるなんて不自然だし、部外者にも等しい彼が生徒の宿舎へと上がり込んでいるのもおかしい。
もしかして、新たな妻との出会いを演出したという返しきれぬ恩を売り、自在に動く駒となった先生を使ってクロード君の杖を奪い去ろうとしているのではないか。作戦が失敗したのでプランBを実行し、杖の紛失を演出して無くしたクロード君を悪人に仕立て、自分はどさくさ紛れに杖を持ち出そうと考えているのではないか。
こんなものは世間知らずの子供の考えです。そんな安直なものがあってはたまりません。本当に、実社会では考えられない作り話であって欲しかったです。
子供の戯言と前置きいた上で、それを口にしたときのマークさんの表情はどう表現したらいいものか。
作り笑いのようなヘラヘラとした笑みが消え、言い逃れのできない事実を突きつけられた人間がする無の表情がそこにありました。
「冗談キツいな~、アサヒちゃん。」
短い呼吸と震えた声色から感じるのは怒りだ。この、どこからともなくお腹に突き刺さるような感覚は実家で散々味わってきたから分かる。わたしが言い返せば飛んでくるのは怒声か拳骨のどちらかだった。
暴いた者への怒りなのか、それとも自身が疑われた事への怒りなのか。どちらにしろ、今この瞬間彼の感情は沸騰した。声の震えは意識が煮えたぎり暴れるお湯のように暴れていることから来るものだ。
荒ぶる神を宥める方法はただ一つ、平身低頭。
納得するまでそれができなかったからわたしは暴力を振るわれた。下々がお上に盾突いたのだからそうなるのは当然だ。かつてのわたしは逆らっていけないものに逆らうというタブーを犯したのだ。
こういう人たちは、目上の者に対しては冗談でさえも口にするのは万死に値するという古い価値観を持っている。何でもできてしまうわたしの上位互換であれば、全知全能の神でいるつもりなのだろう。
全能の神による裁きの雷霆は、神自身に降りかかりました。
先生の魔法によって、わたしに向かって投げつけられたガラスのビン入りのゴミ袋はマークさんの顔面を直撃したのです。