あの人に会いたい
既にこの世を去った人物に会ってみたいという意欲はあります。
面白い本や、素敵な絵を描いた人がどんな人物なのか。魔法を魔法として全世界に認めさせた人達がどんな思いで魔法を作ったのか。わたしの祖父は何を思ってあの書庫に本を集めたのか。直接会って話ができたなら、わたしのこの想いどれだけ満足できるのか。
たった一度の機会であれば十分な人達が居れば、帰ってきて欲しい人もいる。
カエデさんは学園で魔法の研究をしていたのだから、先生と共に教職に就いていたかもしれない。特別学級の副担任として同じ教室に居た未来もあっただろう。でもあの人のことだ、突拍子もない事を企てて、学校中を巻き込んだ大騒動を引き起こしてしまうかもしれない。止めるのはわたしと先生になるだろう。夜になったら先生の家で三人で食卓を囲むこともきっとあるはずだ。
それが実現不可能だからこそ、きっと楽しい毎日になると妄想を膨らませることができたのです。
死者は帰ってこない。それは世界のルールです。
死とはその肉体の心臓が止まり、脳が止まり、内臓をはじめすべての生命活動がストップしたことを指す。魂というモノが実在し、その場にとどまっていたとしても死んだ時点で舞台からは退場させられ一切の干渉が許されない。そうでなければ何度でも死者は立ち上がる。特別な力を持って千年王国を治める不死の王が爆誕する。
何でも願いが叶う力で人が蘇るだなんてのは、空想の中だけの理想なのです。
生徒指導の教師が先生に向けて何を言ったのかを理解したくありませんでした。何ひとつ理解できず、きょとんとした顔で先生を見上げる幼い少女でいたかったです。
何でも願いが叶う。死者と再会できる。人が蘇る。
それを願わなかったのは、死がどういうものなのかを見てしまったからだ。
動物も植物も昆虫も、人間にも当てはまるんだ。
「その娘が持っているのは何でもできる、まさに魔法の魔法なんだ。当然、彼女に会うことだってできるんだ。」
彼はその手で誰でも使える何でも願いが叶う魔法を作ろうという。
誰もが不自由を感じない世界を作りたいと願っている。
今この場で、潔癖であり厳格である生徒指導の教師が、禁忌とされる死者蘇生のためにわたしの魔法を求めている。世界の理を捻じ曲げる偉業を成そうとしているんだ。
アサヒ・タダノは力づくでは従わない。普段の素行を書類で知る彼らは皆よくわかっている。
だから魔法でわたしを操る強引な手段を用いて万能の魔法のルーツを探ろうとしたけれど、防御の魔法が予想以上に強くて失敗してしまった。彼らの計画は早々に躓いた。それで諦めてくれればどれだけ良かったか。
「君が付いてきてくれてよかったよ。呼ぶ手間が省けた。」
言葉を使わぬ動物同然とバカにしているモノを一人前に育て上げるだけの根性と心意気を持つ人達が、たった一度の失敗で諦めるはずがない。
見知らぬ男達の命令は聞かなくても、知っている人物の指示なら聞くのではないかと考えるのは当然でしょう。
一番近くにいる人間。教師であり、親の代わりでもある男。都合のいい人物がいるんだから。
選択はふたつあると、生徒指導の教師は演説を続けました。
先生はわたしからの信頼という感情をもって、強力な魔法を意のままに操る術を持っている。実質、願いを形にする魔法を先生が行使できると定義できる。それを前提としたふたつの提案です。
最初に出した提案は、生徒にかけているであろう従属の魔法の権限を譲渡するというもの。防御の魔法は外からの攻撃には強いけど、内側からのそれには効果が無い。最初に従属の魔法をかけ、その状態を防御の魔法でラミネートしていると推測を立てたのでしょう。
当然そんなものはありません。これは明らかに無茶苦茶な案を先に出し、比較的まともなほうを選ばせるための手段です。
彼らが選ばせたい、もう一つの案。先生わたしに魔法の行使を命じる形で彼らに協力する。
カエデさんを例えに出して揺さぶりをかけたのはこの瞬間のため。難しく遠回しな言い方をされずに伝えられたので、わたしの立場に居るのがわたしでなくても理解できたでしょう。
断れば未成年者略取で吊し上げると宣言されました。証拠などいくらでも作れると、捏造を示唆する発言さえ飛び出します。この人物の表の顔を尊敬し、信頼を寄せている人達がこれを聞いたらどう思うのかを考えると気分が悪くなりそうです。
先生はすぐに答えを出せずにいました。
先生の指示なら何でもする。ありもしない罪で先生が追放される事だけは絶対にあってはなりません。先生の決定ならばどこまでも従うつもりで身構えます。
「返答の前に、気になることがあります。」
わたしを含め、その場にいた全員の注目を浴びる中で、先生はを禁忌を犯すことよりも、それの難易度が高いことが問題だと仰いました。
彼らの言う死者蘇生に必要なのは人体の生成と人格の復元。このふたつ。
蘇らせたい人物の遺体が完全な形でこの場に残っていない。人ひとりを呼び戻すために、先ずは入れ物を作らなければいけません。
ヒトとして生きるために、生きた身体でなくてはならない。遺骨や遺灰、髪の一部分から組織を再構成するにしても、もう戻せない段階まで焼き切ったり劣化したものを使った再生には成功例が無い。既存のアプローチではダメなのだ。
仮に何らかの形で人体の作成に成功しても、今度はその中身が問題だ。
魔法の始まりから数千年、未だ死んだ人間の意識がどこに行くかは解明されていない。記憶と性格を他人の観測を基に作り上げればその人物と瓜二つの反応をするものは出来上がるけれど、死んだ人間自身と繋がっていなければ、それは記憶を上書きされた全くの別人なのだ。
今ある技術ではその継続性が証明できない。取り巻く環境を用いてその人物と偽装するのと何ら変わらないと先生は問題点を並べました。
「入れ物は問題ない。そのための錬金術だよ。」
組成する物質を必要なだけ揃え、変換の魔法と形を作る魔法を幾つも組み重ねて人体をまるごと作り上げる方法を見出したと、生徒指導の教師は胸を張ります。人体を魔法によって作り出す。人造人間というやつなのかもしれません。
それから、思っても居ない方向から魔法で作った偽物であっても自分達が認めれば本物になると反論が出ました。振り向いてみれば、そこに立っていたのは今までずっと見守っていた他の教師。
周辺環境をもって作り上げたものをその人物と認定すればいい。それで納得できるのならばそれで良いというのです。
先生が協力への返答をしないまま始めた議論に大人達が熱中してる中で、わたしも気になることがありました。
わたしの魔法で彼らの言う人間の蘇生は本当にできるのでしょうか。
魔法を使いこなすわたし自身、それができるか分かりません。なにせやったことが無い。
死に瀕したインコをわたしの太った身体を使って回復させたのはあくまで癒しの魔法の発展と応用です。一度死んだものを再びこの世に呼び戻すなど、いままで考えた事もない。
肥満体を全て使い切って、ようやく体長二十センチにも満たない小鳥が完治できたのです。人間サイズを蘇生させるのに、いったいどれだけの力が必要なのか想像もつきません。
もしも先生がカエデさんに会いたいと願うとする。
大人達の議論の通り、持ち寄った記録を集めれば本人に非常によく似たその人が出来上がるだろう。果たしてそのカエデさんはどの時点の彼女なのかが分からない。先生が知るカエデさんなのか。教師達から見た生徒としても研究者としても破天荒でめちゃくちゃなお気楽問題児なのか。わたしが最期を看取ったあの人なのか。
人間一人に対して皆それぞれイメージが違う。考え方によってはサンプルの数だけ同一人物が居る。自分の知らないカエデさんがそこに現れたとして、わたしはその人を本人と認識できるのか。
他人が認めているならばそれは本人であろう。一番身近にいた先生が頷けばそれはカエデさんになる。
本人達がそれで良いとしても、嘘で塗り固めた設定で作られた偽物という事実に変わりはない。
記憶喪失の真っ新な人物なんてのは初対面と一緒だし、もし、偽の記憶を植え付けられた当の本人がもしそれに気付いてしまったらどうなってしまう。真の人格が芽生えてしまったのならば、どんなことが起きてしまうのか。
ごもっとものようだけど、間違っている。求めているのは死に別れてしまったあの人であり、新規作成ではダメなのです。
時間転移の途中で死に際に立ち寄ってしまったわたしは誰もが知らないカエデさんを知っている。
子供だから人数に含まれていない。だけど、定義は崩れてしまう。カエデさんではない何かを産み出していいはずがない。再会を約束された先生が悲しむのは予想できてしまう。
一生のお願いだ、この人たちの言うことに耳を貸さないで欲しい。未成年者略取についてはどんな手を尽くしてでも無実を勝ち取ってみせる。なんなら学園都市を滅ぼしたって構わない。だから早まらないで欲しい。
わたしの身体は先生に抱き寄せられたままだけど、密着状態に胸を高鳴らせている場合ではありません。
どうにか協力しないで欲しいという要望を伝えられないかと思いながら見上げたら、先生と目が合いました。
(手は貸しますけど、もとより協力するつもりはありません。大丈夫です。)
彼らの言う人体錬成と魂の復元は確実に失敗する。
議論を見守る先生から、口を使わない会話で解説がありました。
前提として、魂とか記憶というものの定義は御覧の通り曖昧である。
呪文や魔法陣は決められた動作を行うための手順書だ。未定義な部分を違う物に置き換えてしまうと全く別の物になる。砂糖の代わりは塩では務められないと、調味料で例えて説明してくれました。
それから先生は、議論の輪から外れた教師を一人ずつ訪ね歩き、人体の錬成と魂の復元の魔法の事を聞いて回りました。
変換の魔法を多重に組み合わせるために手間がかかるという点に目を付けて、その辺に転がっていた紙の裏に使用される呪文を全て書き並べていきます。手伝いを志願しましたけれど、禁忌に触れる危険な魔法という理由で遠慮されてしまいました。
「おや、何をしているのかな?」
「あなた方が万能の魔法に希望していた多重詠唱と広大な魔法陣の連携と術式展開時間の短縮をしておいた。この呪文ならば一人でも使うことができる。」
なんとしても自身の行為に正当性を持たせたくて議論の中心にいた生徒指導の教師が気が付いた時には、既に魔法の短縮化は完了していました。
それを使ってしまえば禁則行為に該当するけれど、それ自体は禁止されていない。包丁が刃渡りのある刃物だけどそれ自体はただの調理器具であるように、それそのものは禁忌に触れていないという屁理屈のようで間違いではない考え方。
それが禁止事項であるという前提で、制止しても禁忌に触れたのであれば教えても責任は無いと先生は判断したのです。
生徒指導の教師は万能を使わずとも目的を果たす手段を手にしました。
ご丁寧に認識阻害までかけてわたしの目に入らぬようにされた紙を受け取ると、彼あH先程寒気を感じた気味の悪い笑みを浮かべます。
「協力してくれるのか。そうか、ありがとう。」
先生は万能の魔法など必要ないと返事をします。あんな制御不能で不安定な物に頼らずとも既存の技術で何とかなると、夢と希望にあふれる言葉を並べます。
かつてその時代を生きてきたからこそ、先生は生徒を人間扱いしない相手にどういった答え方をすればいいのかを知っている。何の引っ掛かりも無くスラスラと御せぬ生徒の悪辣さを語り、相手からわたしへの興味を無くそうと頑張っています。
先生自身がそう思っているとは考えられないけれど、すこしだけ心配になってしまいます。
呪文が本当に目的を果たせるのか、まずは制作者が自分で使ってみるよう言われるシーンが思い浮かびましたが、幸運なことに先生自身が実践させられることはありませんでした。
必死に求めていたのであればこそ慎重であるべきと考えるのですが、真っ先に集団のリーダーである生徒指導の教師が嬉々として受け取ったので、誰も咎めません。
「本当にいい仕事をしてくれるよ、君は。」
普段の先生の仕事ぶりがこんなところで評価されるのは複雑な気分です。ですが、絶対に失敗すると評したものを自らの身で行う必要がなくなったのは良い事なので、素直に喜んでおきましょう。