太陽の人助け
寝室の窓からの顔に優しく吹き付ける風は、すっかり秋のものでした。
いえ、この風の冷たさで目が覚めたので、風が本当に優しかったのかは疑問に思います。
木々の緑はまだまだ濃いけれど、季節は確実に変わっています。
記念式典は恙なく執り行われ、学園都市は焼け落ちませんでした。
花火の魔法も問題なし。万が一の事故も、場に乗じて決起するテロリストも居なかった。運命の一日を乗り切ったことを祝福するかのように、大輪の花は誇らしげに夜空に咲いたそうです。
事情を半端に聞きかじった者からは、脅迫文ひとつに大袈裟すぎるとまで批判されたとか。
彼らは裏でどれだけの人間が動いていたか、無事に済むようどれだけ苦労したか、全部押し付けられそうになった先生がどれだけ苦しんだかなんて知りません。知った所で労いの言葉ひとつないでしょう。
だからいいのです。言いたい奴には言わせておけばいい。重要な立ち位置にあった人間を追い出して、後に後悔するのは彼らなのです。その時気付いてももう遅い、というやつです。
サヴァン・ワガニンが見た滅びを回避できた。先生も、学園都市も、少なくとも知っている人間は誰も居なくならなかった。
何も起きない平凡な毎日を維持するのは地味なことだけど、これが功績でなければ何なのでしょう。
心残りが無いと言えば嘘になる。表向きは平然としているように見せてはいるけれど、正直全く納得していない。舞台裏ではなく客としての参加がしたかった。浴衣に袖を通し、先生と共に屋台を練り歩き、夜空に打ち上がる花火を見たかった。
去年の夏、この部屋で、疲労でベッドの上から動けないままのわたしが先生と交わした約束でした。次はゆっくり眺めようという指切りの感触はちゃんと覚えてます。
その機会だった今回、花火を見ることは叶いませんでした。
魔王の予言は、様々な要素を大雑把に捉え、あらゆるものを曲解さえすれば当たったと言えるでしょう。
祭りの日に、学園都市の領域の中で、建物が焼け落ち多くの命が失われる。
時代によって意味が変わっていく言葉を巧みに操って、古今東西ありとあらゆる解釈を飲み込めば、その通り。
そもそも、予言というものがあまりにも大雑把。
自分達が立つこの星の自転速度や太陽の位置、加えて過去から続いたことで大きくなったズレの修正などで日付さえも変わる。なので、予言というモノにおいて運命の日は二日三日、長ければ前後一年、いえ、十数年さえも誤差として見られます。
天気予報の降水確率のように、揚げ物の油に火が点いてしまえばそれは火事。水道管の水漏れや排水管の詰まり、お風呂の蛇口開けっ放しは水害として。強風で部屋の中で書類が舞ってしまえば嵐。生徒同士の喧嘩で教室が荒れてしまったり、些細な議論があればそれはつまり戦争だ。毎日の生活であるもの全てが該当してしまうのです。
さらに付け加えるものとして、未来視と予知夢は同じ物とされています。現実世界で気を失っているか寝ているかの違いでしかない。
夢とは時にどうでもいいものを誇張して目の前に映し出す。大雨予報が小雨で終わるような事がこちらでも起こりえます。
全てが燃え落ちる未来は、建物火災、全焼一件という形に置き換わりました。
それは開校記念行事の前日のこと。
先生の負担をより軽減するため、そして防災用として新たに組み上げた探査の魔法2号(仮称)の試運転が今まさに始まろうとしている時でした。
この日も先生に同行していたわたしは、防災本部と書かれた看板がある建物の外で待っていました。
中にはレインスーツをより分厚くしたような、まるでSF作品の挿絵にあるような服が並んでいます。それは現役の歴史的資料でもあるらしく、百年前の駅舎火災の後に作られた防護服だそうで、それ以来大きな火事は起きていないので未だ新品のままだとか。
これが使われる前に全てが無くなってしまうのが、サワガニさんを通してわたしが視た未来。
願わくば、これらはずっと新品であり続けて欲しいと思います。
防犯の面を考えるなら建物の中で待つべきだったかもしれない。だけど、その場にあった置物に気味の悪さを感じてしまい、居たくないと思ってしまったのです。嫌だと思う場所に居るのは精神衛生上好ましくない。だから外の空気を吸っていました。
突然、目がカエルの小便を触れた手でこすったときのように痛み出し、同時に鼻の奥が突き刺されたかのように痛みだしました。驚きと共に口から吸った空気が異物のような引っ掛かり方をして、思わず咳込みます。
魔法か、薬か、何かは分からない。人体の神経を侵す何かが撒かれた。治安が良いとは言えないけれど、わたしが屋外でダラダラする程度には安全な街の防災の全てを担う場所に対しての攻撃だ。
未来視は結果しか見えなかった。あの大災害を引き起こそうとする犯人は、前日に学園都市の防災の頭脳を破壊するという前準備をしていたのか。なんてことだ。あれらは防災の不備が起きた不幸な事故ではなく、それに対しての攻撃だったのだ。
まずは落ち着け。先生が苦しんでいないか気になるけれど、この場では先ず自分の事が一番だ。
臭いもホコリも防げるマスクをイメージした魔法で呼吸を整えてから、周囲が暗い事に気が付きました。
先程までは晴れていた。青空があった。太陽は雲の向こうに居たけれど、気温の高さという形で激しく自己主張をなされていた。本来なら今も頭上から見下ろしている頃合いだ。
気が付かぬままに気を失っていたのか。子供を外に放りっぱなしとは先生も保護者失格だ。いや、そうじゃない。そんなに長い時間わたしが眠っていて気付かない先生じゃない。大人達も異常に気付いたか、巻き込まれたはずだ。今何が起きているか、わたしも把握しなくてはならない。
毒ガスでも、それに準じた魔法による攻撃でもありませんでした。
この感覚を私は知っている。先程の自分に起こった痛みにも覚えがある。小作人の家が燃えた時にも同じものを見た。嗅いだ。感じた。
今見て感じたものを自分の記憶と照合する。ああ、これは火事だ。
これだけの煙が上がり、ここまで焼けた空気が流れてくるのならば、かなり大きなものが燃えている火事だろう。
だが心配はいらない。防災本部のすぐ傍で起きたのなら、消火も救助も二次災害の防止も全て迅速に行われるはずだ。
わたしがここから移動してしまったのでは、子供一名が行方不明になってしまう。現場に混乱をもたらさぬようにとこの場から動かずにましたが、どうも様子がおかしい。防災本部が消火のために動く様子がありません。
この街は広い庭付きの物件が多くなく、建物同士の間隔が非常に狭い。大人二人が並んで歩けばそれだけで対向者への妨害になるし、自動車なんて入る場所がない。そんな場所で火事が起きたのなら何が予想できるかといえば、隣の建物への延焼だ。発生初期段階の対応を間違えれば必要のない被害をもたらしてしまうだろう。
だからこそわからない。隊員は何故防護服に袖を通し飛び出して来ない。動くべき彼らは何故動いていないのだ。
火の勢いは待ってはくれない。こうして足踏みしている間にも火元の建物は燃えてしまう。学園都市は狭いから、燃え尽きる前に隣の建物が炎に包まれる。人の手で抑え込めるのならそれでもいいだろう。
だが忘れてはならない。ここは学園都市だ。もし、炎に触れてはいけない薬品が転がっていたら。もし、消火のための水に触れてはいけないものが保存されていたとしたら、何が起こるのか。
大爆発が起こる。爆発の衝撃で街はメチャクチャになるし、炎は手が付けられない大火となる。授業中、先生に尋ねられていたらこう答えていたでしょう。
そんなことが起こらないようにするために、防災のためのチームが居る。
動くはずのそれが、動かない。
先生と合流するまで動いてはいけないとずっと思っていたのに、身体は駆け出していました。
どうして先生との連絡を取らなかったのかは自分でもよくわからないので、説明できません。
その瞬間、わたしにはサワガニさんの予言を現実にしてはならないという意識がありました。
破滅の予言を学園都市に持ち込んだのは他でもないわたしです。わたしのせいでこの街が無くなってしまうと考えていました。
なぜサヴァン・ワガニンがわたしに未来視の中身を伝えたのかは、聞いていないので分かりません。
かつて自身が感じていた自責の念をわたしに追体験させようとしたのか。それとも彼が口にした通り、未来を変えてみせろという挑戦状だったのか。
わからないことだらけなのは間違いない。だが、状況をただ眺めているだけでいいはずがない。わたしは夜明けの魔女だ。力も地位のある人間だ。ただの学生、ただの子供に甘んじていいわけがないだろう。
黒い煙が高く上がっているおかげで、どこが燃えているかはすぐに見つけることができました。
誰が住んでいるか分からないけれど、洗濯物が干してあったり、夜には部屋に明かりが灯っている建物。わたしの知らない学園都市の誰かが住んでいる集合住宅です。
燃えている炎を見るまでは、本当にそこが燃えているのかわからないくらい静かでした。
今は違う。まるで滝のような轟音が全身を震わせています。大きな炎は生き物のようだ。発せられた熱はそのまま熱い風となって、まだかなりの距離があるのにも関わらず、全身に襲い掛かってくきます。
現場で燃えていたのはその建物だけ。延焼は始まっていませんでした。
炙られて焦げていたり、溶け始めていたりはするけど、まだ防災班が対処できる範囲の火災で収まっている。
もしかしたら、彼らは本部から出ずにこの情報を得ているのかもしれない。
先生とわたしで開発した新しい探査の魔法はこのためにある。さっそく実践使用して、延焼の拡大範囲の推測や避難計画などを確認しているのかもしれません。
そんなものは今、こうして現場に立っている側からすれば、どうでもいい。
目の前で燃えているのは住宅だ。家だ。人が居る。いたはずだ。
逃げ遅れた人が居ないかの確認と、そんな彼らの救助は今すぐにすべき行動のはず。
判断は早いほうが良い。即断即決。間違ったらその場で強引にでも修正すればいい。
どこかで聞いたような、聞いていないような信条の下で杖を手に取ります。野次馬は火に見入っていてわたしに気付いていない。突然火の勢いが増して逃げ惑う彼らに巻き込まれずに済みますし、思考に邪魔が入らなくて丁度いいでしょう。例外はいくらでもあるので、この建物に住まう人であろうと彼らからの情報を当てにしてはいけません。
先生とわたしで新しく作り、先程発注者に納品されたばかりの新しい探査の魔法の呪文を読み上げました。
魔法を使って見えたのは、一つの大きな炎の塊。
感度を間違えて、高い熱源である炎だけを捉えてしまいました。
急がなければいけないけれど、これは学園都市の目を借りる魔法です。一つ間違えば情報の津波によってわたしの頭が爆発してしまう。気絶している暇はありませんので、操作を慌ててはいけません。冷静に、冷静に。
調整しているうちに、間取り図を見ているかのように、建物の形が見えてきます。燃えて崩れていく家具や壁が段々と見えてくる。人間が居たとして、その形をした何かを認識できるようになるのは、もうちょっと。
顕微鏡や大きなカメラのようにピントを合わせるのだけど、今度は人間かそうでないかの認識ができません。
火の勢いが思っていたよりもずっと強く、どうしても精密さに欠けてしまうのです。
作っている間はそんなことは考えていなかった。理解してる人が見ればちゃんとわかるはずだと思っていたのは思い上がりでした。こんなもの、分かるわけがない。
調整している最中、人間とおぼしき物体を捕捉しました。では問題です。ここでわたしは何をすればいいのでしょう。
答えは簡単。見つけた人影をわたしの目が届く場所、手の届く位置に転移させればいい。ヒトが生きる事のできない場所から逃がす。できるだけ早く行動に移すんだ。このままではその命が理不尽に奪われてしまう。
火傷をしているかもしれない。熱にやられ一刻も早く体を冷やさなければならないかもしれない。そういった対処は見てから決める。イメージトレーニングはここ数日やっている。わたしは何でも願いを形にできる魔女。できないはずがない。
そう思いながら、わたしは新・探査の魔法で発見したソレを自分自身の近くに引き寄せました。
最初に感じたのは、焼けた木材の臭いでした。
続いて、とても大きな、黒焦げた塊が地面に落ちてきて、ぼとりと重そうな音を立てました。
水の蒸発する音がします。高温のものに触れた地面の水分が音を上げているのか、それとも塊自身の水分なのか。
ヒトと大型家具を間違えたのか。いいや、探査の魔法の基礎は先生が作ったものだ。大きな失敗でも無ければ魔法による観測は正確だ。タレにつける前の焼いた食肉の香ばしい香りがする。もしかして、誰かのペットの大型犬だったのか。それにしては随分と手足が長く、指が大きいような気がする。
気が付けば、わたしの思考は、それがそれであることを否定しようとしていました。
確認する方法はいくらでもある。わたしの五感、魔力もあるから六感を全て駆使すればいい。こんな時は質問形式だ。
それの大きさは150cm以上あるか、YES。
頭部と胴体のように身体のパーツは目に見えてわかるか。YES。
それはこの世界における動物としての条件に該当しているか。YES。
触れなくてもいい。明かりを照らして確認するまでもない。煤を払ったり、洗ってみる必要もない。
魔法の精度は確かだった。素人の学生が見ても、それがそれであると判断できる形で見せてくれた。
今、目の前に落ちてきたものは、火に巻かれて全身を火傷した、にんげんだった。
その日の出来事で、わたしが覚えているのはここまでです。
先生が探査の魔法でわたしを見つけ、あの場に向かった時にはたいそう驚いたそうだ。
杖を手に立ち呆けるわたしの周りには、逃げ遅れて火傷などの怪我をした人達が転がっていたそうです。
先生は、わたしが予言を回避すべく考えた結果、自分で対処可能な火事を意図的に起こして未来視に準えようとしたのではないかとも考えてしまったと笑っていらっしゃいました。
探査の魔法を使ったままだと気付いたのは、近寄って、まさに肩に触れようとした瞬間。
わたしは先生が傍に居る事さえ意に介さず、深く集中した状態で、虚空を睨みつけていた。その先にあったのが新しい探査の魔法だったそうな。
防災班は、新しい技術に対して懐疑的だった。
自分達の使う装置や技術が古いと自覚している。だから互換性がなく、無理に切り込めば不具合で全てが稼働不能になるのを恐れていた。自分達の伝統を守るため、学園の決定に際して無理難題をふっかけた。
なんとか形にしたものを持参した先生に対してああでもないこうでもないとケチをつけ始める。全ては現状維持のため。自分達のために。
それがどうだ。
新しい魔法は見事に人命救助を成し遂げた。それも厳しい訓練を重ねた班員ではなく、一般市民のわたしが実証してみせた。それだけ容易でありながら、必要な要件を全て満たすことができると見せつけた。
使いづらく分かりにくく精度も悪いものを後生大事に使い続ける必要はないと、彼らは思い直すこととなりました。
もうひとつ、彼らは公務員であるために、学園の中枢からの指示・通報が無ければ動けない。その結果がどれだけ良かったとしても、自己判断で操作すれば罰が待っている。命令が下りて来なくて動けなかったのに加え、野次馬たちは誰も防災班への通報をしていなかった。皆が皆、誰かが通報したと思い込んで、珍しい火事に見入ってしまっていた。
初動の遅さはこういった不幸な出来事が積み重なった結果だったそうです。
わたし自身の記憶は無いのですが、ようやく動き出せた防災班による消火活動が始まってもわたしは手を止めていなかった。先生が尋ねると、消火の際に二次災害があってはならないと一言だけ言い返したらしいです。
結局、ひと段落付くまでの間、わたしは探査の魔法を展開し続けていたそうだ。ひどい疲れが目覚めてからもあるのはこのせいです。
これだけ盛られた話を聞くと、誰かの手柄を押し付けられたのではないかと考えてしまいます。
わたし一人で火を消したわけじゃないし、逃げ遅れた人を救助したわけでもない。真っ先に駆け付けたのは夢の中での未来視が現実になるのを防ぎたかったからだし、人助けは先生と一緒に作った探査の魔法があったから。
以上をもって考えるのであれば、皆の手を借りて場を収めたというのが正しい。太陽の魔法をもって学園都市を救った夜明けの魔女に箔をつけるにしては他人の手を借り過ぎで、小規模で、インパクトが足らないと思います。
花火も遊ぶ約束も守れなかった代わりに、わたしは勝負に勝ちました。
崩壊を予言された創立記念式典の締めとしての花火を無事に乗り越えた。
予言の日を越えて、学園都市はいまだ健在である。