挑戦状
他人とのコミュニケーションの難しさを夢の中で噛み締めているアサヒです。
質問を質問で返したら、さらに質問でお返しされてしまいました。
もし夢の内容を思い通りにできるのなら、介入している魔王をこの場に引き留める事もできるでしょう。
これが魔王との決戦を目前に控えたタイミングならば、何日経っても目が覚めぬわたしを救うべく夢の中に皆が突入するのを待つなんてこともできるかもしれない。
当然ながら、わたしにはそんなことはできません。
今の段階では学園都市が束になっても全力のサワガニさんには敵わないでしょう。理事長が選抜した精鋭が、サワガニさんどころか最終処分場に住まう野生動物にも手出しができないのです。わたしの知る限り、戦闘を意図的に起こしたバグでキャンセルするなどのチートを用いなければ彼への勝ち目は無いのです。
いつ目覚めるかわからない以上、返答を保留するのも選択のうち。
あんな光景を見せられて、今すぐどうするかなんて決められるわけがありません。
思考を操り、自分が求める返答を口にさせようとしているのならば、わたしは今以上に焦っているはずだ。見せられたものが来るべき未来と言ったサワガニさんの言葉を鵜呑みする。どうすれば未然に防げるかを考える。学園都市があってこそのアサヒ・タダノ。自分だけ助かっても意味がない。先生を、見知った人をあの災禍から救い出そうと頭を抱えている頃だろう。
現在、それが無い。彼の言葉を疑うだけの余裕が残っている。つまり、理事長から与えられた壁はまだ破られていない。サヴァン・ワガニンが最も得意とする心に干渉する魔法からは、今も守られていると判断します。
では、わたしはこの難題に対してどう行動するのか。状況をどう考えて、どんな対応をすべきのか。
答えを誘導されていない。一般的な例を示して選択肢を提示されてもいない。だから素のままのわたしの答えを言える。たぶん、言っていいはずだ。
「わかりません。」
分からないものはわからない。返答不能。それがわたしの選択です。
こうして夢の中で接触してから、サワガニさんが見てきた未来はわたしが全部変えてしまいました。
学園都市がサワガニさんの勢力との戦いで滅び、クロード君もサワガニさんも死んでしまう。今際の際にクロード君がとんでもないことを願ってしまった為にわたしが不死の存在となり、やがて黎明の魔女として名を馳せる。そういうシナリオを書き換えて閉まるはずの未来をこじ開けた。世界の情勢は変わっていないけど、終わりの日を過ぎても二人は生きている。
このことから考えると、わたしが内容を知った時、彼の未来視はただの夢物語に早変わりすると考えられます。
サワガニさんの夢を見たと報告したことで、さらに強力な魔法がわたしにかけられて、わたしがわたしでなくなってしまう可能性がある。
そんな余計なことが起きたことで学園都市の機能が低下してしまう可能性がある。
花火の魔法の再調整を依頼して、絶妙なところで成り立っていた魔法のバランスを崩してしまう可能性がある。
誰かが調整に手を加えると口出ししたことで、学園都市の人間関係に亀裂を入れてしまう可能性もある。
動いたことで、わたしが災いの元凶となるかもしれない。
凄惨な悲劇を起こすまいと死に物狂いで手を尽くし、結果としてその惨劇の引き金を引いてしまったなんて事はしたくありません。行動を起こすなら望む結果を得たいと願うのが人間なのです。
どう答えるのが正解だったのかはわかりません。
非常に驚いている様子から察するに、サワガニさんが予想していた返答ではなかったようです。
そういえば、彼はわたしがどう判断して行動するかを尋ねていました。「わからない」では質問に対しての答えになっていないかもしれない。言い直しましょう。
「わからないので、何もしません。」
「なにも、しない?」
サワガニさんは、わたしの口にした言葉を反復します。
迫る危機に対して何も行動を起こさないという思考が理解できない。呆然とする少年の表情からは、そんな感情を読み取ることができます。
そもそも夢なのだ。
夢は何もかもが支離滅裂。時間軸も物理法則も、あらゆる常識が通用しない。
過去に受けた虐待と、今の学園都市での生活という全く別の事象を混同することもある。
教室に父親が現れて先生の制止を振り切ってわたしを連れ戻そうとする夢を見た。先生との食事に母親が割り込んできて、わたしの食べ方に逐一ケチを付けてくる夢も見た。学園都市に通うことなく寒い蔵の中で目覚める夢も見た。家庭教師として先生が実家に来る夢も見た。全く知らない教室で、知らない制服で、魔法の無い世界で楽しく生活する夢も、今の学園生活が全て夢であると認識する夢も見た。
ひょっとすると、魔王サヴァン・ワガニンと対話をしている今のこの状況も、わたしの内側で完結する夢だったりするかもしれません。
それはこれから起こりうる可能性の一つかもしれない。だが、夢なんだ。
未来なんて誰にも分らない。高確率で当たるという占いも外れがある。火の不始末や魔法の失敗なんて日常茶飯事だ。いつ大きな火災になってもおかしくない。そういう未来を観測したとしても、自分自身が放火魔になる必要なんてどこにもない。何かするにしても、小さなミスの積み重ねから大きな事故にならぬよう、より一層用心すればいいだけ。
怖い夢を見た。それだけだ。
「ボクの力を! ただの夢! お前はそう言い切るのか!」
何の音もない教室に魔王の笑い声が響き渡りました。
偉大なる魔王様に対しての発言としては不適合だったかもしれません。もしこの場に取り巻きが居たのなら、不届き者とか無礼者と罵られていたことでしょう。
そんな状況ででもわたしは信じないだろう。わたしの知る限り彼の予言は一度も当たっていない。彼や彼の手先がその予言を現実のものとすべく行動したりしない以上、起こるはずがない。
「ボク自身を全て使ってまで教えに来たのに、信じないときた! ああ、愉快だ。これが愉快でなければなんだ!」
自身の未来視をわたしに教えるために、学園都市と戦闘になった際に状況をひっくり返す為に潜ませていた分体の魔力を全て使ったとサワガニさんは笑いながら語りました。後に起こりうる戦いで不利な立ち回りをしなくてはならないリスクを負ってまでやった行為が無駄になったのです。笑いたくもなるでしょう。
そんな努力なんてどうでもいい。
アサヒ・タダノは大人の言葉を一から十まで素直に聞き入れない。わたしの首を縦に振らせるにはごまかさずに説明し、納得がいくまで対話する必要がある。それは先生であっても例外ではなく、順序や説明を怠った話は聞きたくなどないのです。
魔王の分体との会話は、相手から挑戦状を突きつけられた瞬間に強制終了させられました。
視界の外にある何かで頭を殴られて、目が覚めました。
まるで話は終わりだと言わんばかりのタイミングの出来事。その瞬間は殴られた事にしか意識が向きませんでしたが、実際目覚めてみるとなんてことはない。ベッドから転げ落ちただけ。最後かもしれなかった対談は落ちて頭を打った衝撃と、その痛みで終わることとなりました。
現実世界での事故が起こる直前、彼は最後に、この一言で場を締めくくりました。
「夜明けの魔女、我が盟友よ! 未来を変え我が目を眩ませてみせよ!」
もし、わたしがまだ夢の中に居たのなら、彼はどんな演説をしていたのでしょう。
今回も未来予知が外れればその信頼性は音を立てて崩れ去ってしまう。サワガニさんが幼い頃から持ち続けた自身の力の否定になる。でも彼は予知を変えてみせろと口にしました。ならば、当たらない予測など必要ないと言葉を続けていたかもしれません。
「何も見たくなければ自分で目を閉じてください。」
聞こえてはいないだろうけど、言っておかないといけない気がしたので呟きます。
自分ひとりで終わりへの恐怖に震えていればいい。わたしは怖い夢を見て泣くあなたを優しく抱きしめる母親ではないのです。
明け方のひんやりとした初秋の風は、今日も穏やかでした。