アサヒ、契約を破り捨てる
社会科見学を名目とした反攻作戦の起点になる作戦、魔王サヴァン・ワガニンが潜伏しているとされる樹海に、何らかの魔法陣を布く行事は歴史的な大失敗に終わりました。
何の成果も得られなかったわけではありません。得るものはありました。
とはいえ、分かったのは、原住民を相手に全く太刀打ちできない学園生徒の実力不足のただ一点。
学園内でも選りすぐりの優秀な生徒に夜明けの魔女を加えた錚々たるメンバーを揃えたはずだった。例え現地に直接向かったのが人形だったとしても、実力は十分に発揮できる予定だった。それが為す術もなく、どのチームも一度の会敵で壊滅させられてしまったのだ。失敗でなければ何だというのでしょう。
どれだけ似せて、どれだけ近付けようと、人形と人間のそれでは違いがあります。
軟体生物の動きは人形の目では見えなかったけれど、肉眼なら見えていたかもしれない。突発的な危機に際し、人間の本能が起こす行動があればピンチを回避できたかもしれない。失ったら終わりな自分の命を現地に置いていれば、先輩たちの実力に気を緩めて周囲の探査を怠っていなかったかもしれない。
反省点を挙げれば尽きませんが、過ぎたものをあれこれ語っても仕方ありません。
関係ない野生動物相手に苦戦しているようでは反攻作戦どころではない。同じ轍を踏まぬように今後の方針を検討し直さなければならない。動き始めてしまった以上、歩みは止められないのです。
理事長の失態は作戦の失敗だけに留まりません。
今回、参加者全員が死の瞬間を、自分達が抵抗さえもできず命を奪われるという理不尽を体験してしまいました。
樹海に送られていた人形のダメージがこちらと同期していなかったのは不幸中の幸いと言えるでしょう。
遊園地での擬似体験型のアトラクションと考えればいい。たかがゲーム。勝ち負けに自分の命をかけるほどのめり込む必要はありません。ですが、そういったものとは縁のない高貴なご身分のお方がいれば、擬似体験など見聞きすらしたことのない貧しい育ちをした者もいる。
彼らにとって、失敗とはすなわち自身の価値を落とすこと。たった一度のミスさえ許されないと教わったり、失敗が死に直結する光景を何度も見て育ってきたなど、学園に来る前の様々な経験が意識の奥底に根付いています。
自分が負けることを想定していない傲慢さが上乗せされたことで、予想外の失敗と死の擬似体験は彼らの大きな心的外傷となってしまいました。
自信付けさせるつもりで学園の最高戦力を挫いてしまうのは本末転倒。敵に塩を贈るようなものですので、こちらへのケアも大切なのです。
さて、即死体験を経てまたひとつ大人になったアサヒです。
わたしの手元には、とある団体への加入申し込み用紙が手元にあります。
これに気が付いたのは、自分が何も為せずまま死ぬという擬似体験をした日の夕方でした。
作戦失敗の反省会を兼ねた緊急職員会議に出席する為、先生は自宅には不在。帰れる見込みがないとのことで宿舎に戻ったのですが、、使用していないわたしの郵便受けに大きな分厚い封筒が入っていました。
宛名はありませんが、わたしの部屋番号の郵便受けにさし込まれていたのだから、わたし宛てなのでしょう。
送り主の欄には『弱い魔力の地位向上を考える会事務局』と書かれていました。
いわゆる勧誘のダイレクトメールというやつです。
送り主の名を見て、見なかったことにしようとも考えました。
これを投函した相手が何を考えているのかは封を開けずともわかります。
開けた事で興味があると認められ、契約を成したとされる魔法がかけられていたのでは困ります。
中身を確認するにあたり、ナミさんとマツリさんに同席して貰いました。
他人の目があれば封を開けた時点で契約が発効するのを防げますし、無効を訴える際にその意思が無かったと証言して貰う事ができるのです。
封筒の中身、小さく折りたたまれた紙は、パンフレットと契約の書面である申込用紙。漫画のように挿絵をふんだんに使用したものと、文字が端まで詰められた紙がそれぞれ十枚ずつ入っていました。
その量に呆れつつも、三人で読み回し、全て同じ内容であると確認します。
絵の多いチラシは読み書きが覚束なかったり、三行以上の文章を読めなかったりと、物事への理解がしづらい人に向けたもの。どんな出自であろうと門戸は開かれているという態度の表れなのでしょう。
名前を覚える気はありませんので、彼らのことは『弱小団』と呼ぶことにします。
弱小団の目的は、魔力の弱い魔法使いの家系に無い者達で寄り集まって、一つの大きな力となって多数派である魔法使い達に訴えかけようというもの。
どれだけ魔力が強かろうと一人の魔法使いは一人の人間でしかありません。加えて魔力の無い者への魔法の行使は許されざる蛮行。もし人間同士の戦争に使われれば悪しき魔法使いとして非難の的となります。相手がただのヒトとなれば、多勢に無勢。
要するに、暴力を人の数で制御してやろうというのが彼らの行動の趣旨になります。
純粋な魔法使いの家系に無いものを尊ぶという面では、わたしの魔法の暴発で閲覧禁止の資料を見てからは鳴りを潜めている洗濯会とは真逆の立ち位置にあると言えるでしょう。
「なによ、これ。」
汚い物に触れるかのようにチラシの一枚を摘まみ上げ、ナミさんは不愉快だと呟きました。
わたしと同様、ナミさんも魔法使いの血を継いでいませんが、彼女の下には彼らの勧誘は届いていない模様。
それもそのはず。規格外の量を持つポールとマッシュが居て、英雄視されるクロード君が居て、原初の魔法とよく似た魔法を持つわたしも居る中で目立ちはしませんが、彼女の魔力は普通以上。
勧誘が届かない理由は単純明快で、ナミさんの持つ魔力の強さは弱小会の基準を超えているのです。
洗濯会が標榜する通り、どれだけ能力があっても魔法使いの家系に無いのは差別の対象になってしまいます。
魔法使いの家系を持たず、それでいて魔力も弱い者だけが参加条件を満たしている。そんな弱小会は片手落ちだと思いました。
こういった集まりへの参加は拒否します。
一番の理由として答えるなら、彼らの言う魔力無しにわたしは該当しない。
皆が使う呪文を唱えた魔法は使えませんが、わたしには願いを形にする魔法がある。使えないと判断されたのは測定不能を暫定的な措置として置き換えていたからです。
近しい関係にある人達から差別を受けたりしていないのも不参加の理由になります。身の上の事情を知っていて、不憫に思っているからだと指摘されると否定できませんが、それが全てじゃないはずです。夜明けの魔女という称号を得たのだから、それを加味しても、わたしが今の環境で肩身の狭い思いをしているとは言えないでしょう。
それよりも、なによりも。
過剰なほどにデフォルメされた絵柄の漫画で、誰にでも該当するようなシチュエーションの中から不快感を煽り立てようとする内容を読ませ、何もないところから被害者意識を引き出そうという思考の誘導が気に入らない。
折り畳まれたパンフレットを開いた時、絵のある紙が真っ先に目に入りました。
わかりやすさを念頭に作られているのは間違いないと思います。ですが、不定期のセミナー参加や上納金や勧誘ノルマなどの本当に重要な内容は漫画に書かれていないのです。
これは契約のための書類であり、全て記載されているはず。そう思って探してみると、文字が印刷領域のギリギリまで詰め込まれた中の、さらに半分以上小さい文字で書かれているのを見つけました。
敢えて必要最低限の輝かしい部分だけを見せるという狡賢いやり方も気に入りません。
わたしは確かに学年の中では最年少だけれども、子供だましに引っかかると思われている。見くびられている。
こんなもので簡単になびくと思われているのがまったくもって面白くありません。なので、何度でも言いましょう、参加を拒否します。
彼らの主張は、自分達の劣等感は他人のせいであるという決めつけです。
体制への不満と反発も彼らの熱意の源なのでしょう。
主張するのはどうぞ好き勝手にやって頂きたい。そんなものにわたしを巻き込まないで欲しい。
だいたいが、このダイレクトメールをわたしの元へ送り届けた人物は、わたしが好きな人が、彼らが敵視する学園の体制の側にいるという事実を見逃してしまっていのです。
些細な事でも先生には報告連絡相談すると教わっていますし、それについての抵抗はありません。
当然、この勧誘ダイレクトメールは報告の必要がある何かであると判断します。
二十枚のパンフレットと契約の為の用紙を先生に提出しようと考えて、存在しない人間の名前を書いて机の上に置いておきました。その行動がどうもよく無かったようです。
翌日、それは封を切った封筒含めて全て消えてなくなってしまいました。
物証を無くしてしまったので、弱小会がわたしに接触を図ろうとしていると立証できません。
名前欄に記入した後に消えたという状況から、サインされた時点で相手先に転送される魔法がかけられていたのかもしれないと、先生は予測されました。
筆跡がわたしのものである以上、記入してしまったヘンテコな名前で登録されてしまったのではないか。
その懸念はすぐに現実のものとなり、帰り際の廊下で、わたしは記入したヘンテコな名前で呼び止められました。
「ええっと、ダシ・タマゴ=ヤキ・オ・イシイさん?」
それは二人で料理教室を行っていた際、先生が編み出しました。味噌汁やすまし汁などに使われる出汁を混ぜ込んだ玉子焼きです。個性のない食感だけの玉子焼きが劇的に変わる世紀の大発見。傍から見れば車輪の再発見かもしれませんが、これは自分達で見出すことに意味がある。
わたしが名前の記入欄に書き込んだのは、その時食べたかった先生の料理でした。好き嫌いはあるでしょうけれど、先生が作る出汁溶き玉子はとてもおいしいのです。
わたしの舌さえも喜ばせてくれる先生の読みが的中するよう心の中で願いながら、わたしは用意していた呪文を口にしました。
「誰ですか、それ。」
先生から提示された作戦。ずばり、シラを切れ。
魔法使いの社会で最も使われている契約の魔法は偽名でも効果がある。だが、契約者の片方がふざけた名前を認めなかったり、どちらかがその名前が別人だと言い張ったりすれば、契約は無効になってしまう。
先生の案は、魔法使い達が一般的に用いる契約の魔法である前提です。もし通用しなかった場合、弱小会は特殊な契約を持ち出していることになります。当然、それに対応する別の手段を用いなければ契約は無効にできませんので、まずは一目散に先生の下へ走るように言われています。逃げに関しては負ける気はありませんが、できることなら全力疾走はしたくありません。
「えっと、ほら、ニックネームで呼ばれてたりしない?」
「知りません。」
筆跡からクセを抽出してサインを偽造される危険性も考えて、本名は名乗らない。そのサインを書いたのはわたしであるなどと、余計な事も言わなくていい。とにかく表記したという物事全てを否定する。そうすれば、自分が書いた契約書のサインを無力化できるかもしれないと、先生から教わりました。
「急いでるので失礼します。」
「ああ、うん、人違いだったみたいだ。呼び止めてごめんね。」
契約書がただの紙きれになるまでを見届けたかったけれど、ボロが出てしまうかもしれません。なので、そのまま立ち去ることに決めました。
刺激せぬようゆっくりと廊下の切り替わる門をくぐり、ホットゾーンを離脱。追っ手も無し、作戦任務は完了です。
一見大人しそうな印象を受けたあの先輩も、力のある者への嫉妬を隠せない弱小団の一員です。
人は見かけによらないものだと、改めて思いました。