議論は振り出しに戻る
先生の手作りアクセサリーは、製作者に頼めばすぐに直して頂けます。
カエデさんから頂いた時点で壊れていたのだから、元の姿に戻っただけだ。そう考えれば、踏んで壊れてしまった事など大きな問題ではない。わたしでも踏んでしまった事が何度かあるのです。人の事をとやかく言えません。
形ある物と違って人間関係というのは修繕に手間と時間がかかるもの。
もう元の形には戻せぬ程崩れてしまったと思い違いをしているならなおさらでしょう。
ヘアピンを壊してしまったことを気にしていないと伝えたところで、彼女が言葉通り捉えてくれるとは思えません。
手渡されたその瞬間に、わたしは大粒の涙を浮かべ、震える声で語りかけてしまったのだ。これがどういった印象を与えてしまうかを推測できないアサヒ・タダノではありません。
意図的にそうやっていたのならば演技の素質がある。舞台女優を目指すのもいいかもしれないと、心の中で思いました。
本来ならば被害者として事情聴取に応じるべきなのですが、何も盗られてはいないので、そちらからも逃走させて頂きます。
警備隊の到着で物々しい雰囲気に包まれた図書室を抜け出したわたし達はナミさんの自室へ移動して、数日ぶりに言葉を交わしました。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい。」
道中も、部屋に入ってからもずっと謝り続けるナミさんは、今も、色々と勘違いをしています。
わたしが彼女を軽蔑し、心底呆れ果てているのではないかと震えているのです。
その勘違いを抱えたまま、つい先ほど、喧嘩している友人と仲直りする前にその友人の宝物を壊すという大失敗をしてしまった。もしこれがナミさんの勘違いの通りだったなら、関係の修復が見込めない程の取り返しのつかないことになってしまったことになる。
今、彼女はそうであると考えて、わたしの目の前で怯えていました。
壊してしまったのは本当にただの事故。そんなのはわかっています。ナミさんから受け取った際の涙は自分の不甲斐なさに対してのものであり、決して友人に宝物を踏みにじられてしまったことへの悲しみではありません。
そもそも、三日前の議論の時から、わたしは喧嘩していると思っていないのです。
口の悪さや当たりの強い語り方はいつものことですし、わたし達は軽口を叩ける気の置けない仲です。友人でなければ傷付くような冗談も言い合いもしています。そんな間柄なので、きつい言い方で議論を交わす程度、なんとも思わないのです。
たまたま自分が譲れぬ考え方が話題の中心になった。相反するものを友人が持っていた。それを割り切れば話はもっと単純だったけど、お腹が減って頭が回らなかった。多分そうだ。そうに違いない。
順を追って話を整理しましょう。
助けに入ることができたのは、普段は入らぬ図書室に彼女が現れたからだ。先日喧嘩してしまったクラスメイトが本を片手に教室を出て行く姿を見て、二人きりになるチャンスだと考えた。
図書室ならば、他の人の迷惑になるという建前があり、声を荒げない会話ができるであろう。落ち着いて話ができるに違いないと考えたそうです。
教室でずっと顔を合わせてはいたけれど、無視を始めたのは自分自身。プライドを自ら破り捨てるには他の三人や先生の目もあるのでできなかったのでしょう。
図書室なら静かに話し合うのに適していると思ったそうですが、教室以上に人の目があります。知人の前では恥ずかしくても、知らない相手ならば良いという不思議な判断基準がナミさんにはありました。
ナミさんから話をしようと持ち掛けてきた理由、自分から始めた無視をやめると思い立った切っ掛けは、彼女の父親からの助言でした。
友人と議論を交わした晩に喧嘩別れしてしまったことを両親に手紙で伝えたそうで、その返事が昨日届いたそうです。
学園都市の魔法で違和感なく意思疎通ができるのですが、元々わたしとナミさんでは口にする言語が違います。わたしにとっては外国語でつづられた手紙。読むことができませんので、ナミさんに読み上げて貰いました。
事態の深刻さを考慮してくれたのでしょう。お父さんからのお手紙は時候の挨拶も無しに、『もし前の学校で受けていたいじめの原因がナミさんに振り向いて欲しかったからだとしたら、君は彼を許せるか』という問いから始まりました。
愛を暴力で受けた子は当然親を嫌うだろうし、愛情に答えぬ子を嫌うようになる悪循環が起こりうる。ナミさんがいじめの理由がどうであっても彼を許さないと思うように、アサヒちゃんは彼女の両親を許したくないはず。まずはそれをわかってあげてほしいと、ナミさんのお父さんは娘を優しく窘めていらっしゃいました。
ナミさんにもわかるように、彼女の体験を例に出し、どんな思いがあっても伝え方が悪ければ伝わらないと綴っています。鬱陶しい時があるとは聞いていたけれど、決して一辺倒に溺愛する娘の味方をする親バカではないようだ。
続けて、ナミさんを思い直させたお父さんの言葉を読み上げて貰います。
『強い言葉で言い争ったかもしれないけれど、聞く限りでは交わした議論の中でアサヒちゃんが腹を立てているのかパパには分からない。勇気があるのならでいいんだけど、まずはいつも通り話しかけてみたらどうだろう。』
ナミさんのお父さんの言う事はごもっとも。ご推察の通り、わたしは議論の事など何とも思っていない。それどころか、無視されてしまってちょっと寂しく思ったりしていました。
最初から無視などせず、いつも通りに挨拶を交わすだけで良かったんだ。
たった一度の議論でわたし達の間にわだかまりが残るわけがない。心配などしなくていい。それが友達というものでしょう。
お父さんからの手紙は、友人と再び笑えるようになって欲しいという願いの言葉で締められていました。
手紙を畳んだ後も、ナミさんはモジモジしていました。
仲直りがしたいと思っていたのに、本当に偶然の、たった一つの出来事で余計に事態をややこしくしてしまったんだ。どんな批判が来ようとも受け入れなければならない。それだけの大きな罪を犯してしまったと彼女自身が認識しています。
これを好機と捉え、何の罪もない彼女に罪の意識を植え付けて、下僕として扱うような性根の悪い友人ではありません。三組の貴族のご子息ならば利用していたでしょう。わたしは彼とは違います。そんなこと、やりたいとも思いません。
改めて、わたしは最初から最後まで、なにひとつ怒ってもいないことを伝えました。
「ホントに?」
「はい。拾ってくれてありがとうございました。」
わたしの言葉をなおも疑うナミさんに対し、何度目かわからない感謝の言葉を述べます。
すれ違いはここで正す。わたしはそれでいい。ナミさんが同意してくれさえすれば、それで解決です。
手紙の内容を聞いただけですが、三日前、親は子を愛すると言って譲らなかったナミさんの気持ちがよくわかります。
相談できて、それを真摯に受け止めてくれて、ただ味方するにとどまらず、最善と思われる方法を考えてくれる。一人娘の意思を尊重し、学園がナミさんには合わないと否定しない。こうしてトラブルに見舞われても今すぐ全部捨てて帰って来いとは言わずにいる。この性格のせいで孤立しやすい娘の心強い味方。それがナミさんにとっての両親なんだ。
わたしの両親とは大違い。これこそが親のあるべき姿。今さら見習って良い親になれとは思わないけれど、爪の垢を煎じて飲ませたいくらいです。
「じゃあ、アサヒさんのご両親にも愛があるって認めてくれるのね?」
「それは絶対にありえません。」
ナミさんの安堵のため息でひと段落付いたと思ったら、中断していた議論が再開されてしまいました。
親子の愛が素晴らしいのはあくまでナミさんの家のお話です。
それがわたしの両親に適用されるとは一言も言っていない。考え方はこれからも変えるつもりはありません。
再び喧嘩別れになってしまうのを避けるためにある程度の妥協点を探し出す必要があるけれど、なにより数日振りに話すのが嬉しかった。語り合いは夜更けまで続き、先生の家へと向かうのが遅くなってしまいました。
色々スッキリした後の、ひんやりとした夜風は心地良かったです。
人それぞれに考え方があって、その考え方のひとかけらが絶対に相容れない深い溝になっていても、人は仲良くなることができる。
新たな知見を与えてくれたナミさんに、感謝です。