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太陽は学園都市で恋をする  作者: いつきのひと
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愛妻料理/お袋の味

 ボロボロの本が先生の家から発掘されました。

 表紙は日に焼け色が褪せ、端も擦り切れて、綴じ口の糊が剥がれて取れているページもある。ふやけていることから、長い間劣悪な環境のの場所に放置したか、実際に使われていたものだと推測ができます。


 ごく一般的な家庭で作られる料理の調理方法が記された本。

 正直、写真では写りの悪さと印刷の経年劣化で美味しそうには見えません。


 それは、先生にとってのお袋の味というモノを指す一冊でした。

 わたしが来るまで先生が料理できなかったのは環境のせいです。大前提の調理方法をよく知らなかった。指摘し合い、切磋琢磨する相手が居なかった。教えを施す師ですらズボラであった。だから一念発起し料理の本を手に取ったものの、記載の表記がどれもわからなかったそうです。

 適量ってなんだ。少々とはどれくらいだ。ひとつまみと書かれているけど手の大きさは個人差がある。その差を考慮すべきか否か。鷹の爪って何だ、トウガラシと何が違うんだ。灰汁とは、一晩寝かせるとは、料理とはなんなのだ。


 何も知らない学生時代の先生から見れば、それはまるで暗号だらけの術式。

 開くたびに内容の難解さと、それを理解できない自分自身に絶望したそうな。最初に開いた時は理解の及ばぬ魔導書を開いたかのようだったと先生は語ります。


 挫折を繰り返しながらも、自分と同様学食かファストフードで済ませてしまうカエデさんの為にと立ち上がり、この本を見ながら腕を振るったそうだ。先生は、頑張ったんだ。

 理解できぬ苛立ちから部屋の中に投げ捨てて、遂には荷物の山に埋もれてしまっていたこの本は、先生にとっては思い出の失敗の一つと考えられるでしょう。


 ただでさえ調理が覚束ないので、料理で先生を虜にするのは諦めていました。

 自分の手料理を先生に振舞いたいという野望に手が届くかもしれません。なぜならば、先生にとっての母の味は全てこの使い古された本の中にあるのです。




 お袋の味、母の料理というものをわたしは知りません。

 母は、奥様ではあったけど、料理をする主婦ではありませんでした。


 娘の泥遊びを見ただけで気を失うような、娘以上に良い家で生まれ育ったお嬢様は、嫁に入った土と汗にまみれる農家を嫌っておりました。

 本で見た貴族の振る舞いによく似ていた事から、どこに嫁がせてもいいようにと厳しく躾けられて育ったのは窺い知ることができます。そのプライドがあったのか、教養こそあれど、自身の立場に不満のある母が率先して家事を行う事はありませんでした。


 ただそこに在るだけの存在で、それが仕事と言わんばかりに周囲を威圧し、夫の権威を知らしめるかのように君臨する女王です。

 いつまでも若いと皆に褒められていましたが、実の娘であるわたしからは十分老けて見えました。



 そんな彼女が自分で何かをする際は、いつも周りに迷惑がかかっていました。

 台所に現れる母はいつも「腹が減った」「メシが臭い」などと文句ばかり言って使用人を困らせていました。客人へのもてなしとして出された料理が気に入らず、家の品位に傷をつけるつもりかと金切り声を上げて台所で暴れ回った事は今でも鮮明に覚えています。記憶を映像として出力する魔法があれば、きっとシワのひとつさえも鮮明に記録された高画質の映像としてお見せする事もできるでしょう。


 辺り一面全部自分の土地とする地主。一人娘を手切れ金と一緒に学園都市に放り投げる程のお金持ち。権威を示すため、雇用促進の責務のため、家事は全て使用人任せ。指示はするけど手は出さないのがわたしの両親です。



 親の味を知らぬのが不幸だとは思いません。親というもの自体否定はしませんが、わたし自身があの両親を嫌っています。

 どれだけ嫌いであろうと料理だけは美味かったなどという好意的な感情を持ちたくないのです。



 懐かしい味を口にして人は一体何を思うのかが知りたい。

 表現としては読んで知っているけれど、なにぶん親が嫌いなので実感が無い。

 人体実験のようで気は引けるけど、先生の反応で学ぶのも間違いではない。たぶん、そのはずです。

 わたしの、わたしによる、先生のための何度目かわからない手料理チャレンジが、いま始まりました。





 先生が幾度となく挫折した本の内容は、まさしく難解そのものでした。

 その知識を使いこなす為に、本の内容を理解する知識が必要だったのです。


 計量の単位が何一つ統一されていない。これは水と固体の計り方がそれぞれ違うことが原因なのだけど、逐一換算しなければなりません。

 それだけならばいいのですが、唐突に予熱されたオーブンが飛び出してくるし、ハンドミキサーや冷蔵庫、出力すら指定された電子レンジも無造作に現れる。野菜の皮むきを包丁で行うように指示されているけれど、皮むき器を使うのとどう違うんだ。細かく刻んでかき回すのと、ミキサーを使用するものの差はなんなのでしょう。

 調理器具だけではありません。用意する材料の中に含まれていないサラダ油が、オリーブオイルが、ゴマ油が思考に襲い掛かって来る。ミントと簡単に言うけれど、ペパーミントやスペアミントやシソなど豊富な品種が存在し、風味もそれぞれ違っているのにどれを選べというのでしょうか。

 問題はまだある。品種改良によってこの本が発行された時代よりも野菜の性質に大きな差ができています。この本だけでは下ごしらえが不要か必要かの判断ができません。



 面倒です。とても面倒です。

 本の中身はあまりにも不親切。前提を全て学び終えた者ならば難しい内容ではないかもしれませんが、わたしは学校というものに入ってまだ一年と半年のヒヨッコです。知恵を我がものとする為に知恵を働かせ、それを越えた先に立ち塞がる壁を粉砕しなくてはなりません。

 我慢強い先生が投げ出してしまった気持ちがよくわかります。これだけの労力を賭して、得られるのは口に入れるほんの一瞬なのです。苦労に対して得られる幸福感があまりにも小さすぎる。大家族ならばあっという間に消えるだろうけど、一人分ではどうしても材料を余らせてしまう。食料は全て流通に頼る学園都市での食品ロスは由々しき問題だ。


 学校の食堂で済ませるか、出来合いの総菜を買ってきた方がいい。楽でありながら、ありとあらゆる問題が解決できる。何でも解決できるお金の力は素晴らしい。

 そもそも学園都市の機能は学業だけで精いっぱいの学園生徒の為にあるのだから、利用しないほうが間違っている。積極的に利用すべきなんだ。


 レシピを頭に叩き込んだ上で手作業を全て省略し、魔法で料理を完成させることも考えました。

 願いを形にする魔法はわたしだけのもの。この魔法で作られた料理はわたしの手料理と定義できるのではないか。その行為は反則であり、自身の手で完成させなければ意味がない。自分だけが口にするのならばそれでも構いませんが、わたしは先生のために作たいし、食べさせたいのです。

 用意された最適解をわたしは蹴っ飛ばすのです。そう、先生のために。





 読み解いて、材料を調達して、切り分けて、調理して。

 グロテスクな料理と呼べるかどうかも怪しい何かではない、見た目だけはちゃんとした料理を完成させました。


 魔法の補助がなければ日常生活にも支障が出るわたしが、魔法を使わずに作り上げたのです。

 塩と砂糖を間違えるなどという初歩的なミスは犯していない。旨味調味料とそれらを間違ったりもしていない。先生を想って愛情込めて作られたコレは、母の味を再現した愛妻料理と呼べるでしょう。

 心配しながらも台所を任せてくれた先生には驚いて頂きました。とてもおいしいと太鼓判も頂きました。



 ただ、当初の目的だった懐かしの味の再現には失敗してしまいました。


「これ、こんな味だったんですね。」


 穏やかに笑う先生がそう口にしたことで、間違いに気付きます。

 かつての先生はこの料理の本の全てを理解できていなかった。つまり、先生が懐かしむ料理とは失敗作の事だった。わたしは今日、想いの強さが勝ってしまったせいで、不格好ながらも完成された料理を出してしまったんです。

 

 先生の胃袋を掴みたいと逸るあまり、先生が解読を諦めた料理の本であることを失念していました。

 わたしの手料理をおいしいと言ってくれたことに何の不満も無い。読むだけで頭の痛くなる思いをしながら作った甲斐があった。だけど、懐かしの味を感じることで日頃のストレスから解放するというわたし本来の願いは叶わなかった。それが先生のためだと信じて疑わなかったわたしの想いはあと一歩のところで届かなかった。ああ、なんてことだ。


「あ、いや、本当ですよ。」


 先生は落ち込むわたしを見て、苦労をねぎらうために不味いものをおいしいとする優しい嘘だと捉えてしまったと感じたのでしょう。慌てて嘘ではないと取り繕いはじめてしまいました。


 大丈夫です。わかってます。おいしいと言ってくれて、完食してくれてとても嬉しいです。

 ちょっとだけ、自身の思い違いが悔しいだけなのです。


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