中間試験免除のクラス対抗戦
運動は苦手です。
左腕が肩の高さから上がらないだけが原因ではありません。
腕の力は手に包まれて逃げ場を失った虫が抵抗するかの如し。
走れば足がもつれます。競技として走って勝てた事は一度もありません。
腹に力を入れるという、お腹を硬くするのを意識しても大きな声が出ません。本当にただ喉が痛いだけで終わってしまう。
小さい身体に沿うように体重も羽のように軽い。それなのに、まるで全身に錘を付けられているかのように身体が重いのです。
魔法で身体能力を強化して、思い通りに動くことができて、初めて身体が軽いと思いました。
その運動嫌いのわたしが球技の舞台に立つ事になってしまいました。
特別学級はメンバーがいません。その競技を行うのに頭数が揃わない不戦敗はあまりにも情けない。
普段は喧嘩しかしていないポールとマッシュが一緒になって、俺達は仲間だ一心同体だと熱心な説得を仕掛けてきたのです。珍しいことが起これば何か面倒事が付いて来るのが世の常であり、それはすぐに先生への迷惑にも繋がってしまう。彼らが売られた喧嘩を買ってしまった時点で命運は全て決まってしまっていたのです。嫌々ながら、わたしは大きめの運動着に袖を通しました。
相手から投擲され、ぶつけられたボールが床に落ちた時点で命中と見なされる。
当てられたメンバーは相手陣地の外周へと出る事になる。相手の陣地から人を全員追い出すか、試合終了時点で陣地に数が残っていた方が勝ち。肩から上、頭を狙った玉は危険球と見なし、命中したボールが床に落ちても命中と見なされない。
そういう球技を、魔法による補助無しで行うのがこのドッジボール大会なんだそうです。
何故彼らが協力して勝利を掴み取ろうとしているのか。切っ掛けはひとつの噂話でした。
ドッジボール大会で優勝したチームは中間試験をパスできる。マツリさんもご存知だったので、これは学園中に広まっている話なのかもしれません。
これがもし、持てる知識と知恵と力を全て出し切る大掛かりな防災訓練であったなら、その話にも信憑性があったでしょう。
たかが球技。それも単純明快なルールの下で行われる投げ合いとぶつけ合い。ここは魔法学園であり、競技の担い手を育むスポーツ強豪校ではありません。クラス対抗戦を勝利すれば中間試験を無条件で通過できる程、ボールに対しての意識が高い学園ではありませんし、競技自体も格式の高いものではありません。
さて、我ら特別学級にどれだけの実力があるかと言いますと、運動神経が良いのはポールとマッシュの二人だけ。
彼らのおかげで平均すれば相当なものだけど、実のところ突出した二人に引っ張られている形になります。
わたしを含めインドア派の残り三名は魔法が無ければただの的。
この球技はチームプレイ。三人も荷物を抱えた状態ではどれだけ優秀なプレイヤーであろうとハンデになる。スタンドプレーが許されるのはあくまで個人競技であり、団体種目ではどうしても分が悪い。
どこの誰が相手であろうと初戦敗退してしまうのは目に見えていたのですが、そんなわたしの予想はあっさりと覆されてしまいました。
ゴムと布でできたボールが木造の屋内運動場の床に落ちる小気味良い音、そして試合終了を告げる笛が高らかに鳴る音。
予想外の結果に静まり返る体育館のど真ん中で、拳を突き合わせて勝利を喜ぶポールとマッシュがいます。彼らは圧倒的不利な状況を、たった二人で覆してみせてくれました。
彼らはスポーツ業界へ進む事を考え競技向けの選択科目を選びました。同じ教室の片隅で、魔法無しでも運動ができるようにと筋トレで基礎体力の向上に努めているのはよく知っています。明け方の街をジョギングする二人の姿をたまに見かける事もありました。
専攻科目の決定からまだ日が浅いのに、もうこんなに力の差ができてしまっているのです。自分達の実力を甘く見積もりすぎていました。
それもこれも先生の教育方法の賜物であると言わざるを得ないでしょう。
一回戦の圧勝に勢いをつけて優勝に突き進まんとするわたし達に立ち塞がったのは、三組でした。
総勢二十人の三組を五人で相手するのはフェアではないということで、三組は選抜メンバーのみ。こちらが足りない分は向こうから三名お借りして、八対八の、数としては同数での対戦となりました。
三組と言えば例の彼。わたしを洗脳して自分のモノにしようとした貴族のご子息です。
ポールとマッシュを焚きつけた張本人である彼は試合開始の前に、わたしを指さして、一方的に宣言しました。
「アサヒ・タダノ! そっちが負けたら俺と付き合え!」
先生以外の人間と結婚を前提とした交際をする事など全く考えられませんし、するつもりもありません。彼や彼の父親から受けた行為もあってわたしから彼への心証はとても悪い。できる事なら視界に入れたくも無い。ほんのわずかな米粒程度の意識も持ちたくない。
これが嫌いという感情だろうけど、それすらも感じたくない。彼は目の前に居るのだけど、存在を認識したくありません。
「わかりました、考えます。」
わたしはその一言だけで返答を済ませました。万が一にも負ける事は無いだろうと考えていたのです。
こちらにはとても強い二人がいる。さらに相手は数の有利を捨ててきた。ここでも勝利すれば優勝への弾みになるだろう。わたしの返答待ちで試合開始を遅らせてもいけません。
その直後の第一投で、我らが主力を二人同時に落とされるとは思ってもいませんでした。
貴族のご子息が投げたボールは自らの意思で避けるかのように彼らの手を逃れ、それぞれの足にぶつかって床を転がりました。
やられました。
ポールとマッシュを焚きつけて全員参加のドッジボール大会に特別学級を引きずり出したのは他でもない、この貴族のご子息だ。そして彼のお目当ては特別学級のマスコット、つまりわたし一人。彼の目的は特別学級をコテンパンにやっつけることでもなく、中間試験のパスでもありません。そう、わたしなのです。
何故二人落されるまで気付けなかったんだ。今しがた本人が自白したばかりじゃないか。誘い出した本人が強力な相手への対策を考えていないわけがないだろう。真っ先に一番の実力者を叩き、全体への見せしめとするのは有効な戦術だ。
当然だけど、返事などとうに決まっている。この試合の勝ち負けに意味は無いのですが、今すぐこの場で三人一気にやられてしまうのでは面白くありません。ご子息を認識するつもりの無いわたしは見知らぬ誰かが粋がっていようと別に構わないのだけど、残る二人がそれを許さないだろう。皆の不満を爆発させてはいけません。トラブルは先生に迷惑がかかってしまう。
この試合、この不利な状況下でも勝つか、勝てずとも一矢報いる必要がある。陣地に残ったわたし達で、戦線を守り切らねばなりません。
幸い、ゲームオーバーまでの残りポイントこそ削られましたが、向こうに対しての攻撃力は上がりました。
ドッジボールは陣地の相手を減らせば減らす程、自分達を囲っている敵が増えて不利になっていく絶妙なバランスのゲームです。最大火力であるポールとマッシュが陣地を挟んで向かい合って立つことで、わたし達は両サイドからの強力な攻撃ができるようになりました。相手は両側からの攻撃に常に神経を研ぎ澄まさねばなりません。二人がキャッチボールするだけで相手に揺さぶりをかけることができてしまう。ボールを手にしている限り、風向きはこちらにあるのです。
と、攻めの作戦は思いついたのですが、実行するのに必要な攻撃のターンはなかなか訪れてはくれませんでした。
ボールが捕まえられないわたし達は三組からの集中砲火を浴びる事になってしまいます。
相手に渡ったボールを見失ってはいけないというゲームに負けないコツはまさにその通りで、投げ方に工夫の無い真っ直ぐ飛んでくるボールを避け続けることだけはできました。ですが、それだけで勝てる試合ではありません。反撃するためにはボールを確保して、外野に送られたこちらの主力二人に渡さなければならない。言葉では受け止めると簡単に言えますが、わたしはプレイヤーではない一般人。燃えたり消えたりする魔球に触れるなんて恐ろしい行為、できるわけがありません。
こうして考えている間も時間だけがどんどん過ぎていく。ただでさえ動き回らねばならず、疲労だけが蓄積していく。数の優位から相手には余裕がある。状況は最悪です。
真正面からわたしに向けて投げられたボールを目前にして、この競技のルールを思い出します。
ぶつけられてしまっても、落下する前に味方が受け止めればいい。手から離れなければ床に落としてしまっても問題ない。
ボールは今、わたしの身体のど真ん中、お腹に向かって真っすぐに飛んできた。
この土壇場で、アウトにならずにボールを確保する方法を思いつきました。それが上手くいくかどうか、失敗したらどうなるかを考えたり、本当にそれがわたしにできるのかと自問自答している時間はありません。もし失敗した時はわたしが外野に送られて、敗北がより近くなる。ただそれだけのことだと腹をくくりました。
お腹に力を込めて、衝撃に備えます。向かってくるボールの模様がはっきりと、静止して見えています。おそらくは、触れた瞬間予想だにしない方向に飛んでいく変化球ではないだろう。
反射的に目を瞑ってしまったけど、直線軌道は変わらずにいてくれました。衝撃と、お腹にボールが当たった感覚はある。その瞬間に、わたしは自身の命運を握る球体を全身で包み込むような体勢をとります。要はボールに抱きついてしゃがみました。投げつけられたボールを掴み取る方法は指定されていません。どんな形であろうと構わない。取れればいいんだ。
バランスを崩して尻もちをついてしまい、格好悪い姿にはなってしまいましたが、球の確保は達成できました。三組の皆はわたしが取った事に驚いて、陣地の外ではポールとマッシュが大喜びしてくれました。
攻撃の順番はわたし達に回ってきた。三組の皆様に、今まで散々振り回してくれたお礼をしよう。実行犯はわたし達の周りに居て、今から攻撃されるのは別の人達だけど、今はクラス対抗戦。連帯責任というやつです。これは君達が犯した罪に対する罰だ。何もできぬまま負ける光景をそこで眺めているといい。
油断してやられたものの、競技専門の能力が封じられたわけではありません。さあ、反撃開始です。
外野のポールにボールを渡すため、見よう見まねの一投を放ちましたが、わたしの手から離れたボールは境界線のラインすら飛び越えられず、無情にも三組の陣地へ転がってしまいました。
投げ方は聞きましたし、一回戦の前に練習もしました。それでもいまいちよくわかっていないのがわたしです。全身を使って投げろとは言うけれど、わたしは左腕が不自由だ。この学校でハンデのある身体での動き方を教えられる人が居ないんだ。
「終わりだァ!」
貴族のご子息による、ポールとマッシュを一度に仕留めた投球が為されます。
先程は一直線に飛んできたから受け止められた。だがコイツは違う。どういうカラクリがあるのか分からないけれど、彼の投球は魔法も使わず魔法のような軌道を描くきます。それはそれは奇妙なボールが飛んでくる。
何が何だかよくわからないけれど、確保しないといけない。狙われていないクロード君とナミさんがむやみに動くのは危険。今、ボールを捕獲することができるのはわたしだけだ。
貴族のご子息が放ったボールは身構えたわたしの真横をすり抜けて、右後ろで立ち竦んでいたクロード君を撃破してしまいました。
「くっそ、気付かれたか。」
英雄クロード君を外野に追いやっても喜んでいない。やはりご子息の狙いはわたし一人。
彼が舌打ちしているのを見るに、それは意図的な行為ではあっても決して手が滑ったのではないようだ。投げる瞬間も、通り抜ける際もボールからは魔力を感じなかった。審判にバレぬよう一瞬だけ発動する魔法が仕込まれているとは考えにくい。
そうなると、これは彼自身の実力だ。軌道が変わる魔球、実在していたのか。
クロード君に当たってこちらの陣地に落ちたボールを拾い上げたナミさんが、経験者と素人のパワーバランスが公平でないと文句を言い放ちつつ投げ返すも、あえなく撃沈。
瞬く間に、特別学級のライフは残り一。最も能力の低いわたしだけが取り残されてしまいました。
自分からぶつかりに行き、バレーボールの試合の要領で陣地の上に打ち上げて勢いを弱め、ナミさんかクロード君にボールを取ってもらう作戦も頭にありました。これならわたしが痛いだけで済みますし、わたしよりもちゃんと投げれる二人ならば、外野のポールとマッシュにパスする事も可能。残念ながら、頼みの綱が一気にやられてしまったので、この計画はご破算です。
敗北濃厚。わたしの運動神経は無いに等しい。おまけに左肩も不自由。四方全てが敵、四面楚歌。最後の一人を押し出すべく、ボールは前後左右から飛んできます。ご子息も自身の想いを届けようと変化球を投げつけていますが、彼の攻撃だけは動かなければ当たらないと見抜きました。直線軌道だけを頑張って避けています。
スポーツとはなんと恐ろしいのでしょう。こんな幼い少女を大勢でいたぶる鬼畜な行為を許してしまうのです。敗北条件が残り一名以下になった場合とは記されていない。全員外に追い出さなければならない。
一直線に向けられたボールからは、早く当ててこのイジメから解放してやりたいとの意思が伝わってきます。久しぶりに汗びっしょりになるほど運動したせいで目がかすみ始め、相手の表情は見えません。心の中では罪悪感でいっぱいなのでしょう。
ここまで来ればもう結果は火を見るよりも明らかで、当然、大逆転にはなりませんでした。
試合終了までわたしは一人で逃げ切りました。たまに受け止めて、反撃にしようと外野にボールを渡そうとも試みましたが、へなちょこ投球が皆に届く事はありませんでした。
ただでさえ小さい的が逃げ回るのです。当たらぬことに苛立って、球筋はどんどん荒くなりました。幼女に配慮し、戦意を喪失させて降参を宣言させるために当たらぬように手加減したと言わせない。
対するわたしも、魔法を使わず逃げ切った。スポーツとは公平なルールの上で戦う世界。あちらが反則していないのに、こちらがその誠意を無下にすることはスポーツマンシップに反している。
特別学級では、逃げ回ってないですこしくらい反撃したらどうだと責める人間はいません。
身体を動かすのが得意なエースが真っ先にやられたのだから、今のわたし達のように、皆で試合終了まで粘り切った事を讃えるべきなのです。
「約束だ、覚えてるだろうな!」
皆に囲まれながらも疲れて動けないわたしの前に、大袈裟に大股歩きで歩み寄ってきた貴族のご子息が深呼吸の後に言いました。
約束、なんだっけ。ああそうだ、交際を考えるって話だ。ええと、なんて答えるつもりだったっけ。酸素が足りず思考が動いてくれませんので、ちょっと深呼吸させてください。
ひっひっふー、ひっひっふー。よし、高鳴っていた心臓の鼓動もすこし落ち着いた。いつもの調子が戻ってきた。色々面倒な事をしてくれやがった彼とはいえ、恋する男子の感情を蹴っ飛ばす事になるのには躊躇いがあります。
願わくば、この挫折を糧にして、赤い糸で結ばれた運命の相手と上手くいきますように。
「交際はお断りします。」
わたしの返答に対し、当然のように話が違うと憤る彼に説明して差し上げました。
この学園に入学する前にわたしは先生に恋をした。つまりアサヒ・タダノは先生に恋する少女そのものだ。他の相手との恋愛感情のこもった交際など、記憶を喪失してわたしがわたしではなくなった場合を除き絶対にありえない。
例えるならばたった一人の相手との愛を育む恋愛小説だ。貴族のご子息は候補として選択される事は本筋ではない。むしろ二次創作の領域だ。
今回わたしが発言した「考えます」とは、その最低条件をほんの少しだけ緩和して差し上げる事を指します。
本来あり得ないものを敢えて選択の天秤に乗せた。そこまでが約束の範囲であり、先生との関係やわたしの感情を抜きにした要求が断られるのは最初から必然だったのです。
「そんな……」
暴君の頬に、一筋の涙がこぼれ落ちます。 意識の断絶を目の当たりにした絶望の表情です。
教室のメンバーを取りまとめる立場は同じであり、相手の苦労もよくわかっているつもりだった。同じ苦労を知る身だから、仲良くなれるはずだった。こちらは既に選んでいるから、わたしが振り向きさえすれば成立するはずだと信じていた。
長きにわたった彼の、彼自身の家をも巻き込んだ初恋はここに完全に破れ去りました。そのはずです。
貴殿の次なる出会いとご活躍をお祈りいたします。
再度の失恋の悲しみを糧とした貴族のご子息の下で三組は快進撃を繰り広げ、遂には一組の優秀なチームすら打ち倒して優勝を手にする事となりました。
中間試験の免除など、あるはずはありません。