叱って欲しい
知らない天井――ではなく、よく見知った部屋で目が覚めました。おはようございます。
わたしはアサヒ。アサヒ・タダノ。学園都市の魔法学園、その特別学級所属の二年生。よし、覚えてる。
この部屋にある家具や時計等の配置はぬいぐるみの位置まで持っている記憶と合致。慣れない魔法の副作用で記憶を失ったりはしていない。
続いて、身体は寝せたまま、手も足も使わず照明のスイッチを遠隔操作。できる。願いを形にする魔法も失っていない。
最後に、自分の身体を確認するために、身を起こします。
およそ半日ぶりの、わたし自身の姿を確認します。今朝の失敗で無惨に膨れてしまった丸い身体はなくなって、全く育っていないミニマムなスリムボディがここにありました。
わたしが新しい魔法と称して使った癒しの魔法は、知識の乏しい状態で行使した急造品でした。対価として失われるものを全く別の物に置き換えるなど、長年の研究と研鑽の末に作られる魔法の呪文のことを考えればデタラメです。魔法をよく知っている人達ならば、自滅の危険性から絶対に手を出そうとはしなかったでしょう。
何が足りなかったのかわからないけれど、何かが足らなかった。魔力を一気に奪われたことで意識を失ってしまった。眠っている間に何が起こったのかはわからないけれど、先生が助けてくれた。だからこそ、この部屋で目を覚ますことになった。
危ない事を仕出かしたのは分かっています。怒られるのは覚悟の上。
意識が飛ぶ寸前に見た、籠を自力でこじ開け元気に飛び立った鳥の姿は夢ではないと信じたい。そうでなければ危ない橋を渡った意味がない。救いたかったものを救えぬまま、やった事を叱られるなど踏んだり蹴ったりだ。
この世で一番安心できる場所、先生の家の寝室で、まずは自分に異常がないことに胸を撫でおろしました。
寝室を出ると、先生が惣菜のお弁当を提げて帰ってきた瞬間にぶつかりました。
わたしが目覚める前に帰ってきたかったと謝罪を受けたので、今起きたばかりだと答えます。
気まずくて動けずにいるわたしに対して先生は、色々言わなければならない事があるけれど、まずは夕食にしようと提案をなさいました。
その色々がとても怖い。それは食事が喉を通らなくなる程の事ではないのでしょうか。先に食事を摂ってしまったら、吐き出してしまうような事なのではないのですか。先生は、どちらを先にするかを選ばせてはくれないのですか。
わたしの返事は腹の虫がしてくれました。
肥満体を維持したくなかったので、今日はおやつ抜きだったのです。
いつもより遅い時間の夕食の後、わたしが何をしたのかを知りたいと先生は仰いました。
もちろん、先生に隠し事をするつもりはありません。わたしが見た物事と、自分がやったこと、覚えている事を全て話しました。
癒しの魔法を使うなという言いつけを守らなかった。それだけでも重罪なのに、後ろめたさで黙っていたらわたしは二度も先生からの信頼を裏切ってしまう。大好きな相手からの信頼を失ったわたしには存在する意義が無い。わたしがわたしを殺してしまいます。
先生からの話では、癒しの魔法を使った際、わたしの丸い身体が空気の抜けた風船のように萎んでしまったのを見て、その場に残っていた皆はひどく慌てたそうです。
一刻を争う状況と判断し、誰にも説明せずに魔法を使いました。喧嘩していた彼女達は、わたしが魔法の失敗で激太りしていた理由を知りませんし、普段のわたしの姿もあまり覚えていらっしゃいません。ただありのままの光景を見ていたら、太めの女の子が急に干乾びてしまったように捉えることができるでしょう。
贅肉を全て体力として受け取った鳥は無事に回復したそうです。
校則違反と約束破りは無駄にならずに済みました。
わたしは無事。鳥も回復。生餌が逃走している事実と殺虫剤を独断で使用したことで発生した多数のトラブルはなにひとつ解決もしていませんが、ひとまず最大の危機は去ったと言えるでしょう。大事な友を傷つけられて怒る少女はいるけれど、彼を失って復讐の鬼と化すことになる人物はいなくなりました。
今回は、問答無用で殴られることも覚悟していました。
言いつけを守らなかっただけではなく、一歩間違えば死の危険もあった癒しの魔法を使ってしまった。それも見知らぬ誰かのペットであるたかが鳥一羽のためだけに。
リターンが全くないのに命がけの綱渡りを敢行するのは間違っている。自己満足だ。
でも助けたかった。今まさに失わんとする中で、大事なヒトを失いたくないとの願いを聞いてしまった。対象こそ違うけど、同じ想いをわたしも持っていたから同調してしまった。
万能の魔法が使えることを知られていて、脅されて使用したことにもできました。そうすることで責任を逃れられる。でもそれはついてはいけない嘘だ。わたしは素直で正直で従順な先生の恋人であり続けたい。肝心なところで嘘をついてはいけない。
全てを聞き終えた先生の手がわたしの頭に伸びてきます。表情は硬くて何を考えているか分からない。きっと怒っているのでしょう。近付く拳は硬く握りしめられています。一年半ぐらいのお付き合いでついに手が出てしまう。今日もまた初めての記念日となるのです。
実家で殴られたときの感覚を思い出して反射的に目を瞑ってしまったけれど、覚悟はできている。一思いにやっちゃってください。お願いします。
「何ともなくて良かったです。」
顔の形が変わるほどの力で叩いても良かったはずなのに、先生からのお叱りは、前から言っている通り、無茶はしないで欲しいと肩を優しく叩かれるだけで済んでしまいました。
先生は癒しの魔法が使われたとの報告を受けた時は驚いたけれど、実行したのがわたしと聞いて安心したそうです。
わたしなら、あの魔法にどんなリスクがあるのかを知っている。どうすればそれらを克服できるかを考えられる頭がある。現場で意識を失い倒れたけれど、どうにか上手い形で収めていたはずだ、と。
実際、その推測通りになっていた。ただの魔力切れなのだから、そのまま宿舎で休ませたかった。他の教師があれこれうるさかったので、調べることがあると宣言して眠るわたしを引き取った。それが目が覚めたら先生の家だった件の真相です。
わたしは期待を裏切ってしまったのに、先生はずっと信じてくれていた。
こんな状況はあまりにも惨めであり、優しさがとても辛いです。悪いことをしたのだから叱って欲しいと願うのはワガママなんでしょうか。叱らずに甘い態度を見せ続けるのは教育を諦め見放しているからだ。先生は、わたしをもうどうしようもない存在と思ってしまっているのでしょうか。
「あー、どうしてもというのなら。」
見捨ててなどいないと否定して、わたしの罰して欲しいという訴えを聞き入れてくれた先生は、肩に置いていた手をするりと背中にスライドさせ、あっという間にわたしを両腕で抱きしめてしまいました。わたしを愛する人とするわりに、色々気にしてなかなかわたしの身体に触れてくれない先生が、なんと大胆な事をしてくれるのでしょう。
これは罰ではなくご褒美なのではないか。そう言おうとしたけれど、思い直しました。
締まる腕に込められている力がとても強い。二度と手放さないという強い意志を感じますので、逃げようとしてもこのホールドからは逃げられないでしょう。
苦しい。そして痛い。こうして抱かれるのは嬉しいけれど、それを差し置いてもこの苦しさはとても辛い。あまり長くは耐えられないので、このままでは先生に絞め殺されてしまいます。先生の手で介錯していただけるのなら本望ですが、そっちのほうはまだ心の準備ができていません。
「次にやる時は、先に一言声をかけてくださいね。」
呼吸ができず咳込んだところで手を緩めて開放してくれた先生は、わたしの頭を撫でながらそう仰いました。