アサヒのまんまるボディ
衣類の乱れは心の乱れとまで言われる程、学園都市の中心である魔法学園では登校時の服装について厳しく定められています。
学園の校舎は生徒であれば出入りは自由ですが、どんな姿形になろうとも、制服でなければ授業を受ける事が許されません。
時々顔が馬になった生徒や四足歩行の獣のように歩く先輩が見られるのはこの校則があるからです。
制服は学生という身分を示す衣装でありながら防護服でもあり、着ているだけで魔法の影響を大幅に減衰してくれます。わたしが今まで幾度となく魔法の直撃を生き延びて来れたのはこの制服のおかげと言っても過言ではありません。
デメリットとして、この制服そのものには魔法が効きづらい。カエデさんが遺してくれた服のように、大きいサイズを自分の身体に合うように調節して着こなす事ができません。
大きめサイズはある意味最後の親心だったけれど、すぐに来るだろうと見込まれていた成長期にはいまだ手が届かない。
雨後の雑草のように大きくなっていく皆を見上げていると、置いて行かれているような感覚を覚えてしまいます。
今日の学園都市の天気は雨。予報によれば三日ほど降り続くそうな。
時計のように丸い温度計は8と90の数字を指しています。Cに丸が付いている文字や%という記号が何を意味するのかはわかりませんが、それが気温と湿度を意味しているという認識はできています。決して変な時計ではない。
率直に申し上げます。今日の室温は、とても寒い。
季節が一気に進んで秋になったか、桜が咲く頃まで逆戻りしたかと思ってしまう程。夏に足をかけたこの時期にこんなに冷え込むなど誰が想像できたでしょう。
換気をしようと窓を開ければ寒気が入り込んでしまう。まるで冷水に突っ込んだかのように手足が冷える。蛇口の水も冷え切っていて、手に触れただけで全身の体温が奪われていくかのようでした。
学園都市では夏の間、半袖や生地の薄い制服への衣替えが行われています。
夏の間に冬服を着用すると、どこからともなく生徒指導の教師が現れて、無理やり季節に見合う服に着替えさせられてしまいます。それは今日のように寒い日であろうと例外ではありません。衣替えがある今の時期、これほどの寒さが来るはずが無いという断固たる意思がそうさせているのです。
夏の装いは魔法に対しての耐久性こそ冬服と変わらないのですが、魔法ではない気候の前には全くの無力。
今日のような寒さで授業を受けたらならば、肌が粟立ち全身が寒さに震えるような状況なので集中できないでしょう。生徒指導を担当する教師達は、注意力が欠け思わぬ事故が起きてしまったり、翌日の体調に影響を及ぼす可能性を考えられないか、無視してしまっているのです。身分や年齢などで区別されることのない平等な場に属しているという意識こそ素晴らしいとは思うけれど、それとこれは別なのではないでしょうか。
洋服棚にしまっていた冬の上着を羽織ったまま部屋の中を歩き回りながら考えます。
温もりが欲しい。具体的には先生が淹れてくれたミルクと砂糖たっぷりのコーヒーが欲しい。ココアでもいい。先生の家ならわたしよりも先生が先に起きている。気を利かせてくれて、部屋に暖房を点けてくれるかもしれない。先生ならば、今この部屋のように冷え切った場所にわたしを放置などしない。
今朝こんなに冷えるとわかっていたならばば、気分転換に自分の部屋で寝るなんて判断はしませんでした。
ああ、失敗だ。
この寒さの中を夏服で過ごすなんて到底耐えられません。
無断で魔法を使うことが許されないのは大前提として、例えそれが許可されたとしても、今度は魔法で服を改造することが許されない。そもそも制服に対しては魔法の効果が薄く、何かをすれば一目瞭然だ。
では、どうするか。
教室を暖めれば寒さを凌ぐことができる。
据え付けの暖房は先月から止まっているけれど、自分達の力で暖房器具を用意すればそれは不可能ではない。そういう魔法の使用を許可してもらうか、先生に使ってもらう。これが一番現実的かもしれない。
こんな時期に暖房の使用を許されるかどうかだ。
ただでさえ暑い時期に、さらに暖を求めようとするなんてのは自然の摂理に逆らう行為。温暖化を推し進めるだけだと環境を考える意識の高い皆様からお叱りを受けてしまいそうです。先生が許しても、未だに特別学級を目の敵にする他の人達が許してはくれないでしょう。
環境が変えられないのなら、自分自身がその環境に適応するしかない。
頭だけなら髪がある。全身に髪のような体毛があれば寒さを凌ぐことができるかもしれないけれど、全身を覆う程の髪の毛はとにかく重い。羽毛ならば重さを感じないかもしれないけれど、今度は服を着るのが難しい。色々考え頑張った結果である不格好な姿を笑われるのは寒さ以上に耐えがたい。
ふと、枕元に鎮座する先生から頂いたカエデさんのぬいぐるみ、アザラシくんが目に入りました。
動物観も水族館もない学園都市で本物を見た事はありませんが、アザラシはとても寒い環境で生活し、氷の浮かぶとても冷たい海に平気で飛び込むという、わたし達人間からすればとんでもない環境に生きる生き物です。
普通の生物では生きられない場所で生き抜くために身体を進化させた。もしくは、極地に追いやられた異端な者達のうち、環境に耐えることができた彼らだけが生き残った。どちらであろうと今はどうでもいい。彼らの身体の造りならば寒さに耐えることができるのです。
皮下脂肪というものが厚いので体温を失うことが無い。こちらもそれが何を意味するのかよくわからないけれど、名前から察するに皮膚の下の脂肪のことだ。これをうまく利用すれば見た目もそう変わることが無いはず。
以前、髪が伸びた時にはその重量に苦しめられました。今回は毛よりも脂肪を選びます。
やる事は決めました。名付けて『アサヒ・アザラシモード』。まるでプリンを下地に色々盛り付けるデザートのようです。わたしにしては可愛い呼び名を思い付きました。
願うのと同時に閉じていた目を開けた時、変わり果ててしまった自分の姿に驚かざるを得ませんでした。
力士と呼ばれていた、相撲という競技で土俵に上がる人達が地方巡業と称して練り歩いていたのを思い出します。
自分自身の魔法によって、わたしは地面と自分の身体を大きく震わせながら威風堂々と歩く彼らの姿を模倣することとなりました。
目論み通り寒さは感じません。これだけ太っていながらも、驚くことに身動きするのに何の問題ありません。ただ一点、見た目だけが非常によろしくない。
幸い、元のわたしにとっては大きめの制服だったので、センシティブとされる部分が丸見えになる状態だけは避けることができました。それでも着衣は全て肉に食い込んでしまっている。今日二つ目の失敗だ。
自分の身体を元に戻そうと慌てて魔法を使おうとして、思い留まりました。
身体が膨れる前に袖を通した服が脱げなくなってしまったのです。
登校時間は間近に迫っていて、一度服を脱ぎ捨てて、魔法を使って元に戻り、また服を着るだけの時間が無い。時間を止めたり進めたりする魔法はわたしには使えません。何かの偶然で使えたとしても、使ったら怒られます。
これはアザラシの体質を人体に適応した場合にどんなことになるのかを想定できなかったわたしのミスです。そして笑われるのはその報い。この姿で外出しなくてはならないのは憂鬱ですが、外に出る為にこの魔法を使いましたので、出ないわけにはいきません。
他の人とは意味が違いますが、今日は外出が憂鬱です。
突然の寒気に冷え切った教室で、わたしの姿で皆が笑顔になりました。
盛大に笑った興奮状態が体温を上昇させ、皆も感じている季節外れの寒さを吹き飛ばしてくれました。
結果としてわたしは寒くないし、皆の身体も温めたので、終わりよければ全てヨシということにしておきましょう。
笑われて当然の姿ではあるのですが、やはり笑いすぎて痛む腹筋を押さえながら床を転げ回って笑う姿を見ていると腹が立ちます。ここはひとつ、膨れながらも俊敏な身体を生かして近付いて、踏んでおきましょう。素早く動くわたしの癒しオーラ全開まんまるボディの力、ご覧あれ。
それどころではない爆笑の中でも、先生は心配してくれました。
教え子が一晩で激太りしたのでは気が気ではないでしょう。いつものことながら、ご心配かけて申し訳ありません。
こんな姿は見ないで欲しい。いや、笑うことで寒さを忘れることができるのならば、見て盛大に笑って欲しい。二つの感情の板挟みになり、先生の前では普段よりも小さく感じる机に突っ伏すしかありませんでした。