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太陽は学園都市で恋をする  作者: いつきのひと
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効率重視

 自分から進んで新しいものに触れるときは、いつも期待に胸が躍ります。

 その感情は未知の恐怖と失敗したときの不安に勝ります。大人を困惑させるほど旺盛なわたしの好奇心を止められる人なんて、この世に存在いたしません。


 新たな科目にして、今の先生をかたどっているもののひとつを学ぶことができる。

 学園で学ぶ為の目的意識に乏しいわたしという魚が水を得た。ここからは七色に光り輝く学園生活がスタートなんだ。




 と、期待九割不安一割で次のステップへと歩を進めた我ら特別学級ですが、何も変わり映えはしませんでした。

 一つの部屋に子供を集めて個人指導を行う塾のような形式が取られています。五人全員で同じ内容を聞く授業も行われてはいますが、元より学習内容の進捗はそれぞれ個別のもの。なので、今回はその内容しか変わりませんでした。


 それでもなにかが違うはず。そうだ、中身だ。

 先生は自分から内容が難しいと仰った。難問が解けず苦しむわたしの背後にそっと現れて、耳元で解き方を囁いてくれるかもしれない。当然顔は近くなるし吐息の温度も感じる事ができる。何の感情も持たない相手ならば気持ち悪いと一蹴するけど相手はわたしの一番大好きな人。心臓を高鳴らせずしてどうするのだ。



 皆それぞれに新しい科目の説明をしていた先生が、最後にわたしの前にやってきて、机の上に置いたのは大量の本でした。

 今までどこに隠していたのか聞くのは野暮です。教室に居るのは私を含め全員魔法使い。わたしが今から学ぼうとする魔法を考慮すると、おおきな質量を小さなスペースに押し込むのは圧縮に該当するとも考えられます。しかし何だこの量。わたしの背丈よりも重なった本の厚みのほうが高い。高さで前が見えません。居るはずの先生の姿も見えなくなってしまいました。


 短縮と圧縮はこれだけの知識を全て詰め込んだ上で行うものとでも言うのでしょうか。わたしがこれから学ぶのは正規表現を鼻先から尻尾の先熟知して、はじめて行使できる魔法。そうであっても何の疑問も無い。


「アサヒさんは本を読んでください。」


 量に圧倒されるわたしに語り掛けた先生の言葉の意味は、本の内容を全て丸暗記しろという訳でも、僕が君にできることは無いから本でも読んで時間を潰していて欲しいと匙を投げた訳でもありません。


 短縮と圧縮の魔法を扱うにあたり、最も重要なのは考え方、工夫である。

 地図を見て道を確かめる際、建物全てをショートカットして一直線に目的地にたどり着きたいと思ったとする。建物を破壊しながら突き進んだり、空を飛んだり、地面を掘り進めばそれは可能。当然、自分の身体は守らなければなりません。最大効率を得るために術者本人が傷ついては意味が無い。

 数ある選択肢から最も安全かつ最速の物を選択する必要がある。例えそれが法や倫理的に許されない行為であったとしても、この魔法を扱う際はそういった選択肢を思い付かなければならないのです。


 算数で得た計算式を用いた考え方が算数以外でも通用するように、発想の柔軟さを鍛える為にはより多くの物事を知っておく必要がある。多くの体験をするには時間が足りない。より簡単で、それでいて効率的な、未知の体験ができるモノが必要だ。

 作品に、登場人物や著者の考え方に触れることは、擬似的ながらも物事を体験する事になる。そういう意味で、授業中でも本を読めと。


 わたしが読書家である事は先生もよくご存知なので、決して読書量が足りないと言っているわけではない。全年齢向けならば本番行為の導入までがっつり描写した作品を読むのにも目を瞑ってくれる寛大なお方です。

 短縮と圧縮を学ぶにあたり、わたしがその魔法の為に必要な考え方を得る方法として、一番簡単なものを先生は呈してくれました。


 説明を受けずとも、その意思はしっかり受け取りました。期間こそ短いけれど時間は十分にある。期待通り先生が望むアサヒになってみせましょう。




 魔法の効率化を突き詰める意図がある短縮と圧縮。

 学びの初日、読み終えた本の内容から、その考え方は普段の生活にも通じるものがあると学びを得ることができました。


 よく考えてみると世の中ムダだらけ。

 余裕というムダがあってはいけないとは思いませんが、する必要のない作業を繰り返すのは知恵を持つ人類として、その中でも特異な存在である魔法使いとしてあるまじき行為。

 短縮と圧縮を使うのは自分であり、自分自身がそれを許容できるならば手順の省略はどんどん推し進めていくべき。今日先生から教わったのはそういうことだと思います。わたしが読むべき本を選んだのは先生なので、つまりこれは先生の意思でもある。


 そういうわけで、夕食に使用した食器や調理器具を洗っている最中ですが、食事の際に皿に盛りつける行為が本当に必要なのかを疑問に思いました。

 単純に洗い物が増える。水をより多く使うし、洗剤や料理の汚れを流すから環境にも決してよろしくない。皿を用意するだけのお金が必要で、ここで手から滑り落ちて皿を壊してしまう危険性や、壊したものを片付けようとして怪我をする可能性を全く否定できない。蛇口が爆発して台所が水浸しになるかもしれない。どれだけ気を付けようと、トラブルというものはいつも意識の外からやって来る。

 世の中全てを疑ってかかるべしと本に書かれていましたが、まさにその通り。無駄な行動が孕んでいる危険予知はしてもしきれない。



 洗い終わった皿を眺めながら、利用しながらも洗わずに済む方法を考えてみます。

 汚れないようにすれば洗わずに済む。そのためには皿の上にビニールか紙を敷けばいい。というか皿が要らない。いっそビニールだけでもいいのではないか。

 調理器具、特に鍋は丁度いい。見た目は悪いけど、皿に取り分けることなく鍋をそのまま食卓に鎮座させれば、それは大皿と何ら変わりがない。カレーライスなど鍋からルーを取り分ける料理もあるから問題は無いだろう。

 なんなら料理もする必要がない。よく考えずとも調理は切り傷に火傷に食中毒とリスクだらけ。学園都市で手に入る総菜ならば衛生面に問題は無く、容器から取り出してそのまま食べるだけ。なんなら容器をそのまま食器にして、食べ終わったらゴミ箱に投入すれば洗い物の手間を一気に解決することができる。


 なんだ、効率化は簡単じゃないか。

 問題があるとすれば、これらの家事というには烏滸がましいだらしなさを許容できるかどうか。

 それについては問題ない。これも全て先生の短縮と圧縮の魔法を会得する為に必要な儀式だ。通過儀礼だ。おまじないなんだ。




 ゆで卵を作るのに、電子レンジという高速で加熱できる道具がありながら鍋で湯を沸かすやり方は非効率的。

 そう思ってスタートのスイッチを押した直後、先生のストップがかかりました。


 先生から見て様子のおかしかったわたしが今日一日でどんな本を読んだかと問われたので、よく覚えているタイトルを口にします。

 時短節約意識改革マニュアル。自己啓発本という今まで手にしたことのないジャンルの意識改革のためのガイドブックであり、短縮と圧縮の魔法を自分のものとして会得する為の考え方が全て書かれている本です。さすが先生だ、何も間違った事は書かれていませんでした。



 タイトルを聞いた先生の顔が強張りました。次いで、額を手で押さえながら渋い顔で何かを考えています。


 常日頃から傍に居るからわかります。

 男子三人のうち誰かが何らかの失敗をして、それを先生が見つけた時に見せるのが今の行動です。それがわたしの前で行われた。すなわち、わたしが何か失敗をした。

 今日一日を振り返るけれど間違った事をした自覚がない。間違ったと認識できないのが一番危険。知らず知らずのうちにミスを犯していたのか。


 これは人類滅亡以上の由々しき事態。先生を失望させてしまった。

 効率化の考え方は一時保留。考えろ、何を間違えた。どこを間違えた。どうすればいい。どうすれば先生からの信頼を取り戻せるんだ。

 わたしがすべきことはただひとつ、謝ること。だが何に対しての謝罪だ。目的が分からないままする行動に誠意を誠意と捉えてはくれない。それに先生は叱るのが苦手だと言っている。実際、叱るというより自身の指導の至らなさを謝る形になる。行動の結果も、失敗の責任も全て自分で背負い込んでしまう。

 考えれば考える程わかららない。解こうとして、より固く結んでしまう紐のようだ。




 先生は、考えているうちに視線が床に向き、俯いた形になったわたしの頭に手を置いて、一言だけ仰いました。


「一回全部忘れましょうか。」


 先生から、与える教材の量だけでなく中身も見ておくべきだったと謝られました。

 見上げた先にあった先生の笑顔は、とても疲れているようでした。

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