対岸の火事に我関せず
思春期の男女は付き合いのあるなしに関わらず険悪になることがあるそうです。
自身の身体の変化に戸惑う中でどうしても周りと比較してしまったり、逆に比較される事によって不安になる。
相談できる誰かがいたとしても、真っ白なノートである子供はその相談相手の思考に呑まれてしまう。子供を自分の都合のいい形に仕上げようとする善意や悪意があったとしたら、知らず知らずのうちに仲間にされてしまう。
教育には魔法を使っていないので、解く術が存在する魔法よりも性質が悪い。
幸いなことに、特別学級では性別による断絶は起きていません。
男子三人にとって、男勝りのナミさんと、先生以外は眼中にないわたしではそういったものの対象に至れないのかもしれません。
筋力、体力は身体強化の魔法でカバーできる。身長差は規格外に小さいわたしが居る。人それぞれに違いがあると認識できていて、それが許容できる環境ができている。そんな場所では成長の差異など何も問題にはならない。
そういったものを気にしない幼稚さを指摘されるかもしれませんが、特別学級の五人の間柄は男女の壁を越えた仲であると言えるでしょう。
内は至って平和なのだけど、外はそういう訳にはいきません。
男女間の亀裂が問題になっていると知ったのは、食堂で、クロード君とわたしとで食事を摂っている最中でした。
聞きたくない話声ほどよく聞こえてしまうのは、何かの魔法なんでしょうか。
不潔な男と面と向かって食事するなど信じられない。恋する身でありながら想い人ではない男と話すなんて頭がおかしいんじゃないか。わたしに向けられたそんな声が聞こえてきます。
昨日まで英雄視して姿を見るだけで黄色い歓声を上げたり落ち着かぬ様子で前髪を整えていた彼女達が一夜にして罵倒する身になったのは驚きです。いったいどんな心変わりがあったのかは存じ上げませんが、きっと想像を絶するような現実でも突きつけられたのでしょう。
目の前の相手を嫌う理由がわかりません。わたしは彼の想いを受け取らなかったけれど、普通の恋愛関係が破局を迎えても仲の良い関係を継続する人達は多く存在します。その普通の中にわたし達が居る。それだけだ。
それに今の彼にはマツリさんというロイヤル彼女が存在する。わたしなど比較対象にすらならない大物だ。その関係は破綻せずに慌てずゆっくり確実に進行している。マツリさんはわたしが羨ましいとは言いますが、決して妬んだり蹴落として成り代わろうなどとは考えない。これが大人の余裕というやつだ。
ともかく、クロード君の身の周りの状況を見れば、わたしに対しての恋だったものは別の何かに変化していると考えてもいいでしょう。
男子達は陰でコソコソ話す女子とは対照的。学年もクラスも違う彼らは示し合わせたかのようにクロード君の目の前に集まってきて、友人とのランチタイムに直接水を差してくれました。
クロード君が召喚器を使うまでに恋焦がれた前科があるのを差し置いても、交際関係にない男女が連れ添って食事をする行為自体何の問題もない。わたし達で無いのなら、相席する事で何の接点も無かった二人が進展する可能性もあるだろう。
わたしとクロード君、それぞれに相手が居るのは事実。不倫や二股を疑われる可能性が無いとは言えないけれど、魔法使いの社会では必ず一人を選ばなければならないという一夫一婦制ではない。宗教としてただ一人のパートナーを愛することを誓わせたりもするけれど、夫人や旦那が大勢いるハーレムを作っても罪には問われない。清純指向を煮詰めているのなら、最初に見初めた相手と一夜を共にし畑に種を蒔いたのに、別れて次の恋を探すほうがよっぽど不貞だと思います。
その自信満々な発言の根拠を聞きたいと思い、わたしは何故クロード君が責められる事になったのかを、何の気なしに聞いてしまいました。
今思えばこれは言うべきではありませんでした。
「生意気だぞ、女のくせに!」
「なんですって!?」
わたしに向けられた言葉だったのだけど、その言葉を聞いた、全然関係ない女子生徒が声を上げて立ち上がりました。
男女平等の意識が広がる中で男だから女だからと規範を押し付けるのはどういう了見だと詰め寄ります。
突然の乱入者に男子生徒は一瞬だけ怯みましたが、すぐに体勢を立て直しました。
社会における女性の地位向上を語ってはいるが単にパートナーの意思決定を自分達が握りたいだけ。それは女尊男卑に他ならないと反撃します。
そこからの言い争いは、全く関係のない温室育ちのわたしにはよくわからない内容でした。
議論の体を成してはいますが自分の主張を言い並べるだけのドッジボール。激情と共に唾が飛び、心理的にも衛生的にも食事がおいしくなくなる口汚い罵り合いです。一歩も譲らぬ言い争いに人だかりができるのに三分かかりませんでした。
再び渦中に身を置きたくない。瞬く間に蚊帳の外に放り出されたわたしとクロード君は同じ事を想いました。足早に食堂を後にしましたので、その後どうなったのかを知らずにいます。
皆と同じでなければ受け入れられず、群れから追い出される。感情のある人間でありながら動物のようでもある群れ社会の構図です。元より他とは違うことを前提としたまま暮らしているわたし達には無縁でした。
世の中の大多数が語る恋愛とは、最終的には番となり男女間で子を育む事にあり。
男は女を、女は男を愛さねばならぬという厳格な親の教えに対しての反発、つまり反抗期というやつでしょう。そうであればこの異性嫌いの仕草はきっと一過性のもの。季節が変わる頃には落ち着いている。同調しない事に対して色々絡まれるだろうけど、わたしが我慢すればいいだけだ。
そう思っていた時がありました。今ここで、異常な言いがかりをつけられるまでは。
女子宿舎の玄関前で一列に並んで通せんぼしている人たちが居ます。
それぞれの手には杖と、何かを記帳する為のノートがある。腕には『風紀』と書かれた腕章を付けています。
風紀委員なんて創作上の敵役は学園には存在しなかったはずなので、いつもの自主活動でしょう。
彼女達の視界に入った時からずっとこちらを見つめていたのは気がかりでしたが、すぐにその理由がわかりました。敷地内に入った瞬間警笛を鳴らされ、男の臭いがする者は入ってはならないと追い返されてしまったのです。
ここは恋に傷付かない者達の楽園であり、異性の名を口にするなど汚らわしい行為を行う者が立ち入っていい場所ではない。とにかく男を感じさせる輩とは話もしたくないと追い返されてしまったので彼女達の本意はわかりません。
男の臭いを嗅ぎたくないと言ったので、食堂で見た男女生徒の不和が一番の要因と思っていいかもしれません。お付き合いしている殿方は居ないらしく、好みの相手と出会えない事への嫉妬もあるのでしょう。
数日のうちにこれだけ色々変化すると、大気の状態が不安定で晴れと雨が交互する忙しい天気のようです。
自分達が学園のルールよりも上にあると思っているなんて、思い上がりも甚だしい。
それに男の臭いってなんですか。表現の仕方がとてもいやらしい。モテない事で感情をこじらせて純潔を散らした女は汚れてしまったという思考があるのでしょうか。恋愛とは駆け引きです。奥手なままで成就するはずがない。一途に想い続けるだけで相手が振り向いてくれるわけがないでしょう。
彼女達が彼氏持ちに嫉妬したり、恋する乙女を不快に思うのは勝手だけれど、わたしは一度部屋に戻らなくてはなりません。
図書室で借りて、今日返却する本が部屋にあるのです。
以前より大量に借りて読んではいたんですが、逮捕されたり停学になったり事情聴取で身柄を拘束された日が返却日と重なって、いつしか未返却と延滞の常習犯として槍玉にあげられてしまいました。
次に破れば一度に借りる事の出来る本が一冊に限定されてしまう。毎日通えない図書室から持ち出せるのがたった一冊だ。学校が閉まっている休日や祝日に新たな物語との出会いが無いのは到底耐えられない。今日だけは何としても返却しなければなりません。
寝る場所ならば先生の家があるので今晩ここで寝泊まりするわけではない。自室の扉は正規の方法では持ち主にしか開けられないので事情を話して部屋から持ってくることはできない。わたしが行くしか無いので、通して欲しい。
ですが、それを正直に言っても聞き入れてはくれそうにない。
サワガニさんとの契約でも嘘をついた事になるので、今更です。
嘘も方便というやつだ。わたしの目的はひとつだけ。その達成の為ならば恥をかいても構うものか。
「わたしの部屋にあるカメの花が今夜咲きます。対処しないと大変なことになります。」
そんな花はこの世のどこにも存在しません。新種の植物を見つけてそう名付けない限りは実在しない花。
聞いた事も無い花の名に訝し気な表情を見せる先輩の耳に顔を近づけ、わざと小声で今でっち上げた作り話を伝えます。
クロード君が通販で買い、見せびらかしたその場でわたしが取り上げて、そのまま管理していた植物がおそらく今夜開花する。
その香りは非常に強烈で、放置したら女子宿舎を始めご近所一帯が丸ごと栗の花のような香りに包まれる。月の光に当たれば香りの放出を防ぐことができる。窓際に置き替えた後は速やかに退出する。だから通して欲しい。
なぜカメなのか。なぜ栗の花の香りなのか。なぜこの二つが結びつき、カメなのか。
顔を引きつらせて仲間に報告していった、わたしよりも知識豊富であるはずのお姉様ならご理解頂けるでしょう。
多くの本を読んでいれば性的描写のある作品も目に触れる事はあるはず。海産物の、とりわけイカの生臭さがよく似ているとされるもの。
そう、せいえきだ。
先生という成人男性のそれを放出する器官も目にしていながら、肝心の子種である実物を見た事は残念ながらありません。もうひとつ、栗の花の臭いとされる匂いを感じた事がありません。
知らないからどちらも理解できないものではあるけれど、そう表現されるのが一般的ならばそれに倣う。相手に分かりやすいように伝える事こそが発信者のあるべき姿なのです。
これこそが、あなた方が先程嫌った男の臭いです。汗臭さだけならば男女に違いは無い。だからそれを選んだ。
遠くから見るお姉様方の反応は様々でした。
青ざめていたり、真っ赤にしていたり、カマトトぶっていたり。
先生がわたしに手を付けている等言われていますけれど、それについては今更です。
ひとつだけ、わたしの身体に入るほど小さいのか疑われているのには反論したい。先生の先生は偉大なのだ。
このままわたしを放っておけば自分達の楽園が男に包まれてしまう。だが、ほんの数分でも見逃せば回避できる。
彼女達がドアロックを破るだけの力量を持ち合わせていなかったのが決断の決め手となり、処理を施した後はすぐに退出するようにという指示を受けて、わたしは女の園への一時的な入場を許されました。
返却する本を部屋でかき集め、誕生日に貰って、ようやく蕾が出てきた球根の鉢を窓際に置きます。これで偽装工作と本来の目的を両方達成することができました。何か言われぬ前にオサラバしましょう。
やることを終えて部屋を飛び出したところで隣の部屋の後輩に声を掛けられました。
自分では手が付けられない事が起きてしまった。手助けが欲しいと縋られます。
開花するととんでもない異臭を放つ植物をこっそり育てていた。黙って栽培を始めた後ろめたさから誰にも相談ができないまま育っていき、ついに今晩花を咲かせるところまできた。
蕾を切れば溜め込んでいた臭いの素が大爆発するからそれもできない。タイムリミットはもう間もなく。どうすればいいか考えつかないと涙目で語っています。
助力するとして、その植物が何であるのか分からない事には対策のしようがありません。わたしは何の花なのかを尋ねました。
「えっと、確か、カメの花って名前がついてます。」
まさかとは思いましたが、彼女から聞いた本物のカメの花は、わたしが咄嗟に思いついた特徴を全て持っていました。
嘘だったのに、本当になってしまった。ああ、なんてことだ。