白紙になった台本
理事長とは理事会という学園都市を統治する人達のいわゆる広告塔であり、絶対的な主導権があるわけではありません。
学園都市最大の危機、サヴァン・ワガニンの襲来に際し、都市最強の戦力として最前線に立ち直接対決を行った。それは評価に値する。
だが、その直前まで行われていた騒ぎは何だ。正門前で使われた魔法が何であったのか確認しなかった。生徒一人の証言だけを頼りに居ない人物への救助活動が行われた。警備員に負傷者が多数。重傷を負った者も少なくない。
偶然サヴァンの出現地点に理事長が居たからよかったものの、即座に対応できねばこの地に居てはいけない汚物を闊歩させ、邪悪な種を蒔かれるところであった。
前代未聞の魔王の侵入劇。
今回呼び込んだ真犯人であるわたしを差し置いて、どう評価または判断するかの会議は夜通し行われました。
学園都市の品位に関わる問題だと彼らは頭を悩ませます。
体面だけでも保たなければならない。改革こそあったものの、今だこの都市の首脳陣は虚構に捕らわれているのです。
規律正しく学問を学ぶ場であり、名門である。
そんな学校が学級崩壊を起こしていたり、生徒に手を出す教師が居たりしてはならない。外敵の侵入をみすみす見逃す程の大失態を公にできるわけがない。
翌日出された公式のプレスリリースはこうでした。
『サヴァン・ワガニンの襲来を経てもなお魔法使いの名門、学園都市は健在である。』
襲来を退けた。確かに被害はあったが機能を失っていない。我々の勝利である。
仔細の多くは伏せられていて、何がどうなったのか全く分からない発表でした。
参考までに、先生が朝会で聞いたという話は次の通り。
学園都市に混乱をもたらそうとするサヴァンの手下が処分場から失敗作を一体呼び出した。
だが彼は落ちこぼれ。最も初歩である交換による転移しか使えない。そのために、校門前に居た生徒を一人利用しての転移を行った。その結果があの軟体生物。生きたまま処分場に送られる程に厄介なヤツだというのは、先生も十分に体感したことでしょう。
その際、偶然にも処分場でゴミ漁りをしていた夜明けの魔女が、交換転移が行われたことを察知。
同時にサヴァンの潜伏場所が偶然にもその場所に存在していて、さらに偶然なことに学園から転移させられた生徒が彼の目の前に到着してしまった。
本人達すら状況が掴めぬまま、転移した生徒を巡る意見の衝突から、くにあった湖が一つ蒸発する程激しい戦闘が行われることになった。
その後、どういうわけか夜明けの魔女は魔王を説得。虫の居所が良かったのか、サヴァンが交渉に応じるという奇跡が起きた。
彼は直接手下の不手際を謝罪し、転移させられた生徒を返却する為に学園都市を訪れた。夜明けの魔女との戦闘により疲弊していた為、彼による悪意の芽を植え付けられずに済んだ。
色々納得いかないであろうけれどこれが理事会の認識であり、決定。夜明けの魔女関連のあれこれを知る者、対応して事実を見た者も察して話を合わせて欲しい。理事会の見解を皆に伝えた統括の立場にある教師は、そう締め括られたそうです。
ごめんなさいサワガニさん。貴方とは無関係という事にしたかったのですが、ダメでした。
部下の独断の責任は上司にある。公式発表を読む限り、存在しない人物が危険な行為に手を付けることになったのは彼に対してパワハラを働いたサワガニさんであり、つまり魔王が全部悪いということになってしまった。
彼らにとっては一挙一動全てが悪意の塊で、ほんのひとかけらの善意で行動を行うような人間ではないというイメージが崩せなかった。当事者である夜明けの魔女本人がこの場に居たというのに、証言台に上がる事すらできませんでした。
直接指示したのかどうかを曖昧にして貰えたので、それで手打ちにしていただければと思います。
本来起こり得ない、予め用意されていた台本に無い出来事が起きました。
魔王は勇者によって打倒され、世界は光に満ち溢れる。
そんな物語の王道として大昔から最新作までよくある英雄譚になぞらえられ、無敗の絶対王者に泥を舐めさせたクロード君に与えられていたのが、サヴァン・ワガニンを目の上のたんこぶと認識している皆様による勇者育成カリキュラム。
息子の成長を見守る事ができなかった両親の無念を晴らそうというのは彼自身の意思ではありません。
彼に普通の人生を送って欲しいと願っているのならば、魔法使いと関わらせずに置けばよかった。
魔法を学ぶとしても、サワガニさんに全てを教えた理事長のいるこの学園である必要も無かった。
彼自身への教育方針は、計画書の存在しない、誰も彼もが無意識下で行っているであろう壮大な育成ゲームです。
直接の指導を行う先生も、クラスメイトのわたしさえも、勇者の覚醒の為に必要なイベントキャラクターとして組み込まれているはずです。
サヴァン・ワガニンを打ち倒し英雄となることを期待されるクロード君は、最終決戦のその時まで彼との直接接触してはならないとされてきました。
サワガニさんも言っています。彼と直接顔を突き合わせることになった時、反発し合ったふたりは相手が死ぬまで戦い続け、そして共倒れになると。
今回、起きるはずだった彼らの死闘は開始前の名乗りすら行われすらしませんでした。
未来予知ができる魔法使いが予見していた世界崩壊はまさに今日のこと。学園都市に入った主の号令により一斉蜂起。ワガニンの軍勢により学園都市が攻め入られるはずだった。
実際はどうだ。確かに本人が現れた。学園都市が厳戒態勢に入った。予言に沿ったのはここまで。
彼は誰一人傷つけず、それどころか宿敵を救い、この場を去った。
比較する尺度は違いますが、全世界が終末を迎えるのに比べれば、数人の怪我人など些細なものです。
彼の部下による凶行は見るに堪えません。わたしも一度は危うく死にかけました。
今回の事件、もしかしたら本当にサワガニさんの部下の独断先行だったのかもしれない。
サヴァン・ワガニンは憎むべき邪悪。親の仇。全ての元凶。ずっとそう教えられて育っていたクロード君にとっては物凄いショックを受けてしまったようです。
彼の手先を自称する者達が起こした数々の事件を忘れる事はできない。だが、本物のサワガニさんは彼に何をしたか。
降り降ろされた軟体生物の腕から庇われた。今抱えている自身の問題を的確に見抜かれた。全てではないが、ある程度の対処法も教わった。
わたしがあの場で聞いた限りでは、覚えが悪く成績が芳しくない事を責め立てられ、詰られ、蔑まれ、人格を否定されるような言葉の暴力ではなかった。
写真で顔は知っていても、直接会ったことがない両親の為の復讐に生きるのがクロード君の幸せなのでしょうか。確かに言われるがままで居れば高く評価される。だけど、それはいいように使われている操り人形だ。
他人の両親の評価は高く、そのおかげで良い待遇を受けているけれど、それすらも勇者育成の為の芝居なのではないかとへそ曲がりに考えてしまいます。
でもこれは早めの反抗期のせいで自分の親を大事に思えないわたしだからなのかもしれない。自分のものさしで相手の感情を測ってはいけません。それは押し付けです。
今も目の前で頭を抱えるクロード君には悪いのだけど、悩める彼に道を示すのはわたしじゃない。
異端を異端で排除する為の壮大な計画が破綻しつつある音が聞こえていますが、そんなのはどうだっていい。
大好きな先生がいて、皆もいて、それなりに面倒事はあるけれど、楽しい毎日がある。
いずれ決着を付ける必要はあるんだろうけど、それはすぐじゃない。
「あのひと、先生みたいだった。まさか、先生が?」
平穏な日々を過ごしたいと思いながら今回の話の幕を引こうと思ったのだけど、ちょっと待て。
最後の最後に不穏な言葉を吐いたクロード君の脛を蹴っ飛ばしたわたしは悪くありません。
あの言い回しと冷静な分析は凄い。わかりやすい魔法の組み方は人にものを教えるのに向いている。失敗に対して自ら先頭に立ち解決する姿やちょっとしたフォローを入れる行動は、こう表現したらダメかもしれないけれど、そう、格好良かった。
それらがカリスマとなっていつしか人を集めたのでしょう。落ちこぼれにとっても救いとなり、ならず者が増えてしまい、いつしか犯罪者集団となってしまった。たぶんそうだ。
「どうしてそう思ったか聞かせて貰えますか?」
教え方から自身が使っている術式まで似てはいるけれど、先生とサワガニさんでは根っこのところが違う。先生には自分が死にたくないという自己愛が見えない。サワガニさんは一人でも生きていける。むしろ一人の方がいい。勇者候補生はこの違いを見分けられないのか。こんなに近くで先生を見ていながら。
いいだろう。それでわたしの先生への好意を砕けると思っているのなら、まずはその幻想をぶち壊す。