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太陽は学園都市で恋をする  作者: いつきのひと
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宿命のターニングポイント・サイドストーリー

 サワガニさんが学園都市に侵入した場合、今まで体験した事の無いような最大レベルの警戒が為されるはず。都市機能の停止などお構いなしに、全てのリソースをぶつけてでも追い払おうとするだろう。

 仮にそうなれば、小さいわたし一人が侵入したとしても、構ってなどいられない。



 既にサワガニさんは未来視で知り得てはいるだろうけれど、予想通りに事が運びました。軟体生物の体内の水分を、何か別の硬いものに変化させたのはサワガニさんです。彼の登場により、現場は硬直。存在に恐怖するあまり気絶してしまう方もいらっしゃいます。

 サワガニさんは、わたしかもしれない軟体動物をあっさり傷つけてみせ、皆の意識を釘付けにしました。


「おま、え、何で!?」

「ずっと見ていましたが、あまりにも情けないので来てしまいましたよ。」


 理事長は、太い触手のような軟体生物の腕を掴んでいて動けない。その隣に居るクロード君はというと、とても怖い顔をしてサワガニさんを睨みつけています。




 悠長にやり取りを眺めている時間はありません。

 現在、学園都市は緊急事態につき最大級の厳戒モード。部外者に対しての追い出しの魔法が使われていない。見つからない限り、不法侵入者になっているわたしでも学園内を自由に歩くことができる。


 わたしはわたしで、強制排除される前に目的を達成しなければいけません。

 いつ盗られたのかわからない学生証を、サワガニさんの魔法で動けなくなった軟体生物から取り戻すのです。




 わたしは現場の後ろから回り込み、動けぬ身体を無理に動かそうともがいて軋む軟体生物に触れました。

 学園都市の認証は大雑把。こうして学生証を持つ者と持たない者が接触していると、二人合わせて一人の人物と認識されてしまいます。触れていれば、学園都市の、特別学級のわたしの権利が帰ってくる。強制排除の心配はなくなります。


 さて、ここからが問題だ。

 わたしの大事な物が、このスライムのどこにあるかが分かりません。手を突っ込んでまさぐろうにも、その身体は先程サワガニさんが硬化させたばかり。中身は見えるのに石のように硬い。そうでなくても色んなものを取り込んだままなので、手が入っても探すのは苦労するはずだ。



 しかし今日のわたしは運がいい。学園都市に帰ってくることができた。それに、こんなとき一番最初に居る先生がすぐそばにいる。

 具体的には、頭の上に先生がいます。


 先生は軟体生物の頭にとりついていて、頭部から伸びた触手に振り払われる寸前でした。

 今は硬直した軟体生物の肩らしき部分に立ち、クロード君とサワガニさんの動向を注視しています。何か妙な動きがあればすぐに報せる。そしてすぐに助力に入るおつもりなのでしょう。


「先生! 下です! 足の下!」


 さっきまで無かったわたしの声が聞こえ、下に居た軟体生物ではないわたしの姿に驚いて、先生は危うく落ちてしまうところでした。



 出会えば共に命を落とすことになるとされている二人が出会った事で何が起こるのか気になるけれど、サワガニさんはクロード君を傷つけないし、対するクロード君は今の実力では絶対に勝つ事ができない。ですから放っておいて構いません。わたしにはそれよりも優先すべきことがあります。


 頭上から降りてきた先生に、学生証がこの軟体生物に盗られてしまったことだけを伝えます。

 今までどこで何をしていたのかをお話する時間はありません。軟体生物はサワガニさんに向けて腕を振り降ろした。硬直に順応するのも計算の上だけど、思ったよりもそれが早い。

 いまここで手を離したら、わたしは不法侵入者に逆戻り。


 軟体生物の体内を探査の魔法で探し出し、わたしの手元にたぐり寄せて欲しい。

 しつこいようですが、わたしは今、魔法が使えない。頼れるのは先生だけだ。



 いつもなら二つ返事で動いてくれるのだけど、今日は、迷いがありました。

 サヴァン・ワガニンが今この場に現れてしまった。彼ほどの魔法使いは、あらゆる手で惑わしてくるはず。ここにいる人の姿をしたわたしは彼が作り出した幻覚かもしれない。本物はこっちの軟体生物かもしれない。

 わたしである証拠を示さなければならないけれど、それが本物であるかをどう証明したらいいかもわからない。二人しか知らぬ事でも、先生の記憶を参照して幻覚が作り出されていたのなら……


 この場の誰もが、何が本当で、何が嘘なのかが判断できない状況にある。



 疑心暗鬼に包まれた場を切り開く為のアイテムを、わたしは持っています。

 先生に、いつも学生証を入れるポケットに忍ばせていた契約書をお見せしました。サワガニさんと夜明けの魔女の契約が記されているもので、誤解が無いようにシンプルな内容です。


 魔法を知る者ならば、その契約の力を理解している。

 約定を違えれば首が飛び、脳みそが再生不能な程めちゃくちゃに掻き回される。その契約には違反も偽造も許されない。

 魂まで全てを主に捧げる従属の契約にも用いられるというそれを、短期間の労働契約に使用した。それを魔王が承諾した。前例は無いでしょうけれど、知ったことか。

 わたしの行為の結果はもう現れている。この場で先生と話ができている。大怪我をしなかった。死なずに済んだ。でも足りない。もう少しだけ人の手を借りたい。


「先生、お願いします!」


 可愛い身振り手振りをする余裕はありません。硬直したとはいえ、軟体生物はずっと臭いんです。臭いで頭が痛くなるなんて初めての体験です。


 わたしの声で意識を取り戻した先生は、すぐに軟体生物に杖を突き刺しました。

 透明な体内を探査の魔法の網が疾走し、間もなく底に溜まったゴミの中に紛れ込んでいた四角いカードを包み込みます。

 先生は杖を釣り竿に、探査の網を釣り糸に見立て、軟体生物の身体の中からわたしの学生証を一気に釣り上げました。その状況から察するに、わたしは先生の釣りの助手。獲物を捕らえるこの手はナントカという網でしょう。



 空中に放り出された学生証はわたしの手に収まりました。

 感動をかみ締めている暇はありません。軟体生物が諦めていない。わたしの肩に手を回し、そのまま抱き寄せた先生は軟体生物から離れようと走ります。

 石畳は先程からの戦闘でボロボロ。足場は決して良いとは言えない。慌てていたし、疲弊していたのもあるのでしょう。躓いて盛大に転んでしまいました。


 腕が長く伸びてきて、飛び出した学生証と、それを捕まえたわたしの手を丸ごと包み込みます。

 わたしごと取り込むつもりなのでしょうか。相手の力はとても強く、綱引きなど勝てる気がしない。足を固定などしたら地面ごと持っていかれるか、腕が抜けてしまうのではないか。今この場ですこしでも魔力が自然回復していれば何か出来たかもしれない。だが太陽の魔法を使った後だ。そうそう簡単に戻ってくるものじゃない。


 その半透明な腕は、蹲って抵抗するよりも早く切り離されました。

 魔法を使ったのは先生。一緒に倒れた先生が、そのままの恰好で杖を握りしめています。


「あっちに比べたら格好悪いですね。」


 起き上がった先生の目線の先では、サワガニさんが荒れ狂う触手を無い物のようにあしらっていました。

 学園の皆は軟体生物をわたしと勘違いした。だから手間取った。情報が少なかったのだから仕方ない。それに、わたしを助けてくれたのだ。そんな先生が格好悪いわけがないでしょう。



 これでわたしは学生証を取り返した。学園都市によるわたしとスライムとの誤認も解消されたはず。

 特別学級のアサヒ・タダノ。今ここに、転移させられてしまった最終処分場からの帰還を果たしました。




 こちらの目的は達成できましたので、サワガニさんをこの場に留めて学園都市をさらに混乱させる必要もないでしょう。軟体生物の注意もサワガニさんに向いたので、もう学生証を取られる心配もありません。

 報告をするために近寄ってみたら、クロード君がサワガニさんの小脇に抱えられていました。


「えと、クロード君?」

「彼の行動は想定内です。お構いなく。」


 仏頂面というのでしょう。表情を変えず、サワガニさんは暴れるクロード君を抱えたまま、触手の攻撃を全て打ち返していました。



 軟体生物の相手を理事長にお任せし、クロード君を地面に下ろしたサワガニさん。


 名残惜しいですが、彼の雇用契約はわたしが学生証を取り戻すまで。今からはわたしのターン。わたし達の契約書を根拠にして、スライムがこの場所に転移されたのはサワガニさんとは無関係と証言しなくてはいけない。

 信じてくれるかどうか保証はできないのだけど、構わないと言ってくれました。



 今回の騒動で、自身の証言が現場に混乱をもたらす結果になってしまったクロード君は拾われた猫のようにおとなしくなり、親の仇に慰められていました。


「君はもっと知識を得て視野を拡げることだ。それがあれば今回のような失敗は二度と起きない。わからないのなら、何が分からないのかが分からないと先生に伝え、教えを乞え。それが学生だ。それに、返事はもっとしっかりと。今までどうやってきたかは問わない。僕はこれからの君に期待しよう。」


 その語り口は教師のようでした。

 相容れぬ相手でも言う事はまともであり、わたし達の先生も彼の言葉に反論することなく見守っています。



 厳戒態勢は今も維持されたまま。杖をしまい、戦う意思を見せぬとはいえ相手はあのサヴァン・ワガニンだ。


「生徒がお世話になりました。」


 深々と頭を下げる先生の手には、杖が力一杯に握られていました。

 先生からしてみれば、いつ気分を害して暴れ出すか分からない相手。本気で正面からぶつかったのでは勝てないだろうけど、何か出来る事があるはずだと言っているかのようです。


 先生のそんな姿をどう見たのかはわかりませんが、サワガニさんは、他愛のない言葉を二言三言述べるに留まります。

 街灯に明かりが点るのを確認した後、サワガニさんは足下にできた自分の影に吸い込まれるかのように消えていきました。




 先生を失うことなく、学園都市での立場も取り戻した。

 怪我人は出たけど侵入した化け物も理事長が叩き潰した。

 ああ、これで万事解決ならどれだけ良かったのか。


 事件は終わっていません。クロード君の誤解で大勢が怪我をして、わたしがサワガニさんを連れ込んだ事でほんの数分ながら戒厳令を敷くことになった。それらの落とし前を付けなくてはならない。


 そして、誰が最終処分場からあの軟体生物を転移させてきたのか。その目的は何か。

 そんなこと、と言い放ってしまえるほどの大事件をわたしが持ち込んだせいでうやむやになり始めているけれど、何か、とても大変な事が行われようとしているのではないでしょうか。



 先生との静かな暮らしを送りたいというわたしの願いは、まだ叶いそうにありません。


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