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太陽は学園都市で恋をする  作者: いつきのひと
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夢であってほしかった

 校門を出ると、そこは密林だった――


 自分でも何を言っているかわかりません。

 理解が追いつかないので目の前で起こったことをそのまま口にしました。



 学園都市に正規の方法で入らなかったモノは、一歩たりとも街に踏み入れる事を許されません。

 規則に従わずに入場するのは敵対行為と見做されます。二度とこの地に近付きたいと思わぬよう、すぐさま転移の魔法によってどこかへと飛ばされるんだそうだ。

 それに従っているわたし達には関係ないのだけど、そういうものがあると教わったばかりでした。


 わたしを誘拐した人達や、実家からの刺客など犯罪行為に手を染めようとする人達も入場ルールを守っています。魔法使いの社会でも人の内面を覗き見る事は許されておらず、入場する時点では悪巧みを濾過するのは難しいとのことでした。



 誰かが悪意を持って転移を仕掛けたか、それとも学園都市の防衛機能が誤作動を起こしてしまったのか、今ここで原因を考えても仕方ありません。焦ってもしょうがないし泣いたところで助けが飛んでくるわけでもない。揺りかごに収められた赤ちゃんではないのです。

 今、自分が意図しない場所に立っている。この事実は把握しました。




 先生への連絡が取れません。それどころか、頭上にあるはずの探査の魔法の網が見当たらない。

 その状況で、今すぐに考えつく可能性はふたつ。


 魔法で探査の魔法をも遮る場所へ閉じ込められたのなら救いがある。学園都市の内側であれば例え理事長の空間魔法の中でも先生が見つけてくれます。探査の魔法は伊達ではありません。

 学園都市の外に放り出されたのなら手の打ちようが無い。壁の外にこんな密林が広がっているなど聞いたことが無い。見知らぬ土地、知らぬ言語の場所で、学園都市にどうやって帰ればいいのか全然わかりません。


 せめて連絡が取りたいのだけど、わたしの発信を受け取る通信網はこの場に存在せず。先生を呼ぶ声は空しく雲の向こうへと飛んでいくだけでした。



 わたしが居る場所、つまり転移の着地地点から移動するかどうか悩みました。

 もし先生が見つけてくれるなら下手に動かない方がいい。何があろうとこの場所に居るのが賢明でしょう。


 それが可能かどうか、一呼吸してから辺りを見回してみます。

 日光が届かぬ程の暗い森が夕陽を浴びて、まるで燃えているかのように色づいています。わたしよりも背丈の高い草に、見た事の無い太さの樹木。湿度の高いまとわりつくような空気、そして朽ちた植物が土に還る醗酵臭に花の香りが入り混じる事で完成された濃密な異臭。 学園の温室にも無いような草ばかりなので、高度な術式に用いられる希少な薬草が足元にあっても気付けそうにありません。今踏み潰した草がそうだったとしても許して欲しい。


 許されるのなら、今すぐにこの場を離れたい。

 背の高い草や不快指数の高い空気や異臭のどれか一つでも辛いけれど、一つだけなら我慢します。しかし、全部あるのだから耐え難い。






 そんなことを考えていると、どこからともなく木の葉が擦れる音が聞こえてきました。

 風かと思いましたが、踏み折られた枝の音が段々と近付いています。


 何かがこちらに向かってきています。

 それが何であるかはわからないけれど、わたし自身が状況を理解できていないのに学園からの助けが来たとは考えられません。

 すぐに身を隠す場所をと思いましたが、わたしにはサバイバル技術などありません。こうして狼狽えただけで音が鳴る。それを目印に相手は近付いてくる。早速だけどわたしの人生これまでです。先生へ、先立つ不孝をお許し下さい。


 いや、早まるのはまだ早い。

 わたしは学園都市の生徒、魔法使いです。何の為の魔法だ。姿を隠せばいいだけだ。

 停学中に学園に忍び込んだ時と似ています。あれを使う。魔法の無断使用を禁じるルールは学園都市の中でのみ。先生の探査の魔法が張られていないのだから、ここは都市の外だ。ヨシ。




 物音の正体が何なのか、わたしの知識では分かりかねました。

 二足歩行をしています。手で茂みをかき分けながら移動しているので、ヒトか、猿か、それに準ずる何か、いや、そもそも生き物なのでしょうか。先程からずっと感じていた異臭の犯人はコイツでした。


 わたしの描く絵はとても前衛的と高い評価を頂いていますが、先鋭的すぎて多くの人の理解を得られていません。今見たものを描いたところで誰も信じてはくれないでしょう。

 わたしの言葉ではどう言い表せばいいのか全く分からない、何かが目の前に現れました。



 手の平返しが早いという評価は甘んじて受け入れます。


 姿が見えないはずで、音も出していない。ましてや臭いなどご本人からのモノのほうがよほど強い。

 それなのに、認識できていないはずのわたしの方へと一直線に向かってきます。


 これは無理だ。動かずにやり過せる相手ではない。今逃げ出したところで、そう判断したことを責める人はいない。わたしが観客だったなら、悲鳴を上げずにどうすべきか熟考する主人公を褒めてあげたい。

 移動する事で発見が遅れる可能性よりも、今目の前に迫る危機からの逃避をわたしは選びます。



 逃げると決めた以上躊躇う必要はありません。花火を打ち上げた時のように、わたし自身を打ち上げました。

 どうして上に飛んだかといいますと、素早く逃げる為には一直線に射出するのが手っ取り早いと考えた。防御の必要が無い開けた空間が頭上だけだった。

 人の出入りができない結界が張られていて、頭をぶつける可能性は考えていませんでした。そこまで考えられる程の余裕はありません。


 自分でやっておきながら、引っ張られる感覚が凄い。打ち上げる魔法なのか、重力なのか、どちらに引っ張られているのか判断できませんが、とにかく押し潰されるようで息ができませんでした。

 花火ほどの高さはいりませんので、とりあえず背の高い木よりも高いところで急停止。


 次はホウキで飛ぶ実験をして墜落した時のように、遠くまで飛ばされるイメージで自分を弾き飛ばします。

 怖くないと言えば嘘になりますが、既に一度体験したものなので、高所から落ちる恐さはだいたい半分ぐらいで済みました。

 あんなわけのわからないものから逃げ出そうとしているのです。これくらいで怖がってはいられません。



 不格好な飛行の間に空の上から辺りを見回します。

 眼下には、本で見たどこか異国の樹海に見紛うほど広大な森が広がっていました。

 太陽は学園都市から見たままの姿で、わたしよりもさらに高い場所からわたしを見下ろしています。


 夜空の星の場所から今自分がどこに居るかを逆算する事もできるそうですが、残念ながらわたしはそれができません。

 わたしは今、東西南北がわからない。迷子なのです。




 無計画に飛び出したので、どこにどんな形で着地するか悩みました。

 とにかくあの場を離れなければいけない。それしか考えていなかったのです。


 幸いなことに、変な臭いはなくなりました。超人的な筋肉を持っていたり、転移の魔法を使えなければ追ってはこれないでしょう。仮に徒歩で追いかけてきたとしても、距離を取っただけ時間の猶予がある。


 脱出の最後の行程は着地です。わたしの魔力は底が浅いので、このまま学園からの救助があるまで飛び続ける事はできません。一応の安全は確保できますのでこのまま飛び続けていたいのは山々ですが、現実はそう甘くない。


 良い場所が無いかと見まわしていたところ、森の中に湖と、その周囲に咲く花畑を見つけました。

 平和そうなあの辺りで一息つきましょう。

 このまま落下していけば湖の近くに辿り着けるので下りてから歩く事にします。

 着地前に減速することと、クッションを忘れずに。





 何人たりとも通さぬように張られた結界が、まさかそんな場所にあるとは思ってもいませんでした。

 濡れた手で家電の電源プラグに触れてしまった時と、本当によく似た痺れを全身で浴びてしまいました。そして、その予想外の事故で発生した一瞬の判断の遅れは大きなミスに繋がります。


 落下速度を抑えるのは間に合いました。しかし、クッションが作れていません。

 大きな緩衝材を魔法で作るよりも先に、勢いよく湖に飛び込む形になりました。



 水面に叩きつけられる衝撃が強くなかったことと、湖の底がそこまで浅くない事は幸運でした。

 そのかわり、幸運はそこまで。運は尽きた。


 湖に落ちてから宣言する事ではないのですが、わたしは泳げません。先生の家の狭いバスルームでも溺れた事があるほどの筋金入りです。水で顔を洗う事にも抵抗があるので、前世は水嫌いの動物でしょうか。とにかく水に触れるのは苦手なのです。


 泳げぬわたしが水に落ちた。先程とは別の危機だ。このままでは溺れ死んでしまう。

 魔力は、学園都市の誰かに見つけて貰うまでは温存しようと考えていました。最後の一発でも狼煙をあげる事ができれば助けの手は絶対に来る。先生が迎えに来てくれるはずだと。


 今ここで魔法を使ったら、それができなくなります。

 いま、どれくらいの深さに沈んだのかがわからない。浮き上がるのに、どの程度の力を込めればいいのか考えられない。なんとか着水時に水を飲まずに済んだけど、もともと息は長く続かない。水嫌いなので目は開けられません。身体が浮き上がっている感覚は無く、むしろ沈んでいるような気がしています。

 先程に続き、またしても一刻の猶予も無い。



 自分を浮上させるまで息が続かないのであれば、どうするか。


 それが何なのかまではわかりませんでしたが、水を構成するのは酸素と水素という目には見えない小さな物質であると本で読みました。

 目に見えない空気すらも何らかの物が充満しているなんて考えられませんが、水は空気と同じもので作られている、そういうものだと無理にでも解釈しましょう。


 どうにかして、水を空気に変えれないか。

 熱したフライパンに水滴を落とせば瞬時に蒸発する。水がなくなるのだ。

 今、この湖の中に超高温の物体をぶつければ、水は瞬く間に蒸発することになるだろう。たぶん。


 もしやるとして、高温によって膨張した蒸気は当然噴き上がることになる。それは噴き上がりなんてかわいい物じゃない。爆発だ。その温度と圧力に対しての防御は必要だ。こんな見ず知らずの土地で大火傷なんて負いたくない。溺死よりも辛い死に方をすることになる。


 水を蒸発させるのと、その後に起きる水蒸気爆発への防御。寸分の狂いもなく確実に両方を行う。ちょっとでも間違えれば丸焼きです。

 ああ、もうだめだ。我慢ができない。別の選択肢を考える余裕なんて無い。


 強力な熱の源ならば簡単に思いつきます。そう、太陽です。

 湖の中の魔力は全部拾え。とにかく湖を干上がらせろ。わたしが溺れてしまう前に。






 加減など考えずに放った太陽は、湖の水を一気に蒸発させてくれました。


 音や衝撃も魔法で防いでいたのだけど、それでも大音量のスピーカーの前に立ったときのような振動を感じました。何もしていなかったなら、衝撃で内臓がめちゃくちゃに掻き回された死体がひとつ出来上がっていたかもしれません。

 とにかく、作戦は大成功。魔力を全部使ってしまいましたが、生還する事はできました。

 


 先程まで清らかな水を蓄えていた湖だった場所、太陽の熱がほのかに残る窪みの中で、わたしはようやく呼吸することができました。

 水は全て湯気として噴き上がった。風で飛ばされて行ってしまった。防御を貫通する程の大きな爆発は周囲の地面まで盛大に吹き飛ばした。遠くから見れば、火山でも噴火したのかと驚かれるかもしれない。目立ってしまうのは魔法使いとしては三流だけど、それでいい。わたしは学園都市に捕捉されたいのだから。


「アサヒ・タダノ。なぜ、ここに居る。」


 仰向けに倒れたわたしの視界の外、ちょうど頭の上の方から声をかけられたのは大きく深呼吸した直後でした。


 驚きとともに、安堵したのは確かです。

 見知らぬ土地で知っている言語を聞くことができた。それどころか、相手はわたしを知っていた。それもトゥロモニのわたしではなく、学園都市のわたしを認識している人物だ。


 誰なのかと見てみると、そこには全身黒尽くめの衣服に身を包んだ、首から上の毛が一切無い、顔の皺から察するとそれなりに老いた男性が立っていらっしゃいました。



 ええと、どちら様だったでしょうか。

 老人の知り合いは学園都市の商店街に店を構えるおじい様方しか存じ上げません。新学期前に学園を去った老教師はこんな顔をしていません。だが相手はわたしを知っている。これはどういうことだ。

 もしかして、わたしは未来に転移してしまったのでしょうか。


「すみません、今日は何年何月何日でしょうか。」


 未来に来てしまった可能性を考えて日付を尋ね、ついでに、相手が誰なのかわからないことを素直にお話ししました。


「面と向かって我を知らぬと言い、真っ先に日付を尋ねたのはお前が初めてだ。」


 笑う訳でもなく、不愉快だと怒るわけでもなく、禿げた頭の男性は淡々と語ります。

 教えてくれた日付はわたしが認識している今日であり、未来や過去に転移した可能性はなくなりました。




 今、彼は自分の事を我と言いました。

 この一人称は聞いた事があります。こんな痛々しい一人称を使う知り合いは一人しかいません。


 その人はこんな場所で突っ立っているような人物ではないはずだ。こう、黒に塗られた石造りの古城でトゲトゲしたデザインの玉座にふんぞり返るようなイメージがある。世界の半分をお前にやろうとか言って仲間への勧誘をしておきながら、実際は使い捨てにするような、まさに魔王のようなイメージだ。


 名乗りを上げそうだったので、身体を起こし、正座で拝聴します。

 どうか、どうかわたしの予想は外れて欲しい。自分で聞いたのだけど、今思えば、それを聞いてはいけない気がします。しかし今更聞きたくないとは言えない。彼の機嫌を損ねてはいけません。わたしは魔力が尽きていて、何の抵抗もできないのですから。


「サヴァン・ワガニンである。」


 ああ、なんてことだ。

 魔法使い達の脅威が、恐怖の象徴が、クロード君の宿敵が、あのサワガニさんが、目の前に居る。

 短い人生で最悪の山場は過ぎ去っていなかった。それどころか来てすらいなかった。それが今、こんなタイミングで訪れてしまった。

 こんな形でわたしの人生は終わってしまうのか。今晩も一緒に夕食を食べようという先生との約束すら守れないのか。先生に対するわたしの大好きは、まだまだ伝え足りないというのに。



 授業での発言を求める時のように右手を挙げました。出しかけていた次の言葉を飲み込んだ後、顎で促されたのを発言の許可と見なし、今わたし達が居るこの状況がいつもの夢かどうかを尋ねます。


 夢であれば、校門の先が密林になるなどというおかしな繋がりに納得がいきます。

 そうだったのなら、ちょっと話していつも通り目覚めよう。


 きっと、わたしはまだ病院から帰って来たばかり。太陽で湖を干上がらせた熱波なんてのは熱のせいだ。目覚めた時はきっと汗びっしょりだろう。先生は着替えを手伝ってくれるでしょうか。もし脱がす途中で劣情を抱いてもわたしは構いません。ついに一線を越える時が来るのかもしれない。




 願いが叶う事はありませんでした。

 サワガニさんは、目を閉じて首を横に振ります。

 その身振りが意味するのは、これはいつもの夢への介入ではない。現実だということ。


 ああ、なんてことだ。

 どうしてこんなことになったのか全くわからない。わかるのは、見知らぬ土地に転送されてしまったことと、世界最悪の魔法使いの前に無防備な姿を晒してしまっていることのふたつだけ。

 わたしは今、蛇に睨まれるカエル。猫に狙いを付けられ緊張で動けないネズミです。


「もう一度聞こう、アサヒ・タダノ。何故ここに居る。」


 魔王直々の問いかけが、始まってしまいました。

 

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