不断給餌
先生の多忙さは決して本人の素質によるものではありません。
効率化に能率化、そして早急な問題解決に、最後には必要な知識と技術を習得できるフローチャートの構築。必要十分なアイテム取得と時間短縮をよく考え、その上で自由度も楽しめる攻略ルートの設定。
正直わたし自身よくわからない部分が多いけれど、先生の作業はとにかく動きだせば早い。本当に一瞬のうちに目的が達成されます。
では、そんな万能かつ優秀な先生の仕事が何故減らないのか。
一見優秀に見えるのだけど、実はそう見せかけているだけのハリボテ。蓋を開ければ中身はガタガタだったりするのではないか。
その可能性はわたしが否定します。確かに遅れが出ている結果は事実でも、これまでの先生の苦労と気配りに対してそんな批判をする人はわたしが許しません。お尻を秒間十六回の速さで叩いて差し上げます。さあ尻を出せ。
先生がこなすお仕事は、現場でのトラブル対応から事務作業まで多岐に渡ります。素人のわたしから見ても作業量が多すぎると思います。
そんな状況なので、わたしの力添えなど些細なもの。特別学級の問題児のお世話に割く負担をどれだけ和らげても空いた余裕に不要なものを突っ込まれる。
それはまるで、食肉用に育てられる家畜。大規模なシステムによって管理された畜舎において、彼らの食事は途切れる事がありません。先生は家畜ではありませんが、これらの状況はよく似ています。
先生は与えられた仕事に対してとても真摯に取り組む方なので、指示を受けたらほぼ必ず引き受けます。受領してから、どうすれば手を付けている仕事をこなしつつ割り込んできた仕事を片付けられるかを考えます。
わたしの夜のお誘いにしかNOと言えないのが先生なのです。
そんな先生本来の処理能力を超えてしまっている現状は、なんとしても打破しなければなりません。
夜明けの魔女の権限を解き放って、先生を学園からヘッドハンティングすることも考えました。
そうすることで先生は魔女の僕となり、わたしのものとなります。そして理事長達からの要望で学園都市に貸し与えられる形になる。
部外者には無理をさせるわけにはいかないと思わせる。業務を教職に限定する事で負担を和らげる狙いがあります。
それはわたしが口にするだけの簡単なお仕事。ですが、同時に先生をわたしの部下として養う事にもなります。 学園都市は部外者へ協力を求める場合は前金のみ。その後の給与は出さないそうです。先生のお給料はわたしが出さなければなりません。
まだ半分以上残っているけれど、今の口座残高でこれから先生を養う為の余裕は無い。先生の、大人一人分の給料を渡していたら、数ヶ月で貯金は底をついてしまう。
そう先生に説得されたので、別の手を考えましょう。
本業である特別学級の担任をさらに楽にしてもらうべく、予習で授業の先回りをしたらどうかと考えました。
先生にも許可を貰っての実験は最初の二日こそ成功でしたが、三日目に躓きました。
その予習で得た知識や技能が前世代のものであり、今では適さないやり方や考え方だった場合の軌道修正が大変だったのです。本の内容と先生の授業との違いに納得するのに丸一日を要し、わたしと先生の議論で授業時間を台無しにするという失敗をしてしまいました。
先生の言葉に対して何の疑問も無く受け入れるという意味での素直さを持てず、申し訳ないことをしたと深く反省しています。
そんな感じで、状況を良くしようと努力するのだけど、どうも結果が奮いません。
請けた仕事は全てこなすという高い評価を守る為に無理をしている事を、理事長は気にしていない。断らないので、仕事の配分をする側は便利な者として扱っている。
終わらない堂々巡りにハマってしまったような感覚があります。先生をこの悪循環から救い出したいのに、より強く押し込んでしまっているような、そんな感じが。
そもそも、だ。
担任している特別学級がとても良い子なのは良くないのではないでしょうか。
何かの拍子ですぐに手が付けられなくなる問題児集団が、学園でも唯一無二の充実しながらも落ち着いた生活を送ってしまっている。先生の手が空く。それはつまり付け込まれるだけの余裕があるということ。
先生の技量の限界は理事長も知っているはずで、わたし達から目が離せなければ他の仕事どころではない。そのはずだ。わかっているからこそ、今の状況ならばもっと仕事を与えて良いと判断しているのでしょうか。
大好きな先生に頼られるのは嬉しいし、その信頼には最大限に応えたい。しかし、それが巡りに巡って先生への負担になってしまっているのであるのなら、考えを改めないといけない。
ここ最近はショッピングに同行するだけの時間も取れません。わたしが先生の為の買い出しに行ってる間に他の作業を進めるなんて事が常態化してしまった。
多忙の解消をすぐにはできないとしても、せめて先生にも休日を。そう願わずにはいられませんでした。
皆よりも身体が小さくて、左肩が悪くても、それ以外は基本的に健康体。わたしは滅多に体調を崩しません。その反動なのか、具合が悪い時はとことん悪くなります。
今回の風邪は熱があって意識は朦朧。喉が腫れて咳が辛い。黄色い鼻水が止まらない。頭が痛い。それに身体の節々が痛い。寒気がする。どれかひとつくらいなら我慢するけれど、こんなのは一気に来なくていい。
先生を休ませたいとは願ったし、風邪でもひけば看病に時間が割かれるため他の作業どころではないのではと考えたりもしました。それに昨日は夕方から頭が重かった。微熱でも出ればと思ったのですが、それがまさか、一晩でこうなろうとは。
わたしは今、先生の家のベッドをお借りしています。
安静にしていたいのだけど、宿舎の自室の環境はあまりよろしくない。ただでさえ騒がしい彼女達に静かな暮らしは期待できません。
それに、迷惑な隣人だけど彼女達は可愛い後輩です。入学してからの緊張がほぐれてきて、今から学園生活を満喫しようとしている矢先に風邪などひいたのでは気分が台無しになるでしょう。
流石に寝て休むだけで治るようなものではないので、病院へ診察を受けに行くことは決定事項です。
そこで、病院への付き添いから看病までをするかどうかで先生が逡巡したのを見てしまいました。
今日も授業があるし、手をかけ始めた仕事も山のように残っている。迷う気持ちはよく分かります。
だからこそ考えてみてほしい。風邪でダウンしているのは他でもないわたしです。右も左もわからぬ子供であれば必要かもしれませんが、わたしです。一人で病院へ行くなど造作もありません。
自分の体調の事は自分が一番よく知っていなくてはならないので、お医者様からの説明もわたし一人聞ければ十分なのです。
「わたしはわたしでなんとかしますので、先生はいつも通りにしててください。」
付き添いと看病が無くても大丈夫。病院との移動は先生の魔法で転移させて頂ければいいでしょう。先生が信じているわたしを今まで通り信じて欲しい。
頭に突き刺さるような痛みの中で、それを伝えたつもりでした。
先生がご自身の頬を叩いた音は大きくて、耳に刺さるかと思いました。
そして先程まで迷っていた表情が晴れやかになっています。どうやら何か覚悟を決めたようです。
色々準備するからと言って寝室を出た後、壁越しに、学園へ連絡を入れる先生の声が聞こえてきました。
「今日明日の業務は全てキャンセルで。はい、全部。皆には自習と、ああ、それはこっちから連絡するので……はい、お願いします。」
仕事第一だったはずの先生が、休みの連絡を入れている。
与えられたものは完遂する。そんな高い評価を返上するのがどういうことなのか分からぬ先生ではないはずです。どんな理由があろうと一回は一回。一度崩れてしまったものを再び得るには途方もない努力が必要になる。
それなのに、先生の言葉には躊躇いが全く感じられません。
寝室に戻ってきた先生は、学園には話を付けたから、今日はずっと一緒に居ると言ってくれました。
わたしは一日先生と居られるし、先生仕事をせずに過ごすことができる。先生の評価が地に堕ちてしまうことを除けばとても嬉しい申し出です。
その選択が先生の評価に及ぼす影響はたぶん大きい。体調の悪い女子生徒を自身の家に連れ込み看病と称してあんなことやこんなことをしていたと噂が立たないか。そのために何日も仕事をサボっていたなどと言われたりしないのか。そういう意味で大丈夫なのかと心配になってしまいます。
「仕事より大事だと思っただけなので大丈夫です。お気になさらないでください。」
この台詞をわたしは知っています。休日に飛び込んできた仕事の為に予定をキャンセルしてしまったお相手に対し、主人公が仕事と自分のどちらを優先するのかと憤慨して喧嘩してしまう。色々あってそのままギクシャクした関係が続くのだけど、物語終盤で主人公のピンチに駆けつけた彼が同じ意味の言葉を耳元で囁く。去り際に主人公の指に指輪が嵌められていた展開は不思議だったけど、事件解決後に結ばれたということは、彼はその場面では刹那的な付き合いよりも収入を選んだ。自分達の行く末を見据えていただけだったのでしょう。
三日ほど前、そういう作品を一人寂しく眺めていました。わたしならそんな二択は選ばせない。先生の邪魔はしないと心に決めていたのだけど、残念ながら選択肢を突き付けてしまったようです。今日もまた、負担を和らげようと思い立って口にした言葉が先生を苦しめてしまった。ああ、思うように事が運ばない。
病院では注射と、人に針を刺したい狂気に刈られた人達が目を輝かせながら待っている。
着替えを手伝って貰いながら、わたしもぼんやりとこの先のことを考えていました。
注射だけは嫌だなあ。