妖精の仕業~なくしもの~
ほんの不注意で意図せず大事な物を失うのはとても悲しいことです。
普段使っている物が手元からなくなる現象、学園都市では妖精の仕業という表現をするそうです。
実在しない存在に罪を擦り付け、そうすることで隣人を疑い和を乱すことを防げるという先人の教えなのでしょう。
他の誰かのせいにするのは簡単ですが、自分自身の、整理整頓への意識の甘さや怠慢への反省には繋がりません。例えソレが一番分かりやすい状態だとしても、見失ってしまったという結果から逆算すると原因はその散らかりにある。
携帯電話のように大事な物が全て入っている精密機器を落としたとして、壊してしまったのは手を離した自分自身。自身に落下を防止する対策を講じることはできたはずだし、何らかの不注意が起きうる場ならば、最初からそれに触らぬようにすると習慣付けておくこともできる。自分の指の不器用さを理解しておくのも必要だ。全て把握したうえでの行動することが求められるのです。
学園全体で物品の紛失が相次いで、犯人として一番に親が居ない生徒が疑われるようになりました。
高貴なご身分の皆様による、身分の低い者、身寄りが無い者には盗み癖があるという明らかな差別と偏見です。話に聞いて覚悟はしていましたが、実際そういう疑いの目を向けられて気分がいいはずがありません。
学園に通うに当たり生活や学業の補助金の貸付があって、その支給金でよほど遊び惚けない限りは学園で暮らすのに何ら問題は無し。むしろ生活レベルを下げまいと浪費する貴族様達のほうがお金に困っているように見受けられます。
わたしも恥ずかしながら整理整頓は苦手ですが、大事な物は全て机の上の箱の中に、大事にしまってありました。
盗難や紛失など他人事だと思っていたんです。昨日までは。
箱の中に無い事に気が付いたのは今朝になってから。
そんなはずはないと考えて、中身を全て机の上に並べて確認しました。引き出しの中も確認しました。探査の魔法・簡易版で部屋の中も探しました。
ここ数日箱の蓋を開けた記憶がない。触れた痕跡も無い。だが、そこに入っていない。最後に閉めた時には確実にあったはずだ。見た記憶がある。あんなに大事な物だ、記憶違いなわけがない。
カエデさんの形見が、先生の手作りの髪飾りが、無い。
日用品を紛失した人を見ながら考えていた事が、まるで鏡に反射した照明のように自分に突き刺さります。自分自身の意識の甘さ、怠慢。部屋を片付けない。紛失したのはお前が悪い。
いいや、自分なりにちゃんと管理していた。他人の物差しでわたしを測るな。なんと身勝手な言い草なのか。もしこんな言葉を投げかけられていたら腹も立ってしまう。ああ、口に出さなくて本当に良かった。
誰かが部屋に侵入し、箱を開け、髪飾りだけを持ち去った。
そうであればどれだけ良かったか。部屋の鍵は生体認証の魔法式オートロックなので、侵入には強い意志が必要になる。女子宿舎に侵入し女の子の部屋を荒らす不届き者が居たのなら、そいつを懲らしめて取り返すだけで事件は解決する。それならどんなに良かった事か。残念なことにその痕跡がないのです。最後に触ったのはわたし。間違いない。つまり、わたしが紛失事件の犯人だ。
学園の外では高い身分の皆様によると、トラブルに際し何の解決策すら見出さずに誰かに泣きつくのは成長の意欲が無いと判断されるそうです。いきなり先生に泣きついてはダメだ。事件に際しできる対策を考えるまでが人としての在り方。何も考えずまず第一に報告をするのは愚かなのだと彼らは言います。何も考えず状況報告のみを行う伝令であってはならないのだ、と。
自分で考えるな。全てあるがままを報告し、命令を遵守せよ。お前達は主人に使われる道具。道具が自分の意思を持ってはならないと、両親は使用人達に教えているのをよく覚えています。高い身分の皆の考えとは真逆の発想です。
これが人を使う側と使われる側の意識の隔たりにも通じるのでしょう。考え方が違えば行動も変わります。
彼らの言葉はごもっともですが理想論。現実的に考えると彼らの見通しは甘い。自分で何か対策を講じる事などできない状況をひとかけらも想定していません。全世界を震撼させ、名前を言うこともままならぬ魔王の直接的な接触なんて考えられますか。それが四回も繰り返されるなど想像できますか。肉食魚の水槽に入れられた餌用メダカと同じ、行動一つでも相手の癪に障ればたちどころに殺されてしまうかもしれない状況です。それを先生に報告せずに一人で抱え込んだのでは身が持ちません。
先日頂いていた一組の皆様からの意識の高いお言葉を背負いつつも、わたしはすぐに先生に報告しました。
どんなに愚か者と言われようと構いません。あれは先生とカエデさんの想い出の品であり、わたし一人の物ではない。あらゆる可能性を考慮しなくてはいけない。自分ひとりで全て解決しようとしてはいけないと考えました。
「ああ、すみません、忘れてました。」
決して演技したわけではありません。
先生を前にした時に自分の情けなさの悔しさがこみあげてきて、嗚咽交じりの報告になってしまいます。それに対して先生の反応の軽さたるや。焦りや不安で消費したものが全て無駄になってしまいました。
髪飾りは、既に半年近く箱の中に入っていませんでした。
わたしの誕生日の翌日、全てがバレたあの日からずっと修理のために先生に預かってもらっていたのだから、あるはずがありません。あれから返して貰っていなかった。今年に入ってから、今日までずっとわたしの手元から離れていたのです。
木の葉型の髪飾りは、爆発事故の際の焦げ目もそのままに、再びヘアピンとしての機能を取り戻していました。
真っ先に先生に尋ねて良かった。いたずらに心配や疑いをかけて、皆の間に必要のない軋轢を生まなくて本当に良かった。
先生から髪飾りを受け取って、両手で包むように握りしめて、心からそう思いました。
髪飾りの紛失はわたしの勘違い。事の真相は至って単純で、忘れていたわたしが全ての原因です。
盗難でも、紛失でもなくて良かった。
これにて一件落着かと思いきや、藪から蛇を突いてしまったようです。
「僕がやりました! ごめんなさい!」
わたしと先生の前に滑り込むように移動してきて、そのまますごく滑らかで綺麗な動きで土下座したのはクロード君でした。
半泣きのわたしが先生に相談し、先生が柔和に対応して、二人の雰囲気が穏やかになった。会話の内容は聞こえなかったけど、自分の事だとすぐに察したそうです。遠巻きにその状況を眺めていた彼は一瞬で逃げられぬと理解して、今すぐに頭を下げて自白したほうが良いと判断した。
彼のやらかしは、慣れたくはないけど慣れてしまいました。今回に限ってはまだ何の心当たりもないのですが、いったい何をしたというのでしょう。
先生が尋ねると、クロード君はポケットから彼らしくない布を取り出して、恭しく献上するかのように先生に差し出しました。
先生が受け取ったのは確かに布です。淡い柄物のそれはどちらかというと女性が持っているような雰囲気です。ハンカチにしてはちょっと布の量が多い気がするけど、タオルとして見ると逆に足りないし、生地が全く違う。まるで下着のような質感が見受けられます。
何の気なしに布を広げた先生が硬直してしまいました。
まさかとは思いましたが、それは下着でした。はい、女の子のパンツです。
ハンカチに見紛う小ささではあるけれど、れっきとした下着。そんなサイズを履く小さな子、この学園に通って特別学級を知る者なら誰でもわかります。タグの名前欄に名前は書いてありませんが、わかってしまいます。
そう、わたしのパンツです。
先生が自分の下着に触れているなど今更です。皆の前で晒されるのも別に構わない。それなりに汚れてしまっているけれど、それでも一番のお気に入りです。そこの凸凹コンビ、目を逸らすな。君達が毎朝賭けを行うわたしの下着の実物だ。とくと見るがいい。
持っていただけで何もしていないという言葉を信じましょう。手渡された布に、見慣れない汚れはありません。
無事に帰ってきたところで気になるのが、なんでクロード君がわたしの下着を持っていたのか。どういう手段を用いて手に入れたのかを本人の口から嘘偽りなくご説明頂きたい。
もし盗ったのなら、わたしは彼を軽蔑しなくてはならない。
彼の話の限りでは、この教室で拾ったものだそうです。
年下の異性のものとはいえ、それでも同級生の下着。モノがモノだけに、直接返しても話を聞いてくれるかどうかわからない。担任に預けるのも気が引ける。わたしに直接返せぬのならば選択肢はナミさんかマツリさんだが、気弱な彼にとって、それはは勇気がいるだろう。本当に誰にも言い出せなかっただろうと予想はできます。
探査の魔法を使った限りでは、わたしの部屋に誰かが侵入した形跡はありませんでした。そしてクロード君は先生の家の場所を知りませんので、先生の家に置いてある洗濯物からわたしの下着だけを引き抜く事もできません。彼の言う状況は事実と言えるでしょう。
先生はクロード君に、正直に言ってくれたことを褒めたのち、やっていない犯罪を自白しないようにと注意していました。
お気に入りのパンツが無くなっていた事に気付かなかったのは、カエデさんの髪飾りを無くしたと思ったことよりも衝撃でした。
他にも色々無くしていそうな気がし始めて、確認のために部屋の整理がしたくなり、その日の授業は気が気ではなかったです。