いないと成り立たない存在
ルールは破ったけれどあくまで緊急の救助であったということで、退学と追放を逃れ、停学処分で自宅謹慎中のアサヒです。
出席の他に禁じられたことはありません。
本来ならば魔法の使用も禁止され、居場所を特定するため首輪に付けられた鈴のように、魔力の増減で使用を感知するアイテムの装備を義務付けられるのでしょう。
普通の魔法の使用は厳禁とされましたが、願いを形にする魔法を制限するとは言われませんでした。
指示のミスではありません。普段の生活で常用してしまっているので、これを制限したのでは日常生活に支障が発生するだろうという寛大なご配慮を頂きました。
極刑に処されるはずだった者への処分が甘すぎる。はい、わたしもそう思います。
普段から荒らし続けた自室の掃除など、二週間程度の休みでは到底足らぬとは思ったんですが、やってみればそんなに難しくも無い。想定よりもずっと早く、半日でだいたい片付いてしまいました。
二週間かかる予定を半日まで圧縮したのです。これは優秀であると言わざるを得ない。
終えて見てから間違いに気づきました。掃除を終えたらやる事が無くなってしまった。
本でも読みたいのだけど、登校できないので図書室で本に入り浸る事もできません。謹慎中が外をフラフラ出歩いていたのでは、先生にどんな迷惑が降りかかるか分かったもんじゃありません。
そこでわたしは考えました。誰かが訪ねてきても、わたしがここに居るように誤認させればいい。体調でも崩して誰とも会いたくないと門前払いすればいい。勝手に開けて入って来るのはナミさんぐらいだから、彼女とは話を合わせてこう。
自宅謹慎とはいえ一歩も出るなとは言われていない。元々ホテルだった建物だからトイレもバスルームもあるけれど、食料調達など外出しなくてはならない状況は確実に訪れる。
それでも謹慎中の外出に文句を言う輩への対策として、宿舎から出ていることを観測されなければいいのだ。
そうと決まれば話は早い。呪文は使えませんがもとより呪文など無くていい。
まずは扉をノックすればわたしに音声が伝わるような魔法をセット。授業中で誰も居ないので自分の声で動作をチェック。どうでもいい振動で反応されても困るので、わたしに用事がある人以外の声を拾わないようにしましょう。
ドアの前に居なくても客の様子を伺える、モニター付きのインターホンという便利な道具をイメージしました。
普段から不在がちなので客など来ないでしょうけれど、念のため。
部屋に居るよう偽装はヨシ。次はわたし自身。
姿を変えてもわたしがわたしだという事は変えようがありません。登録証の偽装は規則違反なのでこれ以上罪を重ねるわけにもいきませんし、そんなことをせずとも学園都市の登録や記録に照合すれば簡単にバレてしまいます。魔法でも感知できないよう認識を阻害、もしくは誤解させる魔法が欲しい。
服だけが出歩いているのは不自然ですし、全裸で闊歩できるのは先生の前だけ。着衣も一緒に見えなくなるようにしましょう。触れたものまで透明化はしないように。あと、自分自身が見えなくなってしまうのも面倒。
単純に透明化する魔法と言っても設定するものが多く、やっぱりやめようかと思ったりもしました。しかし本当に何もないままでいるのは辛い。本を借りたり読んだりしに行きたい。その熱意で自作の人に見えなくなる魔法は完成しました。
学園都市の行動記録さえも欺いて学園に侵入を果たしたわたしが真っ先に向かったのは、特別学級の教室でした。
気付かれないという自信はあるのだけど、神経を使います。あそこならもしバレても大丈夫。一休みしてから図書室に行きましょう。
透明なわたしが閉められた扉を開けてしまったのでは隠れた意味がありませんが、幸いなことに、休憩時間はほぼ開けっ放しであることを知っています。開けた扉をちゃんと閉めるのはわたしとクロード君と先生だけ。一年以上一緒に過ごしてますが他の三人が閉めたのを見た事がありません。
そんなことを決めた記憶はありませんが、扉開け閉めは二人の係と思ってしまっているのかも。
案の定、扉は開け放たれていました。
見られてはいないのですが、古い木造の校舎なので床板が軋みます。わたしが出した音までは消せていないので、気付かれぬように静かに侵入します。
賑やかな声がすると思ったら、ポールとマッシュが教室を走り回っていました。
体格は大きくなっても中身はまだまだ子供といったところでしょうか。それにしてもレースごっことは。君たち何歳だ。幼児か、それとも幼児なのか。
興奮のあまり、授業時間になって先生が戻ってきたというのに止まりません。
奇声を上げてる場合じゃないぞ、戻ってこい男子達。君たちは知性を知らぬ猿じゃない。優秀な特別学級の仲間なんだ。
彼らの冷め止まぬ興奮を見かね、止めようと立ち上がったナミさんが騒ぎに加わってしまいます。止めるのか混ざるのかどっちかにして欲しいのだけど、ここにいるはずのないわたしの願いは叶わぬようです。
クロード君はどこに行った。あ、居ました。先生の傍です。巻き添えを喰らいたくないですものね。わかります。
この騒ぎ出した教室を収めるべき立場にある先生は何故止めないかと思えば、先生は先生で酷くお疲れの様子。
なんてことだ。わたしがいないタイミングでいつもの体調不良が出てしまったのか。どうにか収めようと声を上げてはいるのですが、三人の鬼ごっこの声量には負けてしまっています。
生徒と教師という立場を用いて黙らせようにも、ポールとマッシュは大人顔負けの魔力を内包する爆弾で、ナミさんは女の子。先生からすれば、皆可愛い教え子ですし、遠慮なく叩きつけるには難しい相手です。
わたしが居なければ特別学級は成り立たないなどと思い上がった発言をするつもりはありません。
しかし、この様相を見るとそうも言っていられない。
たった一人、わたしが居ない半日でこうも酷い状況になってしまうのかと驚きました。
一人欠けても自分達だけでこの場所を守ると意気込んで、真面目に授業を受けているとばかり思っていた。呆れてモノが言えないとはこのことです。声を出したら負けですが。
疲労困憊なのはわかりますが、先生、ここは怒って良いんです。どんな状況でも大声で怒鳴りつけないことを頑張っているのは知っています。でもいいんだ。場を収める為の刺激はあっていい。
だって今、この場には、アサヒ・タダノが居ないのだから。
この状況を他の教師に見られてはまずい。やっぱり特別学級だったと失望され、今まで上がっていた評価を地の底まで落としかねない。
他人の評価よりも、このままでは先生が倒れてしまう。今倒れられてはまずい。介抱できる人間が居ない。いや、わたしがここに居るのだから姿を現せばできなくもない。だがそれは姿を隠して外出している事を明るみにすることにもなる。姿を隠したまま看病していたら、それは紛れもなく怪奇現象だ。学園七不思議の八つ目が出来上がってしまう。
ふと目に入ったのはわたしの机。椅子が引かれて誰かが座った形跡があります。
おそらくは、クラスメイトの誰かが座ってわたしを騙ったのでしょう。子供だもの、それくらいの悪戯はやる。
自分達ではないものからの大きな物音があれば、彼らの注意も向くはずです。
先生が教卓を叩いて音を立て、授業の開始を宣言すれば手っ取り早いかもしれないけれど、ちょっとそれが難しい。
こんな大荒れの状況は見たくなかったけど、見たからには対処しなくてはいけません。
倒れる音で我に返って欲しいと願い、わたしは自分の机を力いっぱい蹴飛ばしました。
そして、机の中に教科書とノートを入れっぱなしだったことに気付いて後悔しました。倒すのは椅子にすべきでした。
教室が静まり返ったのは想定通り。自分達が机を倒したように思ったのでしょう。走り回っていた三人はさっきまでの大暴れが嘘のようにおとなしくなりました。
真っ先に机を起こし、中の荷物をしまい直してくれたのは先生です。さすがに申し訳なくて、姿を現して自分で片付けたかったけれど、今は自宅待機の身。この場に居る事は許されません。
至近距離では見つかる可能性がありますので、急いで教室の隅まで避難します。足音は立てぬように、こっそりと。
「えっと、授業、始めましょうか?」
ようやく皆にも届いた先生の一声で、特別学級はいつもの落ち着きを取り戻しました。
具合の悪い先生を見てしまったので、この教室から離れるわけにはいかなくなりました。どういうわけか今日の皆はいつもと様子が違う。姿は見せられないけれど、サポートに徹する必要があります。
自分の席に腰掛けて授業を受けます。授業の妨害になるような行為を見つけた時は、先生の影として事前になんとかしてみせましょう。
今日は、こんなに落ち着きのないクラスだったかと思う程、誰も授業に集中できていませんでした。
居眠りはするし、小声で無駄話を始めるし、内職を始めるし、早弁もする。君たちはこんなに授業態度の悪い子供達ではなかったはず。ほんの数日のうちにいったい何があったのだ。
ああ、何もないのにこんなことになるわけがない。クラスメイトの一人が逮捕されてしまうという大事件がありました。
二週間の停学という厳罰を受けて、今この場に居ない仲間がいる。気付いてないだけで、いつも通り隣に居るんだけれど。
もしそれが原因だったとしても、二度と会えぬわけじゃない。二週間経てばケロっと帰ってくる。数日前のように隔離されて接触を禁じられているわけでもないのだから、放課後どこかで待ち合わせて遊ぶのも可能でしょう。わたし自身は罰としては非常に緩い処分だと思っています。
空いた穴は埋められなくてもいい。一人分の負担はとても大きいので皆で分担しても支え切れるものではない。それでも頑張る努力を見せて欲しかった。
そうは言っても不安になるのはしょうがない。結果だけを伝えられれば納得できるものもできないでしょう。
面倒だけど、今日の夕方にでも会って話をしてあげましょう。今の状況をしっかり見ていたことも伝えれば、きっと驚いてくれるはず。
それにしてもいい陽気です。春の日差しは本当に心地良い。だいたい落ち着いてきたようですし、少しくらい寝てしまっても大丈夫でしょう。起きたらすぐにこの場を脱出し、自分の部屋に戻る。我ながら完璧な作戦です。
それでは皆様、しばしの間おやすみなさい。