太陽は蔓草を枯らす
見るだけで虫唾が走るという表現をまさに初体験したアサヒです。
なんとか食べたものを吐き出さずに抑え、あんなに苦しい物は二度と体験したくないと胸を撫でおろしたのも束の間。
とても険しい表情で、作業用の部屋から先生が戻ってきました。そして、首の後ろを掻きながら、悪いニュースがあるとわたしに告げました。
「来てますね。」
先生、それでは何の説明にもなってません。
具体的に、何がどこに来ているのか。はっきりと伝えなくては連絡の意味がありません。
苦笑いのわたしに構わず、先生は説明を続けます。
先程のわたしの話を聞いてから、探査の魔法を使って、話に聞いたストーカーが今どこで何をしているかを調べてくれたんだそうな。
一見フラフラ歩いているようでいて、混雑を避けたり盗難の多いエリアをしっかり回避して前進している。道なりに、まっすぐ突き進んでいる。
まもなく現れる。父の犬が。わたしのいるこの家に。
ありえない。
瞬きする一瞬で姿を消したんだ。魔法の補助があろうとそれでも相手は一般人だ。壁の中から出ていないと言えど、この広大な学園都市でたった一人の人間を探し当てるなんてむちゃくちゃだ。人一人を探すなんて、全域に張られた探査の魔法でも困難なのに。
「ちょっと失礼。」
先生の手がわたしの頭の上に置かれました。そのまま目を閉じて、何か呪文を唱えています。聞き慣れている文法とは違いますが、探査の魔法とよく似ています。
知らぬ誰かならばご遠慮願いたい行為ですが、これは先生の手なので不快感など感じるはずもありません。先程までの異常な拒否反応で疲労したわたしにとっては治療行為にも等しい。ああ、このまま一生撫でられ続けたい。
それから間も無く先生はわたしの頭から手を離し、対象だけを必ず見つけようとする魔法の標的にされていた事を突き止めてくれました。
本人は魔法使いではなく、この魔法の術者はわたしへのストーカーである和装の娘はない。やったのは実家に雇われた魔法使いだろうと、先生は分析をしてくれています。
誰かに魔法を使われた際にくっ付いた印があって、それを目印にして近寄っている。何かされたとすれば二度目の襲撃。いや、あの時はこちらに向いた魔法は全て弾き飛ばした。ならばお父様か。姿を変えて逃れようとする事まで見越したというのか。
探査の魔法はそんなこともわかるのかと、驚いている場合ではありません。
足の進みは遅くても、確実にこちらに近付いてきています。何よりも先にあれをなんとかしなくては。
目印は頭の左側、髪の中ににくっ付いていたそうです。
その目印を遥か遠くに投げ捨てて、わたしが学園都市から飛び去ったと誤認させれば今回のミッションはクリア。気流に乗せて世界中を飛び回るように見せて、追跡者には延々と鬼ごっこをさせれば平穏な日々が再び帰ってくるはず。
「気になる事がありますので、ちょっと会ってきます。」
なんということでしょう。わたしに付けられた目印を手に取ると、先生が出かけてしまいました。
好きな人に対し、わたしが嫌な人物との接触をするなとは言いません。先生を独り占めしたい気持ちは多少あるし否定もしないけれど、それは束縛する程強いものでもない。
いや、それはどうでもいい。今回の事件は、中央に穴が空いた丸くて薄い形状の部品、座金とかワッシャーとか呼ばれる存在意義がよくわからないアイテムに移した目印を投げ捨てれば終わりだったはず。
先生は何故、いきなり相談も無く、面倒な方向に話を持って行ったのだ。
顔を見るだけで気分が悪くなるほどの相手なので、わたしは同席しなくていいと仰います。現に返事も待たず飛び出して行ってしまいました。
こちらに向かっているとは聞いていたけれど、もしかしたらもう建物の前まで来ていたのかもしれません。出会わせたくないと気を遣って動き出した可能性はあります。
仮にそうだとしても、一言あってもいいはずだ。行動が早すぎる。
なにかがおかしい。
何か変だと感じた時はだいたいなにかある。いつもそうだ。
このまま成り行きを見守ると、良くない事が起こるんじゃないか。不安からなのか、身体の芯が震えあがり、地震に揺すられているような錯覚が起こります。本日三度目の吐き気がする。こんなに吐き気が続くなんて、なにか悪い物でも食べて中毒を起こしたのでしょうか。いいや、違う。確かに賞味期限が一日過ぎたプリンを食べたけど舌が痺れたりしなかった。この吐き気はさっきの続き。間違いない。
催した吐き気に耐えながら、先生の後を追うべくわたしも部屋を飛び出しました。
どこに行ったのかはわかりません。しかし今、わたしには追う術がある。この猛烈に嘔吐したい身体が、あのそばかす娘の存在の居場所を示している。より近寄りたくないと感じる方角を目指せばいいんです。
先生の家から徒歩でだいたい十分程の、それなりに広い空き地。
わたしが追いついた時にはもう状況が動いてしまっていました。
なんだあれ。
駅前で見た時にはあんなものは無かった。なんだあれ。
わたしを追っていた少女の周りに何かが蠢いています。例えるなら植物の蔓。クズとバカにされている植物のそれによく似ています。それが彼女の身体にまとわりついています。
「『それ』はあなたの意思ではない。ということでよろしいですか。」
まるで別人のように、張った声で先生が問いかけます。何かに巻き付かれている彼女はというと、目は虚ろで口は半開き、よだれを拭い去ることもなく垂れ流し。人形であるかのようにぴくりとも動きません。
いえ、動きました。顔の近くの蔓が蠢いて、頭が上下に振られました。
全身が弛緩しているので、蔓の動きにただ振り回されただけかもしれません。
それでも先生は、肯定と認識した。
それが本当に植物の蔓であるかどうかは議論する必要がありますが、そんな時間は無いので蔓であるとして話を進めましょう。
他に例えるものがあるとすれば海の生き物、イカやタコやクラゲの触手です。明確な意思によって動かされるのでこちらのほうが表現として正しいかもしれませんが、異様な長さですので、やはりこれは植物の蔓ということで。
蔓は先生を敵と見なし、絞め殺さんと巻き付こうとしています。
もしこれがわたしを捕獲するための魔法だとして、その力はあまりにも強い。近くにあった木が巻き込まれて握りつぶされました。わたしはそんな力でもなければ捕縛できない猛獣扱いですか。なんてこった。
実家のわたしへの認識にショックを受けている場合ではありません。
蔓の動きがとても早いのです。魔法使いは理事長のような例外を除けばこういった接近戦は苦手。先生の十八番、魔法発動の速さがウリの圧縮詠唱でも拮抗が精一杯。
いいえ、先生だからこそ、ここまで持ちこたえているのです。
焼いてもすぐに次が来る。寒さで動きは鈍らない。物を動かす魔法で蔓同士を縛って動きを封じても、今度はその縛った塊が襲ってくる。屁理屈のような強引さで襲い掛かるのは子供の癇癪のようです。
あ、先生の身長などゆうに越えた大きさの塊に、先生が殴り飛ばされてしまいました。
あの力強さで殴られて、あの速さで吹っ飛んでいたら、何かにぶつかった時にどうなるか。
その衝撃に人間の身体が耐えられるのか。耐えられないとして、衝撃を軽減するための魔法は本人の呪文詠唱で間に合うのか。ほんの一瞬、この瞬間に、先生は間に合うのか。
先生は自分が何をされたのか気付いているか。はい。
殴られる瞬間を目視していた。
殴り飛ばされた方角にある街灯の柱は先生の身体を破壊するだけの強度があるか。はい。
例え木製であってもダメージは免れない。柱の方が細いから衝突箇所に衝撃が集中する。ぶつかれば骨なんて余裕で砕け散る。
先生の呪文は街灯の柱への衝突に間に合うか。はい。
短縮と圧縮は伊達じゃない。設定しておけば「あ」の一言でも魔法が使えるんだ。
今、宙に浮いて、凄い速さで吹っ飛ばされている先生に、対応ができるか。いいえ。
どんなに優秀な先生でもそれはあくまで常識の範囲内。こんなめちゃくちゃな状況ではどうにもならないことがある。
彼女とは対面したくないとか、具合が悪いとか、そんな事を言ってる余裕などありません。
だめだ。先生が先生でなくなる。だめだ。そんなのは絶対にあってはならない。今この場で絶対は無いなんて指摘するような野暮な輩は奴は黙れ。
とにかく大きく分厚いクッションになるものを。何だっていい。形など気にするな。猫の絵を描いて独創性を褒められたわたしの美術センスを学園都市に知らしめてやれ。恥ずかしがるな。笑われるのがなんだ。わたしが今動かなければ先生が死んでしまう。サワガニさんの予言の通りになってはならない。いや、そんなのはどうでもいい。先生を死なせるわけにはいかない。
それが何なのか、作ったわたしにもわかりません。クッション性のある何かです。
風船か、怒ると膨らむ魚か、自動車という高速移動のできる機械に取り付けられた衝撃吸収の為の安全装置なのか。
とにかく、それによって先生を守ることができました。
衝撃を完全に打ち消す事はできなかったのか、クッションの中に埋もれたまま出てきてくれませんが、そのままでも窒息はしないはず。
わたしは普段から大声を出して騒ぐなどしていないので、こんな時に先生を呼ぶ叫びをあげることも、悲鳴を上げる事もできません。
嬉しいことにそれが功を奏しました。咄嗟の事態にとりあえず声を出すという防御行動に出てしまうことなく対処ができた。判断を間違えずに済みました。
先生は助けた。でも危機は去っていない。
父の命令で動いているだけの、それをどうにかしなくてはいけない。
どんな手法で実家との連絡を取っているのかわかりないので、彼女の前に姿を現したくはありませんでした。
今、父が彼女の目を通してテレビの前で見ているのかもしれない。
今までずっと誰かの意思に従うだけの人生で、わたしも疎ましいと思ってしまった人物だけど、助けたい。
自分がが死んだもわからぬまま息を引き取るなどと、好きでもない相手ではあるけれど、いい気分がしない。
魔法をかけた人物は学園都市にいないだろう。ゆえにこの場に居ない術者を止めて解放することは不可能です。
彼女にかかっている魔法を解く。そうすれば我々の勝利。
時間を稼いで誰かに丸投げは危険です。
先生が確認していました。
魔法は彼女のものでなく、今行われている蛮行もまた彼女の意思ではない、と。
それを聞いていたのは先生とわたしだけ。今この場で起きている状況を見ただけならば、野良の魔法使いが自身の力に呑まれて暴走してしまったかのように映るでしょう。
例え魔法を抑え込んでも、暴走した時点で人格が崩壊してしまう。前兆もなしに暴れ出す災害となる。
故に、こうなった魔法使いは自滅したというお題目で抹殺されてしまうと聞きました。
彼女は魔法使いではない。説明のできる先生が不在でわたしが他人にそれを伝える事ができるか考えます。
ああ、無理だ。いつものことだ。誰もわたしの話など聞いてくれない。
誰かの手助けは期待できません。わたしが助けないといけない。
わたしに気付いた蔓が向かってきます。
駅前広場で見た時は、こんなものはありませんでした。
先生が実家と彼女にあった繋がりを魔法で断った瞬間、この植物の蔓のようなものが発生してしまった。
状況からするとそんなところでしょうか。
この場に立っていたくない程の激しい頭痛がします。
原因はこの蔓のような魔法だと判断しました。そうすれば納得がいく。コレが狙っているのはわたしです。電波や赤外線など、ありとあらゆるものでわたしを、該当人物をスキャニングして、探し出して、捕獲しようとしているのでしょう。
捕まった瞬間に転移などされたのではたまりません。
蔓に捕まらぬようにするのには、活き活きとしたそれをなんとかしないといけない。燃やしても切っても効果はなかった。ならばどうする。どうすれば草は弱くなるか。
植物は水が無ければ弱ります。乾燥地帯に生える多肉植物も体内の水分が無ければ死にます。
それならばと、わたしに近寄る草はたちどころに干乾びてしまう状況を魔法に願いました。
すこしだけ出来た余裕で考えます。
彼女が起きている時にはこんなものは無かった。気絶してしまったのが始動の条件だったのでしょうか。
その魔法は安全装置で、もし彼女が何らかの状況下で意識を失った場合に発動し、自律制御で標的を捕らえて実家へと連れ去るプログラムが組み込まれているのかもしれない。
今まで読んできた本の知識をフル回転させます。ノンフィクションに勝る現実が今だ。そうはならんと切り捨てられる物事以上の事が今起きているんだ。非現実に答えを探し求めて何が悪いのですか。
気を失ってしまっていたらしく、今になって巨大なフワフワクッションから先生が這い出てきたのを見て思い付きました。
意識が戻る。目が覚める。コレだ。
もし彼女が目を覚ましたのなら、この自律制御の安全装置は待機状態に戻るかもしれない。違ったら違ったでまた別の手を考える。今この場ですぐにできて、相手を楽にさせる何かがあるとすれば、それしかない。
介錯してあげるのも選択肢かもしれない。だけど、彼女の心臓が止まった瞬間体内の爆弾が大爆発なんて事も考えられます。
虚ろな目で何を見ているのかわかりません。耳が聞こえているのか、生きてるのかもわたしにはわからない。
大声を出す為に、大きく深呼吸します。
ごめんなさい。アサヒ・タダノは大嘘つきです。
名前を覚えられないわたしが自分で付けたニックネームです。
この人の名前など覚えてないなど、そんなわけがない。とにかくそばかすが目に入った。ただそれだけの理由で付けた。変なあだ名と思われるかもしれないけれど、わたしなりの親しみなんだ。
「ソバさん! 起きて!」
たった一言でも喉がとても痛かった。なんなら胃の中身もついでに出てしまいそうでした。
拡声の魔法を使えば良かったと後悔したのと、ソバさんの虚ろな瞳に生気が戻ったのは本当に同時。
わたしの推測は大当たり。
巻き付こうとしては枯れて塵と化していた蔓が、時間が止まったかのように動きを止めました。あの魔法はソバさんの意識があると停止する。
「え、あれ、なにこれ?」
目覚めた彼女は自分を中心に生えている蔓に驚いています。この様子なら、何も知らぬまま利用されていたのかもしれません。
とりあえず動かぬようにと告げ、わたしはソバさんの背後まで走りました。
植物の蔓は動かなくなったんですが、例外が居ます。
ソバさんの着物の帯に入り込もうとしているのが一本ありました。ひとつだけなので、これが蔓を作っていた魔法の根っこでしょう。
奥まで逃げ込もうとする蔓を捕まえて、自分が出せる精一杯の力で引っこ抜きました。女性の着物の中に入り込もうとするなんてひでえ野郎だ。幸いコイツは生物ではない。どんな仕打ちをしても糾弾されたりなどしないはず。
掴んだまま魔法で枯らしてやろうと思ったんですが、このタイミングでわたしの魔力切れが起きてしまいました。
思えば、駅前広場で出会ってしまってからはずっと魔法を使い続けていた。確かに入学当初に比べれば格段に制御できるようにはなったけど、使い続けても無くならない程の燃費の良さはまだありません。
なんてことだ。指の力が抜ける。せっかく捕まえた魔法を逃がしてしまう。
今逃がしてしまったら次が無い。実家が見たかどうかはわからないけれど、この魔法はわたしの存在を認知した。コイツからの情報を得て父がまたこの学園に捜索隊を送り出す。騒動が起きてしまう。また、先生に迷惑がかかってしまう。
「アサヒさん! そのまま!」
希望が絶望に変わりかけたタイミングで、掴んだまま動くなという指示を受けました。
抜けかけた草の蔓をもう一度強く握ります。
握った場所が悪かったので、蔓はほんの数秒にも満たぬ一瞬のうちにわたしの手から脱出し、その勢いで宙を舞いました。全然ダメだ。全く指示通りに動けていない。
そんなわたしの失敗をカバーするかのように、その宙に浮いた蔓の切れ端に、横から飛んできた火の玉がぶつかりました。
魔法と魔法がぶつかり合えば、より強い魔力が片方を浸食していきます。
瞬く間に草の蔓は炎となって火の玉に飲まれていきました。
あれだけ大暴れしたというのに、終わりは本当にあっさりとしていました。
この場で火の玉を放てるのは一人しかいません。
今居る中で、現場の判断で許可を出せるのは先生だけ。言わずともわかります。先生、ありがとうございます。
「こちらこそ助かりました。ありがとうございます。」
実家からの刺客を打ち負かして情報を断てた。
トゥロモニの家から逃げられずにいたソバさんを切り離した。
さらに、先生に課せられている死の運命を書き換えてやりました。
成果は上々。
先生に感謝されるのはこそばゆいけれど、役に立てたのはとても嬉しく思います。