捜索隊~おかわり~
身の周りの世話をしてくれる人は、時に血のつながった家族以上の親密な関係になることもあります。
創作上の空想に限った話ではありません。想像の中で起こっている出来事はだいたい現実でも起こりうる。例え万が一でも、最悪な選択肢を選んで油に火を注ぐ可能性はあるのです。
わたしの実家は使用人を多く使うだけの財力がある良い家だったのですが、人選はお世辞にも良いと言えませんでした。
世話役として何人か関わりはありましたが、そういった信頼関係を結べる程の仲になるまでには至らずじまい。
親が選んで宛がわれた人を信頼する事はできませんし、学園都市で先生と生活していると、信頼しなくて良かったとつくづく思います。
減らず口を叩く獣とか、手にしたものは全て口にする赤子がそのまま大きくなったとか、わたしの行動は散々な言われ様でしたが、わたしは自分でできる事は自分でやりたかった。だから手を動かしました。
どうしても身体は小さいので限度はありますが、身体能力の範囲内でできる事はたくさんありました。
先生の家で家事がこなせるのは、平民として追放された時の為にやり方を徹底的に叩き込まれたからではありません。もたつきながら服を畳んだり掃除をする世話役の彼女達を見て、真似して、アレンジして身に着けたもの。教えてくれないので自分で覚えました。
実家暮らしでの世話役として最後に雇われたあの人、名前は何と言いましたか。忘れました。
ひどく貧乏な家にうまれたとは言っていましたが、それを見越しても、先代までの世話役と比べたら仕事の要領が悪かったのを覚えています。
あの人はとにかく雇い主の命令には絶対服従。自分で考えることがない。
それが使う側としては良い人材だったのでしょう。他の使用人からも蔑まれる中、父だけはとても気に入っていました。
なにせ、余計なことを一切しないのですから。
彼女は良くも悪くもわたし以上に純粋無垢だった。
自身が恋焦がれていた相手の自由意思を侵害する行為を何一つ疑わなかった。よく躾けられた犬のように忠実であった。
そんな性質がわたしの学園都市への追放、ひいては先生との出会いに繋がるのですが、流石にそこまで遠い関連付けに感謝する気にはなれません。
わたしの学園都市行きが決まった後、二人で駆け落ちがしたいなどと仰っていましたが、丁重にお断りしました。
あの人が忠を尽くしているのはトゥロモニの実家であり、わたしの父です。
わたしに一目惚れしたと口にはするけれど、同時に、想い人の為なら世界を敵に回してもいいという度胸が、主人に逆らおうとする意欲がありませんでした。
彼女は親への仕送りをしながらの住み込みです。わたしにはその賃金の負担はできないし、そもそも駆け落ちなどすれば彼女の両親が責を問われることになります。その報せを聞けば戻りたい、助けたいと言い出すに違いないでしょう。子供の家出と一緒です。元の鞘に収まるだけ。
わたしは最初から何とも思っていませんが、相手のほうは妙に親近感を抱いていた。
本当にただそれだけの関係です。
そんな彼女が、学園都市に現れてしまいました。
父がしょぼくれて帰って行き、ようやく実家との縁も無くなったと喜んだ日々は突然終わりを告げられました。
学園都市の玄関口である中央駅の正面広場。わたしが眠りこけて攫われてしまったこの広場に、異質なものが現れました。
実家での衣類、こちらの文化圏ではその多くを和装と呼ぶそうです。
それに身を包んだ少女が居ます。
見慣れぬ建築物と人の多さに圧倒されていた彼女は、どういう理屈なのか、目ざとくわたしをみつけてしまいました。
あの父は、この学園都市に娘が居るという疑念を抱き続けていた。わざわざ学園内見学をして、自分の娘が居ないとその目で確認したにもかかわらず、諦めてなどいなかったのだ。
わたしの外見を黒髪おさげの別人に変える魔法は血縁にしか効果が無い。あの男は直接介入したことで、そういう魔法があるのではないかという発想に行き着いた。だから寄越したのだ、恋に破れてなお相手の事を想う少女を。最後の世話役だったその娘を。
考えたくはなかったけど、やはりわたしの頭の回転の速さは親譲りだったのです。なんてこった。
主の命令に忠実。名前を忘れてもその印象だけはしっかり覚えています。
顔を見た瞬間、胃から口元まで何かが上がってくるような感覚がありました。もちろん人前で突然嘔吐するなど迷惑な事はできません。それは我慢。
中庭を丸ごと埋め立てた日の事はよく覚えている。忘れるはずがない。
だが、あれは従順な世話役の立派な仕事だ。彼女には非が無い。父の癇癪が重なった不幸な出来事だった。もう過去の話だ。元凶とも言える相手が目の前に現れようと、わたしにはもう関係ない。わたしはアサヒ・タダノ。トゥロモニなどという名はとうに捨てた。
捨てたというのならば、何故わたしは今こんなに苦しみだしたのだろう。
「ああ、アサヒ様! 会いたかった!」
来るな、とわたしが言っても、聞き入れてはくれないでしょう。
あの少女がわたしで、わたしの立場に居るのが先生だったなら。まる一年音信不通だった相手が目の前に現れてしまったのなら。
止まれと言われても止まれるわけがない。先生の言う事には従いたいけれど、抱き付いて再会を喜びたいと思う気持ちの方が勝ってしまう。彼女もきっと、わたしと同じ。
何故ここに居るのか。それは容易に想像がつきます。
あれは父の命令でわたしを探しに来た。そうでなければ、こんな場所に現れるはずがない。お屋敷に来るまで一度も村を離れた事が無いと言っていた。気ままに一人旅を楽しむような娘ではないのだ。
今、この場で会うのはまずい。
一歩たりとも自分にあれを近寄らせてはならない。心よりも先に、身体がそう感じてしまいました。
なぜそう思ったかを考えている余裕は無い。涙を浮かべながら小走りに駆け寄って来ている。あと何歩で到着する。いや、そんな計算はどうだっていい。一分一秒でも早くこの場から離れなくてはならない。
走って逃げたいのに、身体が強張って動けません。
頭が痛い。目が回る。三半規管がおかしくなって吐き気がする。思考と身体の動きがちぐはぐで、何がなんだかわからない。
ひどい頭痛に襲われながら、わたしの筋肉はアテにならないと判断しました。
周囲に人が多く、本当なら願いを形にする魔法を使ってはいけない状況ですが、ごめんなさい、使います。今は、今だけは、使わなければ逃げられない。
自分でもどこに行くか分からないままの転移魔法。
目まぐるしく変わる風景の先に、到着したのは先生の家の玄関でした。
彼女の傍から離れても吐き気は続いているし、妙に頭が痛い。
様々な物を常備薬として持ち歩かねばならぬほど弱い身体じゃない事が悔やまれます。強い吐き気の際の対応としてそれが正解かは分かりませんが、台所まで歩き、頭痛薬と一緒に水をたくさん飲みました。
この気持ち悪さの正体はなんでしょう。
もう二度と会うことがないかもしれぬ状況を顧みて、相手が離別の悲しみを感じぬように突き放した罪悪感か。
それとも自分の言動が破滅の引き金を引いたと自己嫌悪する者への共感か。
思い当たる節は多くある。どれか一つではなく、ひとつひとつが積み重ねとなってわたしを苦しめているのかもしれない。わからないけれど、とにかく気持ち悪い。
扉も開けず転移で入ってきたわたしに驚く先生に、とても気分が悪い事があった事と、出会った人物が彼女がどういった存在なのかをお話します。
さすがに考えすぎではないかと、先生はわたしの気分をこれ以上害さぬように、静かに反論します。
世話をする相手が居なくなったことで使用人の職を外された後、わたしに会いたいと願う一心で僅かな情報を頼りにこの学園都市までたどり着いた。ただそれだけなのではないか。
わたしも一度はそうかもしれないと思いました。
ですが、今も猛烈に気分が悪い。知っている限りの彼女の事を話している中で、収まりかけていた吐き気が戻ってきてしまいました。この身体が、喉の奥に入っている物を吐き出したいと要求しています。
好きな相手の下へ馳せ参じた一途な想いには労いたい。だけど、わたし自身が認識していない何か、彼女を嫌う何かがあるんです。
そのせいで彼女を思い起こすことさえ身体が拒否してしまっている。姿を見ただけでこんなに具合が悪くなるなんて絶対におかしい。わたしのパンツの柄を賭け事に使うポールとマッシュをはじめ、サワガニさんや貴族のご子息など、その言動に気持ち悪さを感じる人間はいる。それでも身体の調子が崩れる程の拒否反応は初めてでした。
具合が悪くなったのがわたしだけなのも気がかりです。
標的にのみ活性化する魔法や薬を持ち歩いているのかもしれません。トゥロモニの家は魔法使いの家系ではないけれど、魔法使いを雇うだけの知見はある。そういった魔法の開発が学園都市以外で行われていないとは限りません。
とにかく、何が何でもあの人物との接触は拒絶したいと伝えました。
先生達が話を聞いたりするのは構わないけれど、直接話を聞いたり手紙を受け取るのは勘弁して欲しい。せっかく食べた先生の手料理を消化しないまま吐き出したくありませんでした。