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私の師匠はドSで鬼畜な天才魔術師~貧乏令嬢は人並みの恋がしたい編~

作者: うまっくす

 魔術師見習いである私は、とあるすごい魔術師の弟子兼助手を務めています。師匠の屋敷に住み込みで働き、修行と研究の手伝いに明け暮れる毎日。

 そんな私の一日は、朝、師匠を起こしに行くところから始まります。


「おはようございます師匠。入りますよ~」


 私は師匠の私室……ではなく、広大な書庫に足を踏み入れました。

 師匠は古代文献の研究に夢中になって昼夜問わずこの書庫に籠っているため、私が朝を報せる役目を仰せつかっているのです。


 なんてことのない些細な仕事かもしれませんが、実は私にとっては一日で最も気を抜けない時間でもあります。その理由はすぐにわかるでしょう。


 書庫の中央にある大きめの作業台に私の師匠であるその男性はいました。文献が山のように積まれたテーブルに足を乗せ、椅子に深くもたれかかり、本を顔に被せて眠りこけているようです。


「師匠~。朝ですよ~」


 私は細心の注意を払いつつ、彼の元へと向かいます。

 ゆっくり、慎重に歩み寄り、あと三メートルほどの距離まで近づいたところで、案の定()()はきました。


「――ッ!」


 真横から突然の巨大ハンマー。

 天井を支点として、ゴオッ!と空気を裂きながら私に迫ります。


 この書庫に仕掛けられたトラップです。

 私は飛び込むように前転し、紙一重でハンマーのトラップを躱すことに成功しました。


「ふっ、私も日々成長しているんですよ……!」


 なんてドヤ顔で言ってみましたが、心臓はバクバクでした。

 私は毎日、こんなトラップと格闘しています。なぜトラップなんてものが仕掛けられているかというと、それはこの書庫を守るためなどではなく――

 ポチッ


「……『ポチッ』?」


 何かを踏み抜きました。おそるおそる足元を確認すると、右足が踏んでいる部分の床だけわずかに沈んでいます。

 二重トラップ――⁉


「ぎゃあああああああ⁉」


 私がそれを認識した瞬間には、両脚にロープが巻き付き、そのまま私は逆さ吊りにされてしまいました。

 今日こそはトラップを回避できたと思ったのに結局こうなってしまいましたか。私が師匠の元に来てから記録が途絶えません。


「――アホ弟子の間抜けな悲鳴。そうか、もう朝か」


 低く、よく通る声でそう言葉を発したのは、他でもない私の師匠にしてこれらのトラップの仕掛け人、ファウストさん。

 顔に被せていた本をどかすと、彫刻像のようなその端正な顔立ちが露わになりました。白と黒が入り混じった髪といい、刃のように鋭い目つきといい、どこか人間離れした美貌の持ち主です。

 しかし、逆さで宙吊りになった私と目が合うと、口端を吊り上げて悪魔のような笑みを浮かべました。


「フハハハハ!随分と楽しそうだな、グレイ」

「いや、こっちは全然楽しくないですけど。毎日毎日、私をトラップに嵌めないでくれませんか?」

「ところで」

「あ、無視ですか」

「グレイ貴様、無傷なことをみるに一つ目のトラップは回避したのか?」

「ふふん。ええまあ、その通りですよ。その通りですとも」

「チッ。あれではスピードが足らなかったか……。愚鈍なグレイに避けられるようでは歴代のトラップの中でも下の下だな。一つ目のトラップで満身創痍になったところに、二つ目のトラップをくらわせてやりたかったのだが。まあいい。次に生かすとしよう」

「…………」


 まったく、この人はまじめな顔で何を言っているのでしょうか。


「……ねえ師匠。毎日毎日、可愛い弟子をこんな目に遭わせて楽しいですか?」

「む?超楽しいが?」

「そうですか……」


 この部屋にトラップが仕掛けられている理由。それは、私を嵌めて愉しむためです。

 何を隠そうこのファウストという男。超がつくほどのドSなのです。


「さて、グレイ。朝食の用意しておけ。その間に俺はシャワーを浴びてくる」

「はいはい。お安い御用ですよ」

「俺が出てくるまでに用意できていなければ……、そうだな、貴様の下着を通りすがりの男にでも売り捌くとしよう」

「それは御免こうむります!」

「なら急ぐことだな」


 師匠はそう言って、私の真下を通り過ぎて出口に向かいます。


「え?あれ?下ろしていってくれないんですか?」

「……いいか?浴室から出てくるまでに用意しておけ。フハハ」


 師匠は悪魔の笑みを浮かべながら、書庫を出て行きました。ドSどころか鬼畜です。


「もう、あの人は。仕方ないですね。火炎(フレイガ)


 自力で脱出するほかないので、私はひとまず炎の魔術を発動し、右手に小さな炎を生み出しました。それを私の脚に巻き付いているロープに当てて焼き切ろうと試みます。


「……あれ?」


 無理でした。焦げ目はつきますが、切れる気配がまるでありません。

 ならば少しレベルの高い魔術を使うとしましょうか。


断ち切れ(ソルドレード)火炎(フレイガ)


 ボウッ……フシュゥン……(炎がちょっぴり爆ぜて消える音)


 ……あぁ、いけない。自分が落ちこぼれの魔術師であることをすっかり忘れていました。

 実は私、二節以上の呪文を要求されるレベルの魔術を使えないのです。うっかり。

 しかし困りました。呪文一節だけの基本的な魔術しか使えない私では、すぐにこのトラップから脱出できそうにありません。

 むむむ、こうなったら!


 ……下着を補充しておかなければならないようですね。



 ***



 世界一の国土面積と人口を誇るここラウム皇国は、魔術がとても栄える魔術師大国です。国内の魔術師は実力ごとに1級から5級までの五段階で組み分けされます。

 数多いる魔術師の中でも私の師匠ファウストさんは、特別指定魔術師――通称・特級魔術師と呼ばれる国内に数人しか存在しない超腕利きの魔術師なのです。

 しかし、その正体がドSで鬼畜な野郎であることを知るのは弟子である私を含めてごくわずかでしょう。


「まだ朝食は用意できないのか、このノロマめ」


 ほら、今もまた罵倒されている最中です。


「あんな状態からじゃ無理ですよ。あのロープ、魔術を使ってもなかなか切れなくて脱出にかなり苦戦したんですけど」

「最も上質な素材でできているからな。貴様レベルの魔術では当然だろう。まあ、俺ならまばたきするよりも速く抜けられるが」

「貴方と比べないでください。というか、そんな良いもの私を嵌めるためだけに使わないでください……よっ!と」


 言いながら、私はフライパンでパンケーキをくいっと返しました。

 チラリと肩越しに後ろを見ると、師匠はリビングのテーブルにつき、コーヒーを飲みながら新聞に目を落としています。さっきからこちらを見ている素振りはありません。


 ふふふ。これは日頃の恨みを晴らすチャンス到来です。

 パンケーキを返すのに失敗した振りをして、あのドS野郎の脳天に熱々のパンケーキをお見舞いしてやりましょうかね。


 チラリ。もう一度ターゲットを確認。


「……むう、奴程度が一級昇格?この国の魔術師の質は下がる一方だな……」


 ブツブツ呟いて、新聞記事に夢中なご様子。完全に油断しきっているようですね。

 これならイケます!


「あー手が滑ってしまいましたー(棒読み)」


 勢いよく宙へ投げ出されたパンケーキは見事な放物線を描き、ターゲットの頭上へ。

 よし、当たる――!


 私がそう確信した瞬間、


「食い物を粗末にするな莫迦め」


 師匠は目にも止まらぬ速さでパンケーキを皿でキャッチ、そのまま私の顔面へ投げ返してきやがりました。

 ジュウゥッ!


「のああああああ!顔がああああああ!」

疾風(エアリアル)


 私がのたうちまわっている間に、師匠は床に落ちそうなパンケーキを風魔術で拾い上げ、ふわふわ漂わせて自分の皿に戻していました。


「フハハハ。俺に一撃入れるなど百年早い」

「くううう……!」


 特級魔術師である師匠は、当然ながら魔術師として反則じみた強さですが、魔術を使わずとも皇国軍の武闘派軍人を簡単に倒せるほどの実力を持っています。

 最早ズルです。チートです。

 私のささやかな復讐が果たせるビジョンがまるで見えません。いつか一撃でもお見舞いできる日がやってくればいいのですが……。


 そんなこんなで朝食を終えると、私と師匠の活動が本格的に始まります。

 再び書庫に戻り、作業開始です。


「グレイ。ここに積んだ文献は解読し終えた。要点を抑えてあるから、一つの資料にまとめておけ」

「は、はい!」


 膨大な量の古代文献を師匠が片っ端から解読していき、それを私が目録にまとめていきます。師匠の解読スピードは恐ろしく速く、私はそれについていくのがやっとです。気が休まる時がありません。


 この国には現在、古代文字を読める人はほとんどいません。歴史を紐解くことよりも、現代魔術の研究に時間を費やす方がずっと有意義だという考えが一般的だからです。読めるのは師匠のような歴史好きな余程の変わり者か、そんな人が身内にいる者くらいでしょう。私の場合はその後者でした。


 ちなみに、魔術学院で落ちこぼれだった私を師匠が弟子にしてくれたのは、私が学院内で唯一古代文字を読めるからという理由でした。

 三か月ほど前、師匠と初めて出会った日。当時、学院の同級生たちに馬鹿にされ荒んでいた私に掛けてくれた言葉は、今も私の心に深く刻まれています。


 ああ、思い返せばすぐに師匠の声と共に脳内に再生され――


「おいアホ弟子。アホな顔していないで手を動かせ」

「あ、すみません!」


 つい思い出に耽っていると叱られてしまいました。これは私が悪いです。

 出逢いの思い出に浸るのは後にして、今は無心で作業に当たるとしましょう。


 リンゴーン


 しかしその時、来客を告げる呼び鈴が鳴り響きました。


「チッ、客か。グレイ、対応任せたぞ」

「はい」


 対応というのは、仕事の依頼ならばとありあえずもてなせ、それ以外は追い返せという意味合いです。そして今回の場合は、


「――失礼。私はスタブメ子爵家の長女、マーガレッド・スタブメという者よ。特級魔術師のファウストという方に依頼があって来たのだけれど」


 お茶の用意をしなくてはいけないようです。



 ***



 作業を一時中断。広々としたリビングにある来客応対用のソファに、私&師匠とマーガレッドさん&老齢の付き人オンジさんが向かい合うように座っています。

 貴族だというマーガレッドさんの服装は華美なものではなく、オンジさん共々目立ちにくい地味な麻色のローブで全身を覆っていました。何やらわけありのようです。


「生憎と俺は忙しい。クソみたいな依頼であれば即断るぞ」


 脚を組んだ師匠の言葉に、オンジさんは頷いて口を開きました。


「はっ。依頼というのは他でもありません。ファウスト様に、こちらにあらせられるマーガレッドお嬢様の恋人の振りをして頂きたいのです」

「「…………」」


 まさかの依頼内容でした。


「よし。作業に戻るぞグレイ」

「お、お待ちくだされファウスト様!どうか事情をお聞きくだされ!」

「聞くまでもないわジジイ。そんなふざけた依頼に付き合っている暇などない」

「ま、まあまあ師匠。わざわざ足を運んでくださったんですから、話を聞くだけ聞いてあげましょうよ」


 私が宥めると、師匠は小さく舌打ちをしてソファに腰掛け直しました。

 そんな軽いひと悶着にもマーガレッドさんは動じず、黙って私が淹れたハーブティーに口をつけていました。ザ・お嬢様なその振る舞いに、私はついつい、ほえー、と間抜けな声を漏らして見惚れてしまいます。


 すると、マーガレッドさんの隣のオンジさんがおずおずと話し始めました。


「スタブメ家が治める領地の特産物が、昨今の異常気象の影響で不作が続いておりまして、財政難に苦しんでいるのが現状です。そこで、スタブメ家当主であるマーガレッド様のお父上が、近隣の大領主であるナルシス公爵家の元にマーガレッド様を嫁がせようと提案されたのです」

「政略結婚というやつですね」

「ええ。通常ならば、格下貴族である我々の申し出など一蹴されるはずでしたが、ご覧の通りマーガレッド様は麗しい美貌である故か、向こうも結婚に乗り気なようでして」


 一見良い話にも聞こえますが、依頼内容が恋人の振りをして欲しい、ということは……。


「察するに、マーガレッドさんはその結婚に乗り気ではない、ということですか?」

「その通りでございます。子爵家内でお嬢様のお気持ちを知っているのはこのオンジただ一人。そしてそのお気持ちを尊重させたいと考えているのもわたくしだけでしょう。最早、身内以外の者に頼るしかないのです。どうかファウスト様のお力をお貸しください」


 好きでもない男と結婚しなければならないという話には、さすがに同情を禁じ得ません。私としてはマーガレッドさんのお力になりたいと思っているのですが、問題は師匠のやる気です。


「めんどくさっ」


 案の定、師匠は乗り気ではありませんでした。


「師匠……!」

「黙っていろグレイ。大体、金の問題はどうするつもりだジジイ?結局問題はそこだ。仮に俺が協力したとしても根本的な解決にはなるまい」

「それは……」

「そんなこと知ったことじゃないわ」


 オンジさんが言葉に詰まったところで、マーガレッドさんがカップを置いて口を開きました。


「父上や領民たちには悪いけど、私は私が惚れた男性と恋をして、そのうえで結婚したいの。それに、相手のナルシス公爵家の長男って良くない噂しか聞かないしね。顔が悪い、頭が悪い、素行が悪い。そんな男願い下げだわ」


 ふん、と鼻を鳴らすマーガレットさん。なかなかにおキツイ性格の持ち主のようです。


「なら他を当たれ。恋人役など他にいくらでも立てようがあるだろう」

「ダメよ。父上を納得させるには、公爵家にも負けない地位の男を用意する必要があるもの。当てはまる人なんて、天才の中の天才と呼ばれる特級魔術師くらいなものよ」

「む……」

「それに、どうせ恋人役を選ぶならイケメンにしたいじゃない?というわけで、こうして貴方にお願いしに来たわけよ。もちろん、報酬はできるかぎりの額を払うわ!それでもダメかしら?」


 その言葉を聞いた師匠は、しばし逡巡した後、


「……ふむ。貧乏貴族のくせに、男選びに関してはなかなかどうしてセンスがあるな。普段なら断るところだが、そのセンスに免じて引き受けてやらんこともない」


 え。


「本当?よかった。感謝するわ魔術師さん!」

「ありがとうございますファウスト様!ありがとうございます!」

「…………」

「ん?どうしたアホ弟子?口をあんぐりと開けて」

「……師匠。もしかして師匠は案外チョロい人ですか?」

「何を言っているんだ貴様は?」



 ***



 スタブメ領にあるマーガレッドさんの屋敷へとやってきた私たちは、彼女の豪華な私室で作戦会議の最中です。


「そういえば、師匠って女性経験はあるんですか?」

「当然だ。今まで何百人の女共を調教してきたと思っている」

「いや、そういうことではなくてですね……」


 そうでした。師匠はこんな人でした。今更ながら不安が込み上げてきたので、私はこんな提案をしてみます。


「とりあえず、今ここで恋人として予行演習をしてみてはどうでしょう?」


 マーガレッドさんが「予行演習?」と小首を傾げたので、私は頷いて、


「お二人は我が強すぎるので、正直このままでは失敗しそうな匂いがプンプンです。そこで師匠にはできるかぎりマーガレッドさんの理想の彼氏を演じてもらう必要があると思います」

「……フン。俺がこの貧乏令嬢に合わせるのは癪だが、依頼を引き受けた以上文句は言うまい」

「ではマーガレッドさん。貴女にとって、理想の男性とはどんな方ですか?」

「そうねー。私の言うことを何でも聞いてくれてー、私に一切の口答えをしなくてー、私に隠し事もしなくてー、それでもって私の言うことを何でも聞いてくれる人かしら。出来るわよね魔術師さん?」

「……」


 師匠の眉間にみるみる皺が増えていきます。き、気のせいか、黒いオーラも見えます……。


「でっ、ででっ、では師匠には、そ、そんな理想の恋人になりきって頂くということで……ッ。あー、見られてると邪魔ですよね!私とオンジさんは部屋の外で待っていますから!では後ほど!」


 急速に冷えていく空気に耐えられず、私はオンジさんを連れて逃げるように部屋の外へ出ました。不安は残りますが、ここは師匠のなかに残っているかわからない善意に懸けるしかありませんね。


「……グレイ様。本当に大丈夫なのでしょうか?」


 廊下の窓から噴水付きの庭園をぼんやり眺めていると、オンジさんがおそるおそる尋ねてきました。やはりこの人もお二人がうまくやれるか不安なようです。


「師匠は傍若無人な人ですが、なんでもこなす完璧超人です。この仕事もうまくやり遂げてくれますよ」


 多分ですけどね……。


「そうですか。必要とあらばこのオンジ、命を捧げる覚悟で協力します故、どうかよろしくお願いします」

「オンジさんは、マーガレッドさんが大好きなんですね」

「ええ当然です。お嬢様が赤ん坊の頃から世話をして参りました故。過ごした時間ならばお父上様よりも長いでしょう。いやあ思い出しますなぁ。幼少の頃はいたずら好きでしてな。よく真冬の湖に落とされたり、深さ10メートルほどの落とし穴に嵌められたり、お嬢様が割った家宝の壺をわたくしが割ったことにされたり。はっはっは。数えればキリがありませんな」

「苦労が窺えますね……」


 そんな話を聞くと親近感をすごく感じます。嵌められ仲間とでもいうのでしょうか。


「やんちゃでお転婆な子でしたが、家庭を持たない私にとっては実の孫のような存在でもあります。お嬢様が幸せになってくれることが、このオンジの唯一の願いなのです」

「ならこの作戦、なにがなんでも成功させなきゃいけませんね!」

「ええ!」


 私とオンジさんが決意を新たにしたところで、


 ガチャリ


 マーガレッドさんの部屋の扉が開かれました。どうやら予行演習が終わったようです。


「あ、終わったみたいです。どうですか師匠?うまくいきそうで――」

「フン。悪くない乗り心地だ。褒めてやるぞマーガレッド」

「ありがたき幸せにございます、ファウスト様」

「――すか……」


 振り返った先では、師匠が馬に跨っていました。

 ……四つん這いになったマーガレッドさんという馬に……。


「お嬢様ーッ⁉」

「いやちょッ……この短時間でどうしてこうなったんですか師匠⁉」

「ん?調教したらこうなった」

「なんで調教したんですかッ⁉」

「あまりにも要求が多くてな。イラっときたのだ」

「だからって人格まで変えないでください!娘のこんな姿みたら、お父さん卒倒しますよ!」

「ふむ……可能性はあるな。現にジジイが卒倒しているしな」

「おじょっ……おじょっ……ブクブクブク」

「オンジさあん⁉」


 白目を剥き、泡を吹いたオンジさんが床に転がっていました。孫ともよべる存在が馬に改造されてしまったのだから当然かもしれませんが。

 オンジさんのことも心配ですが、まずはマーガレッドさんをどうにかしなくては!


「し、正気に戻ってくださいマーガレッドさん!」

「バウバウバウッ!」

「あ痛ぁッ⁉マーガレッドさんに噛まれたッ⁉」

「フハハハ。むやみに近づかない方がいいぞグレイ。この馬は既に俺の従順なるメス豚と化している。そして一度危険が迫れば、主人を守る猟犬へと早変わり」

「馬なのか豚なのか犬なのか!」

「どうだグレイ。どこからどう見ても恋人同士にしか見えないだろう」

「見えませんよ!感覚狂ってんですか⁉」

「フン。ガキにはわかるまい。これも一つの愛の形なのだ」

「んな歪んだ愛があってたまりますかッ!」


 ま、まさか師匠の調教スキルがここまで恐ろしいものだったなんて……!せめて人扱いしてあげてくださいよ。もうそろそろツッコミが追いつかなくなってきました。


「さて、そろそろ貴様の父親に挨拶しに行くとするか。ほら進めマーガレッド」

「はい、御主人様」

「おっと……。おい、もっと揺らさずに動けこの駄馬め」

「も、もっとなじってくださいまし……!」


 私が軽く戦慄している間に、師匠はマーガレッドさんを使って移動をし始めたので、


「行かせませんよ師匠!そんな悲惨な姿でマーガレッドさんをうろつかせるわけにはいきません!オンジさんのためにも!」


 私もすぐさま後を追おうと駆け出しました。しかし、焦っていたせいか、


「あ」


 私は一歩目で足がもつれて盛大に転んでしまいました。

 その拍子に、ゴチーン!とやけに甲高い音と共に、私の額に強い衝撃がきました。


「いたたた……」


 私が額をさすりながら顔を上げると、


「きゅうん…………」


 なぜかマーガレッドさんが後頭部に大きなたんこぶを作って気絶していたのです。


「…………」


 もしかしてやっちまいました……?いやいや私に限ってそんな。マーガレッドさんは一体どうしたというのでしょうね。ええはい。私には心当たりがないので皆目見当がつきません。


「おいアホ弟子。やってくれたな」

「な、なんのことでしょう……?」


 なぜか師匠が力いっぱい私の頭を握り潰そうとしてきます。そんなことされる筋合いなんてないというのに。まったく困った師匠です。


「なに自分のせいじゃないみたいな顔をしているのだこの石頭が。当の本人が気絶しては、恋人役をするどころではないな。あーあ。貴様のせいですべて台無しだ」


 その言葉に、さすがの私もプッツーンときました。


「いやいや、元はといえば師匠がマーガレッドさんをおかしくするからじゃないですか!どうして何もかも私のせいみたいに言うんですか⁉」

「む、師に向かって逆ギレとは偉くなったものだな」

「逆ギレじゃありませんし!元からキレてましたし!」


 廊下の真ん中で私と師匠が睨み合った、その時でした。


「マーガレッド!どこにいる!マーガレッドー!」


 マーガレッドさんの名を呼ぶ男性の声。おそらく、マーガレッドさんのお父さんにして、この屋敷のご主人に違いありません。


「け、喧嘩をしている場合じゃないですね!こんな状況を見られれば、賊と勘違いされるかもしれませんよ!」


 こんな状況というのは、マーガレッドさんとオンジさんが床でのびている惨憺たる状況に他なりません。


「チッ、仕方がない。こいつらは俺が隠しておく。その間に貴様はマーガレッドになってこの屋敷の連中を誤魔化しておけ」

「わかりました!――って、何言ってるんですか?」


 私が眉をひそめるのと同時、師匠は詠唱もせずにとある魔術を発動させました。

 その魔術こそが、師匠を特級魔術師たらしめている、師匠だけが使える特別な魔術です。


「貴様には、俺が創ったこれを被ってもらう」


 そう口にする師匠の右手には、いつの間にか妙に生々しい布が握られていました。一部、人の髪の毛のようなものが生えているようにも見えます。


「これは?」

「マーガレッドの顔を模したマスクだ。貴様はこれを被り、しばらくマーガレッドとして行動しろ」

「えぇっ⁉」

「精巧に創ってある。貴様が下手をしなければ、まずバレることはない」


 修得不可能と謳われた古代魔術の一種、創造魔術。ありとあらゆるものを創り出すことができる、まさにチート魔術なのです。

 しかし、そんなすごい魔術をもってしても事態は悪化の一途をたどるばかりですが……。


「ふむ、どこからどう見ても貧乏令嬢だ。この完成度、さすがは俺だ」


 師匠は私に無理やりマスクを被せると、満足気に頷きました。現在、私の顔はマーガレッドさんになっているようです。自分からは見えないのでわかりませんが。


「ふ、不安しかないのですが……」

「隙をみて貴様を回収にいく。それまでうまく誤魔化しておけ」


 師匠はそう言い残し、マーガレッドさんとオンジさんを両脇に抱えて窓の外から飛び降りていきました。

 直後に、独り残された私の元へマーガレッドさんのお父さんが何やら切羽詰まった表情で駆け寄ってきました。


「ここにいたかマーガレッド!探したぞ!」


 こうなったらやるしかありません。私はマーガレッドさん、私はマーガレッドさん――


「ご、ご機嫌麗しゅうお父様。本日もお日柄が良いですわよねー……」


 あれ?お嬢様ってこんな感じで合っているのでしょうか?


「ん……?マーガレッドお前……」


 あ、もしかして速攻でバレてしまいましたか?自分の心臓の鼓動がどんどん加速していくのがわかります。


「……少し太ったか?」

「えッ⁉い、いやですわお父様!そんなわけないではありませんか!オホホホホ!」

「そうか?服装もなんだか貧乏くさいし」

「イ、イメチェンですわよ」

「声もいつもより可愛くない気が」

「少し風邪気味でして」

「?まあいいか」

「ふう……」


 バレなかったことにホッとしましたが、なんでしょうこの胸に残るモヤモヤは……。

 兎にも角にも最初の問題を突破できてよかったです。あとはこれ以上問題が起きないことは願うばかりですね。


「そうだ!呑気に話をしている場合ではなかった!私についてきなさいマーガレッド!」

「え、一体何事ですのよお父様?」

「急だが、ナルシス公爵家のご子息がお前を貰いにいらしたのだ!お前は今すぐ婚約を交わし、ナルシス公爵家の屋敷に住むことになる!」

「えぇ~……」


 はい、問題発生です……。



 ***



 屋敷の広々とした玄関ホールに向かうと、スタブメ子爵家関係者と向かい合うように、十数人の人が押し掛けていました。そしてその先頭に立っているのは、飛び抜けて身なりの良い小太りの男性。どうやらこの方がマーガレッドさんの婚約相手になるかもしれない方のようです。


「むふふふーん!可愛いぞえー!可愛いぞえー!噂通りの美貌だぞえマーガレッド!このダスト・ナルシス様の妻になるに相応しい女だぞえー!」

「はあ……どうも……」


 面と向かって容姿を褒められましたが、他人に成り代わっているのでなんとも微妙な気持ちでした。

 ダストさんはおじさんな見た目をしているので、マーガレッドさんとはなかなかの歳の差がありそうです。それ以前にキャラが凄い……。マーガレッドさんも大変ですね。


「マーガレッドの歳はいくつぞえー?」

「えっ?えーと……」


 一瞬ドキリとしましたが、この屋敷に来るまでにオンジさんから聞いていたのを思い出しました。


「十七歳です」


 意外かもしれませんが、マーガレッドさんは私と同い年。

 私と違ってマーガレッドさんが随分大人な雰囲気を醸し出していたのは、きっと貴族として立ち振る舞いの英才教育なんかを受けてきたからに違いないです。決してマーガレッドさんの方がスラッとしたナイスボディーだからというわけではないはず。ええ、きっとそうでしょう。


「じゃあ僕と同い年だぞえー!やっぱり運命で結ばれているんだぞえー!」

「え」

「ん?どうしたぞえー?」

「あ、いや!何でもありませんわー!」


 この人も同い年⁉嘘でしょう⁉いやでも、貴族が老けやすいかもという、私の仮説が信憑性を帯びてきたのでむしろ朗報と捉えておきましょう……。


「むふふふーん。早く持って帰って舐め回したいぞえー」


 ひいいいいいい!なんて一人でくだらないこと考えている場合じゃないですね!見た目通り相当ヤバい人じゃないですか!

 この場からどうにかして逃げ出さなくては私が大変な目に遭ってしまいます!


「あ、あのダスト様。実は私、体調が優れないようですわ。わざわざご足労頂いたというのに大変申し訳ないのですが、婚約を延期にさせて頂けないでしょうか……?」


 苦しい理由ですが、相手はマーガレッドさんにゾッコンなご様子。多少のわがままは笑って許してくれるでしょう。多分。


「むう。それはいけないぞえー。なら婚約の儀は無くして急いで僕の屋敷に向かうぞえー!」


 あれぇ⁉事態を遅らせるどころか、むしろ加速してしまいました!

 苦し紛れの策を一瞬で潰された私は、助けを求めてマーガレッドさんのお父さんにチラリと目を向けました。


「マーガレッド。向こうでも達者に暮らすのだぞ」


 マジですかこの人。満面の笑みで見放してきたのですが。娘がこんな変態といっても過言ではない人のものになっていいんですか。

 ……まあ、中身は娘じゃありませんが。マーガレッドさんがお父さんとこの領地を足蹴にするのも頷けますね。


「ウチに帰ってゆっくり休むといいぞえー。一緒に寝んねしてあげるぞえー」


 ダストさんが私の手を引いて無理やり連れ帰ろうとするので、私は必死にその場に踏みとどまります。


「ほ、本当にまずいんです!吐き気もありますし、それに熱も酷いみたいでして!」


 やばいやばいやばい!このままでは婚約を避けるという依頼が失敗するうえ、私の大事にしてきた貞操がピンチです!師匠!早く助けにきてください~!


 私が涙目になって、心の内でそう叫んだ時でした。

 ダストさんはあろうことか、私の額に自分の額をくっつけてきたのです。


「どれどれ?うーん、そんなに熱はないみたいだぞえー」


「ひ――」


 その瞬間に、私の頭の中は真っ白になりました。


「ふんぎゃああああ!」

「ぐへぇッ⁉」

「……あ」


 気がつけば、私はダストさんを思い切り殴り飛ばしていました。思いのほかいいのが入ったらしく、ダストさんは床でピクピクしています。


「い、痛いぞえぇ……」


 坊ちゃまー!とダストさんの付き人たちが慌ただしく駆け寄っていきます。


「ななな、なんてことをしでかすんだマーガレッド!」


 マーガレッドのお父さんの怒声が響き、ホール内が一気に騒然としました。

 まずいです。非常にまずいです。どう見ても、正当防衛だとか言って切り抜けられるような雰囲気ではなさそうです。ここはダストさんの良心を信じて、素直に謝ってみるしかないですね。


「あ、あのすみませんダストさん。今のは、照れというかなんというか」

「……許さないぞえ」

「え?」

「父上にも殴られたことなどないのに、僕の顔を~!絶対に許さないぞえマーガレッド!この家も、この町も、今すぐぶっ壊してやるぞえー!」

「えぇ!なんでそうなるんですかッ⁉」


 さ、最悪の展開……!

 冷や汗やら脂汗やらが一気に噴き出してきました。

 マーガレッドさんとオンジさんが目を覚ました時には、何もかも無くなっていたなんてシャレにもなりません!


「オズワルド!」

「はい坊ちゃま」


 付き人の一人であった男性が、ダストさんの傍に立ちます。他の付き人が鎧や剣を装備しているのに対し、オズワルドと呼ばれたその男性はどう見ても手ぶらで武装している様子はありませんでした。


「お前の魔術で、何もかも壊してしまうぞえー!」

「マーガレッド嬢も巻き込んじまってよろしいんで?」

「構わんぞえ!あんな乱暴な女いらないぞえ!それに、ナルシス家の長男である僕なら、可愛い妻なんていくらでも見つかるぞえ!」

「そういうことなら喜んで」


 二人の会話を聞いたマーガレッドさんのお父さんが、慌てて床に両膝をついて平伏しました。


「お、お待ちくださいダスト様!どうか今一度ご慈悲を!娘の非礼をお許しください!どうか!」

「うるさいぞえお前!子爵家ごときが、格上貴族の公爵家であるこの僕に意見するなんて図々しいにもほどがあるぞえ!」

「そ、そんな……」

「やってしまえぞえオズワルド!」

「了解です」

「ひい……!」


 マーガレッドさんのお父さんの前に立ったオズワルドさんが、右手を突き出します。


「へへ、悪いねおっさん。恨むなら自分の娘を恨んでくれや。雄々しく(マグナ)逆巻け(ティフォン)疾風(エアリアル)

「三節呪文⁉逃げてくださいお父様!」


 オズワルドさんが呪文を唱えた瞬間、強大で大きな竜巻が発生しました。私の叫びも虚しく、瞬く間にマーガレッドさんのお父さんを飲み込んだその竜巻は、屋敷の天井をいとも容易く突き破って天高く伸びていきます。


「どうだぞえ~!僕の最強の兵士の力は~!オズワルドはなんと一級魔術師!この国でトップクラスの魔術師なんだぞえ~!」


 オズワルドさんの力をまるで自分の力のように、小躍りしながら自慢するダストさん。

 ですが彼の部下の実力は本物で、私たちスタブメ家の人間はみな一様に恐怖で体を震わせていました。

 それを見たダストさんが、さらに気を良くしてニマニマと笑みを浮かべます。


「怖いぞえ?恐ろしいぞえ~?僕のオズワルドを止められるのは特級レベルの魔術師くらいしかいないぞえ~!でもお前たちのような弱小貴族が雇えるわけないぞえ~!ゲヒヒヒッ!」

「――いや、そうでもないぞデブ」


 その聞き馴染みのある声は、天井の方から聞こえてきました。

 散々私を罵ってきた男の声です。間違えようがありません。


「ししょグヘッ⁉」

「おっと着地場所を誤ってしまった」


 身を守るため床に伏せていた私の背中に、その声の主が降りてきました。こんな時でも容赦のないドSぶり。はい。間違いなく師匠です。


「ししょ?一体何と言おうとしたのだマーガレッド。ん?」


 あ、こんな時でもその設定生きてるんですね。


「い、いえ。何でもありませんわよ魔術師様。……って、あれ?その手に持っているのは……」

「ちょうど飛んできたのでな、拾っておいた」


 師匠の手には、マーガレッドさんのお父さんの姿が。どうやらあの竜巻から助け出していたようです。衝撃で気を失っているようですが、命に別状はなさそうです。


「おい起きろ。寝ていては俺が挨拶できんではないか」


 と、思いきや師匠がマーガレッドさんのお父さんに往復ビンタをかまし始めました。


「ししょ――魔術師様ッ!追い打ちを掛けるようなことはやめてくださいますか⁉それに今はそれどころではありませんから!」

「チッ、それもそうだな。まったく、どこかの阿呆が次々に面倒事を起こすせいで」

「み、耳が痛いですね」


 マーガレッドさんのお父さんを雑に投げ捨てた師匠は、ダストさんたちに向き直りました。


「お前何なんだぞえ⁉この僕に向かって、あろうことかデブだなんて、タダで済むと思うなぞえ!」

「フハハ、ブーブーやかましいな。俺は貴様がさっき言っていた特級の魔術師というやつだ。訳あってこの貧乏令嬢に味方させてもらうぞ」

「ふげッ」


 言いながら私の頭にチョップを振り下ろす師匠。どこが味方でしょう。


「は……⁉特級⁉オズワルド、本当かぞえ⁉」

「ええ、本当でさァ。奴の名はファウスト。魔術師連中なら知らん奴はいないでしょうよ」

「何ィ⁉どうして子爵家如きが特級を……!そ、そんな奴に勝てるのかぞえ⁉」

「ええ、勝てますとも。ご安心を坊ちゃま」

「フハハ、ほう」


 オズワルドさんはあっさりと首肯しました。強がっているような気配はまるでありません。


「ファウストさんよぉ。アンタ、最近弟子をとったんだってな」


 期せずして私の話題……。こんな時に何を言おうとしているのでしょう?


「それが?」

「なんでもそいつ、学院では落ちこぼれだったそうじゃねえか。天才といわれるアンタでも、どうやら弟子を選ぶ才能はなかったらしい。魔術師界隈で噂になってますぜ。そんなカスを弟子にしたファウストもまた実際はカスだったとね」

「ふむ……」

「――……」


 私は今、マーガレッドさんのマスクを被っていてよかったと心底思っていました。顔がとても熱くなっているのがわかります。きっと恥ずかしさのあまり、人に見せられないほど真っ赤になっているはずです。


 実は私の存在が、師匠の評判を下げているということは知っていました。師匠からは無視しろと言われてきましたが、いざこうして正面から告げられると、恥ずかしさでどうにかなってしまいそうです。


「……」


 マスクの下から師匠の顔を窺うと、いつも通り邪悪な微笑を浮かべているだけで、何を考えているかまるでわかりません。


「大体、特級なんてものがあるのが気に入らねえ。なにせ昇級の仕方も公表されていない胡散臭い階級だ。王宮に変なコネでも使ったのかい?ええ?」

「……フン。貴様のような凡夫には一生かけてもわかるまい」

「何……?」

「そして、あのアホ弟子の価値もな」


 師匠は私の頭に右手をボスッと乗せて言いました。私の方に目を向けることなく、さらに続けます。


「たしかに、あのアホ弟子はどうしようもないアホで、落ちこぼれで、間抜けなアホだ」


 アホ言い過ぎじゃないですか……?フォロー?フォローのつもりなんですかこれ?


「だが、奴は俺がこの目で見て選んだ弟子だ。貴様ら塵芥(ちりあくた)どもの評価よりも、この俺一人に評価される方が遥かに価値がある。そうだろ?」


 ――!


「はあ?知るかよ」


 一見オズワルドさんに向けた言葉のように聞こえますが、私は、師匠の最後の問いかけが、オズワルドさんではなく私に向けられたものだとすぐに理解しました。

 そして、その言葉は私が初めて師匠に出逢った時にかけられた言葉でもあります。


「無駄話はもういいぞえ!さっさと奴らを始末するぞえオズワルド!」

「もちろんでさァ。雄々しく(マグナ)断ち切れ(ソルドレード)火炎(フレイガ)


 オズワルドさんの右手に、轟々と燃える炎の巨剣が生み出されました。彼はそれを振り上げながら、こちらへ一直線に向かってきます。

 決まった。そんな確信でもしたのか、オズワルドさんは声もなくほくそ笑んでから、炎剣を振り下ろし、


「暑苦しい」


 次の瞬間、鋭く強烈な師匠の蹴りが、オズワルドさんの顎に捻じ込まれました。


「……ッ⁉」


 オズワルドさんの表情が一瞬だけ驚愕に染まり、彼は力なく倒れ込みます。


「ふむ。特別に教えてやろう。特級に上がる条件、それは(ひとえ)に強いこと。ただそれだけだ。もっとも、素手の人間にのされるようでは縁のない話だが……む、もう聞こえてはいないか」


 師匠は気絶したオズワルドさんから、ダストさんへと視線を移します。


「どうするデブ。ご自慢の部下がこの通りだが?」

「つ、使えん奴だぞえ!お前たち、なんとかしろぞえ!早く……お、おい」


 ダストさんが残りの付き人たちに命じますが、彼らは師匠の強さの前に既に戦意を喪失しているようで、誰一人として動こうとする人はいませんでした。


「フハハ。味方がいなくなってしまったな。さて、痛い思いをしたくなければ、俺の要求を一つ聞いてもらおうか」

「ま、待つぞえ!この僕に酷いことをすれば、僕の父上が黙っていないぞえ!国中から腕利きの魔術師を集めてお前に報復してやるぞえ!」


 ダストさんのその言葉に対し、師匠は母親が子供に話し掛けるような笑みを浮かべてこう言いました。


「そうなれば貴様を地の果てまで追いかけてでも殺してやろう」

「…………はい。何でも望み通りにします」


 師匠が本気であることを察したダストさんは、驚くほどあっさりと心を折られたのでした。



 ***



「まあ!まあまあまあまあ!これはまだ夢の続きかしら!眠りから覚めれば、何もかもが解決しているなんて夢みたい!」


 事件から一夜明け、ようやく目を覚ましたマーガレッドさんは、ガラリと変わった現実に喜びの声を上げました。


「良かったですねマーガレッドさん、オンジさん」

「いやはや。お二人にはなんとお礼を申し上げればよいのか」

「フハハ。せいぜい報酬を弾ませておけジジイ」


 事の顛末。ダストさんは師匠の要求(脅迫)により、屋敷の修理費と称して、なんとナルシス家の財産の半分をスタブメ家に献上することに。おかげでスタブメ家の財産問題は一気に解決し、さらに師匠を怖がったダストさんは二度とスタブメ家に近づかないと誓いました。


 一時はどうなることかと思いましたが、終わってみれば最高の結果といっても過言ではないかもしれません。


「結婚問題だけでなくお金の問題まで!素晴らしいわ!さすがはご主人様!」


 訂正します。過言でした。


「……あれ、師匠?気のせいかマーガレッドさんの調教効果がまだ治っていないっぽいんですが」

「ふむ。思っていたよりメス豚としての資質が高かったようだな。弟子にしたいほどの逸材だ」

「えぇ……」


 予想外のことで私の立場が危ぶまれているようです。


「あ~んそうじゃないのご主人様!私はもっと罵って欲しいの~!」

「ダメだ。貴様にとってはこの方が罰になるようだからな」

「あ、新しい……!凄いわ!こんないじめ方を編み出すなんて!やはり私の理想の男性は貴方だったのですねご主人様!是非私と結婚して、一生奴隷として扱ってくださいまし!」

「残念だがそれはできん。貴様のようなメス豚は、俺にはもったいない」

「だから違うの~!断るならもっと心を抉るように断って欲しいの!」

「…………」


 なぜでしょう。この二人のやり取りを見ていると、頭が痛くなってくると同時に、無性に腹が立ってきます。


「む、どうしたアホ弟子。まさか自分も褒めてもらえると期待しているのか?フン、卑しい豚め」

「全然違います」


 見当違いも甚だしいですねこの男。


「グレイ貴女!この私を差し置いて何罵倒されてるのよ!」

「うぅ、怒るポイントが特殊過ぎますこの人。なんとかしてくださいオンジさ――」

「おじょ……おじょ……ブクブクブク」


 オンジさんはまたも床で白目を剥き、泡を吹いて転がっていました。

 私はこの時、「あ、やっぱりこの家ダメかも」と思ったのでした。



 ***



 マーガレッドさんたちと別れ、師匠の屋敷へと帰ってきたその夜。私は、こっそりと魔術の特訓をしていました。


逆巻け(ティフォン)火炎(フレイガ)!」


 ボビュッ……ヒュゥゥン……(炎が一瞬弾けて消える音)


 …………。


 やはり呪文が二節以上になった途端に、うまく魔術が発動できません。これでは学院の下級生にも笑われてしまうレベルです。まったく、自分の才能の無さが嫌になります。師匠に拾ってもらっていなかったら、今頃どうなっていたのでしょうかね。


「こんな夜更けに鍛錬か?グレイ」


 不意に、師匠が背後から声を掛けてきました。


「あ、師匠……。すみません、起こしてしまいましたか」


 屋敷の裏でこっそりやっていたのですが、勘の鋭い師匠にはすぐに気づかれてしまいました。


「夜中に迷惑ですよね。そろそろ切り上げます」

「いや構わん。続けろ」

「え?あ、はい」


 明日も古代文献の研究をしなければならないので、「夜更かしするなアホ弟子!」と叱られるかもと思ったのですが、今宵の師匠はやけに大人しいです。眠いのでしょうか。

 お言葉に甘えて、鍛錬を続けることにします。


逆巻け(ティフォン)火炎(フレイガ)


 ボスッ……フシュゥゥン……(炎すら出ず、煙だけ出る音)


 …………。


「……まじめにやれ」

「残念ながら至ってまじめです……」


 私が俯きがちにそう返すと、師匠は小さく嘆息し、


「昨日から浮かない顔をしているな。まさか、あのデブの部下に言われたことを気にしているのか?」


 その言葉に私はギクリとしました。さすがは師匠。私の小さな悩みもお見通しのようです。


「……はい。やっぱり、私の存在が師匠に迷惑を掛けているんじゃないかと……」

「アホ弟子め。貴様の存在程度で俺の足枷になるとでも思っているのか?」

「フォローになってませんよ師匠……」

「フハハ。貶しているからな」

「……(イラリ)」

「まあしかし」

「あうッ⁉」


 私がムスッとした顔で目線を下げた瞬間、いきなり強烈なデコピンが飛んできました。


「たしかに、あの程度の雑魚にまで舐められているのは気に入らんな。グレイ。明日からしばらく研究の方は中断だ。その間、貴様の魔術の修行に専念してやろう」

「え?いいんですか?」


 私は額を抑えながら、思わず目を丸くしました。

 なにせ今までは弟子とは名ばかりの召使いのような扱いで、師匠が私の魔術の修行に付き合ってくれることなど初めてのことだったからです。


「ああ。それに、ある程度強くなれば貴様のそのうじうじとしたナメクジのような性格も多少はマシになるだろう」

「ナ、ナメクジ……」


 この人は本当に一言余計ですね……。


「そうと決まれば今日のところはさっさと寝ろ。朝から厳しくいくぞ」

「あ、はい……!」


 私の返事を待たずして師匠は屋敷へと戻っていきました。その戻り際、師匠がちょっぴり口元を緩めているように見えました。


 思い返せば、師匠は私が本当に困っている時には助けてくれていました。なんだかんだと言いつつも、弟子である私のことを大切に扱ってくれているのかもしれません。


 さて、明日も朝は早いようなので、言いつけ通りそろそろ眠るとしましょう。

 そう思って歩き出したとき、ふと屋敷の窓が目に入りました。月明りに照らされた私自身と目が合います。


「……ふふっ」


 そこには、元気が無かった自分が嘘だったかのように、顔を綻ばせている私が映っていました。



 ――そして翌日。


「こんなことも理解できないのか?どれだけ小さい脳みそをしているんだこのナメクジが。いや今日からナメクジ改めミジンコと呼んでやろう」

「うええええん。ミジンコは嫌です~」


 修行初日にして心が折れそうでした。

 あっれ~?私のこと大切にしてくれてるんじゃ?


「どうした?修行は始まったばかりだぞ」

「ぐすんぐすん。師匠。昨晩私の修行に専念すると言った時、嬉しそうにしてたのは何だったんですか?」

「ん?あぁ、あれか。たまには一日中貴様を罵倒し尽くす日というのも悪くないと思っただけだ」

「あ、そですか……」

「フハハハハ!さっさと立てグレ――ミジンコ。続きをやるぞ」


 やはり私の師匠はドSで鬼畜な野郎だったのでした。わざわざ名前を訂正しなくていいんですけど……。

 今日もまた散々な一日になりそうです。

 けれど、この刺激的すぎる日常を、実は私も楽しんでいるのかもしれません。


 そんな私と師匠の奇妙な生活は、まだ始まったばかりです。


「師匠。実は私、褒められて伸びるタイプなんですけど」

「舐めるな」




御読了ありがとうございます!

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