何に歌う心
短編小説です。よろしくお願いいたします。
ある晴れた夏の日のことでした。学校が夏休みに入って、暇だ暇だと息子がうるさく言うので歩いて10分ほどのところにある公園に遊びに行きました。その公園は周りの町と比べても十分に大きく、近くに小さな駐車場があるので隣町からも遊びに来るほどに有名なところでした。ただ私はあまりこの公園に行くのには気乗りしませんでした。その理由として、私はあまり人付き合いが得意ではなく、公園に行くと他のママさんと話す必要に迫られることのなるからです。私から近づくことは殆どないのですが、話しかけられることがほとんどで、嫌々、それを悟られないように話をしなければなりません。気の許せる方も多少なりともいますが、やはり疲れてしまうところがあります。なので基本はこうやって息子がごねない限りは行かない所でした。
公園につくと、今日はいつもと違う人がいることに気づきました。公園の向かい側の道路に、男性がギターを持って座っていました。唯、男性は少し小汚く髪もボサボサ。その風貌からか、公園にいる奥様方からは話題の種として祭り上げられています。私が、息子を遠ざけるように公園へ手を引こうとした時、息子は既に私の手から離れあの男性のところへ行っていました。
「こんにちは!」
息子が元気に挨拶をしました。あの子は、少し頭は悪いですが、元気と子供らしい礼儀だけは素晴らしいものを持っていると、勝手に思っています。
「こんにちは、坊主。あまりこういうオッサンに近づくもんじゃないぞ。ほら、お前の母さんが心配してるぞ。」
ちらっと、私のほうに目をやりました。風貌に似合わず、まだ目は光を失っていないように見えました。
「ここで、どうされているんですか。」
ここで何故私が息子を連れて去らなかったのか、きっと悪い人ではないという不確かな根拠があったのだと思います。でもそれ以上の何かもあったかもしれません。
「ここでお金を稼いでるんだよ。曲を弾いて、通りの人に恵んでもらうんだ。」
他にも聞こうと思いましたが、次の言葉が出ませんでした。これ以上踏み入ることができない、そういう雰囲気が感じられました。
「ねぇ、なんか弾いてみて!」
「いいか、坊主、そういうリクエストが一番きついんだ。そうだろう、坊主の母さん。」
何が言いたいか何となく分かったから、ハハと頬が緩んだ。それを見て彼も少し口元を緩めながら、ジャランと撫でるように一度弾きました。そのあと、これはオリジナルなんだけどと言いながら、歌い始めました。
彼の歌には、エネルギーがありました。アーティストのライブなど行ったことがない私ですが、きっとこういうものなんだろうと思うほどのエネルギーが私と息子を包んでいました。演奏が終わって、
「すごーい!かっこいい!」
息子は騒ぎ立てます。
「恥ずかしいな。あまりこうやって真剣に聞いてくれる人はいないから。」
と、とてもにやけながら言っていました。私たちは気持ちばかりのお金を渡して家に帰ることにしました。どうやら息子は満足したらしくお腹すいた、と言って私の手を引きました。
帰り道私はずっと息子に手を引かれて帰っていたような気がします。なぜ、彼の歌はそこまで響いたのか、彼が生きるために歌っていたからでしょうか。恐らく歌うことが彼の生命線なのでしょう。そんな彼が歌う曲には、助けてという悲痛な叫びも誰かに感動してほしいという理想も感じることは私にはできませんでした。ただ生きるために歌う。そこには、名状しがたい思いが込められているのではと思いました。だからこそ、彼の目には確かな光があったのだと思いました。
「明日もいるかな。」
と息子が聞きます。
「どうだろうね。」
本当は「いる」と答えるのが良かったのかもしれません。けれど、彼は明日いるかどうかは分からない、生きるために歌っているから。いくらの時が流れようとも彼は歌っているのでしょう。その時、私は誓ったのです、生きねばと。