無償の愛
「あの子、またお前のこと見てるぞ」
友人であるクリフの視線を辿れば、かなり遠くの物陰から、ストロベリーブロンドの長い髪が見えた。むしろ、あんな遠くにいる彼女を見つけた彼に感心してしまう。それを言えば「最近、彼女を探すのが趣味になってきてる」なんて返されて、俺は溜め息を吐いた。
魔法学園に入学して、三ヶ月。名前も知らない彼女の存在に気が付いたのは、いつだっただろうか。話しかけられたりすることはなく、ただ遠くから俺を見つめているだけの、変な令嬢だった。
「あんなにも遠くから豆粒みたいなお前を見ているだけで、すげえ幸せそうな顔してるんだぜ。可愛いよな」
「別に、どうでもいい」
不仲なんて言葉では言い表せないような両親を見て育った俺は、恋や愛など下らない感情だと思って生きてきた。結婚だって、父の決めた相手と形だけのものをするだけだ。
そもそも、この学園には昔から目指している職業に就くために来ている。そんな事に付き合っている暇などない。
それに俺のことを好きだと言う令嬢達は皆、顔や爵位に釣られているだけだ。彼女だって会話をしたことすら無いのだ、俺のことなんて何も知りやしない。そのうち飽きて他に行くか、媚びるように近づいて来るだけだと思っていたのに。
半年が経っても、彼女は変わらずに遠くから俺を見つめているだけだった。
「あ、いたいた! 今日は木の影か。木の葉をあんなにも付けて、可愛いな」
「………………」
相変わらずクリフは、彼女を探し見つけては楽しそうにしている。流石の俺も、ほんの少し彼女に対して興味が湧き始めていた。一体、俺に何を求めているのだろう。それだけが気になっていた。
そしてその日の昼休み、学食で彼女の姿を見つけた。何気なく近づいてみると、彼女はそれは嬉しそうに俺の話をしていた。
「そんなに、ノエル・アンダーソンが好きなんですか?」
「ええ! それはもう。世界で一番好きです!」
そう尋ねれば、間髪入れずにそんな答えが返ってきて。そのまっすぐな言葉は、すっと胸の奥へと入り込んでくる。そしてそれは不思議と、不愉快ではなかった。
彼女の名は、シェリーと言うらしい。こうして話しかけていれば、彼女だってそのうち欲が出てくるに違いない。俺はそう信じて疑わなかった。
「何か、僕にして欲しいことはありますか?」
「ええっ、わ、わたしなんかがノエル様に何かを頼むなど…あってはなりません、そんなこと!」
「何でもいいんですよ、言ってみてください」
時には、そんな試すようなことを言ってみたりもした。
「そ、それでは、ゆっくりお風呂にでも浸かって、いつもより早くお休みになっては如何ですか?」
「…………は?」
「最近とてもお疲れのように見えます。お勉強で大変なのは分かりますが、お身体も大切にして頂きたいです」
……けれど彼女はいつも、俺の予想を軽く超えてきた。彼女はいつも俺のことばかりを気にかけていて、自分のことなど頭にないらしい。
それは一年経っても二年経っても、変わらないままで。流石のひねくれた俺も、シェリーは純粋に俺を好いてくれていて、俺に何の見返りも求めていないのだと認めざるを得なかった。
そしていつの間にか、彼女がとても可愛く、愛しく思えてしまっていることにも気が付いていた。
◇◇◇
「ノエル様、今日も好きです!」
「そうですか、ありがとうございます」
彼女から向けられる愛情はとても心地良かった。けれど、いつまでもこんな日々が続かないことも分かっていた。学園を卒業した後、俺は父の決めた相手と婚約することが決まっているのだから。もし彼女がそれを知ったら、どう思うのだろう。いつもと変わらない笑顔を浮かべて、「幸せになってくださいね!」なんて言うのだろうか。
そんなことを考えては胸の痛みを覚えていた、そんなある日。
「ノエル様以外の方を、好きになれる気がしないんです」
彼女は当たり前のように、そう言って。その言葉は、俺の心をひどく揺さぶった。
──信じても、いいのだろうか。彼女は本当に、一生俺だけを愛してくれるのだろうか。
いつか彼女が他の男性を好きになることを想像しただけで、胸が張り裂けそうになる。彼女は父や母とは違う。そう分かっていても、俺の口からは本当なのかと疑うような言葉が溢れた。
「はい、一生ノエル様だけです」
けれどそんな俺をまっすぐに見て、彼女はそう言ってのけたのだ。ああ、きっとシェリーは俺を裏切らない。そんな確信があった。
両親にすら愛された記憶がない俺は、本当はずっと誰かに愛されたかった。永遠に変わらない愛情が欲しかった。無償の愛というものを何よりも、誰よりも求めていた。
そして俺にそれを与えてくれるのは、間違いなく彼女だと思った。
「その言葉、忘れないでくださいね」
そう言って彼女の髪に口付ければ、シェリーは真っ赤な顔をして何度も首を縦に振った。なんて可愛いのだろうか。彼女の為なら何だってできるような気がした。
勿論、あの父が簡単に彼女との将来を許してくれるはずがないことも分かっていた。そしてその為には何をすべきかも、分かっている。
簡単に出来る決断ではなかった。けれど俺は、心を決めた。その代わりに、ずっとずっと欲しかったものを手に入れられるのだから。
そしてこの日俺は、幼い頃からの夢を捨てた。




