諦めにも似た愛だった
あれから、三週間が経った。わたしは何かと理由をつけて社交の場には一切顔を出しておらず、仕事以外の外出すら控えている。あの日のノエル様の表情が、頭から離れない。
ノエル様に会うのが怖かった。彼を傷つけてしまうのが、彼に嫌われてしまうのが、何よりも怖かった。
同意の上でかけた制約魔法を解く方法はないらしく、時間が経つのをひたすら待つより他ない。そもそもは身分不相応な望みを抱き、魔法に頼ったわたしが悪い。
「……ノエル様は今頃、何をしているのかしら」
数日前に職場で同僚から、ノエル様は師団長の就任式を無事終えたという話を聞いた。わたしがこんな馬鹿なことをしている間にも、彼はどんどんと遠くへ行ってしまう。
制約魔法が解けるまで、あと一ヶ月と少し。このまま時間が過ぎるのを大人しく待ち、ノエル様には後日きちんと理由を説明して謝ろう。そしてこれからは友人の一人として、彼の幸せを祈って過ごそうと思っていた、のに。
仕事を終えてまっすぐ帰宅すると、豪華な馬車が屋敷の前に止まっているのが見えた。そして何気なく馬車に描かれている紋章へと視線を向けた瞬間、わたしは自分の目を疑った。
まさかと思いつつも慌てて屋敷の中へと入ると、突然メイド達によって拘束され、あっという間に身支度を整えられ、広間へと連れて行かれて。そこにはなんと、お父様と向かい合うようにして座るノエル様の姿があった。
「ど、どうして……」
「遅かったな、待っていたよ。早く座りなさい」
何度目を擦っても、目の前の景色は変わらない。どうやら本当に、ノエル様が我が家にいるらしかった。
とても機嫌の良さそうなお父様によって促され、その隣へと腰掛ける。相変わらず美しい笑みを浮かべているノエル様を前に、わたしはひどく混乱していた。
どうして、彼が此処にいるのだろうか。わざわざノエル様が我が家に足を運んで下さる理由など、いくら考えても思いつかない。まさか先日の失礼な態度について何か…なんて考えていると、父の口からは信じられない言葉が飛び出した。
「実はな、シェリー。なんとアンダーソン様がお前に婚約を申し込んで下さったんだ」
「……えっ?」
何をどう勘違いしたらそんな話になるのかと、お父様に向き直る途中で、不意にノエル様と目が合った。彼は先程と変わらない笑顔のまま、わたしをじっと見つめている。
否定をしないということはまさか、今のとんでもない話は本当なのだろうか。心臓が痛いほどに早くなっていく。
……もしやあの大失敗だと思われた「押して駄目なら引いてみる作戦」が、功を奏したのだろうか。たった二回しか実行していないというのに、その恐ろしいほどの効き目にわたしは恐怖すら感じ始めていた。
「すみませんが、少し二人きりにして貰えませんか」
「ええ、勿論です。シェリー、お前の部屋で話すといい」
「わかりました」
そしてノエル様がそう言ったことにより、自室へと移動することになってしまった。彼と自室で二人きりになるなんて、今までのわたしなら天にも昇る思いだっただろう。
けれど今は、再び彼に心無い言葉を吐いてしまうのではないかと言う不安に押し潰されそうだった。
◇◇◇
自室にある小さなテーブルを挟み、ノエル様と向かい合って座る。メイドは二人分のお茶とお菓子を用意するとすぐに部屋を出て行き、パタンとドアが閉まる音を合図に、静かな部屋に二人きりになってしまう。
先に口を開いたのは、彼の方だった。
「久しぶりですね、シェリー。元気でしたか」
「ええ、それなりに」
こんな素っ気ない返事しか出来なくとも、こうしてノエル様の瞳に自分が映り、言葉を交わすだけで嬉しくて、幸せで。とめどなく愛しさが溢れてくる。
いざ彼を目の前にすると、友人の一人として割り切ることなど到底無理だと、わたしは心の底から思い知らされていた。わたしはきっと命尽きるその時まで、ノエル様のことが好きなのだろう。この感情は、諦めにも似ていた。
「こうして急に訪ねて来てしまい、すみません。少しでも早く君に会いたかったんです」
「そうですか」
「先程の婚約の話ですが、受けてくれますか」
「嫌だと言ったらどうするんです?」
少しでも早く会いたかったという彼の言葉に浮かれる間もなく、わたしの口から心無い返事がされた瞬間、一瞬にして彼の纏う空気が変わったのがわかった。
「……俺の事が、好きじゃなくなったんですか」
まるで人形のような顔で、ノエル様はそう呟いた。
その彫刻のように整った美しい顔に生気は無い。アメジストに似た瞳には暗い影が差している。目の下の隈が目立っていることにも、今更になって気が付いた。
「そうかもしれませんね」
今すぐにでも好きだと伝えたいのに、次々と思ってもない言葉が口から溢れてしまう。何故あんな制約魔法をかけてしまったのかと、二ヶ月前の自分の行動を悔やみ、恨んだ。
「……本当に、酷い人だ」
そんなわたしに対してノエル様は、怒っているような、責めるような視線を向けている。
誰よりも優しい彼でも、こんな態度を取られ続けていては流石に愛想を尽かしたに違いない。たとえ何かの間違いだったとしても、こうしてノエル様に婚約を申し込んで頂いたことは、わたしにとって一生の思い出になるだろう。
そう、思っていた時だった。
「俺はこんなにも、シェリーのことを愛しているのに」
「………えっ?」
突然の思いがけない告白に、間の抜けた声が漏れた。
──ノエル様がわたしを、愛している?
もちろん信じられるはずもなく、呆然と目の前の彼を見つめ返すことしか出来ない。けれど彼がそんな嘘をつく人ではないこともわかっていた。真っ直ぐにこちらを見る彼の瞳はひどく真剣なもので、だんだんと心臓が早鐘を打っていく。
……慌てて視線を逸らして俯くと、涙が出そうなくらい嬉しいはずなのに、ティースプーンに映る間延びしたわたしの顔は、驚く程に真顔のままだった。
やがてノエル様は椅子から立ち上がり、ゆっくりとこちらへ向かってくる。そしてすぐ目の前へと来ると、そっとわたしの頬に触れた。
その手つきがあまりにも優しくて、泣きたくなる。
「一生俺だけだという言葉を、ずっと信じていたんですよ」
「……ノエル、様?」
「俺は、シェリーの為にここまで来たのに」
彼が一体何のことを言っているのか、わたしには全くわからない。ただ、先程の「愛している」という言葉だけが、まともに機能していない頭の中でこだまし続けていた。
「今更捨てるなんて、絶対に許さない」
そして彼は今にも泣きだしそうな表情のまま、わたしの唇を噛み付くように塞いだのだった。




